第4話 決闘

 満開だった桜が散り、鮮やかな緑に生い茂った木々たちが、風に揺られて初夏の訪れを感じさせる。塩ヶ崎では、村人たちが田植えを始めており、朝から田植え機などを使い忙しく農作業に勤しんでいる。

 校庭の風景も桃色の景色から翠色に変わり、騒がしかった小学校の校舎は、いまだに様々な声があるものの落ち着きを覚え始めていた。その一方、中学の校舎からは悲痛な叫びが響き渡る。

「もう嫌です。勉強したくないです」秋峰が教室にある七つ目の机、真ん中の最後尾、三つ後ろ机に突っ伏しながら叫んだ。

 それを囲む先輩たちは苦笑し、励まし、慰めながら一番離れた位置にいた坂本が少し大きめの声で話しかけた。

「お前がバカなのが悪いんだろう。何が苦手な科目はありませんだ。軒並み平均点以下じゃねえか」

 ビクッと体を震わせた秋峰は気まずそうに顔を上げ、目線を下げながら言い訳をするようにか細い声で言い返す。

「だって、中学の内容複雑すぎるんですよ…特に歴史と数学です、なんで何千年前の話を覚えないといけないんですか。歴史なんて、信長や家康くらいしか覚えてません私。算数なんて得意だったのに、名前が数学に変わって、マイナスとか出てきて、意味わかんなくなるし…。なんでマイナス同士をかけるとプラスになるんですか!」秋峰の嘆きに対して、あやすようなトーンで那智田が返す。

「歴史を勉強するってことは今やこれから先の未来を勉強するってことなの。昔何があって、それに対して先人たちがどう対処したか、それを知ることで私たち現代の人も参考にするわけ。過去の成功や失敗を知らないと人って学ぶことができないじゃない」

「数学も大事で、これから式の証明とかするんだ。自分が知識を理解するだけじゃなく、それをしっかりと相手に伝える技術、アウトプットする力を鍛える意味があるんだ。だから、しっかり勉強しないとね」那智田に続いて、皆川が諭すように返事を続ける。

「難しく考えすぎず、気楽にやればいいんすよ」

「私も勉強苦手だけど、みんなに教えてもらったら少しずつ分かってくるよ」

「…分からなかったことが理解でき始めると楽しい」

「バカなりにやってみろや」

 何とかして後輩を助けようと、各々の形でアドバイスを一言ずつ添える。

「それはそうだと思うんですけど…」先輩たちになだめられ、バツが悪そうに顔をしかめる、しかし目線を教卓に向け、決死の抗議を続けた。

「なんで今日も竹道先生まだ来てないんですか!」

 時計の針があと数分で頂に届こうとする教室で、依然姿を見せぬ担任に対し、新入生が誰もいない教卓を指さす。すると先輩たちは一様に明後日のほうを向き始める。

「…先輩方?」

 気まずい雰囲気が教室に漂う。新入生の抗議に対して、自分たちに責任はないのに先ほどの言葉のせいで、胸が少し痛む。

「竹道先生も忙しいんだろうね」代表して皆川が秋峰と目を合わせずに答える。苦しい言い訳をする同級生をフォローすべく、周りも言葉を続ける。

「そうだよ、竹道先生も忙しいんだよ。この学校、先生が少ないから苦労がたまってるんだよ」

「…もしかしたら資料とか作って遅れてるかも」

「綾乃っちのために、特別なテストとか作ってるかもしれないっすね」

「決して悪い奴ではないからな、その可能性もなくもないな」

「特別待遇ってことね、やったじゃない」

「私、いつまでも誤魔化される訳じゃないですからね」

 誰も目を合わせてくれない先輩たちに対して、ジト目を向けながら先輩方を見渡す。

 秋峰が入学してから数週間たつと、竹道先生はホームルームに間に合わないようになった。ゴールデンウィーク明けからは一限の授業にも遅刻するようになった。そして、ここ数日はお昼前にやっと出てくる重役出勤ぶりだった。

 教師がいないのでおのずと自習が増え、二つ年上の先輩が後輩の勉強を見ることにもなる。自習の回数が増えるのは苦ではなかったが、一年と三年学習範囲は当然違い、スタートダッシュにややつまずいた自分に勉強を教えてもらうのは、ありがたかったが気まずさもあった。自分のため時間を割いてもらうのは申し訳なさがあり、ここ最近はそれが続いたこともあり、不満が爆発した。もちろん自分の勉学の出来が悪いのは直したいのだが。

