掛け軸
その骨董屋は駅に向かう道の途中にあった。
板塀に覆われた古い平屋の手前に置かれた平台の上に『ご自由にお持ちください』と書かれた紙が置いてあった。その辺で拾ったような平たい石が適当に重しにしてある。
ヒビの入った唐津焼、アナログな黒電話機、木の算盤、土産物屋で売っていそうなこけし、売り物にもならないようなガラクタばかりだが、その中の一つに古そうな掛け軸があった。
なんとなく心惹かれて店の中を覗いて声をかける。皺だらけの小さな老人が不愛想に「勝手に見て気に入ったら持ってっていい」と言った。
お言葉に甘えてその古い掛け軸を手に取り、慎重に広げてみる。縦長の本紙の素材は紙のようでいて何か違う手触りがする。
墨と思しきもので描かれているのは二本の石の柱と間に渡された注連縄、縄には紙垂はなく房状の〆の子が下がっている。鳥居にしては常世の長啼き鳥(神鶏)が留まるはずの横木がない。柱の奥には細い獣道が続いていて、鬱蒼とした木々の間に消えていた。作者名も落款印もない。
見ているとざわざわした寒気のようなものが背筋を這い上るのに、なぜだか目が離せない。
「これもらいます」
「……いいのかい?」
勝手に持っていけと言ったくせに、店主は渋い顔をした。私は訝しく思いながらも頷いて掛け軸を自分の鞄に入れた。
「手に負えなかったら返しに来ていい」
「はあ……ありがとうございます…?」
私は老人に頭を下げ、掛け軸を入れた鞄を大事に抱えて歩き出した。お土産を待っているかもしれないすうのことを思い出し、家の近所のコンビニに寄る。何気なく新作の桃のスイーツを二つ手に取りこれにしようと決める。
「ただいま」
卓袱台の端に桃のたっぷり載ったババロアを置き、床の間のある和室に向かう。早速、貰ってきた掛け軸を飾ってみる。見れば見るほど吸い込まれそうな心地になる。ふと誰かに呼ばれた気がして木々の先に消えた小道の奥に目を凝らす。
『……おいで』
すうの声とは違う。声帯から発せられたというより頭の中に直接響くような声に誘われ一歩前に出る。
『おいで』
引っ張られる感覚に頭の中がぐるぐるする。思わずもう一歩踏み出すと、鼻先にふわっと桃の香りが漂った。背中側の裾の辺りを小さな手が引っ張る気配がして我に返る。
-行っちゃ駄目…
-桃…桃たべよ……
すうに促されるまま和室を後にし、ぼんやりしたままプラスチックの蓋を開ける。瑞々しい桃の香りを嗅いでいたら、眩暈が治まってきた。口に含むと爽やかで芳醇な甘みが舌の上に広がる。ババロアの甘さも丁度いい。コンビニスイーツ素晴らしい。舌鼓を打つ私の傍で、どこか咎めるようなすうの声がする。
-玄関なの……行っちゃ駄目…
-返してきなさい……
食べ物のこと以外、滅多なことでは意見などしない怪異が心配そうに何度も言うので、余程のことなのだなあと呑気に考える。
「分かった分かった」
-桃…いっぱい食べて……
食べたい、ではなく、食べて、なのか……。珍しいこともあるものだと思いつつ、桃の菓子の残りをゆっくり味わった。
翌日、掛け軸を返しに行った私に老人は「やっぱり」と言った。不思議に思った私が首を傾げると、老人は掛け軸を抱き締めるように持ち直した。
「なんの絵なんですか?」
「知らんで持ってったんか………こりゃ
「よも……?」
「これはもうしまっとくよ。どうせすぐ戻ってくるしな」
「そうなんですか」
「本人が返しに来たのは初めてだな」
どういう意味だろうと更に首を傾げた私に、老人は皺だらけの顔をくしゃりと歪め、笑みらしきものを浮かべながら店の奥に消えていった。
――――――
【補足の物語】
黄泉の国に行ったイザナミを迎えに行ったイザナギは
お話に登場する掛け軸の絵のモデルは島根県の黄泉比良坂です。
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