第3話 遅れて来た短パン
重々しい扉を開けると、中はとても薄暗く、正面の壁に映し出されたプロジェクターの明かりだけが室内をぼんやりと照らしていた。
部屋の中央にはまるで大きなドーナツのような円卓が置かれており、既にそこには8人程の人が円卓を囲んでぐるりと座っていた。
更に、よく見ると円卓に座っている人々は皆一様に仮面舞踏会の様な奇妙なマスクを着けており、部屋全体が異様な空気に包まれていた。
「全く、いつまで我々を待たせるつもりだ、Mr.短パン」
円卓の一番奥、ちょうど扉と対角線側にいる人物が口を開いた。
「……み、Mr.短パン?」
「それが君のコードネームだろう?」
「いや、私の名前は田中──」
「さあ、君の席はそこにある。まずは腰掛けたまえ」
私が口を開き、名乗ろうとした瞬間、近くにいた男がその言葉を遮った。
「……はぁ」
促されるまま、とりあえず空いている一つの席に座ったが、その時既に私の思考は激しく混乱していた。
なんなんだ?
これは定例会議じゃないのか?
それとも何かのドッキリや悪ふざけなのか?
様々な疑問や想像を次から次へと頭の中で組み立てていくものの、この状況を説明できる理由はいっこうに思いつかない。
「さて、これで全員が揃った訳だ。早速本題へ移りたいと思うが、いかがかな?」
「いや、その……これってどういう──
「「「異議なし!!!」」」
私の呟く言葉は、円卓を囲む彼らの息のあった声にかき消されてしまった。
「では、会議を始めよう。Mr.ジーンズ」
「はい」
奥にいる男が声をかけると、私の2つ隣の席にいた男が立ち上がった。
Mr.ジーンズ? さっきから何を言ってるんだ??
男はつかつかと靴音をたてながら、プロジェクターで映し出されたスライドの隣まで来ると足を止めた。
立ち上がった男の服装を改めてよく見ると、男は上に背広を着ているにも関わらず、下はジーンズという、まさにネーミングそのものといった格好をしていた。
「では、私から今月の営業成績についてご報告させていただきます」
男がそう言うと、スライドには営業部の今月の成績を表すグラフが映し出された。
あまりの唐突な言葉に私は一瞬言葉を失ったが、同時にこの始まり方がいつもの定例会議と同じだったことで、ほんの少しだけ心に余裕が生まれた。
はじまりは営業部の成績報告。
やはり、この会議はいつもの定例会議だ。
となれば、あのジーンズを履いている男。
体格や声、そして喋りながら腕時計を触る癖……
間違いない、奴は同期で営業部の鈴木だ!
しかし、そこまでわかったは良いものの、何故こんな薄暗い雰囲気の中で、マスクをつけながら意味不明なあだ名で呼び合うのかといった理由については、未だに皆目見当がつかない。
私が頭を悩ませている間も、Mr.ジーンズ……いや、営業の鈴木は報告を淡々と終えると、再び座っていた席に腰を下ろした。
「ご苦労。では次に、Ms.タイトスカート」
「はい」
Ms.タイトスカートと呼ばれた人物が立ち上がった。声とその出で立ちから、一目で女性だとわかる彼女を見て、再び私の予感は確信に変わった。
あのスカート越しからでも伝わる脚線美。
そして、あの少し鼻にかかったような声。
間違いない、彼女は販売促進部の小林さんだ。
しかし、そんな確固たる自信を持ちながらも、この奇妙な雰囲気に呑まれてしまっている私は、すぐにそれを指摘することは出来なかった。
今も投影されているスライドの横では、販促のMs.タイトスカート……いや、販促の小林さんの報告が続いていた。だが次の瞬間、ある違和感に気がついた。
それは、普段は真面目で大人しく、あまり自己主張をしないタイプだったはずの、こば……Ms.タイトスカートがはきはきと自分の意見を交えながら報告していることだった。
彼女が小林さん本人であることは間違いない。だとしたら、彼女をここまで変えた要因は何なのか。