「でもでも、みんなで勉強するの楽しいでしょ」

「…秋峰さんの考え方も知れて、参考になる」

「ぶっちゃけ、俺らのほうが教え方うまいかもがしれないしな」

「泰介っち、壊滅的に教え方が下手な時あるっすね」

「つまり、綾乃の成績上げるにはあの教師は必要ないって訳ね」

「おいおい、どんな話が行き着いたら、俺の不要説が流れる話になるんだ」

 前の扉が開きに、少しはねた髪の毛をいじりながら先生教室に入ってくる。

「先生…いくらなんでも今日は遅すぎませんか?」

「大人には色々やることがあるんだよ。そして今からもな。これから面談するから、呼んだやつから理科準備室に来てくれ」

「えらく急ですね、また思いつきですか」

「世の中そんなもんだ。先輩や上司のわがままに付き合わせられるのが、下の者の務めだぞ」

「生徒をナチュラルに下扱いすんな」

「まずは橋本から来てくれ。布団やらなんやら片付けるから五分後にな」

 そう言い残すと、扉を開け教室から出ていった。

「通勤時間0分なのに、なんで遅刻を繰り返すんですか…」

「え、先生って学校に寝泊まりしてるんですか⁉」

「たまにね。なぜかは分からないけど」

「どうせ家に帰るのが面倒なだけだろ。また自習かよ、寝よ」

 坂本が机に横になり、残り30分弱の時間を再び自習する空気でもなくなっていた。無為に時間を過ごすのも憚られる中、橋本がとある提案した。

「久しぶりに決闘したいっす。綾乃っちが入学してから、一度も出来てないっすよ。最近決闘してなくて、血に飢えてるんす」

「決闘?」

 物騒な提案に秋峰が少々訝しむ。しかし、周りのクラスメイトは橋本の提案に乗り気になっていた。

「いいね。私も最近少し勉強に疲れちゃったし、久々にしたいな」

「確かに勉強尽くしの日が続いてたわね。息抜きをいれるタイミングかしら」

「…今度は勝ちたい」

 決闘に乗り気な一同。戸惑う秋峰をよそに話が続く。

「駿太っち、またウチとやるっすか?再戦なら望むところっすよ」

「…プリンの仇、忘れてない」

「でも瑞樹は面談、最初でしょ。準備に少し時間かかるし、終わってからにしたら?」

「じゃあ私が最初にやりたいな。私のお弁当、今日唐揚げがあるんだよ。簡単には負けないよ」

「お昼まであと少しだし、たまにはいいか。剣取ってくるから、俺の机も動かしててくれ」

 皆川が教室から出ていき、残った先輩は坂本を除いて机を端へと寄せる。

 訳の分からぬまま、決闘とやらに進んでいく教室。おろおろ彷徨いながら、目線を向けていると

「あら、綾乃は決闘を小学生の時にやらなかったかしら?」

 意外そうな顔をする那智田に苦笑いで返すと

「…決闘をする」

 あまり見せない乗り気表情の奥に、その決闘がわからないとは言いだせない。

 すると皆川が戻って来る。手には2つのタオルと青く細長い棒を二本持っていた。

「最初のカードは決まったのか?」

「ウチが最初にやりたかったっすけど、ボチボチ時間なんで戻ってからにするっす」

 そう言うと、扉から出ていく。

「じゅあ最初はあかねと駿太ね。私今日パンしかないから、あまり勝負したくないし」

「…勝負」

「うん、よろしくね。駿太君」

 二人は皆川からタオルと棒を受け取り、タオルで目隠しをする。二人の間には那智田が立ち、サポートをしていた。

 皆川が教室の端に行ったので秋峰も真似し端に寄り、状況を見守る皆川に尋ねた。

「あの、一輝先輩。決闘ってなんですか…?」

「あれ、綾乃ちゃん、一緒にしたことないっけ。」

 またも少し驚かれ、小学校時代にどれだけここに来ていたと思われていたのか自分に少々呆れる。

「気配切りってやつでね。あんな感じに目隠しをして、音や気配を察知して棒を相手に当てたら勝ちっていう遊び。負けたら勝った人の言うことを一つ聞くって罰ゲーム、最近は弁当のおかずをあげるのが主だけどね」

「よかった、そういう軽い感じの遊びなんですね」

 名前のおどろおどろしさに拍子抜けを喰らったが、あくまで遊びとして考案されたゲームという感じだった。

 安心しほっと一息つくと、教室の中央では準備が終わり、那智田がタオルで目を隠した二人に確認をしている。

「制限時間は一分で剣を振れるのは一回ね。あかねは唐揚げ、駿太は卵焼きを賭ける、これでいいわね」

「いいよ」

「…わかった」

「じゅあ二人とも一歩下がって、その場で十回回って」

 そう言うと、向井と奥は一歩下がりぐるぐると回り始める。二人が回り終えると

「デュエルスタート」開始の合図によってゲームが始まった。

 静かな始まりだった。目隠しをしてる以上、音が重要となるこの遊びで互いに音を出さないようすり足で動く。不用意に位置がばれないように、動きも徐々に減り、時間が経過するにつれてすり足もなくなり、膠着状態に移行していく。

 秋峰は制限時間を超えるとどうなるんだろと気になりはじめていると、審判役となっている那智田がポケットに手を入れるとコインを取り出し、宙へと投げた。

 床に当たり、チャリンと鈍い音が二人の間に落ちたコインから鳴る。耳を澄ませていた二人は、敏感にそれに反応し、唯一の手掛かりとなった音の方へと歩を進める。対照的だったのは音がした方へと僅かに進んだ奥に比べ、向井は大胆に動いていた。変わらず足音は最小限に抑えようとしているが、チャンスとみたのか、先ほどまでと違い動きを止めなかった。歩みは落ちたコインを通り過ぎ、その先にいる奥の元へと向かう。

「「うわっ」」

 勢いよく歩いていた向井と周りをまだ様子見していた奥の肩がぶつかり、態勢を崩す。様子見のために立っていた奥は、いきなりの体当たりに大きく体をのけ反らされていた。一方で、歩いてた向井はその可能性も考慮していたのか、姿勢を崩しながらも、腕は既に剣を振るう形に入っている。

「えいっ」

 声と共に、青いウレタン棒が奥の胴体めがけて横向きに振りぬかれる。だが無情にも、その剣は空を切った。

「あれ?」

 勝利を掴み取れなかった驚きから思わず声が漏れる。すると下から

「…もらった」

 声が聞こえると同時にぺちっと向こう脛から音がする。

「試合終了~」

 終了の合図と共に向井は崩れ落ちた。

「うそ~、また負けちゃったの」

 目隠しを外し、何が起こったのか確認をとる。

「惜しかったわね、あかねにしては珍しく攻めにいって成長を感じる一戦だったわよ。次に期待ね」

 慰めるように今回の奮闘ぶりに健闘を称える。

「でも、駿太の対応が一枚上手だったね。態勢が悪いって理解したらそのまま倒れて剣を避けることに判断するのが速かった」

 地面にうつ伏せに横たわったまま目隠しをする奥の姿は勝者の姿には似つかわしくなかったが、当の本人は口角を上げ満足気の様子だった。目隠しを外そうと後ろの結び目を解こうと手を伸ばしていると

