控えの間
どうやら私は境界線が曖昧な人間のようで、望むと望まざるとに関わらず、此岸と彼岸の間を行来する存在に好かれてしまう様なのだ。
視えはしないのだが、ぼんやりと意識を漂わせて益体もない事を考えている時は特に、何かが聞こえてくる。
すうに頼まれたコンビニおでんを買って帰らなくちゃと考えながらぼうっと歩いていると、向かい側から何か薄暗い影の様な気配が近付いて来た。
街灯はあるが夜道は昏く、ものの形ははっきりしない。
―こんばんは…
其れは耳元に話し掛けてきた。
高くもなく低くもなく、平坦でのっぺりした声は耳のすぐ近くで聞こえる。
すうに話し掛けられた時に似ているが、あまり良い心地ではないし、独りで話している可笑しな人間だと周りに思われたく無かったので無視する事にした。
両親の遺した家は古い。
飾りのない鉄製の低い門扉を開けると両側に植えられた紅白の椿と玄関先の山椒の低木が出迎える。
どちらも魔除けの意味があると、幼い頃父親が教えてくれたが、こんな襤褸い家に護るものなどあるのだろうかと思ったものだ。
「ただいま」
飛び石を踏んで玄関の引き戸を鍵で開ける。
気紛れな怪異のお出迎えなど期待はしていないが、長年の習慣で声を掛けながら家に入った。
狭い玄関には約二畳の三和土と幅30cm高さ40cm程の上がり框があり、そこに腰掛けて靴を履き替える。
上がり框は障子戸で仕切られ、次の間に行くには其れを開けなくてはいけない。
中には四畳程の小部屋があり、右手側の襖の先は寝室にしている和室、左手側には明かり採りの小窓。
前方にも片側のみの襖があり、右を開けると二階への階段が現れ、左を開けると台所ヘ続く廊下が現れる仕様になっていた。
なんとも無駄な造りだと無知な私は思うのだが、其の小部屋の事を勝手に『控えの間』と呼んでいた。
客人が主への取次を待つ間に滞在する部屋の様な気がしたからだ。
―はいっちゃだめ…
襖を開けて台所へ向かう廊下を歩く私の背後ですうの声がする。
「おでん買って来たけど?」
―はいっちゃだめ…
―かえって…
私に話し掛けている訳ではなさそうなので、そのまま奥へ進む。。
少し冷めてしまったおでんを温めていると、視界の隅に何かの影がよぎる―嬉しそうな気配が伝わる。
―おでん…
―はんぺん…
怪異はふわふわした食べ物も好きな様だ。
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