第一章 第八節
訓練場での出来事から約一時間ほどたったころ、クオン、レティシア、カーク、クラークの四名は隊長職が使う書斎に集合していた。
「―――以上です」
クラークが今回の出来事について、兵士達から聞き取った話をレティシアに報告する。
カークとクラークで事情聴取を行った兵士達の言葉を総合すると、訓練場を利用していた兵士達を脅して訓練場を空けさせ、クオンを呼び出して害そうとした。クオンがそれを拒むようなら兵士達を痛めつけると仄めかし引けないようにした上でだ。しかし、クオンの戦闘能力は圧倒的にゴルドーを上回っており簡単に返り討ちにした。というものになる。
事情聴取はもちろんゴルドーにも行われ、医務室で治療を受けたゴルドーは実家であるバレンシア家にこの件を報告し抗議すると喚いている。と報告には付け加えられている。
「……はぁ」
クオンの強さに感心したらいいのか、ゴルドーの屑さにうんざりしたらいいのか、レティシアはただただため息を漏らす。
「……とりあえず、お爺様に報告してゴルドーにはバレンシア家に帰ってもらうようにしましょう。彼は以前からここでの生活が不満だったようですから、丁度いい機会です」
少し考えて方針を決める。今回の場合はクオンの扱いが在野の魔術士で、士官を見据えて客分として迎えていることが有利に働く。
理屈はこうなる。在野の優秀な魔術士を見出し召し抱えるためクラレンス家の軍事について触れさせ士官の話を進めようとしていた所、バレンシア家から預かっていた三男がその魔術士を不当に害そうとした。親交あるバレンシア家の者と言えど、当家の軍備強化への妨害行為は許されざる行いである。
バレンシア家の当主は良識のある人物なので、これまで逐一報告していた素行不良の数々も勘案して、ゴルドーの抗議は不当なものとして受け付けることはないだろう。
そもそも、武家として名の通っている貴族の子息が在野の魔術士に簡単にあしらわれた、などと言うのは醜聞でしかない。そしてその報復に実家が乗り出してくるなど、恥の上塗りもいい所だ。
「お爺様も同様の結論を出すでしょう」
心配そうな顔をしているクラークとカークに、穏やかにレティシアは言う。クオンはと言うと、心配ではなく申し訳なさそうに眉根を下げている。
クラークは細かな気遣いができる、内政型の軍人で優秀ではあるが、男爵家三男と言う立場上権力の力学にはやや疎い。カークやほかの指揮官達も似たようなもので、ゴルドーが実家の権力を笠に着て好き放題していたことについて上手く窘める事が出来ないでいた。
同僚で同格の地位にいるとはいえ、実家の権力を引き合いに出されるとどうしてもやりにくいものがある。
「本来ならゴルドーについては、私やお爺様が早くに決断しておくべきことだったのです。あなた達が心配することではありません」
そう言うとクラークとカークは安堵したように胸をなでおろした。
「……隊長職の席が一つ空きますね」
まともに稼働していなかったとはいえこれで隊長職の席が一つ空くことになる。
ゴルドーが来たことで昇格が見送りになっていた者を引き上げることで対応しましょうか。レティシアがそう考えたところで、クラークとカークがその意を読み取ったように言ってくる。
「以前、昇格が見送りになった候補者を改めて推薦致したくあります」
「わかりました。その者との面談を行います。段取りを」
レティシアが頷き、クラークとカークが敬礼する。
「さて、クオン殿。今回の件については責めるつもりはありませんし、私達からあなたへの評価も変わりません」
「あ、はい。ありがとうございます」
「とはいえ、今後は言動には注意してくださいね?」
ゴルドーの凶行の原因はゴルドーの性格によるところが大半だが、クオンの言動がそれを誘発したところも多分にしてある。
平民と貴族では言葉一つで平民が無礼討ちされても仕方ない場合がある。クオンならば大抵のことは自力で切り抜ける実力があるだろうが、今はクラレンス家が客分として扱っている身。それはクラレンス家にも責任があるものとして扱われる。相手によっては厄介なことになりかねない事態だったので、これについては反省を促さなければならない。