「帰ってきたっす」

 面談を終えた橋本が戻ってきた

「瑞樹ちゃん、私また負けちゃったよ」

「まぁ、あかねっちは弱いのに毎回勝負したがるカモっすからね。驚きはないっす」

「ガーン」

 辛辣な言葉に再び肩を落とす向井。

「それよりいいんすか?その姿勢だと、駿太っちが目隠し外したらパンツ丸見えっすよ」

 目隠しを外し終えた奥がそのまま前を向くと、向井のスカートは目の前にあり、咄嗟に目をそらす。向井も橋本に言われそのことに気付くと、顔を真っ赤に染めあげ、スカートを抑えながら立ち上がる。

「あれ~駿太っち。もしかして見えちゃったんすか?」

「…見えてない!」

 必死に否定するように、首をぶんぶんと横に振る。

 その姿をニヤニヤと見つめると意地悪をするように奥に近づき、耳元に口を寄せて小声で囁く。

「黒っすか?」

 奥は固まり、頬だけ少し赤らめるとそれを見た橋本は

「まじっすか、本当に黒なんすっか⁉あかねっち、エッチだなぁ~」

 からかい続ける橋本の言葉に、向井が更に頬を紅潮させ

「◎△$♪×¥●&%♯?!」と言葉にならない叫びをあげる。

「…いや、違っ…」

「そういやあかねっち、次らしいっす」

 それを聞くと、向井は返事を返さずそのまま悲鳴をあげながら、教室をあとにした。

「…待って。話を…」奥の言葉は大きな足音にかき消されてしまう。

 教室では橋本が爆笑しており、満足気に頷く。奥は行ってしまった向井が開けたままにした扉を閉めると

「…勝負する」

 復讐を決意する目を向け、戦いを促す奥。しかし、そんな彼に対して、橋本は笑いながら

「駿太っちとまたやるのもありと思ってたんすけど、ウチは藍っちに再戦を申し込むっす」

「あら、私?」

「前に負けたのが忘れられないんす。今日は勝てると思ってるんすよ」

「今日賭けれる物がないのよ、それに駿太もやり返したさそうにあなたを見てるし、また今度ね」

「嫌っす、嫌っす。嫌っす!今日やりたいんす。別におかずじゃなくて普通の罰ゲームでもいいじゃないっすか!」

「なんでそこまで私なのよ…昼食前にこれ以上疲れたくないからパスよ」

「一瞬で終わるっす」

「目隠ししたくないよ」

「ノリ悪いっす、薄情っす」

「はいはい、薄情ね私」

「ビビってるんすか?弱虫っす。ヘタレっす!」

「えぇ、そうね。あなたに負けるのが怖くて勝負できないわ」

 子供が癇癪を起こすように手足をバタバタと動かし、足を踏みならす橋本に取り付く島もない那智田。華麗に煽り言葉をあしらい、場のペースを握る。

「藍っちはもっと運動するべきっす。健康的な体は適度な運動からっすよ。そしたら藍っちの体も発達して大きくなるっす。今はぬりかべっすね。貧乳っていうか藍っちの場合はもう無乳っす!」

 ピキッっと空気が割れ、場が凍った。今まで躱され続けていた言葉が見事にクリティカルヒットした。見ている者、,全員が戦々恐々とする中、言葉を放った当人のみがそのことに気付かず言葉を投げ続ける。

「男でも藍っちよりは全然あるっす。むしろ藍っちが男なのか検討すべきレベルっす。あかねっちのは揉んでて楽しいっすけど、藍っちはそもそも触らせてくれないし、あるのは壁なんすよ。一体何を食べたらそんなに…」

