第一章 第四節

「おはようございます。クオン様」


 朝、目が覚めて身支度を整えていると控えめなノックがあり返事をするとマリーがワゴンを押して入ってきた。


「お早いお目覚めですね。朝食はお召し上がりになりますか?」

 窓から差し込む光はまだ弱く、日が昇り始める前の薄暗い時分だ。

「あ、ありがとうございます。いただきます。普段からこの時間には起きているんですよ」

「朝食はお召し上がりになりましたら、食器などはそのままにしておいて下さい。後ほどお下げいたします」


 マリーは慣れた手つきでワゴンからテーブルに朝食のサンドウィッチと紅茶を移動しながらそう言うと、ワゴンを部屋の隅に下げた後桶とタオルを持って戻ってきた。


「その前に御髪を整えさせていただきます」

「あ、自分でできますから」


 結構です。と言おうとしたクオンの言葉を折ってマリーが言葉を続ける。


「大旦那様が後ほどお会いしたいとのことですので、身支度はどうかお任せください」

「大旦那様?」

「ヴィンゼル様です」


 昨日あった峻厳なイメージのある老年の男の姿を思い浮かべ、マリーに整髪をお願いしようと思いなおす。世話を断ってこちらの無精を見咎められると、自分の世話をしてくれているマリーに責任が行きそうだ。


「あぁ……それじゃあ、お願いします……えっと、ヴィンゼル様が大旦那様なら、旦那様は?」


 そして、ふと疑問に思ったことをマリーに聞いてみる。


「旦那様はヴィレム様です。クラレンス家現当主であり、レティシア様のお父上でございます」

「そういえば、昨日はヴィレム様、にはお会いしていないですね」

「はい。ヴィレム様は王宮に出仕しており、こちらには今はいらっしゃいません」

 そう答えると、タオルをお湯に浸し、固く絞る。

「まずはお顔から洗わせていただきます」

「よろしくお願いします」


 マリーはこういった世話を任されている者らしく、強くも弱くもない丁度いい強さでクオンの顔を拭き清めていく。


「あぁ。気持ちいいです」


 拭き終わったところで感想を述べると、マリーがふっと微笑み次の準備に取り掛かる。


「次は御髪です」


 別のタオルを取ると同じようにお湯に浸し、先ほどよりは緩く絞る。

 頭の上から丁寧にタオルの暖かさと水気で寝癖を取っていく。


「終わりました。朝食はお召し上がりになりましたら食器類はそのままにしておいてください。ヴィンゼル様がお呼びになった時に一緒にお下げいたします」

「わかりました。ありがとうございます」

 お礼を言うとマリーは深く頭を下げ部屋から出ていった。それを見送った後、朝食の置かれているテーブルに向き直る。

「いただきます。……うん、美味しい」


 両手を組んで簡単な礼をする。

 最初に手を伸ばしたのは四角く、大きめに切られたパンにスクランブルエッグとトマト、レタスが挟まったサンドウィッチだった。

 一緒に挟まっているトマトが、卵の旨味に酸味のアクセントを加えキャベツがシャキシャキとした触感を与えてくれている。

 農村などの田舎では固い黒パンや酸味のあるライ麦パンが当たり前だが、こちらのパンはふんわりとしておりパン自体にも微かな甘みがある。パン単体でもいくらでも食べられるように感じる。

 レタスなどの葉物がシャキシャキとしているのも嬉しい。野菜は保存のため一度干されていることが普通で、とれたてでもない限りはしんなりとした触感となっていることが多いが、さすがは領地を預かる貴族と言うべきか。

 感心しながらもう一口、もう一口と食べ進めるとあっという間に一つ食べ終わってしまう。

 残り二つのサンドウィッチも厚めのベーコンが挟まっているもの、魚のフリットにソースをかけたものが挟まっているものと、見ただけで味が期待できる内容になっている。紅茶を一口飲み、口の中を洗った後次の一切れに手を伸ばした。


