第22話 鉄拳の女王と無敗の帝王・前

リングから悠然と降りてきたリョウに、マリアとトエットが駆け寄る。

マリアがリョウの下僕からの貢ぎ物、もとい観客席からの差し入れである、美しいシルクのガウンをリョウへ羽織らせ、トエットがレモン水の入った水筒を差し出した。


「リョウさま、素晴らしい試合でしたわ!」

「とんでもない破壊力でしたね……」


完全にリョウがこのチームのリーダーに見える光景だが、実際のリーダーは一応マリアだ。彼女はここ最近誰より気位の高い女王様がそばにいることと、本人が案外尽くす気質だったことが作用して、対リョウ限定でメイドじみてきている。もう一人のチームメイトが現役メイドなので、それに引っ張られているのだろうか。

リョウのほうは当然という顔をしてベンチへ腰掛け、長い脚を組む。

魔力を大量に消費したことによる体調不良は時間経過によって緩和されるが、こんなに短時間では治らない。つまりリョウの泰然とした態度は完全にやせ我慢である。

二人がそこを指摘しないのは、それほど長い間ではないとはいえ共に過ごし、こういう場面でリョウは労わられるより褒められるほうが喜ぶと察しているからだ。

もちろんリョウも気を使われていることには気付いているが、ありがとうなどとは絶対に言わない。彼女達なりのチームワークはなかなか上手くいっているのであった。

リョウは細い指先でブローチを外し、優雅にマリアへと差し出す。


「さあ、あなたの番よ」

「……はい」


マリアはそれを、真剣な面持ちで受け取った。

戦装束へ留めようとするが、留め金へ触れる指先はかすかに震えていた。

きゅっと眉間にしわを寄せるマリアのかわりに、トエットがブローチを付けてくれる。


「はい、しっかり留まりましたよ」

「あ、ありがとうございます」


リーダーなのに情けない、とちょっとだけ顔を赤くしてへこむマリアを笑って、リョウは足を組み替えた。


「武者震いよね?」

「はえ」

「これから強敵と闘うのだもの。楽しみで仕方がなくって、興奮のあまり指も震えてしまうわよね?」


にこりと微笑むリョウに、ぽかんと口を開けてアホの顔を晒したマリアは、数秒考え込んできゅっと唇を閉じた後、頷いた。


「そうです」


本当のところは全然違う。単にストレスのせいだ。

しかしここでこう言うことに意味があるのだと、マリアは思った。

トエットは引き分け、リョウは勝ち。ここでマリアが負けたとしても、この神前試合はチーム戦としては引き分けだ。

けれど、負けても大丈夫などという気持ちで挑めば一瞬でのまれる相手だと、マリアも理解している。

相手はきわめつけの強者。倒すべき敵。

それを目の前にして、今から始まる戦いに奮い立っているのだと、せめてはったりでも言い切らねばやっていけないと思ったのだ。

そんなマリアに、トエットは楽しげに、リョウは獰猛に笑顔を浮かべた。


「陛下、帝王の歯全部折れるくらい殴ってくるといいですよ」

「そうよ。相手の心が折れるまで根気よく殴りなさい」

「励ましの殺意が高すぎる……」


頑張って勇気を出したマリアの頭上を楽々超えるやる気を見せられ、マリアはさっそくテンションが落ちかけたが、気を取り直して拳を握る。


「いってきます!」


いい加減キャラの濃さにも慣れてきたチームメイトへ、そして観客席でマリアへ声援を送る国民たちへぺこりと頭を下げ、マリアはくるりと踵を返した。

巨大なリングの上へ一歩、踏み出す。

最初はまだ覚悟も何も決まっていないころに、帝王との訓練で。

次は自分の力に自信が持てないまま、予選で。

そして今日は、なけなしの覚悟と勇気を胸に。

決戦の舞台へ、マリアは立った。


「第三試合、イルグリア王国チーム代表、マリア・リュステリア・イルグリア。

エリトラント帝国チーム代表、ハーゲン・バルリンク・エリトラント。

試合開始!」


細い指先が、ぎゅっと握られる。

審判の声がどこか遠いところで鳴る音のように聞こえて、マリアは自分が緊張していることを自覚した。

そのまま一歩、また一歩と、マリアはリングの中央へ足を進める。

反対側からやってくる帝王はさすがに場数を踏んでおり、当然緊張の色などどこにもない。

マリアにはハーゲンが、なんだか自分とは全く違う生物に見えた。

少なくとも一国の主としての出来は、天と地ほどの差があるだろう。勿論自分が地のほうだとマリアは思う。謙遜でも卑下でも卑屈でもなく、マリアとしてはそれが自然な認識というものだと思っている。