「いいわね~久しぶりにやりましょうか、瑞樹」

 いきなり大きく手を叩き、満面の笑みで返事を返す。その声は酷く冷たく、笑顔を浮かべる顔は笑っているように見えても目が全くもって笑っておらず、光が消えていた。

「ほんとっすか?やるっす、やるっす」

 一人だけ場を理解せず、承諾にはしゃぐ。

「でも、駿太もリベンジしたがってたわね、いいのかしら?」

「……モンダイナイ」

 目で問う質問に対して若干上ずった声で返事を返す。

「じゃあ、許可も出たところで負けたらどうするか決めましょうか」

「ウチはもう決めてるっす」

「あら、なにかしら?」

「藍っちは一週間、ウチにいじられてもガードやツッコミ禁止っす」

「…どういうことかしら?」

「藍っちはときどきウチのいじりに対して、めっちゃ冷たく返すことがあるっす。そんな時めっちゃ怖くなるっす」

「…今もなってることには気づいてない」

 つぶやく奥に皆川と秋峰が小さく頷く。

「いいわよ、負けたら一週間、あなたのいじりにちゃんと真摯に誠実に対応するわ。じゃあ私も決めたわ」

「なんすか?」

「永遠に私に服従」

「了解っす」

「全然釣り合ってなくないですか⁉」

 条件の不平等さに思わず秋峰が意見を言うが、当人たちが納得してしまっているので、これ以上の追及をやめた。

 橋本が目隠しをはじめると那智田は面積を減らすためか、静かにブレザーを脱いでから目隠しをつける。二人が目隠しを終えると、皆川が審判として話しかける。

「じゃあ確認しとくが罰ゲームはさっき二人が言ったこと。ルールは変わらず制限時間一分で一振りのみ、これでいいか?」

「オッケーっす」

「ええ」

「じゃあ、二人とも一歩下がって」

 ウレタン棒を各自に渡し、二人の回転をカウントする。

「い~ち、に~、さん~、し~、ご~………」

 前の一戦の向井と奥、今回の那智田は声に出さず、その場で黙って回っていたが、橋本は声に出して、自分の回数を数える

「きゅ~、じゅうっす」

 橋本がカウントを終え、那智田の回数も十となる。それを皆川が確認すると

「デュエルスタート」

 開始の宣言と共に那智田が橋本の方へと一直線に突き進む。大きく二歩踏み出し、三歩目は右足を踏み込んで、フェンシングのファンデブーのような形で姿勢を低くしながら近づき、右手を少し体に巻き付け、橋本の足元めがけてウレタン棒を振りぬこうとする。電光石火の攻撃に決着がつくと思われたが、その瞬間、橋本はその場に少ししゃがみ込むと、棒の軌道上になりえた場所からバク宙をしてみせた。

「おおっ…」目隠しをしているにも関わらず、あまりに見事なバク宙に思わず声が漏れる。

 華麗にその場に着地し、再び気配を探る。那智田は速攻が失敗したと判断すると、その場から後退し相手を褒める。

「まさか今の一振りが避けられるなんてね。もしかして、誘われちゃったのかしら、わざわざ大きな声で数えてたのも罠だったとか?」

「藍っちに勝つには危険な橋を渡らないと勝てないっすからね。でもこれで、藍っちの勝ちはなくなったっすね」

「あら、それはどうかしら?」

「時間切れか、ウチのミスでやり直しを狙ってるかもしれないっすけど、それは無理っすよ。ライオンはウサギを狩るのにも全力っす」

「どっちがライオンなのか、わかってないみたいね」

 先ほどの一戦と違い、互いに軽口をたたきながら勝負を続ける。それは避ける自信の表れからなのか、相手の動揺を誘う罠なのか。

「あら」

 那智田の声と共にチャリンと音が鳴る。しかし橋本は動かない。

「そんなのに騙されないっすよ。藍っちがこの状況で声をあげながら物を落とすなんてあり得ないっす。音の位置も低すぎて違和感しかないっす。ウチの一振りを消費させたいのが丸わかりっすよ」

「流石に簡単すぎたわね」

 互いに相手の考えを読みながら動き続ける。橋本が比較的中央あたりを歩き回るのに対し、那智田はエリアの周りぎりぎりを歩いていた。攻守がはっきりと分かれており、音や体をぶつけて相手の位置を知ろうと中央を歩く橋本に比べ、体の接触だけは避けようと周りを歩く那智田。

 那智田がちょうどエリアを一周ほどし、クラスの真ん中後ろ、先ほどまで秋峰の机があった位置に立つと、またもやスカートの中からコインを取り出した。するとなぜか前ではなく逆の秋峰達が観戦している後ろ側に向かって歩を進め始めた。今まで正確に向きを把握していた那智田が急な方向転換、秋峰に向かって歩みを止めない。

「藍、レッドゾーンだ」

 審判の皆川がそう言うと、刹那、改めて前からチャリンと音が鳴った。

 すると今度は、橋本が素早く動き、音のなった前方へと向かう。先ほどの身のこなしからも分かるように、運動神経の良さを活かした動きは、俊敏性に優れ、誰よりも身軽に動く。彼女は腕を高く振り上げ、振り下ろす。

 パァーンと乾いた音とうぐっと叩かれた者の情けない声が漏れる。

「勝ったっす!」

 自分の白星をアピールし、勝利の喜びに打ち震える橋本。喜々として目を隠すタオルを外す。しかし、目の前にいた人間は、目の前の男は、睨みながら寝ぼけた顔をこちらに向け衝撃のあった頭を軽くさする。

「あれ?」

 思いがけない光景に動揺と奇妙な違和感を感じる。

「この匂いは…」

 鼻をスンスンと鳴らし、違和感の理由を探り、正体に気付く。新たな疑問が生まれ思考を巡らせていると、後頭部に小さな衝撃が来る。

「試合終了」皆川がゲームの終わりを宣言する。

 振り返ると、白いカッターシャツ姿の那智田が微笑を浮かべ左手で小さくⅤサインを作る。

 なぜ那智田が後ろにいるのかも分からなかったが、何より自分のスイングの後ではなく、那智田の二度目のスイングの後にゲームセットを告げられたのが納得できない。

 思いがけない幕切れに困惑し、抗議する。

「いやいや、それはおかしいっすよ、一輝っち。ちゃんと審判してほしいっす!」

「いや」

「剣を振る回数は一回っす。つまり最後のスイングは無効っす」

「瑞樹、勘違いしてるわよ。私スイング一回しかしてないわよ」

「何言ってんすか!最初に一回と最後の一回。二回スイングしてるじゃないっすか」

「私、今しかスイングしてないもの」

「?」意味が分からず、返事を声ではなく表情で返してしまう。

「つまりね、最後しかスイングしてないのよ。開始直後の一撃なんてないの」

「でも、誘われたって…」

「そこからブラフだったのよ」

 停止していた脳に次々と酸素が送られ、今までの出来事が徐々に想像できるようになってくる。自分の主張の間違いを理解できるようになってくる。那智田を誘い出すためにわざとカウントをし、早めの攻撃を誘導した作戦が、逆に利用され、自分が誘い出されていたことを。

