第4話 君のそばで眠らせて
中学の頃。
「じゃーん」
お泊まり会の日、スカートを履いて彼の前に出てみた。あくまで冗談に見えるように。
「え、やばいよそれ」
「へへへ」
「まあもう遅いから寝よ」
「ああ、うん」
彼には男のくせにとか言われなかった。それだけがうれしかった。
暗くなった部屋で、僕はひとりドキドキして眠れなかった。
高校の頃。
夏服になったばかりの制服が風に揺れる。スカートをかすめてく空気は少し肌寒い。
「わりい」
膝枕越しに彼は目を合わさずに言う。そこだけは彼のおかげで暖かだった。
「君をふるなんて、たいしたことないよ、あの女」
「まあ、そう言うなよ。好きになった人だからさ」
「そう…」
「初めて恋したんだけどな」
彼は耐えるように目をつむる。
「つらいや」
「よしよし」
彼の頭をなでてやりながら、そのまま静かに泣かせる。やがて彼は眠ってしまった。
彼がふられる。恋は成就されなかった。そのことを喜んでしまう。そんな僕はドロドロでまっくらで許されない人間だ。
許されなくてもいい。ただ…。
「…神様お願いです。どうかこのままでいさせてください。他はいりません。どうか…」
彼のごわっとした髪を触りながら、つぶやくようにそう強く願う。
大学の頃。
「うおーい、寝かせろー」
「ぷふっ、どしたん?」
「合コン帰りー」
彼はそう言って僕のアパートに深夜転がり込んできた。
この酔っ払いめ、と思いながら、いつも来てくれることを少し喜ぶ。
畳の上で大の字になっている彼を起こしながら声をかける。
「今日はまた一段と荒れてるねー」
「なあ、なんで俺は彼女できないんだよ、チキショー」
「はいはい、布団敷いたから」
「なあ、そばにいてくれよー」
「わかったよ、わかったから」
すがられる手を僕は握りしめる。
人の気持ちも知らないで…。
すやすやと眠る彼を見ながら、僕は彼のことを少し憎たらしく感じていた。
社会人の頃。
バァーン!
彼のアパートの扉を勢いよく開ける。
驚いた彼が部屋の隅っこにうずくまっていた。
「な、なんだよ」
「眠れてないと聞いて!」
「は、はあ? いいから帰れよ!」
「何日寝てないんだよ、君は?」
「二週間ぐらい…」
彼はうつむく。僕はあえて元気よくふるまう。
「よし、これ安眠まくら。さあ寝るぞ!」
灰色の面白くもない通勤用スカートをゆるめると、ふぁさりと下に落ちる。
おっきなかばんから、もこもこなパジャマを取り出して僕はかぶるように着る。
彼はたじろぎもせず、それをただ見ていた。
「わりい、そういう気分じゃないから…」
「いいから寝ろ。会社で何があったのか聞かないけどさ」
僕は彼を無理やり布団に押し込むと、そのまま横に滑り込んだ。
「こうやって体くっつけてると、暖かくて、そのうち寝られるから」
「わりい…」
か細い声で彼は返す。しょうがない奴だなと思いながら、僕はやさしく彼を抱きしめる。
「ねえ、家でも買おうか。一緒に暮らそうよ。君が立ち直るまででいいからさ」
「わりい…ほんとにわりいっ!」
「よしよし。今日はゆっくり寝よ」
やがてふたりとも抱きついたまま寝てしまった。互いの熱を感じながら。
中年の頃。
風呂から部屋に戻ると彼からこう言われた。
「美魔女め」
「えへへー」
私はにっこり笑い返し、彼に言う。
「しかしいい宿だねー。ご飯もおいしかったし、温泉もすべすべしてよかったよ」
「いやさあ、事業も軌道に乗ったし、日頃の感謝を込めてだな…」
「ありがとうね」
「ああ」
彼は照れ隠しで笑う。笑うと彼は本当にかわいい。昔からそうだった。僕だけが知ってる。僕しか知らないこと。僕はいま彼のことをひとりじめしている。
ぎゅっと握りたくなる衝動を抑えながら、彼の手を取って僕は言う。
「さて、寝ようか。早めに起きて…。明日はどこ行く?」
「近くに植物園があるそうだ。花見るの好きだろ?」
「そうね。なに咲いてるかな」
「楽しみだな」
「うん」
布団に入り、僕と彼は手をつないで寝る。
うれしい。幸せ。本当に。
…でも。
つい思ってしまう。
こうして寝られるのは、あと何回あるのだろうか。
僕にはそんな不安が絶えず胸を刺す。
老齢の頃。
僕はふと聞きたかったことを彼に尋ねた。
「子供欲しかったですか?」
「いや、なんかそれはいいよ。いちばん重要だったのは君のそばにいられたことさ」
「まったく。おじいさんたら。ようやく私の気持ちに気づいたんですか。困った人ですね」
「困らしてごめんな」
「いいですよ。許してあげます」
「ありがとうな」
「こちらこそ」
病院のベットは家のよりかなり硬かった。それでも寝よう。ゆっくり。いつものように。暖かく握られた手が冷たくなるまで。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます