第28話 月夜にて

 天空寺さんには軽い食事をすると言ったが、あれは嘘だ。本当はそんな事する気が無い。

「今頃どうなってるかな~」

 私の気分は最高潮だ。今はもう、抑えてなんかいられない。今すぐ飛び込んで行きたいが、必要最低限のマナーは守るべきだと思い、古那家のチャイムを鳴らす。

「いるんでしょー、開けてー」

 我慢できない私は、家に居る二人に向けて呼びかけた。返事が無いと分かると、玄関に鍵が掛かっているかをチェックする為、思いっきり引き戸を引いた。

 ガラガラッ!

 大きな音を立てて、引き戸が限界まで開いた。それが分かればもう簡単だ。お邪魔しまーすと言いつつ、ずかずかと入って行く。

 リビング辺りだろうか、香耶さんの姿が見えた。ソファには早弥さんが寝ていた。

「久しぶり、香耶さん」

「舞さん…どうして、ここに……」

 随分と不思議そうな顔をしている。

「早弥さんにね、魔法のお注射したんだよ」

「舞さん……なんでこんな事するんですか! 私達が一体何したって言うんですかっ!」

「んー、わかんない!」

「とぼけるのもいい加減に―――」

 香耶さんの言葉を遮るように、テーブルに置いてあるマグカップを床に叩きつけた。

 バァンという音が部屋中に響き、香耶さんは一瞬震えた。その隙をついて、香耶さんを床に押し倒し、折り畳み式ナイフを首に近づける。

「死にたくないでしょ。早弥さんは関係ないけど」

「何を……言ってるんですか…………」

 困惑して、両目がキョロキョロしている。明らかに怯えていた。私に。私に―――

「ふふっ、ははっ、あははっ、ははっ、ふっ…………」

 ああ、可笑しい。抑えようとしても抑えきれない。どうしても漏れてしまう。

「……っ」

「香耶さん、痛い? ごめん、ちょっと爪食い込んじゃったかも」

 私は香耶さんを動かないようにさせたかった。強引なやり方で傷つけてしまっても。

「何なんですか、舞さん……さっきから、ううん、あの時から、変、ですよ」

「変? 私なんだけどなぁ」

 煽るように言うと、私はナイフを香耶さんの右手側の床に突き刺す。

「これでも認めてくれない?」

 ナイフを刺したまま、香耶さんに詰め寄る。

「っ……」

 香耶さんは息を呑む。そのまま睨み合いが続く。こんな事でさえも楽しく思えてくる。

「今日ってさ、夏休みに入って何日目だと思う?」

「え…」

 当然だ。急にこんな質問をしても、大体の人は答えられるはずがない。でも、この質問には私なりの意味がある。

「十九日目…ですか?」

「残念。ぴったり十日過ぎてます」

「え……そんなはずないです! だって、カレンダーはちゃんとして……あれ?」

 。私は香耶さんの戸惑う様子から確信を得た。だからもう、ネタバレしてもいいだろう。

「早弥さんに魔法のお注射したって言ったよね? じ~つ~は~、香耶さんにも打ってました~~~~っ!」

 私が大仰に説明すると、香耶さんはとても驚いた顔をしていた。その隙を見て、予め用意しておいたハンカチを香耶さんの口に当てた。

 香耶さんは一瞬の内に眠ってしまった。

「何処か空いてる部屋は、っと」

 丁度いい場所を見つけた。クローゼットの下部分だ。何も入れていないし、香耶さんくらいならぴったりのサイズだろう。

「んしょっと、ちょっと待っててねぇ~」

 そう言ってクローゼットの扉を閉める。これで邪魔者はいなくなった。後は―――

「早弥さんか……」

 早弥さん、もうだいぶ感覚が鈍っているはずだ。何をしてもいいだろう。

 まさか夏休みの内に二人もなんて―――想像しなかったが、別にどうだっていい。こんな事でしか心の穴は埋まらない。とにかく、私が受け入れているんだ。は何をしたっていい。今日はとことん使い倒すと決めているから。