 バク宙の時に音が聞こえるはずだった、ウレタン棒が空を切る音を。しかし、スイング音は聞こえていなかった。殺気を感じ、機転を利かせてバク宙をしてみせる。誘い出すために声を出して数字を数えたりしたが、開幕から来るとは思ってなかった。咄嗟にバク宙を披露したのは想定外のことだった。しかしそれによって、剣から避けたと安堵してしまった。那智田の言葉にも騙された結果、一番大事なはずの音から一度注意が逸れた。ありもしないスイング音が橋本の耳に残ってしまうほどに。

 けれど、まだ疑問が残る。自分の剣が那智田ではなく、前方で寝ていたはずの坂本に当たってしまったことだった。橋本の気配切りは、音を頼りにしていない、正確に言えば、他の人より重要にしていなかった。なので、音のフェイクにはひっかかりにくい。だが、今回の場面は、橋本には那智田がそこにいるという幻影がタオル越しに見えるほど、その場にいると確信していた。

 剣を振る前に、コインの音がした。これは那智田がよくやるトラップであり、自分の近くに投げることもあるので、それだけでは彼女の位置は分からない。だがあの瞬間、皆川の注意があった。レッドゾーンという気配切りの安全のためのルール。目が見えない決闘者に対し、注意を喚起し警告する。それ以上進めばエリアの外であり、敗北になってしまうと。中央を歩き回って手応えがなかった橋本に訪れた二つの音と声。さらにもう一つの確信をもって、剣を振ったが、そこには寝た案山子を叩いただけだった。

