第18話本当のわたし

 四角い無機質な部屋の無機質なベッドに横たわる若い女性がいた。

 その若さにそぐわない血色のない肌をした女性を、私は暫くの間観察したのち理解した。

 まるで魂を持たない人形かのようなこの女性が私なんだと。

 そして、止まっていた時間が動き出したかのように、けたたましいアラーム音が病室に鳴り響いた。

 プープー、プープーと人工呼吸器のアラームが鳴り響き、後を追うようにピコン、ピコンとモニターのアラームも鳴り出す。

 急かすような音の重奏が私に選択を迫るようだ。このまま死へと旅立つのか、それとももう一度その弱りきった身体に戻るのかと。


 「やっと、お気づきになられましたね」

 低い声に振り向くといつの間に現れたのだろうか、例の黒いスーツ姿のおじさんが立っていた。

 「……」

 「まあ、良かったですよ。間に合ったのですから。あなた様の場合はご自身で選択可能ですので。お気づきでないまま時間が経ちすぎると後に厄介なことになりますからね」

 「厄介なことって、」

 「ええ、お気づきでないまま体を失ってしまわれると、所謂浮遊霊や地縛霊などのようなものになってしまう恐れがあるのです。そうなると駆逐対象となりますので、私達は事前にそうならないよう魂を回収する役割を担っているのです。それで、あなた様は如何されますか。」

 淡々とした物言いに、私は動揺を隠しながらできるだけ冷静さを装って聞いた。

 「如何とは、具体的にはどのようなことなのですか」

 「だからですね、ご自身の体に戻って生きるのか、それとも死を選ぶのかということです」

 


 主治医はさすがに慣れているのだろうか落ち着いた声でパニック状態の母に言った。

「ご家族の方は外でお待ちください。できるだけのことはしますので」

 通り一遍の言葉に母は私の方を見やると、仕方がないといった表情で医師たちへ頭を下げ病室を出ていった。

 医師たちが救命処置を施していると廊下を走ってくる足音が聞こえる。聞き覚えのある足音だ。

 強く、弱く、強く、弱くと繰り返す音。そう、父の足音だ。

 私がまだ幼い頃に交通事故にあった際に父は私をかばって右足に大けがを負った。その後遺症で右足だけ少しだが動きが悪い。だから、父の足音にはその特徴が出る。その足音はこの室の前で止まった。

 病室内では医師と看護師の連携プレーがなされ、その緊張感のある騒々しさを打ち消すように廊下から父を非難するような母のヒステリックな声が聞こえてきた。その時、主治医はドアの方をみて一瞬だが怪訝な顔をした。

 ほどなく主治医による処置が功を奏したといってよいのか私はまたしても一命をとりとめてしまった。響いていた二重のアラーム音は消えて人工呼吸器のシユーという無機質な動作音だけがその生存を告げているように聞こえる。

 ベッドに横たわる私は先程よりもやや血色を取り戻してはいるようだが口元には呼吸のために挿入された気管チューブがテープで固定され、左鎖骨付近と右腕には点滴が施されている。その様子は良くも悪くもエネルギーに満ち溢れた女子高校生の躰とはかけ離れていて、どちらかというと生気を失った亡骸に近いと感じてしまう。

 「ああ、これが本当の私なんだ」と、横たわる自分の姿を見下ろして再び納得した。

 

 あれは一年ほど前のことだった。

高校二年のあの日は修学旅行の二日目の朝で、宿泊先のホテルからスキー場に向かうため私たちはクラス別にバスに乗り込んだ。

 前日に降った雪はさらさらとしていて朝日に照らされてキラキラと輝きとても美しかったのを覚えている。バスの中はハイテンションな同級生の声で騒がしかった。そんな車内で私は幾度も曇った窓の水滴を手でふき取っては過ぎ去る雪景色に見入っていた。時々風に舞い上がる雪けむり。その景色は幻想的でまるで夢の世界の入り口のように感じた。 

 「あっ、あの先に見えるのがスキー場かな」

 「ほら、リフトっぽいのが」

 「ほんとだ~スキー初めて。誰か教えて~」

 ゲレンデらしきものが視界に入り同級生の声がさらにヒートアップした時だった。

 バスがまるで何かのアトラクションのように急にスピードを上げた。右へ左へと傾きながら悲鳴と共に進み、遂には衝撃音を響かせながら崖下へと回転しながら落ちていった。

 深い意識の底で、サイレンの音が聞こえていた。


 ああ、そうだった…思い出した。


 

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