 ◇ ◇ ◇ 


「大旦那様、クオン様をお連れいたしました」

「入りなさい」


 先導するマリーが扉の前で三回ノックし、要件を告げるとどの向こうからヴィレムの声が返ってくる。

 ドアを開くと門扉側にマリーが立ち、クオンに入室を促してくる。


「失礼します」


 控えめな声で言いながらクオンが入室すると、室内には正面の書斎机で眼鏡をかけたヴィンゼルが書類に何か書き込んでいる。それと、書類が書き上がるのを待っているかのような兵士が一名いた。

 書き終わった書類を兵士に渡すと、兵士は大切そうに受け取り一礼した後部屋を出ていった。


「待たせてすまん。この年になると書類仕事が目に辛くてかなわんなぁ」

 ヴィンゼルは眼鏡をはずし、目頭を押さえながらぼやく。

「随分早い目覚めだったようだが、十分に休めたかね?」

「はい。ベッドの寝心地とても快適でした。朝食もとてもおいしかったです。ありがとうございます。……ただちょっと、部屋が全体的に豪華過ぎて……」


 ベッドの寝心地ははっきり言って、もっと寝ていたい。と思わせるほどの快適さだった。しかしそれ以外の部分については、基本的に質素、シンプルを好むクオンとしては豪華過ぎて気疲れを起こす要因でしかない。寝心地を追及してシーツやマットの質が良くなるのはいいが、毛の立った絨毯や紗の天蓋などは汚してしまったらどうしようという心配の種にしか感じない。


「はっはっ、なるほど。クオン殿もワシと同じ系統かもしれんな。ただの見た目が豪華なのは好かん。しかし、客室となるとああいったものしかなくてな」


 領主の館となるとそれ相応の客しか来ないわけで、必然的に調度品や周りの実用品も見た目を追求するのが当然なのだろう。


「いえ、貴重な体験になりました」

「それは何よりだ」


 思わず、せっかくの心遣いに文句をつけるような形になってしまったがヴィンゼルは相好を崩し、快活に笑う。


「さて、朝から呼んだのは他でもない」

 ピリッとした空気が室内に満ちる。ここからが話の本題らしい。

「討伐隊の編成が今日の昼後には終わる予定だ。クオン殿にはこれに同行し討伐のサポートとして参加してもらいたい」

「はい。その要請をお受けします。群れを捕えておくための準備も出来ています」

「うむ。よろしく頼む。……今回は我が孫娘レティシアも同行する。レティシア自身領軍の騎士総長を務めるに相応しい実力があってその立場にいるが、一人の肉親としては心配でな。聞けば守りの魔術を込めた石、ルーンと言ったか、それをを渡してくれたとか」


 言うべきか、言わざるべきかと迷ったかのような素振りを一瞬見せた後、両手を組みながらヴィンゼルが話を続ける。昨日夜に渡したルーン石の話も伝わっているらしい。


「はい。即席なものですが、ある程度の攻撃から身を守ってくれるものです」

「ワシらの知らぬ魔術か、やはり欲しいな……」


 クオンが答えるのに対し、組んだ手の向こう側で口の中で含むようにヴィンゼルが言う。


「? なにか?」

「いや、出来る範囲で構わない、レティシアを守ってやってくれ。あの子は確かに強いがまだ経験が足らんのでな」


 クオンが首を傾げると、空気をわずかに緩め肉親の情を漂わせヴィンゼルが言う。


「はい。力の及ぶ限り努めます」

「よろしく頼む」


 ここから先は雑談モードと言うことだろう、先ほどまであった緊張感が霧散していくのが感じられた。


「話は変わるが、おぬしが逗留しておった村には医者を常駐させるように指示を出した。先の兵士が持って行った書類がその指示書じゃな」

「あ……ありがとうございます」


 カークが村を訪れ"呪詛啜り"がほかにもいることがわかって慌ただしくここまで来たが、村には継続的な処方が必要な人のために用意した薬以外にはわずかな傷薬や風邪薬と言った最低限の備えしか残せていなかったのが心残りとしてあった。