 那智田は寝ていた坂本から布団を奪い、軽く橋本にウインクをする。

「全部ネタバレしてもいいけど、そうすると瑞樹が今後少し気配切り不利になるかもだけど」

「ウチはその程度で負けるつもりもないっすけど、もう少し秘密にしとくっす。答え合わせもしてくれるなんて優しいっすね」

「どうかしらね。でも、瑞樹がそう言うなら、分かったわ」

「どうもっす」

「二人ともお疲れ~どっちが勝ったの?」

 教室には向井が帰って来ており、代わりに審判をしていた皆川がいなくなっていた。

「ウチもあかねっちみたく負けちゃったっす」

「まぁ、少しは苦戦したけどね」

「…いい勝負だった」

「瑞樹ちゃん、運動神経いいとは思ってたけど、バク宙なんて出来たの⁉凄い、私にも教えて欲しい」

「だめよ、綾乃。瑞樹は教えるの壊滅的に下手なんだから」

「いや、バク宙は簡単っすよ。後ろに向かってぶわっと飛ぶ感じっす」

「ほらね」

 二戦目が終わり、試合の感想やトークに花が咲く。そんな中怒りをふつふつとためる男が一人。

「おい、橋本!人の頭叩いといて謝罪の一つもなしか、おい」

「あ、恭弥っち。めっちゃ叩きやすい頭っすね。思わず勝利宣言しちゃったす。恥ずかしかったっす、勘弁してほしいっす」

「なに逆切れこいてんだお前」

「そうだわ、瑞樹。負けたんだから私に服従するのよね」

「そうだったっす。ウチの純潔が藍っちに汚されるっす」

「お前ら、何賭けて勝負してたんだよ」

 呆れる坂本をよそに話が続く。

「じゃあ少し疲れたから肩を揉んでもらえるかしら」

「了解っす」

 那智田が席に着き、橋本が肩を揉む。

「でも、藍っちでも肩がこ…」

「瑞樹、それ以上はお口チャックね。破ったら永遠に四足歩行してもらうから

ら」

「それは流石にきついっす。しゃべらないっす」

 無言で同級生の肩を揉み続ける光景は、いじめのワンシーンにも見えかねなかったが、肩を揉む側が笑顔で続けるので誰にも止められなかった。

「瑞樹ちゃんバク宙したの?すごいね」

 唯一この教室にいなかった向井が先程秋峰が言った一言を思い出し、感動を述べる。秋峰も改めてその場面を思い出し

「そうなんです、目隠ししたままその場でくるっと回ちゃったんです」

「瑞樹あの時そんなことしてたの…飛んで避けた程度だと思ったわよ」

 目隠しした前で大胆すぎる技を繰り出していた彼女に驚きを超えため息をつく。話題の中心の橋本は無言のまま那智田の肩を揉み続ける。

「律儀に守るのね、それだと四足歩行にはならなくても永遠に喋れないわよ。あの話の続きをするのを禁止しただけだから、お話はしてちょうだい」

「このまま永遠に喋れないかと思ったす。しかし、あれは我ながらよくできたっす」

「目隠ししながらなんて危ないでしょ…それにスカートでなんて」

「大丈夫っすよ、何度もスカートでしたことあるっす。目隠しでは初めてしたっすけど」

「そうじゃなくて、女の子なんだから慎みを持ちなさいって言いたいのよ」

「そういうことっすか、それも大丈夫っすよ、今日下に…」スカートを少しつまむと、ピタリと会話を止める。すると奥の方に向きかえり、少しニヤつきながらつぶやく。

「もしかして駿太っち。また見たんすか」

 標的となった奥が目を見開き、急な冤罪に焦り返す。

「…見てない!」

「いや~駿太っちはムッツリだから、わからないっすねぇ。あ~恥ずかしいっす」言葉とは裏腹に橋本の口が饒舌になる。

 手を振り、身に覚えのない容疑の疑念を晴らそうとする。

「…本当に橋本のは見てない」

「ウチのは?それはどういう意味っすか⁉まるでウチ以外のは見たみたいな言い方っすね。誰っすか、誰の黒の下着を見たんすか⁉」

 言葉の揚げ足をとり、さらに攻め続ける橋本。劣勢になり、少し逃げながら彼女の追及を逃れようと奥と顔を赤らめ下にうつむく向井。

「…止めて欲しい」

 逃げながら那智田に助け求め、状況の収拾を試みる。彼女は先程の決闘に勝利し、この流れを止められる唯一の存在ではあった。

「そうね…」

 少し息をつき、那智田が場を収めようとする。

「瑞樹、ほどほどにね」

「了解っす。駿太っち、誰なんすか⁉どのあかねちゃんのパンツを覗いたんすか?」

「…全然止めてない」

 奥の願いは火に油を注ぐ形となってしまう。教室では鬼ごっこが行われ、赤面し続ける者、我関せずの者、困惑する者、二度寝しようとする者。そんな混沌とした中、皆川が戻り奥を呼ぶ。

