9.「こんな風に悲しむようなものではないのにね」
私は千石の存在に心が満たされ、千石がいなくなることを想像して絶望してる。なんで?……恋?
いやいやいやいや。んなわけないない。頭に一瞬過った考えを即座に否定する。私が千石を好きになるのはない。そもそもタイプじゃないし。現実でも永良くんみたいな昼行灯キャラがタイプだし。普段はぼーっとしてるが、やる時はやる男!最高じゃん?
「あ、分かった!」
おっと、危ない。千石はもうすでに寝ているはずだ。閃いたことで、思ったよりずっと大きな声を出してしまった私は、慌てて口を押さえた。
しかし気づいてしまったのだ。千石に対する私の気持ちの正体に。
これは、そうだ。推しへの愛と同じだ。私、いつの間にか千石も推しキャラになってたんだ。永良くんのこと考えてるときと同じ充足感だしね。永良くんがいなくなるって考えたら絶望するし。うんうん。やっぱり生身で、しかも超絶イケメンだと、タイプじゃなくても推すようになっちゃうか。
「なにが分かったんですか?」
「……!!起きてたの?」
「瑠璃子さんの声で起きたんです」
直接的な言葉はなかったが、つまり「うるさい」と言いたいんだろう。
「ごめん」
「いえ。寝れないんですか?」
眠気を含んだ千石の声はいつもよりも滑舌が悪い。丸みを帯びたようなとろりとした声に母性がくすぐられる。
「うーん。ちょっと考えごとしてたの」
「あぁ、だから"分かった"か。解決して良かったですね。もう寝れそう?」
「寝れる寝れる。もううるさくしないよ」
だから安心して寝てください、という気持ちを込めて言ったその言葉に、千石は「ちがいますよ」とくすりと笑う。
「もし一人で寝られないようなら、僕がベッドで一緒に寝てあげますからね、ってことです」
またそうやって私のことを揶揄う。そう分かっててもドキッてしちゃう自分が悔しい。
なんて返してやろうか。ここは「じゃあ、一緒に寝てよ」とでも言って、反撃してやろうか。もしかしたら狼狽える千石が見られるかもしれない。
「おやすみなさい」
千石をおちょくってやろうと決めた私の心を読んだかのように、千石の声が会話を強制的に終わらせた。やはり千石の方が何枚も上手だ。
▼
千石と暮らし始めて2回目の休日。特にこれといった予定もないので、私は以前から気になっていたことを試してみようと、千石に声をかけた。
「写真……ですか?」
「そう!写真!撮ってみてもいい?」
リングのコラボカフェで女の子たちに「写真を撮ってください」と頼まれてから考えていた、千石が写真に写るのか問題。これは是が非でもはっきりとしておきたいのだ。
「わざわざ試さなくてもいいですよ。僕が写真を断ったらいいんですから」
という返答からも分かるように、千石は乗り気ではないらしい。ちっとも状況を理解していない千石に、やれやれとため息を吐いた。
「隠し撮りされるかもしんないじゃん?」
「……あぁ、まぁ、それはたしかに」
千石が私に納得させられてる。その事実だけで白米が食べられそうだ。
それじゃあ撮ってみましょうか、ということになって、私のスマホカメラを千石に向けた。
うん。スマホの画面には映っている。にしても、ノーフィルターでこの破壊力。
頬杖をついてこちらを向いているだけだ。それなのに、千石は雑誌の表紙を飾れそうなほどのオーラを放っている。しかも世界的なおしゃれ雑誌とかの表紙。千石ならトイレに座ってても絵になるだろう。
「撮るよ?」
「まだ撮ってなかったんですか?早くしてください」
「……ムスッとしてないで、笑ってよ」
我ながら面倒な注文だと思う。千石も顔を歪ませて「はぁ?」と不機嫌さを表した。
「やですよ。どうしても笑ってほしいなら、面白いことしてください」
「……やだよ」
「じゃあ、諦めて。早く撮って」
言葉と同じように、紫色の瞳が「早く」と催促してくる。どうせ残すなら笑顔がいいけど、でもこの不機嫌そうな顔こそ千石っぽいか。
「分かったよ!撮るからね。はい、チーズ」
カシャ、と音を立ててシャッターが切られる。そのまま保存された写真を見て、「ちゃんと写ってる」と事実を告げれば、千石は真顔で「よかったですね」とだけ述べた。
なんでそんな他人事なのよ。写真を撮られて写らなかった場合、騒がれて困るのは千石なんだからね。まぁ、なにはともあれ心配ごとが一つ減ったのは嬉しいことだ。
ほくほくと喜ぶ私に、千石は「写真、消してくださいね」と非情な言葉を投げかけた。
「なんで!?絶対やなんだけど!」
私も随分勝手だと思うが、それほど消したくないのだ。だって、だって。
「消してください」
「やだ」
「なんで?」
