罪と罰

柊 秘密子

1話

或るところに、男がいた。

もとはとある名家の下人として働いていたものの暇を告げられていたのだが、商才があったのだろう。一文なしに近い状況から一変、男は一代で莫大な富を蓄え、元の主人と肩を並べるほどの富豪となっていた。


男は、全てを手に入れた。

優秀な片腕と呼べる男、絶世の美女と謳われるほどの美貌を持つ妻と四人の妾。金銀宝石、着物の数々。

人々は、その富を求めて男に対して擦り寄るたびに、男は決まって、羅生門の楼で死体の髪を抜いていた老婆の身ぐるみを奪った事を武勇伝として語った。あの時、あいつの着物を奪う勇気を持てなかったら、俺はこんなに成功する事はなかった。俺はあの事をきっかけに、自分の勇気の強さを知ったのだ。と。

そして、人々はあまりの恐ろしさに青ざめた顔で老婆のことを尋ねると、男は決まって豪快に笑い、そんなもの知らないな、というのであった。


そのような事があったからだろうか、男の人間性があまり宜しくはない事もあって、男の周りからは、次第にぽつり、ぽつり、人はいなくなっていった。

残ったのは、男の金で生きるほかない美しい妻と四人の妾。彼女達に産ませた七人の息子と四人の娘。そして人々にどれほど渡しても余るほどの財宝。

男は、いく日も白拍子や遊び女を呼び、妻や妾、しまいには娘達とも交わり、乱れた日々を過ごしていた。


そんなある日。男はとある噂を耳にした。

海の向こうの使者も骨抜きにしてしまうほどの賢さと、舞の美しさ。小川のせせらぎのような美しい歌声を持つ傾国の美女と謳われるほどの遊び女が、男の住む国へと来ているらしい。

是非とも、その女を手込めにしてしまいたい。

男は何人もの男を金で雇い、女の居場所を探り、莫大な金を支払って床を共にする事を許された。

女は噂に違わぬ美しい顔立ちで、象牙のような白い肌、黒曜石のような瞳に絹の髪…そして、豊満で数多の男を夢中にさせるほどの肉体を持ち、小川のような穏やかな声で男に媚びた。

男もまた、数多の男と同様に彼女に夢中になり、いく日もいく日も、たくさんの金を女に貢いでは床を共にするようになっていった。


月が満ちて欠け始める頃、女は例の質問を男に問いかけた。

「ねえ、こんな財宝…あんた一体、どんな事したのさ。殺し?強盗?いや、それだけでもこれ程にはならないでしょう。」

布団がひかれた床で、裸で絡み合ったまま、男はいつものように羅生門での老婆の話をまるで芝居のように語って聞かせた。女の美しい顔が、ほんの少しだけ歪むのにも気がつかないようだった。

そして、男は小さな翡翠の玉がついたかんざしを、女の細い手に握らせた。

「これは、あの羅生門の老婆の懐に入っていたもんだ。着物は全て売っぱらったが、これだけは処分できない。…高価なもんでもないが、お前にやろう」

「……。」

女の手が、翡翠のかんざしを持つ手が震える。

次の瞬間、男の眼球へと鋭いかんざしが突き刺さった。女の細い腕とは思えないほどの力強さで、男の眼球をぐりぐり…ぐり…と、えぐる。

「なぜだ…?」

震える声で、それだけ言うので精一杯であった。

女は、まるで鬼のように目を見開き、興奮で赤く染まった顔を血まみれの空洞になった男の眼窟へと近づけ、見つけた、と呟く。

「あたしはね、今はこんなに落ちぶれちまったが、生まれた頃は貴族の娘だったんだよ。没落して、親も死んで、乳母が育ててくれた。…金もなかったから、あの人は危険な羅生門まで行って、死体から髪を抜き取って…それを二人でかつらにして街で売り捌いてたのさ。」

男は、ハッと息を飲む。すう…と、顔が青白くひんやりとしていくのを女は感じ、とても、愉快だと感じた。

「ある日、乳母は何日も帰ってこなくてね。あたしは羅生門の楼まで見に行ったよ。そしたら身包みを剥がされて、慰み者にされて、切り捨てられてた。あんたも知ってるだろ?老婆なのにだよ。」

だら…だら…と血は流れる。まだだ、まだ殺してはいけないと、女は早る心を押さえて、もう片方の眼球をかんざしでえぐる。

もう、男は何も答える事はなかった。

「あたしも、乳母を襲った男達に無理矢理慰み者にされたよ。まだ9つだった。それから遊び女として売りに出されてこんな人生さ。…辛かった…。」

女の目が、爛々と輝く。

男の護身用であったのだろう。手近にあった細やかな装飾の施された小刀を男の胸へ突き立て、体重をかけ、ゆっくりと…刀身を肉の鞘に沈めていく。

「ああ、でも…諦めないでいてよかった。こんなに幸せな瞬間を、仏様は用意していて下さったんだから。あたしは本当に幸せ者だよ。」

恍惚とした、まるで情事の時のようなうっとりと呟く声を聞きながら、男は絶命した。

彼の生涯は、満たされたものではあったが、賞賛されるようなものではなかった。

逃げ切れると思っていたのだ。その罪の重さに。

そして、捕まってしまって罰を受けた。


男の亡骸を肉付きのよい脚で蹴り、女は裸のまま夜の帳へと消えていった。

翌日、この世のものとは思えないほど美しかった遊び女の遺体が、河から発見されたらしい。

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罪と罰 柊 秘密子 @himiko_miko12

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