「奥、次だって」

「…わかった」

 逃げながら返事をし、開いた扉からそのまま出ていく。

「帰ってきたら裁判するっすよ~」出ていく奥に後ろから叫ぶ。

「何があったら、準備室前まで聞こえる騒ぎを起こせるんだ…」

「一輝先輩、すごい早く面談終わりましたね」

「あぁ…、一言目に話すことはないって言われたよ」

「何のための面談なんですか…」

 あまりに奔放すぎる担任にげんなりする。

「そういえば、私も面談あるんですかね?先輩たちと違って受験生じゃないですし、志望校の話とかされても全然決めたりしてないんですけど」

「そんな話なんてしてないっすよ」

「え?」

「私も少しお話しただけだったよ、進路とかの話はなかったかな」

「そうなんですか、てっきりそういうものだと」

「本人が言ってたでしょ、ただの思いつきなのよ」

「だったら私も最後に呼ばれるかしれませんね、私は何を言われるんだろう」

「お前はバカですだろ」

「むっ、坂本先輩は私の勉強を教えてくれるわけじゃないのに、いっつも私をバカにしてきますよね!人をバカにできるほど賢いんですか」

「そりゃあバカに勉強教えるくらいなら、自分で勉強してた方が有意義だからな」

「私が勉強してるときいつも寝てるじゃないですか」

「脳を休めて力を蓄えてるんだよ」

「へぇ~そうですか。じゃあ学年の中でも頭いいんですよね?」

 その質問を引き出した坂本は少し胸を張って、自信満々に答える。

「学年二位だからな、俺」

「え、嘘…」

「マジだよ、那智田の次が俺だから」

 周りを見渡しても否定がない所をみると、どうやら嘘ではないらしい。あまりの事実に理解が追いつかない。

「確かに前回の期末の恭弥はすごく良かった。俺も初めて負けたし、家に帰って少し反省したよ」

「でも成績が良くなったの、二年なってからよね?」

「入学した時はウチより総合点低かったすよね」

「私も坂本君だけには勝てた科目があったような…」

「うるせぇ、一番最近のテストの結果が実力なんだから学年二位で間違ってねえだろうが」

「これが続けば認めるけどね…」

「俺も次の中間はもう少し準備しようかな」

「ウチも恭弥っちよりいい点取るっす」

「私も!」

「一輝はともかく、お前らに負ける訳ねえだろうが、二年になってからどんだけ偏差値に差がついたと思ってんだ」

 自分のテスト結果にいちゃもんをつけるクラスメイトに反論する。 

「まぁ分かったか、俺の学力を。どうしてもって言うなら、勉強をみてやってもいいぞ」

「たまたま一度取れただけなんですね。なんだ、びっくりして損しました」

「あぁん、一年の時ですら、今のお前よりは全然頭良かったわ」

「はいはい、言うだけなら誰でも言えますからね。そういうことにしといてあげますよ」

 坂本は立ち上がり、指を秋峰に突きつけ宣言する。

「いい度胸だてめぇ。決闘しろ。お前の鼻を明かしてやらあ」

「引っ掛かりましたね、坂本先輩。私意外とこれ自信あるんですよ」

 怒る坂本と乗り気な秋峰。第三戦目のカードが組まれ、準備が始まる。

「どっちが勝つんすかね?」

「綾乃ちゃん初めてだから、やっぱり厳しいんじゃないかな…」

「なんで今の流れで決闘で決着つけることになるのかしら」

「それで二人とも、負けた時の条件はどうするんだ?」

「俺は一ヶ月様付けな。坂本様って呼べよ」

「じゃあ私もそれでいいです。秋峰様呼びしてくださいね」

「なんで後輩のお前に様付けなんだよ。先輩の俺と後輩のお前じゃ対等な条件じゃあねえだろ」

「どっちも幼稚な条件って所は変わらないと思うけどね」

 那智田が呆れ、冷めた目で戦況を見守る。

 審判役は再び皆川が行い、残りの三人は、秋峰が目隠しをする前にアドバイスを送った。

「綾乃ちゃん頑張ってね」

「坂本っちは足音がうるさいっす」

「気付かれず時間が過ぎたら、勝手に痺れを切らすから、落ち着いて行動すれば勝てるわよ」

「ありがとうございます。頑張ります」

「おい、お前ら。なんかやってんだろ」

 目隠しをした坂本が文句を垂れる。

「別に助言の一つや二ついいじゃない。綾乃は初めてなんだし」

「そうっす。器が小さいっすよ、坂本っち」

「油断も隙もねえな」

「私も準備できました」

 秋峰も目隠しを終え、完了の合図に手を挙げた。

「じゃあ二人とも、一歩下がってその場で回って」

「綾乃ちゃんは初めてだし、回転減らしてあげたりできないかな?」

「坂本、いいか?」

「なんでもいいよ。俺が勝つんだからな」

「だそうだ、綾乃は一回だけ回って」

「分かりました」

 一歩下がり、秋峰が体を一周させる。ハンデをもらったが、暗闇での一回転は想像以上に体がふらつき、すでに坂本と対峙できているのかすら分からなくなっていた。

 一方、坂本は慣れているのか、十回回っても体幹がぶれず、最初の体勢とさして変わらぬ向きを向いていた。

「じゃあ二人とも用意はいいな?」

「はい」

「おう」

「デュエルスタート」

 開始の宣言と共に音に集中する。見てて簡単そうと思っていた秋峰は自身の考えの甘さに気付く。暗闇の中でも確かに音が聞こえる。坂本の足音も混じっているのかもしれない。しかし、音の種類がいくつかあり、情報の取捨選択ができず、その場に立ち尽くしていた。困惑する秋峰は先輩たちからの言葉を思い出す。坂本の足音はうるさい、しかし秋峰には坂本の足音は分からず、橋本の聴力ゆえに聞こえる音なのかもしれない。そしてもう一つ、坂本は時間が経てば痺れを切らす、那智田の言葉を信じ、叩かれる可能性を危惧しつつも、その場から動かず身を潜めていた。

 数十秒ほど経つと、秋峰の耳にも微かに足音と歯ぎしりの音が聞こえ始めた。左前辺りから音が聞こえる。しかし正確な距離が分からず、一度しか振れない貴重な機会を使ってよいか分からず二の足を踏む。膠着状態の場に突然声が響く。

「きゃあ」

「向井先輩?」

 二つの声が場に流れる。その声を聞いた坂本がにやりと笑う。

「やっと尻尾見せやがったな。喰らえや」

 ウレタン棒を思い切り掲げ、振り切る。

「あかねっち、危ないっす」

 声と共にパンっと小気味い音が鳴る。しかしその後すぐに言葉が返ってくる。

「一応伝えるっすけど、これはウチの腕っす。今目隠し外したらダメっすよ」

「あぁ?」

「こっちです」

 ぽすっと弱弱しい音が坂本の腕から鳴る。

「試合終了」

「やったーー」

「ふざけんなぁーー」

 歓喜と怒号の声が一緒に発せられる。

 秋峰は目隠しを外し、改めて勝利の確認をする。奥が既に面談から帰って来ており、代わりに那智田が教室からいなくなっていた。橋本は向井を抱きかかえており、皆川はあきれ顔を浮かべていた。

