第2話 嫌われる理由

私は嫌われた。


理由として挙げられるのはいくつか思いついた。


子供のころから、好かれるようなキャラじゃないかもしれない。


すごくせっかちで、思いついたことをすぐにやりたかった、待つことも待たせることも苦手だった。気に入らないことがあったら、約束を破られた時とかも自分の気持ちを抑えきれず爆発しやすかった。一人でやれることが好きで、芸術や本読みなどの趣味にハマりすぎる時も多かった。こういう時になると、周りからの理解を得られず、変人扱いされることも日常茶飯事だ。自分の性格に問題があるかなと自問自答の繰り返しをしていたが、ずいぶん大人になってから知ったのは、自分はHSPであることだ。


「ハイリー・センシティブ・パーソン HSPとは、生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」という意味で、「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」と呼び頭文字をとって「HSP(エイチ・エス・ピー」と呼ばれています。HSPは環境や性格などの後天的なものではなく、先天的な気質、即生まれ持った性質であることがわかっています。統計的には人口の15%〜20%。5人に1人があてはまる『性質』であり、稀ではありませんが、裏を返せば、約8割の人はこの性質にはあてはまらないため、HSPの特性は共感を得ることが難しく、HSPでない人たちとの差に自己嫌悪を感じることや、まわりに合わせようと無理をして生きづらさを感じやすくなる性質といえます。」


この事実を知った瞬間、長年の悩みが一気に消えたようになった。ずっと気難しい人扱いされて、だから自分が嫌われている理由は自分の性格に欠陥があるのではないかと思っていた。だが、問題の根本はただお互いの相性が悪かったのかもしれない。私のHSP気質を知らないし理解もできないから、私の敏感な反応をただのわがままとしか見られ、嫌われるのは当然だった。


まあ、逆の立場だったら、私も同じことをするかもしれない。理解と共感できないものを嫌いなのは人間の自然な反応かもね。


そして、妹のように甘えるのはすごく苦手だった。これは多分長女長男の特徴とも言えるが、しっかりしなきゃと思っていて、子供っぽい言動をしちゃいけないとか、父親の件でさらに大人ぶっていたかもしれなかった。可愛くない私が嫌われるのは当たり前だった。


学生時代、成績はいつも妹より優秀だったが、褒められることはあまりなかった。親は勉強できる子供が好きじゃないのかって、これにずっと疑問を感じていた。まあ、父はギャンブルに集中していたから、子供の成績にあまり関心がなかった。不合格じゃないならいいっていつも彼からそう言われた。自分なりにたどり着いた結論というか、自分の推測というか、自分もいけなかったかもと思う時があった。だって、妹の成績があんなにひどかったから、彼女の方に多くの関心を集められて、親から勉強の手伝いをする必要があった。その反面、成績が安定して常にトップ、塾に行く必要もない私はほっといたら問題ないでしょう。だけど、子供の視点から、こういう無関心は信頼されてるという解釈じゃなかった。むしろこれは嫌われてる証ではないかとずっと思っていた。


だけど、大人になってもこういう無関心の状態が続いていた。仕事でどんなに成功しても、誉め言葉どころか肯定的な一言もなかった。例えば、会社に入ってから8か月で課長に抜擢されても、おめでとうという言葉はなく、聞きたかったのはただ、


「昇給はいくらなの?なんだ、そんなに少ないなの?」


これを聞いた瞬間、私はすごく傷ついた。私の頑張りが見えないじゃなく、ただ何とも思えなかった。


だから、私は他のやり方で母からの愛を求めた。


就職してから、時々母を外へ連れて行って、一緒に美味しいごはんを食べに行くことがあった。家の費用も積極的に負担して、母の経済的負担をなるべく軽くしようと思った。そういうことをして、母からの目から愛情を感じられたらいいと思うけど、実はあまり効果がなかった。それにもかかわらず、私はこういうことをやり続けた。だって他の手段はなかった。


だけど、新卒者の給料はそこまで高くなかった。あまりにも無理をして、カードローンがどんどん膨らんでいた。その借金がバレた時、母の表情から感じたのは、


「あなたもあなたの父と同じだ。」


もちろん、ギャンブルで作った借金じゃないけど、でもこれは自分がやってしまったことなので、どんな理由であろうと自分が悪かった。だから、自分で頑張ってすべての借金を返した。それでも、壊れた信頼関係(そもそもなかったかも)は修復できない状態だった。


親たちの離婚がようやく決まったのは、私が29歳の時だった。よく30年以上我慢したなあと思った、そして家族全員にとってようやくこの地獄から解放されるだろうと思った。母と妹三人で引っ越して、新たな生活を始めようとした。


だが、新しい家を買うには大金が必要で、しばらく賃貸住宅に引っ越すことになった。また、私の悪い癖が出ていた。丁度親たちが離婚する数か月前、私はリストラされて、一定の賠償金をもらった。額はそれほど多くはないが、全部を数か月分の家賃と賃貸契約の保証金に充てた。すぐ、仕事が見つかるだろうと思っていたが、実際のところ次の仕事が決まったのは10か月もかかった。予想もしなかった状況で、貯金もなくなって、またカードで生活費用に充てた。その後も、前と同じように、母の機嫌取りのため、二回目の借金地獄に落ちた。


二回目だから、責められても言い分がなかった。いくら最初は自分のリストラ賠償金を引っ越しや家賃に充てたが、あとのことは自分が悪かった。なので、これでさらに嫌われてもしかたないと思った。


だが、この時点から、家庭内の関係が変わった。


前は母と妹との共通の敵は父だったが、私は今二人の敵になった。


それ以来、母は私を頻繁に非難した。日常的なことで気に入らなかったり、態度が悪いとかで怒ったり、あらゆる理由で私をきつく責めた。最初は我慢するしかなかった。自分が悪いから、また失望させちゃったから、こうされてもしかたなかった。


徐々に、妹も母も同じようなことをして、家ってまた生き地獄になった。


家にいると、笑うことも楽しい表情を見せるのも禁止されてた、


「どこかそんなに面白いの?」

「よくあんなふうに笑ってたね…」


だから、私は家にいる時、自分の感情を抑えてきた。でも、これがまた悪いことになった。


「いつもあんな気に入らないそうな顔をして、不機嫌さを私たちに見せるつもりなの?」


笑うのはダメ、無表情もダメ、泣けばいいの?


「いつも泣いてばかり、自分がいじめられてるという被害者を演じるつもり?」


肉体的な暴力より、こういう精神的な暴力の方がつらかった。


表情管理をしっかりしなきゃ、怒りを抑えなきゃ、きつい言葉を聞かされても反論できなかった。丁度その時期、会社での仕事が大変だったことにも重なって、本当に精神的にも肉体的にも壊れる寸前だった。


そして、ようやく倒れることになった。


(出所:http://www.madreclinic.jp/pm-top/pm-symptom/pm-symptom-22/)

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