第一章 第七節

「くそ! あのひょろがり! 俺様をなめやがって!」


 一気に酒をあおり、乱暴にジョッキをテーブルに叩きつける。

 周りにいる客は顔を顰めているが因縁をつけられたくないのか声を潜め顔を背けている。

 さっきからレティシアが連れてきたクオンとかいう男にあしらわれたことが頭を離れずイライラする。

 飲んでいる酒も実家で飲んでいたものに比べると何段も等級の落ちるもので、それも気に入らない。

 ゴルドーはバレンシア辺境伯の三男で、よほどのことがない限りは家督を相続することはない。次男までなら当主の補佐官や代官などの準爵として一定の立場が用意されるが、三男ともなればそれもなく、士官先や婿入り先などが見つからなければ平民と言う扱いになる。

 それを不憫に思ったバレンシア家当主が同じく武家であるクラレンス家に頼み込み、レダの砦の隊長職として口利きをしたのがゴルドーがここにいる理由だった。

 バレンシア家当主が自身の家で持つ軍に入れなかったのは他家の軍で揉まれることでゴルドーのこの性格を矯正出来れば、と言う思惑を暗に含んでいたのだがプライドが異常なまでに高いゴルドーには男爵家の三男や平民出と同格に扱われるのは屈辱でしかなく、バレンシア家当主の思惑から外れ性格の歪みを増大させることとなっていた。

 酒と一緒に注文した骨のついたチキンを食いちぎり口を鳴らして咀嚼し、酒で流し込む。

 安酒とはいえ酒は酒。まわるにつれて思考のタガが外れていく。そうして元から傲慢で緩みがちだった思考がさらに緩んだ結果ある一つの結論にたどり着く。

 口元に邪悪な笑みを浮かべると、代金をテーブルに叩きつけるように置き、ゴルドーは店を出た。



「――ということがあって、協力者としてクオン殿には同行頂いている」

「なるほど、それでクオン殿が同行しているのだな」


 カークとクラークはクオンとレティシアをそれぞれ部屋に案内した後、将官用の部屋へ移動しこれまでの出来事について情報を共有していた。


「しかし"呪詛啜り"なる変異個体か……治療に解呪の魔術が必須となるのは厄介だな」


 一通りの話を聞き終わったところでクラークは大きくため息をついた。


「クオン殿が言うには極稀にしか発生しないそうだ。それがせめてもの救いだな……森への立ち入りを禁止にしておいて正解だったわけだ」


 "呪詛啜り"から受けた傷が通常の処置では治せないと判明した直後、カークとクラークは兵や住民達にこれ以上の被害が出ないよう砦全体に森への立ち入りを禁止する命令を出していた。

 クローエイプ以外にもそう言った傷を負わせてくる魔物がいないとも限らない、未知の事態への危険性を最大限勘案し即座に立ち入り禁止令と怪我人の移送、より上位の指揮系つまりヴィンゼルやレティシアからの判断を仰ごうとした一連の対処は間違っていなかったことを再確認した。


「それで、私が不在の間、何か変わったことはなかっただろうか?」

「兵士達には被害はないが、何組かの探索者パーティーが勝手に森に入って例の傷を負わされて帰ってきた」


 探索者とはレダの森などの危険地帯に入り、そこで鉱石や薬草、魔物の討伐を行いその死骸から薬や武器の素材となりそうなものを採取してくる者達のことをいう。

 遺構のある場所では遺構を探索し価値のある遺物なども持ち帰ってくることもあるが、レダの森の遺構はクラレンス家の管理下にあるため遺構からの物品の持ち出しは禁止されている。

 探索者のほとんどは探索者ギルドと言う国際非政府組織に属している。探索者ギルドは探索者達の身元の保証や依頼の斡旋、素材の買い取りなどのサービスを探索者達に提供している。

 ギルドにも立ち入り禁止の要請を行ってはいるが、探索者達はギルドに雇用されているわけではないため指示を徹底しづらい。


「……ギルドに傷の治療方法を共有せねばな」


 実際、カーク達がギルドに行った要請はこの砦を活動拠点としている探索者達への休業要請にも等しいものだ。素直に従うのはよほど慎重な者達か資金に余裕のある者達だけだろう。

 要請に従わず森に入る者が一定数出てくることは予想していたが、案の定怪我まで負ってくるとやはり、とため息の一つも出てしまう。


「それで、その探索者たちはどのあたりで活動していたかはわかるか?」

「ああ、その探索者達からどこで活動していたかなどの聞き取りは済んでいる。地図に印をつけてあるから、後でレティシア様を交えて状況を確認しよう」

「了解した……ではまず、クオン殿を呼んでギルドまで行ってこよう」


 例の傷による負傷者がいるのなら、治療を実演して見せれば探索者達も落ち着くだろう。

 傷が治らないというのは単純であるがゆえに精神的にきついものがある。ましてや呪いを受けた部分は変色し苦痛を伴う。それが徐々に体全体に広がっていくのだからもはや恐怖でしかない。

