第一章 第六節

「すみませんでしたーーー!」


 クオンの前でルロイの護衛をしていた三人組が揃って頭を下げる。

 追いついてきたレティシアの姿を見た瞬間、ルロイが膝をついての最敬礼。困惑する三人組をよそに鷹揚に応えるレティシア。

 ルロイは今は引退したがクラレンス家の御用商人の一人で、領内では名の知れた商会の会頭をしていたのだという。当然、レティシアとも面識がある。

 続いて、レティシアと親しく話をするクオンにもルロイが礼を尽くすと、三人もさすがに剣を向けたのはまずかったことに気が付き、改めて謝罪を受けることとなった。


「いえ、護衛としては当然のことでしょうから……」


 三人の勢いに押されて遠慮がちに言うと、カークが耳打ちしてきた。


「クオン殿、この場合、その態度は良くない。謝罪はちゃんと受け取っておかないと彼らの心が休まらない」

「そ、そういうものですか?」

「うむ。この者達にはクオン殿はクラレンス家の関係者のように映っているだろうからな」

「は、はぁ。……わかりました。三人の謝罪を受けれます。ですから頭を上げてください」

「ありがとうございます!」


 そう言うと、三人は安堵したように頭を上げる。カークも満足げに頷いている。


「カーク、クオン殿。ルロイがレダ砦まで同行することになりました」


 少し離れた場所で話をしていたレティシアとルロイが戻ってきてそう告げる。


「カーク殿、クオン殿よろしくお願いいたします」


 ルロイが帽子を取って白髪交じりの頭を下げ、それにカークが頷く。


「承知しました。では、馬車が追いついたらルロイ殿の馬車も護衛に含めた編成に隊列を組みなおしましょう」


 馬車と合流するとカークが指示を飛ばす。

 騎兵を隊列前後に配置し、兵士が詰めている幌馬車、タウンコーチ、ルロイ荷馬車、討伐隊の荷馬車の順で隊列を組みなおす。護衛の三人組はルロイの荷馬車の荷台に乗り込んで待機となった。

 ルロイは荷馬車を兵士に任せ、クオン達と同じくタウンコーチに乗っている。さすがに四人も乗り合わせ、うち三人が男ともなると手狭に感じる。


「クオン殿、レティシア様に伺いました。先ほど助けていただいたときは大分離れたところから駆け付けてくださったとか。あのままでは全滅はしないまでも誰かが大けがをするところでした。助けていただきありがとうございます」


