第一章 第五節
ヴィンゼルの言葉通り、昼後には侍女が部屋を訪れ出発の準備が整ったことを告げてきた。
侍女に先導され館の玄関を出ると、複数の幌馬車と一台のタウンコーチの馬車が止まっており、幌馬車では複数の兵士が忙しそうに物資の確認をしている。
「クオン殿! よろしくお願いいたします!」
兵士達に挨拶をすると、敬礼で返された。彼らはカークが連れていた負傷兵達の一部で領都に付くまでの道程で顔見知りになった者達だった。志願して討伐隊に参加したらしい。
「あのサル共には討伐隊に選ばれなかった仲間の分までやり返してやりますよ!」
あのような陰湿な傷を受けたのにもかかわらず、闘志は十分らしい。怪我をしてもすぐに自分が治すことを伝えたら、力強い握手で返された。
そうして物資の最終確認が済むとヴィレムの簡潔な訓示を受け、クオン、レティシア、カークを含め討伐隊はレダの砦へと出発した。
移動中、雑談の中でこれから行くことになる森について聞くことにした。
「今向かっている森はレダの森と言う大森林だ。位置的にはクラレンス領の北限になる。レダの森の手前には砦があり、それが今向かっているレダ砦だ」
「森の前に砦ですか?」
他国に面しているわけでもないのに砦があるのはなぜだろう。首を傾げるとレティシアが言葉を継いだ。
「レダの森でとれる魔物の素材や鉱石、薬効のある植物などはクラレンス領の収入の一つなのですが、レダの森の魔物は定期的に間引きを行わないと森から溢れ出すのです」
「溢れる?」
「ええ。ある程度一定した周期で……魔物の繁殖時期の前後で縄張り争いに負けた個体が新たな生活圏を求めて南下してくるのです。その南下を防ぐために砦を置いて兵を常駐させて監視と数の調整を行っているのです」
「そして、近く間引きの時期を迎えるので魔物の群れの動向を調査していたところ、"呪詛啜り"になったクローエイプと接触し被害を出した。と言うわけだ」
傷に苦しむ部下の姿を思い出しているのだろう、カークが苦り切った表情でそう付け加えた。
「なるほど、討伐隊の編成が早いと思っていたのはそう言った事情があったからなんですね。しかし、恒常的に間引きが必要と言うことは森の中に何らかの遺構か霊脈があるということでしょうか?」
と、二人の話から導き出される予測を尋ねる。
魔物には特定の縄張りがありそこを離れることはあまりない。
繁殖などで面積当たりの魔物の密度が上がりすぎると、弱い個体や衰えた個体から縄張りを追いやられ新たな生活圏を求めて移動を行うことがある。二人の話からするとそう言った事象が頻繁に起きていることが予想された。
通常なら森が養える量以上に魔物が繁殖することはあまりない。魔物同士でも食物連鎖や淘汰があり、数の自然調整が働くからだ。
しかし、その自然調整を上回るほど繁殖を加速させる要因がいくつかある。その代表的なものが『遺構』と『霊脈』だ。
『遺構』は文字通り、かつてあった古代の文明の名残で、都市インフラなどに使われていた動力源が発生させる魔素などのエネルギーが大気中に発散されており、その影響で魔物が活性化することがある。
もう一つの『霊脈』は大地の中を流れる魔力が漏出する場所で、『遺構』同様エネルギーが大気中に発散されている結果、魔物が活性化する。『遺構』とは異なりこちらは長いサイクルで噴出するエネルギーの量が変動しており、活性時期には『遺構』の影響とは比べ物にならないほどの大繁殖を促すことがある。
「はい。遺構と言えば遺構なのですが、我が国の言い伝えでは神を祀る神殿があるとされています。その神殿より発せられる神気にあてられ、魔物の活動が盛んになっている、と言うのが当家の見解です」
「神、ですか?」
クオンの言葉にレティシアはどこか遠い目でうなずく。
