狐の嫁入り
陽は出ていて明るいのに、雨が降っていた。昔の人は天気雨を『狐の嫁入り』と呼んでいたそうだ。
晴れているのに雨が降る異様さが、狐に化かされている心地にさせるからだろうか。
父は天気雨が降ると透明のビニール傘をさして庭に出て、雨の雫を透かし見ていた。時折くるくると傘を回しながら笑っていた。父の奇行には慣れっこだった私は、縁側で其れを眺めながら尋ねた事がある。
『何か見えるの?』
『雨の雫が光に透けて綺麗だよ。粒の中に小さな虹がたくさん見える。それに上手くいけばいいものが見える』
『いいもの?』
私は好奇心に駆られサンダルを履いて父の傍に寄り、ビニール越しの空を透かし見た。
だが滑らかな表面を雨粒が光りながら珠のように落ちていくのが見えるだけで特に変わった物は見えなかった。
綺麗は綺麗だが、それだけだ。虹色に光る雫は琥珀糖のようで、私はその時おやつの事しか考えていなかった。
もしかしたら今なら父が言った『いいもの』が見えるかもしれないと、ビニール傘を持って庭に出た。
透明な膜越しに薄ら青い空から降る雫が光の珠を連ねる。やはり変わった物は何も見えない。冗談好きでもある父にからかわれたのだろうか。
「琥珀糖…」
煌めく雫を見ているうちに、砂糖と寒天を煮詰めて乾燥させた不思議な食感のお菓子が無性に食べたくなった。
―こはくとう…
―シャリシャリ…
すうも食べたがっているようだ。私は濡れた傘を開いたまま沓脱石に置いて家に入った。
台所で寒天を溶かし砂糖を加えて煮詰める。バットに入れて粗熱を取る前に食紅を加えてマーブル模様を作る。
冷やし固めて乾燥させ好きな形に砕いたら完成だ。少し時間はかかるが簡単なお菓子だ。
―おめでとう…
彩色した寒天を冷蔵庫に仕舞っていると、縁側の方ですうの声がした。琥珀糖がそんなにめでたいだろうか。
―おめでとう…
台所から開け放たれた縁側を振り返って見ると、さっき置いたままだった濡れた傘越しに、何か小さなものたちが動くのが見えた気がした。
傘の中で動く其れは庭の景色に馴染んでいたが、縁から外れると見えなくなる。隊列を組んで歩くような影達をゆらゆらと光の珠が縁取る。
私は確認の為に縁側に出たが、近付くと其れはすぐに見えなくなってしまった。
狐に化かされたかな。自分の考えに笑いながら傘を閉じて軒先に吊るす。
空を仰ぐと、何時の間にか雨が上がって水色の空に虹が出ていた。
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