第4話 かの世界からの来訪者

 四方を真っ白な壁に囲まれた診察室で、青年は医者と向き合っていた。


「今日で治療は終了です。今までよく頑張りましたね」


 医者は青年に向かって柔和な笑顔を向けた。


「いえ、先生のおかげです。先生が居なかったら、僕は今頃どうなっていたことかわかりません」


 青年は神妙な顔で小さくかぶりを振って答えた。


「仕事は見つかったのかい?」


「ええ、先生が紹介して下さったアパートの大家さんから、近所の高齢者施設での求人を教えてくれたので、今はそこで働いています」


 青年はおだやかな口調で言うと、その言葉に医者もにっこりと微笑んだ。


「そうか、それは良かった。慣れない環境での生活は大変だからね、少しでも体調が優れなかったらまたいつでもおいで」


「ありがとうございます、お世話になりました」


 青年は椅子から立ち上がると医者に一礼し、診察室を後にした。

 すると青年と入れ替わりに入ってきた看護師が医者へ声をかけた。


「彼、以前に比べて明るくなりましたね」


「あぁ、そうだな。おそらくもう大丈夫だろう」


 医者の言葉に幾分ホッとした様子を見せた看護師は、続け様に口を開いた。


「でも、彼が最初にここへ連れて来られた時は驚きましたよね。お金も保険証も無ければ、家族も戸籍もないなんて……普通考えられませんよ。それに言ってることも支離滅裂でしたし」


「おそらく相当心理的に強い負荷がかかり、そのせいで彼の記憶が現実と想像の区別がつかなくなったのだろう」


 医者は椅子に深くもたれるようにして座り直した。


「まぁ、それももう過ぎたことだよ。現に彼の症状は投薬治療とカウンセリングでここまで改善し、しっかりと社会復帰が出来たんだからね。それに性格も真面目で大人しい、問題ないよ」


「確かにそうかもしれませんね」


 看護師はそう言うと医者に軽く会釈をして診察室の奥へと歩いて行った。

 医者はしばらく何かを考えるような素振りを見せた後、おもむろに青年のカルテを手に取った。


「名前も出身地もわからなければ、誰からも捜索願が出されていない謎の男……か」


 医者は小さくそう呟くとカルテをファイルに綴じ、鍵付きの引き出しにしまった。



 病院を出た青年は、青空を仰ぎ見て太陽の光に目を細めた。

 そしてため息をひとつ吐くと、再び歩き始めた。


 そして青年は歩きながら自分の過去の記憶をゆっくりと辿っていった。



 青年は思い出す……。



 自分はかつてツヴァイトという王国の騎士団の一員であったこと──


 そして街を襲ったドラゴンとの戦いで、ドラゴンから繰り出された火球が自分にぶつかった瞬間に記憶がぷっつりと途切れ、気づけばこの世界に居たこと──


 更に、この世界ではドラゴンも魔法も存在せず、自分のいた世界のことを話せば病気だと疑われてしまったこと──


 だが今となっては、青年にとってそれらの記憶は治療のために抹消すべきものでしかなかった。


 そして、今や青年の周りには自分のことに親身になってくれる先生や大家さんの存在があり、争いで命を落とすことのない平和な世界が眼前に広がっていた。



「これでいいんだ、これで……」



 公園で無邪気に遊ぶ子供達を眺めながら、青年は独り言のようにポツリとこぼした。


 青年はポケットに残った最後の薬を取り出すと、静かに口に含んだ。その表情は安堵と落胆が入り混じった様な、どこか憂いのあるものだった。

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