第8話 暗ければ暗い程

 いつの日だっただろう。

 私が変わったのは。

 まだ、大丈夫だ。私のは、まだ、生きている。

 信じていた。そう、信じていた――――――――――


































「お父さーん、はやくー!」

「待ってろー、今そっち行くからー!」


 あれは、私がまだ小学生の時だった。二年生か、三年生くらいだったと思う。

 お父さんと一緒に、川で釣りをしている最中だった。

 家族構成としては、今で言う所の核家族みたいなものだ。お父さんは警察官、お母さんは専業主婦、私は普通の女の子。ごくごく普通の家族だ。


「見て―、かにさん!」


 手づかみで掴んだカニをお父さんに見せびらかす。


「おー、すごいなー。よく捕まえたな。すごいぞー舞!」


 そう言うとお父さんは、頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

 力も強く、小さい私としては痛かったが、ぬくもりが感じられる、温かい手だった。


「よーし、父さんと一緒に魚釣るか!」

「うん、おさかなさん見に行く!」


 そう言って、お父さんについていく。夜は、魚料理のオンパレードになりそうだった。


「いってきまーす!」

「いってらっしゃい。気を付けるのよー」

「はーい!」


 いつも通りの時間に家を出ていく。昨日はお父さんが非番だったから釣りなんて出来たけど、今日からはしばらくお父さんは帰っては来ないみたいだ。それに―――


「いずなちゃん、おはよう!」

「おはよう、まいちゃん!」


 いつも一緒に通っているいずなちゃんが来てしまったから、お母さんと一緒にいる時間は更に削られてしまった。


「今日は何するのかなー」

「運動、嫌いだなー。皆出来て羨ましい」

「うん、私も。でも、出来るよ、二人なら!」


 そんな根拠の無い事をよく言えるもんだなと今は思うが、当時の私は彼女の言う事を完全に信じ切っていた。


「そうだね、スマイルだね!」

「うん、スマイル!」


 楽しかったなー。二人で何処へでも行けそうだって思うんだもん。

 そんな感想を胸の中に仕舞う。


「今日もがんばろー!」


 いずなちゃんは、私の事をよく見てくれた。

 応援してくれた。

 でも、人はすぐに態度が変わるものだ。






「待て、そこの車!止まりなさい!」


 追いかける。スピード違反をした車を発見した俺は、慌ててその車を追った。


「チッ、しつけーんだよ!」

「俺達の邪魔すんじゃねー!」

「おいバカ、前、前!」

「あ? うおっ!」


 車は急ブレーキをかけるが、間に合わず壁にぶつかる。それを見逃さなかった俺は、もう少しで逃げられそうだった車に追いつくことが出来た。


「もう観念しろよ。現行犯で逮捕する!」

「あ? 知るかよそんな事。やりたいようにやってんだ、好きにさせろよォ!」


 一人の男が素手で殴りかかって来る。警棒を引き抜くまでもなく、こちらも素手で応戦する。


「おらぁっ!」


 ただのストレートを躱し、足を引っかけ、頭をぶつけない様に慎重に転ばせた。


「いっでぇ!」


 背中を打ち付けた男は呻く。

 その隙に前を見る。男が一人いなくなっている事に気づいた。


「きゃあああああっ!」

「!」

「おい、おっさん!この女殺されたくなかったら、俺達の事見逃してくんねぇかな?」


 男の手に握られている長い物、恐らくはナイフ。いや、サバイバルナイフか?

 それを警戒した俺は、警棒を引き抜き、ゆっくりと近づく。


「その人を放せ。早く!」

「おい、聞いてなかったのかおっさん。それ以上近づくんじゃねぇぞ!」


 女性は涙目でこちらを見ている。一刻も早く助けなければという思いと、どうやって犯人を捕まえようかという思いが、俺の思考能力を鈍らせていた。

 鼻に付く匂い。煙?

 ――はっとした俺は、壁に衝突した車を見る。

 まずい。これ以上は―――!