 定期的に森に入っている兵士達の間でも傷が治らないことが知れ渡ると森に入ることに忌避感を示すようになった。忌避感からか森の中での動きが鈍り、負傷が増えそれがさらなる忌避感へ、と負のサイクルが形成されていった。

 同様のことが探索者達の間でも発生するのは容易に想像がつく。


「そうだな。頼む」


 話がまとまったところで、部屋の扉が乱暴に開かれ、兵士が一人飛び込んできた。


「会議中失礼します!」

「なんだ、ノックぐらいしろ」

「申し訳ありません。ですがその、ゴルドー隊長が……」


 息を切らせつばを飲み込む。よほどのことがあったのか、焦りからか兵士の顔色は良くない。


「ゴルドーがどうした?」

「連れてきたお客人を訓練場に呼び出して、稽古をつけると!」

「「なんだと!?」」

 カークとクラークは騒然となり、思わず同じ言葉を口にした。



 クオンはクラークに案内された部屋で寛いでいた。

 レティシアとは別の部屋に案内されているため、今はクオン一人だ。

 部屋は石造りの床と壁がむき出しとなっており、部屋の両側の壁には二段ベッドがそれぞれ二組、本棚も一つずつあり本棚には聖書と兵法書が一冊ずつ収められている。私物らしきものはないため本棚はほぼ空の状態。

 採光用の窓から光が差し込み、それを長テーブルが受けている。椅子はベッドの数と同じく八脚ある。見るからに兵士の待機所と言った趣の部屋だ。


「失礼します。隊長がおよびです。訓練所まで来ていただけますか」


 扉がノックされ、クオンの返事を待たず扉が開くと兵士が入ってきてそう告げた。


「はい。わかりました」

「あ、ありがとうございます。では案内しますので付いてきてください」


 兵士はかなり緊張した様子で早口に言うと踵を返す。

 その様子にクオンは首を傾げるが、それが何なのかまではわからなかったので言われた通りついていくことにした。

 廊下に出ると、この部屋に来るまでの道程を逆に辿り塔の外へと出る


「外に出るんですか?」

「え? あ、はい。訓練施設は別の塔ですので」


 先を行く兵士の隣に追いつき質問すると、やはり兵士はやや早口気味に説明してくれた。

 これがカークやクラーク、レティシアなら砦が今の形になっていく過程で城塞部分は徐々に解体され町を囲う城壁になり、城塞内にあった各施設も町中へと移転していったと砦の来歴を雑談がてら語ってくれただろうが、この兵士はそう言ったつもりはないらしくただ足早に歩いていく。

 城壁沿いにしばらく歩くと、もう一つの塔が見えてくる。

 その塔が訓練場なのだろう、兵士は塔の扉を開き中へ入っていく。クオンもそれに続く。

 そのまま兵士に続くと、訓練用のグラウンドに着いた。 


「あの、誰もいないようですが、カークさんクラークさん。どちらが私を呼んでいるんですか?」


 グラウンドを見渡しても誰もおらず、奥と左右にそれぞれ扉があるだけ。上階部分へは吹き抜けになっており、そこからは採光用の窓から光が差し込んでいるだけで無人のようだった。