「はい。すみません。気を付けます」
「いいでしょう。今後このようなことがないように気を付けてください」
素直に頭を下げると、レティシアが反省の意思を受け取った、と頷く。
「さて、これで一通りは片付きましたね。では――本題に入りましょうか」
◇ ◇ ◇
「ここがレダの森……」
砦を出てすぐそこから広がっている森を見て、クオンは感心したように呟く。
見えている範囲の木々はいずれも幹太く高い。長い年月を経ていることが容易に伺える。
何よりも森全体がうっすらと魔力を帯びており、それは奥に行くにつれて密度を増しているのが感じられる。
「それでは、まずここから森に進入し、群れがあると思われる場所まで行きます」
カークが指さす先には森の奥へと道のように切り開かれた場所がある。
日常的に探索者や兵士たちが森に入っているため、ある程度のところまではこうして切り開かれているとのことだ。
群れの位置については、ここに来る前のブリーフィングでクラークから情報の共有があった。これまでに何組かの探索者グループが"呪詛啜り"化したクローエイプと交戦しており、それらの話を総合して群れの大体の位置を予想したそうだ。
クラークが予想したポイントへと黙々と歩みを進める。
下草を踏む音と、それぞれの呼吸の音だけが微かに聞こえてくる。
普通の森ならなにかしらの虫の音や動物の鳴き声などが遠く聞こえてくるものだが、先ほどからそれらが全く聞こえてこず気配すら感じられない。
「そろそろクラークが言っていたポイントなんだが。妙だ、静かすぎる」
隣を歩くカークが眉をひそめながらそう呟く。
「だとすればここで当たりかもしれませんよ」
と、そのつぶやきを捕まえてクオンは言う。
「どういうこと?」
「"呪詛啜り"化した魔物はアンデット系の魔物に近い属性を帯びるようになります。ほかの魔物や動物はそれを感じ取ってその場から逃げ出したのかもしれません」
カークのさらに隣で首を傾げるレティシアにそう説明していると、視界のかなり先の方で何かが動いたように見えた。
「あそこです」
森の奥。木々の上。そのうちの一際太い枝と幹の間を指さす。瞬間、木の幹に何かの影が隠れるのが見えた。
「戦闘準備」
レティシアが言うのが早いか、獣の遠吠えのような声が響き渡る。
兵士たちが緊張とともに武器を構え、円陣を組むように展開する。
風の起こす葉擦れの音以外にも、木々がしなり大きく枝が揺れる音が混ざる。それも様々な方向から。そして徐々に大きくなり、数も増えていく。
「群れの本体を探します、しばらくお願いします」
「わかった」
クオンは一歩下がり円陣の中に入る。クオンが下がってできた穴をカークとレティシアがずれて埋める。
「《大気に渦巻く情動の波よ我が眼に示せ――センス・オーラ》」、
唱えると、クオンの視界にはもう一つの視座が追加される。見上げる木々を透かしていくつもの赤黒い靄の塊がさまざまな方向から近寄ってくるのが見える。
赤黒い靄は具体性のない悪感情、すなわち悪意を表している。それらを確認し、今度は森の奥を見通すように視線を動かす。
「来るぞ」
斥候と思われる小柄な個体が木々の枝を器用に飛び移り、こちらに向かってくるのが見えた。同時に左右からも同じように数匹枝を飛び移りながら迫ってくる。
「っ……しっ!」
最も距離が近かったクローエイプが枝から飛び降りながら腕を振り下ろしてくる。
飛び降りる勢いを利用した引っ掻き攻撃。クローエイプの常套手段ともいうべき攻撃方法だ。
だが、カークは一歩前に出て上手くそれを盾で受け止めた手で薙ぎ払うように押し返す。
押し返されたことでクローエイプは着地の体勢を崩した。そこにカークは反対の手に持っていた剣を袈裟に振り下ろす。
「落ち着いて対処しろ! 怪我をしてもクオン殿が治療してくれる! いつも通りにやれ!」
首に近い肩口から胸、腹までを切り裂かれたクローエイプが這う這うの体で下がるのを追撃せずに見送る。