「その人を放せ!」


 駆け寄る。命を助けなければならないと。

 だが―――――――

 さっきの男が起き上がり、俺を羽交い絞めにした。

 一歩出遅れた、その瞬間だった。

 車が二人を巻き添えにして、爆発した。


 羽交い絞めを振りほどき、二人に駆け寄る。

 男の方はまだ息があるが、酷い火傷をしていた。

 女性は、見るも無残な姿だった。車の破片、ガラスの破片が体中に刺さり、切り傷や出血をしていた。一目見ただけで分かる。もう、助からない。

 俺は、逃げる男などに目もくれず、呆然とする他無かった。


『次のニュースです。先日のスピード違反による事故で、警察は二人が死亡、一人が重傷だと発表しました―――――』


 思い出す。俺が助けられなかった。どうして、どうしてこんな事に―――――――


「なあ、悠羽ゆう。目を開けろよ、なあ!」

佑都ゆうとさん、もう―――――――」

「受け入れられるわけねぇだろ、こんなの!」


 俺に向かって、怒鳴る。


「明日だぞ、明日! 俺の親に結婚の挨拶しようって決めてたんだぞ! 買い物行ってくるって言って、俺が見たらもう死んでたなんて、言えると思うか!」

「お気持ちは分かります。けれど――――――」

「俺に言うなってか! 犯人が悪いから、犯人に言えって言うのか! 自分は警察官だから、正しい事をしたまでです。それで死人が出たとしても、事件だったから仕方なかったんですって言って責任逃れしょうって思ってるんだろう!」

「落ち着いて話を聞いてください。確かに私が悪いんです。でも―――――」

「でもってなんだよ! まるで他人事じゃねぇか!」


 そう言われると、こっちが辛くなる。


「……被害者に寄り添うだか何だか知らねぇけどよ、大切な人がいなくなった後の人の気持ち考えた事あるのかよっ!!!」


 涙ながらに告白される。

 俺は今まで、どんな事件も死傷者を一切出さずに解決してきた。

 だから、本当の意味で考えた事なんて一度も無かったんだろう。


 
















 その事件があってから、俺は正常な判断が出来なくなっていた。

 検挙率No.1って言われていた男も、このザマだ。

 最近は舞が大きくなったのか、俺に対する態度が冷たい。

 母さんは反抗期なんだろうと言っていたが、俺に話しかけようとして、もごもごしている事が多い。だから反抗期ではない、と思っている。


「あのさ……、最近、大丈夫かなって思って……」

「ははっ、珍しいな。お前から話してくれるなんて。どうした、何かいい事あったか? ん?」


 舞の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。最近は握力が落ちてきたのか、小さい頃みたいに力強くとはいかない。


「なあ、舞。大事な話があるんだ。父さんからの大事な大事なお願いだ。素直に聞いてくれるか?」

「……うん」


 舞はこくりと頷く。


「そうか、じゃあ話すな」


 ああ、になるかもな……。


「舞。お前は、人の気持ちを分かる人間になれ。俺は、人の事なんて考えた事も無かった。大切な人が死んで、初めて分かると思ってたんだ。おやじが殉職した時もそうだ。頑固ですぐ怒鳴るような気の小さいジジイだったが、とても優しかった。俺が小さい頃はよく頭を叩かれたもんだ」


 しみじみと思い出を語っていく。


「俺は空っぽだって言うなら、それはそうなんだろうな。 ……だからな、舞。お前は、後悔の無いように人生を生きろ」

「お父さん?」

「ん? どうした?」

「いなく……ならないで。 ……どこにも、行かないでっ!!!!!」


 強く、強く、抱きつかれる。

 無理な相談だ―――なんて、言えるわけないよな。


「ああ、行かないよ。お前の中に、ずっといるからな」


 あいつが聞けばって言われるんだろうな……。




























































 中学への入学が決まり、私は、小学校の時とは違う新たな一歩を踏み出そうとしていた。

 いずなちゃんも同じ学校に行くと話があり、また一緒に行かれるのだと喜んだ。

 最近は、お父さんが帰ってこない。お母さんに聞いても、分からないとしか答えない。だから、お父さんを探そうと、私は小さい頃よく釣りをした川へ行った。

 川の隣にはもちろんの事、森がある。かくれんぼもしたなぁと思い出に馳せる。


「おとーさーん。おとーさーん!」


 探し回る。

 すると、人影を見つけた。宙に舞っている。実際はぶら下がっているような感じだった。

 お父さんだと、直感で分かった。また、遊んでくれるのかな……。 言いたいことがいっぱいある。ワクワクしながら、お父さんの場所まで行く。

 足場を気を付けながら、ゆっくりと、慎重に、歩を進める。


「おとーさん! みーつけた!」


 返事がない。


「お父さん……?」


 上を見上げる。

































































 お父さんは―――――――――――――――
























































 




               

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