第3話 蒲田にて(2)
正直なところ、トラブルは日常茶飯事だ。
日本の統治システムは崩壊し、東京以外は地方自治体がそれぞれの土地でなんとか物事を進めている。残った官僚たちが成田で立ち上げた『政府』は、ほとんど機能していない。彼らは空港に来る海外支援物資を独占し、利権にまみれた利己的な集団と化していた。
警察機構も失われた関東では、銃器の類は大っぴらに輸入され、誰でも簡単に武装できる。抗争は戦争となり、この地域にいる者たちの命は紙切れより軽い。
緊張感は嫌いだ。ああいった一触即発の空気は、あの夜を思い出す。
ひとりになりたい。
息が苦しかった。銃を握れば、否が応でも自分は2年前に引き戻される。決して忘れられない夜に。
ドアを開けると、怜は壁際に置いてあった簡易ベッドに倒れ込んだ。横向きになり、Tシャツの胸元を握る。
呼吸が浅くなっていた。こめかみを嫌な汗が流れていく。
忘れろ。眠れ。深呼吸をして、眠るんだ。
夜は続いていく。
想いを遠く置き去りにするために、怜は目をつぶり、眩暈をやり過ごす。
照準の向こうにあの人が見える。ただひとり、死ぬまで共にいたいと願った男だ。
思い出してはいけない。欲望と愛しさを込めて怜の目をのぞきこむ眼差しを。頬を包む手を。ためらうように寄せられた唇を。喉にかかる温かい吐息を。
思い出すな。思い出さなければ、まだ生きていける。
心の黒い海に記憶を沈めようと、怜は足掻いた。あの人の眼差しが怜を見つめる。
彼に会いたかった。会いたいと願いながら、怜はその願いを捨てるために歯を食いしばった。
願いは叶わない。血を吐くほど願っても、決して叶わない。
なぜなら、その男を殺したのは自分だから。
二度と、彼に抱かれる夜は来ないのだから。
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