「礼には及ばん。本来ならどのような村にも医師が常駐しているべきなのだが、あの村は規模が小さくてな……いや、これは言い訳でしかないな。村のため尽力してくれていたことは名主のバリーから報告を受けておる。感謝する」

「どうか頭を上げてください。出来ることをしただけというか……村の人達にはそれ以上に良くしてもらっていましたので」


 そういってヴィンゼルは頭を下げる。

 クオンとしては医師のいない村だったので医療を担えば歓迎されるかもしれない、と言う打算があった分、こうして頭を下げられると少し気が引ける。


「バリーはワシが現役時代の頃の従士でな。ワシとともに現役を退いたときに名主としてあの村にいったのだ。今でも時折個人的な手紙もやりとりしていおる。手紙で随分とおぬしを褒めておったぞ」

「バリーさんが……」


 陽気で気の好い老人の顔が思い出される。

 村人からの信頼も厚く、妻のアーデが女性陣のリーダーであるのならバリーは男性陣の長と言うような感じだった。クオンも村での生活の上でいろいろと相談に乗ってもらったりと頼りにしていたが、その人がほかの人への手紙で自分を褒めていたとなると何とも気恥ずかしく感じる。


「それで、この件が終わったら言うつもりだったのだが」

「なんでしょうか?」

「この件が終わったら、おぬし、我が家に仕えぬか? 相応の席は用意するぞ?」

「へ?」


 突然の申し出に思わず目を瞬かせる。


「どうだ?」

「いや、いやいやいや。ヴィンゼル様達からみたら俺……私なんて完全に怪しい者じゃないですか。どうしてそうなるんですか?」

「なんだ、おぬしは怪しい者なのか?」


 おそらく面白がっているのだろう。ヴィンゼルは少し大げさに驚きの表情を浮かべる。


「いえ、そういう者ではありませんけど」

「まぁそうじゃな。自分から怪しい者ですと名乗る者もそうおるまい」


 くっくっ、と低く喉を鳴らして笑うと、真剣な表情に戻った。


「おぬしにしてはいきなりの話になるのだろうが、ワシからしたらそうではないという話だ」


 在野にいる魔術士の多くは過剰な自己顕示欲や協調性のなさから集団行動ができない。あるいは人格には問題がないが実力が足りない。逆に実力はあるが人格が破綻している。など何らかの問題を持っていることが多い。もちろん、実力があり人格にも問題ない者はいるにはいるが、そういった者も束縛を厭い一つ所に留まらないといったことがある。

 それに対してクオンは、昨日の話し合いでの態度や意見。高度な治癒魔術とルーン石なるものを創り出す魔術と他にも秘匿魔術があるほどの実力。それらを鼻にかけない謙虚で穏やかな人間性。と、これほどの好条件が揃った物件はそうそうないだろう。


「……」


 クオンは少し困った顔でヴィンゼルを見返す。

 ヴィンゼル達が自分を相当に買ってくれていることは分かったが、それに応えられるだけの実力があるか、自信がないからだ。

 クオンのその不安は、己の師や里の住人達と言った上位者ばかりの環境で育ったが故のもので、自分の立ち位置がどの程度か、自分で定めきれる程の数ほかの魔導士を見ていないことに起因している。


「自信がない、と言う表情じゃな。まぁよい。討伐が終わるまでこの件は保留にしよう。討伐が終わるころにはおぬしの立ち位置も明確になろう」

「……はい」

「では出発になったら部屋に迎えのものをやろう。今しばらくは部屋で休んでいると良い」


 まだ、さえない表情を浮かべているクオンにヴィンゼルは優しく言い部屋から下がらせた。

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