「かつてこの土地にはいくつもの部族があり、互いに覇を競っていたそうです。そこにいつからか荒ぶる神が現れ、部族の別なく人々を苦しめるようになり、初代国王陛下はそれを憂い、部族の垣根を越えて団結を呼びかけ、すべての部族を纏め上げ神と争いそして封じることに成功したそうです。その神が封じられた地がレダであり、今のレダの森になるといわれています」
レティシアの語った建国神話は、神からの試練を乗り越えた褒美として王としての権限を与えられる、王権神授の類型と思われる。神自体が試練であるというのは珍しいパターンではあるが。
特に興味深いのは魔物の異常繁殖と言う事象を介して神話と地続きになっている点だろう。あと――。
「どうしてこの国の王家はそんな大事な土地をクラレンス家に預けているんでしょう?」
「あぁ。それは初代国王陛下の子供。王子と姫がいたのですが、その姫がクラレンス家に降嫁したからです。以降も幾度か王家から降嫁があったり逆に輿入れがあったりと、近しい関係があります」
「なるほど。よほど王家の方々から信頼されているのですね」
そう言うと、レティシアは誇らしげに頷いた。
レティシアの話を聞いて納得がいった。
王家や貴族の婚姻とは多くが政治的な力学が絡むと聞いている。降嫁や輿入れ先などの選定にしても、余程信頼されている家でなければありえない。
貴族としての普段からの忠誠と血縁関係からくる身内としての信頼とを合わせてこの土地を任されているのだろう。
「――レティシア様、カーク隊長」
ふいに、馬車の窓がノックされた。
「なんだ?」
叩かれた窓の側に座っていたカークが窓を開けると、馬に乗った兵士が馬車に並走している姿が見える
「前方で煙が上がっています。いかがいたしますか?」
夕暮れ時ではあるがまだ野営などをするにはまだ早い時間だ。戦闘が行われている可能性が高い。そこに思い至ったため兵士も指示を仰ぎに来たのだろう。
「なに!? ……馬車に乗っている者は戦闘態勢で待機させておけ、馬に乗っている者は先行して確認に迎え。賊や魔物なら討て」
「《大気に渦巻く情動の波よ我に囁け――センス・オーラ》」
「クオン殿?!」
驚いた表情を浮かべたカークと兵士がこちらを見ている。
《センス・オーラ》は周囲にある感情を感知する魔術だ。探査範囲は術者の力量によって異なるが、クオンの場合数キロ先程度なら感情の種類と個数、位置を正確に把握できる。
「前方三キロほど先に魔物と思われる反応が十二、人の反応が五つ。囲まれていて、怯え、焦りの色が見えます。劣勢のようです」
「探知の魔術か……馬に乗っている者は先行して応援に行け!」
「それではおそらく間に合いません。先行します!」
問答している合間も惜しい。レティシア、カークの返事を待たずクオンは兵士がいる方のドアとは反対側のドアを開け飛び出す。
「《風の祝福よ、我が身を覆え――エアリアル・エフェクト》」
飛び出すと同時に共用魔術の風の補助魔術を唱える。地面に激突する寸前で体が風に包まれふわりと浮き上がり着地を助ける。
「《内功―金剛羅漢ノ法》」
体内にある魔力の循環を高め、肉体を強化する魔術を並行して発動する。気功術と呼ばれる体内魔力の制御に特化した術だ。ほかの魔術でも同様のことはできるが身体能力の強化と同時に肉体の強度を引き上げるこの術をクオンは好んで使用している。
着地の屈んだ姿勢から地面が抉れるほどの蹴りだしで走り出す。先に唱えた《エアリアル・エフェクト》と強化された肉体の脚力を合わせて時速百キロを超える走行速度を出せる。
瞬く間に先を行く幌馬車や騎兵たちを抜き去っていく。
しばらく走ると荷物を積んだ馬車の荷台が見えてきた。それと、馬車を包囲するように狼のような魔物の姿も複数見えてくる。
狼のような魔物は草原狼と呼ばれており、通常の狼よりも二回りほど大きくした体躯に顔から胴体にかけて緑色の混ざった鱗状に角質化した毛を持っている。
