10.「……呆れてるんですよ」

 千石の顔がみるみると表情を失っていくが、私にとってはこのひと巻きが重要なのだ。


「あの、早く行ってください?時間迫ってますよ」

「分かってるけど、あとちょっとなの」


 あとちょっとだろうがなんだろが、電車の時間が迫っているのだから、催促をする千石が正しい。

 だけど、こんな中途半端な髪型で行きたくない。これは今日この後、ご飯を食べに行く相手がどうこうというわけではなく、この髪型で街を歩く自分自身が嫌なのだ。オシャレはいつだって自分のためだ、って誰かが言ってた。ような気がする。


「できた!できたー!行ってくる!」

「いや、もう、ほんと騒がしい」

「じゃね!晩ご飯テキトーにね」


 騒がしいやら、うるさいやらは言われ慣れてしまって、今さらなんとも思わない。最後までバタバタと騒がしく、私は玄関の扉を開けた。今日はこの前約束した米屋とのご飯。思ったより早めに予定が合ったのだ。




 待ち合わせはいつもの繁華街。ここは路地を一本奥に入れば、穴場的なお店がいくつかある。


「ごめん、お待たせ」

「おう!思ったより待たなかったわ」


 米屋を見つけ駆け寄った私に、軽い嫌味を投げてニヤリと笑う。んもう。そんな毎回遅刻してるわけじゃないんだけど?そもそも米屋が毎回早すぎるのだ。


「何食べたいー?」

「お寿司がいい」

「オマエ……ま、割り勘だしいっか」

「そうそう、割り勘だしね」


 こんなことを言っている米屋だが、実際は今まで割り勘だったことは一度としてない。気がついたら米屋が支払いを済ませてくれてるいのだ。この、気がついたら、というところがポイントである。

 断っておくが、なにも米屋がこっそりスマートに支払ってるとか、私が鈍感すぎるとか、そういう話ではない。文字通り、気がついたら、なのだ。ほんとに。ここは覚えておいてほしい。


 米屋と入ったお寿司屋さんは以前も何度か来たことのあるところだった。私たちが行く寿司屋といえばここ。美味しいのに、回らないお寿司屋さんの中では割とリーズナブル。そんなところが気に入っていた。

 店内に入ると、カウンターかテーブル席のどちらがいいか聞かれた。私たちは声を揃えて「テーブルで」と答える。積もる話があるのだ。別にカウンターだからといって、板前さんが聞き耳を立ててるわけではないけど。テーブル席の方が思う存分話せるので、私たちは好きなのだ。


「で、なんで別れたの?」


 最初の注文を終え、頼んだ日本酒がテーブルにきたと同時に前のめりに聞けば、米屋は困ったように眉を下げた。


「なんで……んー、これと言った理由はなし」

「えぇ?またぁ?」


 人の別れた理由を聞き出しておいて、それに「またぁ?」という反応はいかがなものかと思うが。だけど、本当に「またぁ?」なのだからしょうがない。


「その前の彼女ともそれだったよね?」

「おう」

「その前の前も、その前の前の前も」


 話の合間に軽く「乾杯」と声を出し、ちびりと日本酒を流し込んだ。美味しい!最高!早くお寿司食べたい!


「ぜーんぶ理由なく別れてるじゃん」

「いやー、まぁ、うん。そうなんだけど!」


 米屋は気まずさを誤魔化すように日本酒を口に運ぶ。


「もう終わったんだからいいだろ」

「まぁ、ねぇ。どうせまたすぐ彼女できるだろうしね」


 なんの気無しに言った私の言葉に、おちょこを机へ丁寧に置いた米屋が「……どうかな」と自嘲の笑みをこぼす。

 どの辺りに自嘲ポイントがあったのだろうか。そんな素振りは見せなかったけれど、彼女と長続きしないことを実は気にしていたのだろうか。


 米屋の自分自身を嘲るような笑みが気になって、もう少し突っ込んだ話をしようと思った私の目の前にお寿司が置かれた。

 そうなれば私も米屋もお寿司に夢中だ。必然的に先ほどの話は流れてしまった。




「あれー?おかねはー?」

「オレが支払わせていただきました!」

「またぁ?ありがとー、つぎはわたしがはらうからねぇ」


 米屋はベロベロに酔った私に「期待しないで期待しときまーす」と矛盾した言葉を述べた。さてはこいつも酔ってるな?