 ルロイは老年の男性で、少し樽型の体型をしている。笑っている顔は好々爺と言った風情だ。


「出来ることをしたまでですので気にしないでください……それより、ルロイさんはいつもこのような旅を?」

「そうですな。商いを息子に譲ってからは今更ながら馬車一台、身一つの気ままな行商生活です。とはいっても、息子が気を使って護衛をつけてくれていますがね」

「あぁ。あの三人ですか。見たところ中々の実力者のようでしたが」

「ええ、普段なら草原狼など問題になりません……今回のような危険な状況は初めてですな」

「草原狼は普段は四匹程度の小さい群れを作って活動しているが、クオン殿が確認したのは十二匹だったな?」


 カークの言葉にクオンは首肯する。


「繁殖期が近いからでしょうか。早く間引きを行う必要がありそうですね」


 草原狼はレダの森にも生息している。間引きが遅れ、レダの森から外への進出が活発になればこれからこういった状況が増える可能性がある。

 行商人らに被害が出て物流が滞れば町や村の経済、食料などの物資の面にどれほどの影響が出るか計り知れない。

 間引きに着手するためにも早くに"呪詛啜り"の討伐を行わなければならない。

 クオン、レティシア、カークはそれぞれ視線を交わし頷きあう。

 それからのレダの砦までの道程は順調で、数日後の午前中には砦の入り口にたどり着いた。


「見えてきました。あれがレダの砦です」


 窓の外を眺めていたレティシアが言う。


「あれが……随分大きな砦ですね」


 促され、レティシアが指し示す方を見ると並ぶ四本の塔のような建物とそれらを繋ぐ石積みの城壁が見える。塔の上にはここ数日で見慣れたクラレンス家の旗が掲げられている。

 クオン達が見ている方向からはそのように見えるが、上空から見下ろせば八角形の総構え、つまり生活圏となる都市部を囲い込んだ城塞となっている。


「大きさは領都レギアスの十二分の一程度で、人口は五千人ほどですね。そのうちの約千人が我が領軍の兵士です」

「五千人も住んでいるんですか?!」


 ちょっとした町と同じくらいの人口がある。さすがにこれには驚いた。


「ええ、もともとはレダの森の監視のための兵士が詰めている砦だったのですが、補給物資の運搬以外にも行商人による商売が始まり、やがて宿や商店、飲食店ができ、いつしか町へと発展して、今ではそれらを守るために城壁で囲う形になっています」


 と、ざっくりとレダの砦の来歴を説明してくれる。


「町の住民がほぼ軍関係者なので治安もいいですよ」


 レティシアの説明を聞いているうちに城門が近づいてくる。

 不意に、馬車の窓がノックされた。

 窓を見ると、荷馬車を操るルロイの姿が見える。


「レティシア様、クオン殿、私はこのあたりで失礼いたします。ご武運をお祈り申し上げます」

「ええ。ルロイも気を付けて」


 ルロイは一礼し、馬車の速度を落とし隊列から離れていく。

 こちらの馬車にもクラレンス家の旗が掲げられているので、入り口で止められることなく砦の中に入ることができた。ルロイの馬車は一度検問を通さなければならないので、別れるとなるとこのあたりが適当なのだろう。

 それからさらにしばらく馬車は進み、やがて一つの塔の前にたどり着く。


「お待ちしておりました。レティシア様!」


 おそらく砦が作られた時の最初期の塔であろう一際大きく年季を感じさせる塔の前の広場で馬車が止まる。

 何人もの兵士と指揮官と思われる男性が一人立っており、敬礼してレティシアを出迎えた。


「出迎えご苦労。クラーク」


 レティシアがクラークと呼ばれた男に敬礼を返す。


「長旅お疲れ様です。まずはお休みになられますか?」

「そうですね。少し休憩した後情報の共有をしましょう」

「承知いたしました……ところでカーク。そちらの御仁は?」


 クラークの視線がクオンへと向けられる。その視線に怪訝な色が浮かんでいるのはレティシアと同じ馬車に乗っていたからだろう。


「クオン殿と言って優れた腕前の魔術士だ。例の傷を治療してくれた」

「おお! そうでしたか。ではレギアスに連れて行った者たちは」

「もちろん全員無事に回復した。一部は連れてきたが、残りは後からやってくる。これについては後ほど共有しよう」


 驚き、喜色を浮かべているクラークにカークが言う。


「クオン殿と言いましたな。私はクラーク・アルバインと言います。このレダの砦で隊長職を頂いている騎士です。この度は我らが部下を救ってくださったそうで、感謝します」

「クオンと言います。よろしくお願いします。クラーク殿」


 差し出された手を握ると大切そうにもう片方の手を添えて握り返してきた。カークもそうだが、クラレンス家の武官は部下想いらしい。

 そうして握手を交わすクオンとクラークをレティシアとカークが嬉しそうに眺めている。と、


「よお、レティシア!」


 塔の入り口からだみ声が響き、それに少し遅れて巨漢の男が現れた。


「ゴルドー……」

「ゴルドー! 貴様、それは上官への態度ではないぞ!」


 レティシアは顔を顰め、カークとクラークは怒りを滲ませて男へと振り返る。


「っせえなぁ! 男爵の三男坊が運よく騎士になれたからって、伯爵家の人間である俺様に意見するんじゃねぇよ」


 クラークの怒気も意に介さず、ゴルドーと呼ばれた男は気だるそうに首を回す。

 ゴルドーは筋骨隆々としていかにも軍人らしい体つきだが、カークやクラークの武官然とした雰囲気とは異なり粗野な雰囲気が前面に出ている。ならず者が軍服を着ているような感じだ。