しばらく考えた後、私は一つの仮説を立てた。
それはつまり、仮面舞踏会のようにいつもと現実離れした環境で、互いをコードネームで呼び合い、なおかつマスクをつけるというこの演出が、彼女に小林としてではなく“Ms.タイトスカート”というキャラクターを演じさせているのではないか……。
そう考えると、先程のMr.ジーンズこと営業の鈴木は、普段なら聞いてもいないプライベートなことまでベラベラと喋ったり、無駄に回りくどい説明ばかりをすることが多かったが、あの時の報告は要点だけを抑えた無駄のない報告だったように思える。
すると彼もまた、Mr.ジーンズという役割を演じていたのかもしれない。
そんな考察を続けているうちに、次第に私は、たまにはこういう会議も悪くはないのかもしれない……いや、むしろこういう会議こそが、この会社に必要だったのかもしれないとさえ思うようになっていった。
──事前に知らせてくれたなら、私だって短パンのひとつでも履いて来たんだけどなぁ。
そんな事をぼんやりとした頭で考えていると、後ろの扉が突然大きな音を立てて開いた。
慌てて振り返ると、そこには肩で息をし、呼吸もままならない様子のマスク姿の男が立っていた。
そして特に目を引いたのが、その男が背広に短パンという格好をしていたのである。
「みんな騙されるな! 本当のMr.短パンはこの俺なんだ!」
「な、なんだと……!?」
場の空気は乱れ、ざわざわとした動揺の波紋が部屋中に広がっていくのがわかった。
「静粛に!」
奥に座る男の一喝で、場内が再びしんと静まり返えると、男は私と短パン姿の男を一瞥した。
「ふむ、その出で立ち。どうやら、遅れて来た方が本物のMr.短パンのようだな……。だとすれば、貴様は一体何者だ?」
「いや、だから……その、私は……」
今までの穏やかな空気が嘘のように、冷や水を浴びせられたかのような悪寒が全身を包みこむ。と同時に、背中にじんわりと汗がにじんでいくのがワイシャツ越しに感じられた。
「まぁ、いい。貴様が何者であろうとこの会議の存在を外部の者に知られたとあっては、ただで済む話ではないのだからな」
その言葉を合図にしたかの様に、円卓に座っていた他のメンバー達が一斉に立ち上がり、こちらを向いた。
「外部だって? 待ってくれ、おかしいじゃないか! 私はここの社員だぞ! そもそもこの会議はいつもの定例会議じゃないか?!」
無言のままじりじりと私に近づいてくる彼らに、私は後ずさりをしながら叫び続ける。
「お前、営業部の鈴木だろ? それにそっちは販促の小林さんだ。他にマスク着けてる奴だって、きっとここの会社の奴らなんだろ? なんでこんなことするんだ、説明してくれよ!」
マスクを着けた2人を指差すと、トンっと背中に軽い衝撃を受ける。どうやら、後ろに下がり過ぎて壁まで来てしまったらしい。
するとその時、Mr.ジーンズ……いや、鈴木がゆっくりと私の前に立つと、囁く様にそっと口を開いた。
「……では、証明して下さい。あなたが私たちの同志であると」
!!
この時今まであった全ての事柄のひとつひとつが、一つの線へと繋がった気がした。
そして追い詰められた私に残された道は、もはやこれしか考えられなかった。
私は前を見据え、一歩前へと踏み出すと、ズボンのベルトをゆっくりと外した。そして意を決し、一気にズボンを下ろす。
「バレてしまっては仕方がないな。そう、我こそはMr.ブリーフだッッ!!」
✳︎ ✳︎ ✳︎
──数日後。
「あなた、いってらっしゃい」
「あぁ、行ってくる」
妻のゆきに見送られながら、出勤する私の股間は、今日も真っ白な下ろし立てのブリーフに優しく包まれていた。
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