「呼んだのは俺だよ」


 奥の扉が開きゴルドーが姿を現す。手には両刃の戦斧が握られている。


「よう。待ってたぜ?」

「ゴルドー殿、でしたか。どのようなご用件でしょうか」


 思わず眉を顰めたくなる。出会い頭の印象が最悪だったのもあるが、良からぬことを考えているのが見てわかる下卑た笑みを浮かべているからだ。


「いやな、さっきは人前で恥をかかせてくれただろう? そのお礼をしようと思ってよ」

「そんなことですか、礼には及びませんが?」

「おっと、逃げるなよ? 逃げたらここにお前を連れてきた奴や、さっき出迎えで顔を出してた奴等に迷惑がかかるぜ?」


 踵を返そうとしたクオンに、ゴルドーは口角を上げて好戦的な笑み浮かべる。

 横を見ると顔を真っ青にして縋るような眼を向けてくる兵士がいる。このまま帰ったりしたら彼らがどのような目にあわされるか。

 内心でため息と、言いようのない不快感を感じながらゴルドーに向き直る。


「迷惑、ですか……?」

「命令もろくに遂行できない部下にはお仕置きが必要だろう?」

「ここに私を呼んだ時点で命令は完遂しているように思えますが?」

「ごちゃごちゃうるせぇんだよ! 俺がそう言ったらそうなんだよ!」


 もともと気の長い性質ではないのだろう、問答にイラついたゴルドーが威嚇するように地面に戦斧を叩きつける。


「てめぇをぶちのめしてレティシアの前で土下座させてやるぜ!」


 なぜここでレティシアが出てくるのかはわからないが、ゴルドーなりになんらかこだわりがあるのだろう。

 レティシアと言えば、ゴルドーは彼女にも傍若無人に振舞っていたことを思い出す。クラークに対してもそうだった。同じ貴族だというのにこの落差は何なのだろう。

 落胆、違う。憤慨、これも違う。これが俗にいうイラつくというものだろうか。今の感情を分析したいところだがその時間はないらしい。足を踏み鳴らしながらゴルドーが突進してくる。


「扉の方まで下がっていてください」


 隣で青い顔をしている兵士にそう言って下がらせる。

 同時に《金剛羅漢ノ法》を行使する。


「おっらあぁ!」


 大上段からの振り下ろし。これを横にステップして回避。そしてさらにステップし距離を取る。


「ぬぅおぉあ!」


 振り下ろしで地面に突き刺さった戦斧を力づくで引き抜くと、一歩こちらに踏み出しつつ横薙ぎ。これもクオンは後ろに下がり回避する。


「死にやがれぇ!」


 横薙ぎからもう一度大上段に構えなおし振り下ろす。これも後ろに下がり回避した。が、下がったところで背中が壁に当たった。


「へっへっへ! ちょろちょろとよく避けるじゃねぇか。だが、―――」


 もう逃げられない、と言いたげにゴルドーは横薙ぎの構えを取る。


「はあぁ!」


 ゴルドーが力いっぱい戦斧を振り抜く。クオンの頭がはじけ飛ぶことを想像時、扉の前まで下がっていた兵士が顔をそむけた。―――が、金属がゆがむ鈍い音がして戦斧の動きが止まった。


「なっ! にっ?」


 ゴルドーは戦斧を振り抜いたつもりだったが、振り抜く途中で無理やりに動きが止められた。視線の先には片手で戦斧の刃を掴んだまま微動だにしないクオンの姿があった。

 クオンが指に力を入れると金属がきしむ音が響き、刃に指が食い込んでいく。

 昏く、感情が読めない目をしたクオンが一歩前に進むと、ゴルドーは戦斧毎一歩分後ろに押し返される。


「ひっ!?」


 一歩、さらに一歩とゴルドーを押し込んでいく。戦斧を手放し距離を取ればいいものをゴルドーは戦斧を手放さず力勝負に出ようとした。押し返そうと腕と足に力を入れなおすが、クオンはそんな抵抗を意に介さず着実にゴルドーを押し込んでいく。


「お前は、いつもこんなことをしているのか? 部下を暴力で脅して無理やり従わせているのか?」


 背に壁が辺りこれ以上下がれなくなったところでクオンが口を開く。


「わ、悪いかよ! 俺は伯爵家の人間だぞ! 下賤な平民は俺に奉仕する義務があるんだよ」


 恐怖に震えそうになる自分を鼓舞するようにゴルドーは声高に言う。


「なら貴族の務めは?」

 

 戦斧が持ち上がり、刃が首筋の近くに押し付けられる。

 ゴルドー自身も最初から身体能力強化の魔術を使用している。しかしその強度が段違いに違うせいで抵抗らしい抵抗は全くできていない。

 耳のすぐそばで石が削れる音がして、岩に戦斧の刃が食い込んでいく。


「ちっちくしょおぉぉぉ!」


 戦斧の柄を握っていた手を放しクオンの顔に殴りかかるがそれも手首をつかまれ阻まれる。そして、


「ぎえぁあぁぁ!」


 肉と骨が潰れる音がし、手首から先が力をなくし垂れ下がる。



「クオン殿! 無事かっ!?」


 クラークとカークが訓練場の扉を開けると、林檎か何かが潰れるような音がしてゴルドーが蹲る姿が見えた。


「手が、手が、俺の、てがあぁぁぁ!」


 涙と鼻水、涎を垂れ流しながら呻くゴルドーを見下ろしていたが、やがて嘆息したかのように息を吐きゴルドーから離れた。


「っ、クオン殿? これは一体?」


 カークが声をかけつつクオンへと駆け寄っていく。クラークも同じくクオンへと駆け寄る。


「えっと、呼び出されて襲われました」


 蹲るゴルドーを一瞥し、困ったように眉を下げながら言う。


「の、ようだな。だが、襲われたようには全く見えないが……」


 カークが恐ろしいものを見るように壁に刺さったままの戦斧を見る。

 このありさまではどちらが襲われたのか分かったものではない。


「どれほどの力を持っていたらこうなるんだ」

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