「オマエさぁ、マジでそろそろ適量ってのを学べよ」


 酔っ払いに酔っ払ってる心配をされているなどつゆ知らず。米屋はそんな風に厳しい言葉を投げかけた。しかし、ごもっともである。そんな正論を言われながらも、私の酔いが一向に醒める気配がないのは、私の体を支える米屋の腕が優しいからだ。


「わたしもさぁ、だれとのんでもこんなんになるわけじゃないよ!?」


 よねやだからだよ、よねやだからなのー、と面倒な絡み方をする私に、「……オマエってほんと……」と、米屋が呆れた声を出す。

 そして「じゃあ、いつも通り送って行きますね」と言いながら、呼んでいたタクシーに私を押し込んだ。手慣れたもんである。



 タクシーの心地良い揺れに意識が飛びそうになっている私に向かって、米屋が「彼氏ほんとにできてないのか?」と聞いてきた。

 どうやら米屋はこの間からずっと怪しんでいたようだ。自分の勘にそれほど自信があるのか。それとも余程私が浮かれていたのか。後者の方が幾分か確率が高そうだ。


「いないってば、ほんとー」

「じゃあ、オマエんち上がっていい?」


 突然な米屋の提案に、微睡んでいた意識が回復する。いつもと逆じゃん。いつもは飲み足りない私が「家上がってく?」と誘うのだけど、米屋が「帰る」と断っていたのだ。なんの心境の変化だろう。

 だけど米屋が天気の話をするみたいに、余りにもサラッと言うので嫌な気はしない。そこに下心は微塵も感じないのだ。


「のみたりないのー?」

「……まぁ、そんなとこ」

「いーよ、おいでぇ」


 別に千石の存在を忘れていたわけではない。さすがにそこまで酔ってない。ただ、なんか、ここで断るのって、怪しくない?と変に気遣ってしまったのだ。




 米屋と帰ってきた私を見た千石の第一声は「まさか、もう野宿案件ですか?」だった。たしかにこの状況を見たら、大体の人は"男を連れ込むのか"と思うだろう。


「ちがうちがう、よねやはどうりょーで、……のみなおしたらかえるよね?」


 反応のない米屋に、「あれ?とまってくの?」と首を傾げれば、私の言葉を華麗に無視した米屋が千石に「どちら様?」と質問を投げかけた。

 そりゃそうか。一人暮らしの私の部屋から男が出てきたのだ。米屋が怪訝な表情を浮かべるのは当然のことだ。


「えっと、弟!」


 千石がなにかを答える前に、私が勢いよく発した。それを聞いた米屋の眉間の皺がさらに深くなる。それは、んなわけないだろ、と思っている表情だ。


「どうも。姉がお世話になっております。かなりご迷惑をおかけしたようで」

「いえ、こちらこそお世話になっております。同僚の米屋圭吾です。それでは、私はこれで失礼します」


 千石と米屋があまりにも堅苦しい話し方をするもんだから、私はなんだか楽しくなってしまう。


「あれぇ?よねやあがってかないのー?」


 私の間の抜けた声がマンションの廊下に響く。それを聞いた米屋はげんなりとした表情を見せ、「弟さんがいないときにな」と私に耳打ちをした。

 まぁ、気を使うか。けどそんな機会、いつになるか分かんないよ?と思ったが、これは今言うことではないか、と言葉を引っ込めた。


「わかったぁ。じゃ、またね。あ、ごちそうさま!」

「おう!次期待しとくからな!それじゃあ、夜分に失礼しました」

「はい。本当に申し訳ございません。それではお気をつけて」


 しゃんとした姿勢で、たしかな足取りで帰って行く米屋の背中を見届けたのち、千石に向き直った私は「ただいまぁ」と玄関に入った。

 靴を脱ぎながら「おすしめっちゃおいしくてさぁ」と今日の感想を口にすれば、「はぁ」と千石の冷たいため息が聞こえる。


「あれ?せんごくおこってる?」

「僕が怒ってる?まさか!……呆れてるんですよ」


 そう言った千石は、今まで見た中で一番冷めた表情をしていた。

 あ、私、千石に嫌われたかも……そう悟った瞬間、酔いは一気に醒めたのだった。

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