四、五匹で群れを作り、草むらなどに紛れて獲物に近づき襲い掛かり連携して狩りをする。
馬車の持ち主が草むらからの不意打ちを防ぐため周囲の草木を焼いたのだろう。焼け焦げた周囲の草むらからはまだくすぶっているような煙が上がっている。
荷馬車まではまだ距離があるが強化された脚力と風の補助があれば狼の包囲ごと飛び越えて馬車の前に出ることができるだろう。クオンは勢いを殺すことなく跳躍した。
馬車を飛び越えたところで、眼下に馬車の持ち主と思われる男を守るように展開した三名の男女の姿と草原狼の包囲の形を捉える。まだ誰もクオンに気が付いた様子はない。
「《雷光よ火箭となり我が敵を穿て――》」
狙い通り草原狼の包囲の外周から少し離れたところに着地する。着地の寸前で身を捻り、飛び越えた一団の方へと向き直る。
風の力と両足で地面を削りながら制動をかけつつ、攻撃魔術の詠唱を始める。
詠唱が完了すると同時にクオンの右腕が雷を纏う。
「《ライトニング・ボルト》」
馬車を囲んでいる草原狼が反応するよりも早く右手を翳す。手のひらから四条の稲光が狼に向けて迸った。
馬車の左右に回り込んで襲い掛かろうとしていた四匹を雷が撃ち貫き吹き飛ばす。
突然の背後からの攻撃に草原狼は攻撃のタイミングを見失い、馬車から散り散りに距離を取った。
何匹かがこちらに振り向くが、未だ雷火を散らすクオンの右手を見て形勢不利を悟ったかそれぞれが焼かれていない草むらの中に逃げ込んでいく。
しばらく周囲を警戒したが、草原狼は完全に逃げ去ったらしく戻ってくる気配は感じられなかった。
「よかった。間に合った」
大きく息を吐いて、戦闘態勢を解除する。右手で散っていた雷も徐々に弱まり、やがて消えた。
「近づくな! 助けてくれたことには礼を言う。しかし、お前が野党の類でないとは限らない!」
馬車に近づこうとしたところ、男女三人組のリーダーと思われる男が剣を向けて制止してきた。
馬車は商人の物のようで、よく見ると荷台にはいくつもの樽や麻袋が大量に積まれている。となれば、この男女三人組は護衛と言うことだろう。
先の草原狼との戦いで相当気が立っているのだろう。下手に刺激しないよう両手を挙げて、敵対の意思がないことを示す。
「俺は、クオンと言う。魔導士だ。火の手が上がったのを見て助けに来た」
「………」
護衛の女性が商人らしき男から何か耳打ちされている。そしてその後、リーダーと思われる男に耳打ちする。
「すまなかった。恩人に向ける態度ではなかった。俺はジャックスだ」
リーダーと思われる男、ジャックスが剣を下ろす。
「まさか草原狼があんな数現れるとは思わなかった。生きた心地がしなかったですぜ。あ、あっしはビリーってもんです」
「でも、あんな鮮やかな魔術行使は初めて見るわ。私も魔術を使うけど、ぜひともコツとか教えていただきたいわね。私はリーンよ」
ジャックスが警戒を解いたことで弓を構えていたビリーも腕を下げ、リーンは握手を求めてきた。
「私はルロイと言う者です。見ての通り商人です。助けてくださりありがとうございました」
商人と思われる男ルロイはそのまま商人だったようだ。ルロイも握手を求めて歩み寄ってくる。
リーン、ルロイと握手に応じる。
「それで、クオン殿は火の手を見て駆け付けてくださったようですが、どちらへ向かわれる予定ですか?」
「えっと、レダの森と言うところですね。正確にはその手前の――」
「クオン殿ー! 御無事ですかー!?」
ちょうど話を始めたところで、遠くからカークの声が聞こえてきた。兵士の馬と乗り換えたのだろう、カークとレティシアが馬に乗ってこちらに向かってくるのが見えた。
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