月夜

 ある美しい月夜の晩、私は開放された霊園を歩いていた。

 

 丸く大きな月の輪郭はぼやけ、溶けた黄色の飴玉のようだ。

 生きている人間の方が余程怖いと考える私は、供養された者達が眠る霊園なら静かに散歩出来ると思い墓石の間を歩いていた。

 実際此処はとても静かだ。


「こんばんは」

 はっきりと声がする。

 見れば墓石の前に寝そべった浮浪者が此方を見ている。

「こんばんは。こんなところで何を?」

「あなたこそ」

 風体こそ浮浪者だが、上品な物言いの男は可笑しそうに笑いながら私に尋ねた。

「此処なら静かに散歩出来ると思って」

「同じですね。此処なら静かに眠れる」


 そのまま突っ立って月を眺めていると、男が言った。

「月が綺麗ですね」

 出逢ったばかりで文豪が訳した『I love you』でもあるまいにと振り向くと、彼は墓石に向かって話しかけていた。

「どなたのお墓ですか?」

「恋人です」

「そうですか。お邪魔でしたね」


 私は男に会釈をしてまた歩き出した。

 頭の中に、『エドガー・アラン・ポオ』の『アナベル・リイ』の詩が浮かんだ。


【For the moon never beams without bringing me dreams

Of the beautiful Annabel Lee】

(月照るなべ 﨟たしアナベル・リイ夢路に入り)


「そぎへに居臥す身のすゑかも…」

 きっと男は天使に嫉妬され身罷った美しい恋人を想い傍らに寄り添っているのだろう。


 私はすうに月見団子でも買って帰ってやろうと思った。


【参照:エドガー・アラン・ポオ『アナベルリイ』日夏耿之介 訳『ポオ詩集』】

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