なんで?そんなの、理由は一つしかない。だけど千石には言えない。上下の唇を強く合わせた私を見て、千石は冷たくため息を吐いた。
心の底から呆れているような、幻滅をしたようなそれに、私の心がぎゅっと掴まれる。身体が熱を失っていくようだ。
「僕、いつまでこの世界に存在できるか分からないんですよ。そんな風に形に残してたら、後悔するのは瑠璃子さんですよ?」
「……!!……だからじゃん」
「え?なんて?聞こえなかった」
「だからじゃん!そんなこと私だって分かってるよ。だからだから、残しときたいんじゃん」
千石がこの世界から消えても。千石がたしかにここに居たという証拠を、手元に残しておきたいのだ。
「泣かないでくださいよ」
「っ、泣いてないし」
私の強がりに、千石は小さく笑みを漏らす。
「あー、強く擦ると赤くなりますよ」
「千石って、たまにお母さんみたいなこと言うよね」
基本的にだらしのない永良くんの世話を焼き続けてきたからか。それとも幼少期の環境でそうならざるを得なかったのか。
どちらにしろ、千石が面倒見が良いのは確かだ。
「ふはっ、なんだそれ!全然嬉しくないですね」
私の本音がツボに入ったのか、千石は声を出して笑う。あ、これ、この顔を今撮ったら怒られるかな。……怒られるだろうな。
でも怒られてもいいから撮りたい。この千石を残しておきたい。
そう思うのに、私の手はスマホへは伸びない。それはきっと、千石の笑顔に見惚れてしまっていたからだ。ずっと笑っててほしい。不安など、恐れなど感じないで、ずっと笑っててほしい。
このときの私は、世間一般ではその感情をなんと呼ぶのか、それに少しも気づいていなかった。
▼
その日の夕飯は2人で作った。少し手の込んだものにしようか、と煮込みハンバーグだ。
それを食べながら、珍しくテレビをつけた。ほんの軽い気持ちだった。だけどつけた瞬間に後悔した。それは流れてきたニュースが、リングの炎上問題だったからだ。
「……これって、僕のこと言ってますよね?」
私がテレビの電源を落とそうとしたのと、千石がそう発言したのは同時だった。私は誤魔化せず「みたいだね」と頷く。
ニュースキャスターが「作者の藤田氏の発表により、炎上問題は落ち着きを取り戻してきました」と原稿を読み上げた。
「詳しく話してください」
と千石に真剣な眼差しで乞われれば、断れるはずなどなかった。
私は包み隠さず話した。誤魔化しても何かの拍子でいずれ知ってしまうかも、と思ったからだ。それなら今話してしまった方がいい。
千石の死に納得できない人が大勢いたこと。その人たちが起こした行動と、そこから発展した問題。そして、先ほどのニュースでも取り上げられていた、作者の「話を変えることはできませんが、救いがあるようにと考えています」という発表。
それを黙って聞いていた千石は、「これが原因かもしれないですね」と言った次の瞬間に、パクリと煮込みハンバーグを口に含んだ。
「千石もそう思う?私もこれが原因かなー、って思ったよ」
俄には信じ難いが、事実千石はこちらの世界に来ているのだ。多くの強い気持ちがそうさせたと言われれば、なんとなーく納得できるような気がした。……ほんとになんとなーく、だけど。
「僕の死は、こんな風に悲しむようなものではないのにね」
煮込みハンバーグを咀嚼しながら、あまりにもさらりと言うものだから、私もさらりと聞き流してしまうところだった。
しかし、意味を理解した瞬間になんとも言えない感情に襲われる。
「なんでそんなこと言うの。悲しいよ。千石がいなくなったら悲しい」
言いながら、自分でも漫画の中のことを言っているのか、それとも今のことを言っているのか分からなくなる。どちらにせよ悲しいことに変わりはない。
「あれ?悲しんでくれるんですか?僕は瑠璃子さんが大好きな隼人を裏切ったのに?」
千石はわざと意地の悪い言い方をした。私を怒らせて、この話を誤魔化して流そうとしているのだ。
「千石、一つ良いことを教えてあげようか?」
「はい?」
千石の眉が寄せられ、瞳が細められた。突然なんの話だ?、と怪訝な表情だ。
「私はね、千石のことも大好きなんだよ」
「……はぁ、そうですか。それはありがとうございます」
拍子抜けをした千石の顔が次の瞬間には綻んだ。言葉は完璧な棒読みだったけど!
私はどうしたら彼を救えるのだろうか。それとも人を救おうなどと考えることは、おこがましすぎるだろうか。
だけど、千石を見ていると、千石に触れていると、そう思わずにはいられないのだ。
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