第2話 朝の庭に咲くばらのような

ハリエットは、クレアが立ち去ったあともしばらくその場に佇んだまま、ぼうっとした心に垂らされた冷たい雫のことを考えていました。


おばあさまから手紙をいただくのは、初めてのことではありませんでした。ハリエットは寄宿舎にいるあいだ、おばあさまからの手紙を何度も受け取っていました。


薔薇色の上等な封筒におさめられたそれは、ハリエットの体を気遣う文面や、屋敷で起きたこと、学業や礼儀作法の大事さについて述べられた、愛情のこもったものでした。時にはささやかな贈り物が添えられ、家族と離れて寄宿するハリエットにとって、寄宿生活を続ける励みにもなぐさめにもなってくれたものでした。


(けれど、これは−)


今までの手紙とはまったく異なるのでした。さわさわとさざめく心のまま、ハリエットは腰を下ろし、手紙をまとめていたリボンをもてあそびました。分厚い紙の束は、ハリエットの膝の上で、開かれるのをおとなしく待っているようでした。


ハリエットのおばあさま−ミセス・グレース・クラレントンは、立派な淑女でした。元はチェスターという貴族の娘でしたが、18歳の時にクラレントン家と縁付き、それから長い間、女主人として家を取り仕切ってきたのでした。


家内のあらゆることにも、社交でも秀でた彼女は、家を内と外からしっかり盛り立て、当時は落ち目だったというクラレントンの名を高めてきたのだと、ハリエットはお父さまやお母さまから聞かされていました。


ハリエットにとっては、いつも優しいばかりのおばあさまでしたが、メイドや家令たちのかしづき方が他の家族とはわずかにちがうことには、早くから気がついていました。


「なぜおばあさまは特別なの?」


そう尋ねたハリエットに、おじいさまは、おばあさまのまわりには常に清々しい風が吹いていて、それをまとってとても美しいからだと仰いました。あの人は朝の庭に咲く薔薇なのだよ、と微笑むおじいさまの膝の上で、幼いハリエットは漠然と、いつかおばあさまのように立派になりたいと思ったのでした。


最期のときも、おばあさまは苦しむ様子も見せずに旅立ちました。息子であるハリエットのお父さまに右手を、ハリエットに左手を握られ、かすかに笑みを浮かべた後、永遠の眠りにつきました。

本当は苦しかったのかもしれません。ですが、それは見せなかったのだろうと、その場にいた全員が思いました。おばあさまは本当に立派な方だったのです。


そんなおばあさまが遺したもの。しかも、ハリエットとクレアにしか託されなかったというこの手紙を、たった15歳のハリエットは、どんな気持ちで受け取ったらよいのでしょうか。


考えあぐねたまま、ハリエットは一番上に積まれた紙に触れました。がさがさとした感触が指先に伝わり、ハリエットの胸の内は一層さわさわと鳴り立ちました。


紙は、三つ折りに畳まれた便箋のようでした。おばあさまがいつも使っていた、イニシャルの透かし模様が入ったものではなく、いかにも安そうな、町の小間物屋で売られていそうな品です。

インクは普段、屋敷で使われているものと同じように見えましたが、やたらに薄い紙の上では所々に滲みを作ってしまっていました。


この大量の紙とインクが一体何を語るのか、ハリエットはいっそ怖いような気持ちになりました。この手紙を読む前と読んだ後で、決定的に何かが違ってしまうような−、少なくとも元の気持ちには戻れないような、そんな予感を抱きました。


(とても、読む気にはなれないわ)


とても落ち着いて読める気がせず、夜会の後にしようかと思いました。けれどハリエットには何か、とても急かされるような思いがありました。今夜の夜会の前に読んでしまわなければいけないような気がしたのです。


ハリエットは細く息を吐くと、そわそわとした気持ちで最初の便箋を広げました。

そこには、このように綴られていました。


「病を得て、やっと自由になる時がきました。近いうちに失われるものですが、そレをもって、私の物語をあなたに書き残すことにしましょう」



































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