 実際、今のレティシアへの言葉からしても騎士総長とその部下、というような感じではない。


「てめぇもだぜ、カーク。もやしどもがちょっと怪我したくらいでお忙しい騎士総長様に泣きつきやがって。 なぁ? レティシア」

「いいえ。カークとクラークの判断は正しいと私は思っています」

「けっ、女は大変だな。騎士総長様と言えど下々の奴らの御機嫌取らなきゃなんねぇんだからよ」

 毅然とした態度で否定したレティシアに皮肉っぽい表情を浮かべる。


「今度俺の機嫌を取ってくれよ。個人的に」

「っ……」


 同時にレティシアの体を嘗め回すように視線を這わせており、レティシアもその視線を感じているのかますます険しい表情を浮かべている。

 レティシアの出迎えに並んでいたほかの兵士達も顔を顰めている辺り、ゴルドーという男は大分浮いた存在らしい。


「クラーク殿。あの人は?」

「ゴルドー・バレンシア……バレンシア辺境伯の三男だ。伯爵家の出ということを鼻にかけていてな」


 クラークの説明する口調は苦々しかった。


「あ、でも同じ三男なんですね」

「っふっ、くっ」


 クオンの率直な感想にレティシア、カーク、クラークそれぞれが噴き出しそうになり変な息を吐く。


「あぁ?! 今なんつった! そこのひょろいの!」


 こめかみに青筋を浮かべ、顔を真っ赤にしてどすどすと足を踏み鳴らすように歩いてきて、拳を振りかぶる。


「クオン殿!」


 咄嗟にかばおうとしたクラークより早く一歩前に出る。振り抜かれたゴルドーの拳の手首を捕える。もう片手で肩を押さえ拳の勢いを引き込みながらながら足元を軽く払う。重心を崩されると同時に足元を払われたせいでゴルドーはあっけなく転がされてしまう。


「なっ?」


 転がされたゴルドーが目を瞬かせている。その間に掴んでいる手首から掴む位置を手のひらに変え脚を添え木のように腕の沿わせる。そして掴んでいる手のひらを上から抑え込む。そうすると手首、肘、肩が一直線にロックされる。こうしてやると起き上がるのはもとより、身動きすら困難になる。


「いきなり殴りかかってくるなんて、危ないじゃないですか?」


 自分でも驚くほど冷たい声が出る。思っていた以上にこの男に不快感を感じていたらしい。


「てめぇ! 放しやがれ!」


 クオンを振りほどこうと、じたばたと自由な手足を振り回すがクオンには届かない。


「暴れるのをやめてくれるのなら、放します」

「っち! わかった! わかったよ!」


 暴れても抜け出せないと悟ったのか、ゴルドーの体から力が抜ける。

 それを受けてクオンが手を離すと、ゴルドーは舌打ちしながら立ち上がり、服についた汚れを払う。


「これから非番なんでな。失礼させてもらうぜ」


 もはや格好がついてないがゴルドーは誰の返事も待たず町の方へと歩いて行った。


「見苦しいところをお見せしてしまいましたね。お怪我はありませんか? クオン殿」

「ええ、大丈夫です。レティシア様こそ、大丈夫ですか?」


 そう言うと、困ったような表情を浮かべたが、先ほどよりは大分和らいだ雰囲気となった。

 先ほどの態度や行動からするとあの手の人間はそう簡単には反省しないし、改心など望めないだろう。これからしばらくこの砦で活動することを考えると少し憂鬱になる。


「クオン殿、申し訳ありませんでした。……しかし中々の腕前ですね。ゴルドーは部隊長をしておりそれなりの実力はあるのですが」

「咄嗟に体が動いただけですよ」


 クラークも申し訳なさそうに頭を下げるが、こちらはいくらか溜飲が下がったように機嫌が良さそうだ。カークも満足そうに口元に笑みを浮かべている。

 普段砦に詰めてあの男と接しているのだ、いろいろ言いたいことや思い知らせてやりたいこともあるのだろう。同僚であり上官のレティシアの手前あからさまな態度には出さないが、思わぬ形で灸をすえることができたことに満足しているようだ。


「さて……レティシア様。まずは長旅の疲れを癒されてください。クオン殿も案内いたしますのでこちらへどうぞ」

 クラークに促され、クオン達一行は砦の中に入っていった。

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