「レティシア様」
「ええ、わかっています。《風と氷を従える者よ。我が声にて目覚めよ。その威を示せ》」
カークに促されレティシアが剣を掲げ祈るように鍵言葉を唱える。と、彼女の持っていた細身の剣から僅かに風と冷気が吹き上がる。
兵士達からの感歎の声が上がる。クオンも群れの本体を探すため辺りを見渡していたが、近くに突然強力な魔力反応が発生したため思わずそちらを見る。
「ふっ」
その場で露でも払うかのような無造作な一振り。しかし、剣から奔った風と冷気が見えない刃となってクローエイプの背中を切り裂いた。
その傷を中心に冷気による凍結が起き体の表面に霜が走る。それでも下がろうとクローエイプは歩を進めるがやがて倒れてうごかなくなる。
「風と、冷気の魔剣……いや、宝剣ですか」
凍結し動かなくなったクローエイプを見ながら呟く。
「はい。クラレンス家に伝わる宝剣、シルバーブリーズです」
「皆、深追いはするな! トドメはレティシア様が刺してくださる!」
シルバーブリーズの威力を見、兵士たちの士気が上がる。それを見逃さずカークが檄を飛ばす。その檄に兵士たちはさらに歓声を上げる。
それを皮切りに、クローエイプ数体が立て続けに襲撃してくるが、兵士達もさすがと言うべきか、カークほどの手際ではないが一人で、あるいは複数人で連携してクローエイプを迎撃していく。
それからは堅実な防戦により確実にクローエイプの討伐数を増やしていった。
その中でこちらにも怪我を負う者が数名出たがすぐにクオンの治療を受けられることもあり、負傷に対する動揺はなく粘り強く防戦に徹していた。
クオンも周囲を見渡し、どの方向からクローエイプが現れるかを知らせ不意打ちを防ぎつつ群れの本体を探す。森全体に満ちている魔力のせいで探知距離が極端に落ちているため視界に頼った捜索になるが、木々を透かして見れる分ほかの索敵よりはまだ効率がいい。
「ふむ。やはり普通のクローエイプとは異なるようだな」
散発的な襲撃の合間を縫ってこまめに移動を繰り返すこと数回目、トータルの討伐数が二十匹を超えたあたりでカークが言う。
「普通のクローエイプならこれほど損害を出せば引くところだが……」
常ならばすでにクローエイプは撤退に踏み切ってもいいはずだが、その気配は今のところない。
兵士たちの士気は高いとはいえ、森の中を移動しながら迎撃を繰り返していると疲労もたまってくる。自分にはまだまだ余力はあるが、兵士達の一部は息が上がり始めている。
一度撤退し態勢を整えるべきか考えていると、クオンがある方向を見つめて立ち止まったのに気が付いた。
「どうした? クオン殿」
「見つけました……!」
目を眇めて森の奥を見つめていたクオンが声を潜め、呟くように言う。
遠く木々の奥にいくつもの赤黒い靄がひしめき合う場所を見つけた。
「本当か……! レティシア様!」
「ええ……クオン殿、結界の魔術を」
クオン、レティシア、カークはそれぞれ顔を見合わせて頷く。
クオンは腰に下げていた革袋からルーン石を取り出し高く放り投げる。
「《Nauthiz》」
唱えると同時にルーン石が輝き、木の幹を避けるように間を縫って八方へと飛び去って行く。
「結界、形成しました。これであの群れは逃げられません」
「よし……傾注!……たった今クオン殿がサル共の群れの本体を発見し、逃げられないように結界を張った!」
思い思いに息をついていた兵士達がカークの方に向き直り姿勢を正す。
レティシアが兵士たちの前に歩み出て言葉を繋ぐ。
「皆よくここまで奮戦してくれました。ですがもう一層の奮起を求めます。ここで、あの忌まわしい傷を生みだす魔物を殲滅するのです!」
兵士たちが無言でそれぞれ武器を掲げる。
クオンが群れの方向を指さすと、レティシアがそれに続き剣を向ける。
「進軍!」
短くレティシアが告げると兵士たちは速やかに横隊に列を整え前進を開始した。
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