「待っててね、早弥さん。今度こそ…終わりにしてあげる」

 その言葉は、覚悟だったのか。が私に戻れなくする為の暗示なのか、それとも―――

 まあ、些細な事だ。私はそんな考えをやめ、早弥さんのいるソファに足を運んだ。


「やっほー、早弥さん元気ー?」

「……………………」

 答えるはずないだろう。あの薬は徐々に効果が表れるようにしておいたが、その期限もとっくに過ぎたはずだ。

「ん~、もしもーし」

 頬をつねってみたり、腕を揉んでみたりする。それでも反応は無い。

「お姉ちゃんが待ってるよ。もう、楽になりな」

「…………………か、や」

 耳元に小さな声が聞こえる。聞き逃さないため、耳を傾ける。

「い、っしょ、だよね……ずっと…ず、っと…………」

「ごめんね早弥さん。香耶さんには生きててもらわなくちゃいけないんだ。薬の効果は今日でおしまい。後を追うなんて事させないよ」

 その言葉の後、黙り込んだ早弥さんの首にロープを巻く。そうして、私はそのロープを力強く引っ張り上げた。

「ぎっ、ぐっ、あ、ああっ、うっ」

「楽にしてあげるね」

 そう言って、一層力を入れる。

「っ、あっ、ぁ―――」

 早弥さんの体から力が抜ける。ロープを外し、脈を確認する。

 脈無し。早弥さんは死んだ。

「後片付けはお願いしよっと」

 満たされた。胸の中がいっぱいになるこの瞬間、これが一番幸せなんだ。そして、私に絶望を与える事も忘れない。ここまでやって、は私に戻れる。

 薬の事を言ってないが…まあいいだろう。勘がいい私なら気づくはずだ。

 目を閉じて、私に合図する。「もういいよ」と。


「ん、ここは…………」

 周りを見渡す。目の前では、早弥さんがぐったりしている。じゃあ、ここは早弥さん達の家なんだ。

「早弥さん、どうかしたの? 大丈夫?」

 寝ているんだと思い、体を揺らしてみる。起きない。

 そして、放り投げたであろうロープに、床に刺さったままのナイフ、割れたコップ。それらを見た私は、悟った。

「また、殺したんだ…」

 。私は、濡れ衣を着せられる。けれど、これもけじめなんだ。そう思って、後片付けは私が請け負っている。

「ごめんね早弥さん。楽しかったよ。後、しのみーって呼んでくれてありがとう」

 感謝の言葉を述べ、後片付けに入る。ロープを右ポケットに入れ、刺さったままのナイフを引き抜き、折りたたんで左ポケットにしまう。割れたコップは、空のバケツの中に捨てた。

「逃げたら…ダメだよね」

 ちゃんと真実を話さなきゃならない。薬の事だけでもいいから。だから、香耶さんを待った。

 数分後、ドンドン、ドンドンドンと、音が聞こえた。場所なんて分からないはずなのに、足は自然とクローゼットの方に向かっていた。扉を開けてクローゼットの下を見ると、香耶さんがもぞもぞと動いていた。

 それを見て、私は香耶さんを引っ張り出した。

「香耶さん、私だよ、舞」

「っ、早弥はっ!」

 助けてもらったのに、お礼の一つも言わないで掴みかかって来た。だが、私はその質問には答えられなかった。

「……リビング行こう。それしか、ないよ」

 香耶さんにリビングに来るように促すと、私はそのまま洗面所の方に向かった。


 顔を水で洗う。普通、その行為は何らかの意味がある。それは顔の汚れを落とす為とか、気持ちを引き締める為とか、人それぞれに理由があってやっていると思う。私には、特に理由なんて無かった。

「早弥、早弥っ! 返事してよ、ねえっ! 早弥あっ! 死なないでよバカあっ! ……う、ううっ、あっ、あああっ、あああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!」

 香耶さんの泣く声が聞こえる。顔を拭きながら、私は考えていた。薬の話をどう言ったらよいか、と。

 香耶さんに打った方の薬は、時間などの感覚を鈍らせる薬だ。だから日付が分からなくなっていた。早弥さんに打った方の薬は、身体の感覚を無くす薬だ。きっと、早弥さんは最初からターゲットだったんだ。に確実に殺されるように、そうなっていたんだ。

 リビングに顔を出すと、香耶さんがいきなり掴みかかって来た。二度目だから対処出来たはずなのに、体が動かなかった。床に倒れてしまった私のポケットから、ナイフが姿を見せていた。それが目についたのか、香耶さんは私にナイフの切っ先を向けた。

「早弥を返して…………返してよぉッ!!」

 大粒の涙を流しながら、馬乗りになって私の事を殺そうとしている。

「……………………」

「何か言えよ……何か言えよッ!!!」

 何も、言えない。私は…受け入れてしまったから。この、現実を。そして、を。

 元には戻れない。壊れたんだ、私は……

「香耶さん、視界が鈍ると…出来る事も出来なくなるよ?」

 戸惑った隙をついて、私は脱出した。持っているナイフを振り払い、床に香耶さんを押さえつける。

「悪い夢だから。すぐに覚めるよ」

 安心させるような言葉で香耶さんを言いくるめると、ハンカチを香耶さんの口に当てる。香耶さんは、また眠ってしまった。

 ぐったりした早弥さんを運ぶために、大きめの袋が用意してあった。

……?」

 事前に用意した物だろう。ゴミ袋位のサイズだった。その中に彼女、早弥さんを入れる。

 お姫様抱っこでは、家までに気づかれる。でも、香耶さんは何をしてもただの一般人に過ぎない。だから―――

「一緒にしておくね」

 大きめの袋に入れたままの早弥さんを、そのまま放置した。

 そうして立ち上がった途端、香耶さんが起きそうだった。だから、必要な道具を持って、身の回りの確認も忘れない。ここに来た時と同じような姿で家を後にしたいからだ。

 確認が済んだ私は、家を出る前に香耶さんの顔を覗いた。特に変化が見られる訳ではないが、見ておきたかった。

 そうして私は、黙って古那家を後にした。


 


 

 

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