「あのー、どういう状況なんですか?」

 尋ねると、坂本は顔をしかめながら橋本に詰め寄る。

「お前、はめやがったな」

「さぁーなんのことっすかねー」

「とぼけんな、余計な事しやがって」

「いや、違うんすよ。突然あかねちゃんのパンツの色が気になって、スカートめくっただけっすよ」

「お前は向井のことを向井先輩って呼ぶのか、おい」

「何のことっすかねー」

 知らぬ存ぜぬの橋本に坂本は文句を言い続ける。

 そんな坂本に秋峰は歩み寄り、肩に手を置く。

「まぁまぁいいじゃないですか坂本先輩、そんなことより約束守ってくれますよね?」

「こんなの無効だろ、周りが邪魔してきやがった」

「それはもう私の人徳のなせる業ですよ」

「お前のどこに人徳が……」

「お前?」

 秋峰が坂本との距離を詰める。

「誰のことですかー」

「うっ」

「私の名前言ってみてくださいよ」

「ほら、坂本っち。」

「…どういう状況?」

「奥君、実はね……」

「んー?」

 そんなやりとりをしてると、那智田が教室に帰ってきた。

「あら、坂本。負けちゃったの?」

「藍先輩!藍先輩のアドバイスのおかげで上手く立ち回れました」

「やるじゃない、じゃあ約束通りに?」

「それが坂本先輩、私のことを呼んでくれないんですよ」

「あらあらそれはおかしいわね。学年の二位の坂本様が数分前の約束を忘れる訳ないんだけど」

「そうだな、学年次席の坂本がそんな訳ないよな」

「一輝、お前まで」

 睨む坂本に軽いウインクを返す皆川。

「そうっす、坂本っち。決闘の約束を守らないなんてずるいっすよ」

 四面楚歌の坂本は辺りを見渡すと思い出したようにつぶやく。

「そういや次は俺の面談か、急いでいかねえと」

 踵を返して教室を出ようとすると

「次は坂本じゃなくて、綾乃らしいわよ」

「はぁ?」

「坂本は問題児だから最後ですって、随分気に入られてるわね」

「ふざけんな、意味わかんねえよ」

「私に言われても知らないわよ、意見なら直接言うのね」

「くそっ」

「そういうわけだから綾乃、次行ってもらえるかしら」

「わかりました。行ってきます」

「約束は綾乃っちが帰ってきたときにはちゃんと守らせるっす」

「お願いします」

 互いに親指を立てて、アイコンタクトを交わし、秋峰は教室を出ていく。

「いいわけあるかーー」

 坂本の叫びはよく響いたが、届いたかどうかの確認はとれない。

「じゃあ、面談終わった人から昼食にしとけって先生から」

「やっとお昼か、私お腹空いたよ」

「食べるっす~」

 下げていた机と席を動かし、中央に七つの机を重ねる。各々弁当やパンを取り出し、ランチの準備を始めた。

「おい、藍」

「なにかしら?」

「面談終わった奴から?」

「えぇ、あなたは弁当持って面談するって。後分けてもらうから一口でも食べてたら面談伸ばすって言ってわよ」

「ふざけんな、あのクソ教師。俺に恨みでもあんのか」

「…よく授業寝てる」

「いつもうるさいっす」

「言葉がちょっとだけ怖いかな…」

「学年二位を永遠に自慢してくる」

「バカ」

「…お前ら言いたい放題だな」

 軽口をたたきながら、笑顔を各々浮かべ、会話が進んでいく。

「まぁ恭弥の弁当の中身が減ってなかったらいいんじゃないか?少し俺の弁当分けてやるさ」

「…好きなの取っていい」

 皆川と奥が自らの弁当を開け、坂本に弁当を向ける。

「私はパンだからあげないわよ」

「敗者に分ける食料はないっす。控えおろうっす」

 対して那智田と橋本は食べ物を遠ざける。

「私の唐揚げもあげるよ」

 そう言うと、箸で唐揚げをつまみ、坂本の弁当に加える。

 それを見て橋本が騒ぎ立てる。

「ダメっすよ、あかねっち。敗者に食料を渡すなんて言語道断っす。これじゃ駿太っちが勝ったのに意味がなくなるっす」

「そ、そうかな…」

「そうっすよ、これじゃ駿太っちは勝ったのに、あかねっちのパンツしか見てないんすよ」

「ゴホッ、ゴホッ…」

 奥が食べていた卵焼きがのどに詰まり噎せ返る。

「…見てない」

 顔が赤くなっている二人に対し、橋本が熱弁を続ける。

「負けて唐揚げをもらう坂本っちと負けてパンツを見たウチ。これじゃ勝たなくても食べれるし、見れるんすよ。これじゃ駿太っちがかわいそうっす」

「そうかな…」

「そうっす」

 橋本の圧に押され、向井も納得し始める。

「じゃあ、どうすればいいのかな…」

「これはもう口移ししかないっす」

「ぶっ」

 奥は食べていた卵焼きを吐き出した。

「それは、少し恥ずかしいよ…」

「それが敗者っす。ウチも藍っちに負けて恥ずかしい思いをしてるっす。でも勝者は絶対っす。勝った人が口移ししろって言ったらやるしかないんす」

「…何も言ってない」

「どうなんすか、あかねっち」

「瑞樹ちゃん、私やるよ」

「…話を聞いてほしい」

 女子二人の決意は固く、約束を果たすため唐揚げをつまむ。

 勝者の本人が一番戸惑っており、助けを求める。

「…何も言ってないのに、話が進む」

「面白そうだからいいじゃない」

「まぁ結果として唐揚げをもらうわけだしな」

「腹減った」

 このクラスのノリを止める者はおらず、決闘の約束は果たされそうとしていた。唐揚げを持った箸を奥に近づける。

 その様子を見て、那智田が尋ねる。

「ねぇ、あかね。口移しってどんなのか

知ってる?」

「え、アーンって食べ物を口に入れてあげることだよね?」

「「「「「………」」」」」

「あれ、違うの?」

 一瞬の沈黙のあと、橋本がまたもや言葉を捲し立てる。

「そうっす、あかねっち。それが口移しっす。ウチも正直本当に口移しするのはどうかと思ってたんすけど、それならちょうどいいっす。むしろその位が絶妙にちょうどいいっす。最適な罰ゲームっす」

「ば、罰ゲーム?」

「そうと決まれば、もう迷いはないっす。駿太っちスタンバイいいっすか?口開けて待ってるっす」

「…いや、それも恥ずかしい」

「あー、もういいっす。あかねっち、準備オッケーっすか?」

 橋本は奥の後ろに回り、羽交い絞めにして逃げ場をなくす。

「うん、駿太君、あーん」

羽交い絞めされた奥は、近づいてくる箸から逃れることもできず、といって近づいてくる唐揚げを吐き出すような行いもできず、為されるがままに身を委ねてしまう。

 向井が掴んだ唐揚げが奥の口に渡される。

 顔を真っ赤にしながらも、しっかりと咀嚼し、もらった唐揚げを味わう。

「…美味しい」

「ほんと!嬉しいな、ありがとう」

「あのー、これはまたどういう状況ですか…」

 帰ってきた秋峰が教室の騒ぎに疑問を投げる。

「綾乃っち、一歩遅かったっす。駿太っちとあかねっちの口移しはもう終わったっす」

「く、口移し⁉」

「…違う、そうじゃない」

「なんだ、びっくりしましたよ。流石にそんなわけ……」

「ちょっと恥ずかしかったよ」

「え?」

「こんなこと男の子にするの初めてだったから…」

「奥先輩!何させてるんですか、決闘で勝ったからって、そんなことまでさせていいと思ってるんですか!」

「…だから話を」

「駿太っちはあかねっちのパンツを見て、口移しまで要求して、何しに学校来てるんすかぁ~」

からかうように言葉を加え、場を掻き乱す橋本

「…今すぐ決闘」

「はいはい、ここまで。恭弥も最後行ってこい」

「だな、腹減った」

「坂本先輩、約束忘れてないですよね?」

「はいはい、そうでした。仰せのままに秋峰さ~ま」

「腹立つ言い方!」

 自分の弁当を持って教室を出る坂本。奥と橋本は向井を挟んで言い合いを再開する。那智田はサンドウィッチを咥えながら参考書を開いている。秋峰は先程までの出来事を皆川に色々尋ねる。

 太陽が高く登る空。世界を照らす太陽は影も大きくする。明るく見える教室の陰で誰かがほくそ笑む。このままであるはずないと、笑い続ける。誰にも見えず、聞こえずとも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る