威厳ある王であろうというのは無茶かもしれないが、せめて淑女としてはしっかりしようと、マリアは優雅にお辞儀をした。


「先日は稽古をつけていただき、ありがとうございました。無様な姿をお見せしてしまいましたが……」


品よく目を伏せるマリアに、ハーゲンは軽く首を横に振る。


「いや、こちらこそ貴重な体験ができた。無様だなどと謙遜することはないだろう。俺と拳をぶつけ合ってあれだけの被害で済む人間は、そうそういない」


驕りでもなんでもなく、帝王の言葉は事実をそのまま表していた。

正面から殴り合い、戦い慣れたごつごつとした拳と、華奢な少女の拳がぶつかり合ったあの時、マリアはあまりのプレッシャーと恐怖で失神したものの、怪我自体は一つもしていなかった。

戦装束の籠手部分が多少破損はしたが、魔力で強化されていた肉体にはダメージが及ばなかったのだ。

と言ってもハーゲンのほうは、体もそれを覆う白に金を基調とした金属鎧じみた装束もきっちり魔力で保護していたため、かけらも傷つくことなくあの殴り合いを制したのだが。

あの時彼は確信した。この頼りなくふわふわとした少女が、魔力の扱いを覚え、恐怖を押さえ込むだけの覚悟を決め、目の前の敵を打ち倒さんと、それだけを胸に向かってきたのなら。

その時は、恐ろしい敵になるだろうと。

だからハーゲンは、不謹慎にもワクワクした。

王としてなら他国に強敵がいることなど何一つ良いことではないが、根っからの戦士でありすぎて世界有数の強さを手に入れてしまった男としては、強い相手と戦えることは何より喜ばしい。

周辺国家の猛者たちをことごとく殴り倒してきたハーゲンは、マリアを見下ろしながら、その経歴に似合わないすこし子供っぽい微笑みを浮かべた。


「俺の立場としてはこういうことは言わないほうが良いんだろうが……。またきみと戦えることを、嬉しく思う」


照れくさそうな、ちょっとだけきまりの悪そうな表情に、マリアは困ったように眉を八の字にして、唇だけで少し笑った。

はたしてその期待に応えられるものだろうかという不安と、応えられねば今日までの意味がないという覚悟が混じり合って、結果情けない微笑みになったのだ。

マリアは淑やかな仕草でまた一度頭を下げ、爪先まで整えられた手で拳を握り直す。

それを気負いのない動作で胸の前まで上げ、片足を軽く後ろへ。少しだけ重心を下げた姿勢のまま、マリアはその膨大な魔力を意図的に体中へと巡らせた

溢れ出た魔力は体の周囲に青白い火花となって飛び散り、星のようにきらきらと舞い落ちる。

ドレスのような可憐な鎧に身を包み、金糸の髪を靡かせて、マリアは輝くライトグリーンの瞳でハーゲンを見据えた。


「わたくしの牙が貴方に届くほどになったかはわかりませんが……。あのような姿は二度と晒すまいと、誓ってまいりました」


リングを踏みしめるマリアの靴底に、じわじわと魔力の火花が集まり始めた。

無言で拳を構えるハーゲンの周囲にもまた、同じように光が散り始める。

膨大な魔力とそれを運用できるだけの強化技能を備えた者のみが到達するその姿に、観客席は戦いが始まる前から息を飲み、眼前の光景を見つめた。

鋭い呼気と同時に、マリアが床を踏みしめる。

魔力によって強化された体は、砲弾さながらのすさまじい速度で前進した。

マリアが加速による威力の上昇をそのまま拳に乗せて打ち込めば、ハーゲンはそれをものともせずに掌底で相殺して受け止める。

その程度はマリアとて予測していた。こんな素直なストレート、無敗と称えられる相手なら止めて当然だろうと。

だから気にせず、今度は左手での顎を狙ったアッパーを。

それも止められれば、肘を狙ってこちらも掌底打ちを。

幾度も間髪入れずに攻撃を繋げ、防がれ、再び拳を振り上げる。

二人の攻防を目で追えているのは、それぞれのチームメイトと、見ることに特化した特殊な訓練を受けている審判の神官のみだ。

攻防の度に二人の間に魔力の火花と衝撃波が散り、先程まで戦っていたリョウのマシンガンでの銃撃にも似た打撃音が響き渡る。

ほんの数秒の間に行われた無数の打撃の最後に、マリアは左足を軸にハイキックを放った。

魔力を纏わせた渾身の蹴りは彗星のような光の尾をひき、ハーゲンを弾き飛ばす。

ハーゲンはそれを両腕を交差させて受け止めた。

僅かに息が上がっているマリアに比べ、ハーゲンは試合開始時と全く変わった様子がない。


若く試合経験の乏しいマリアの予想以上の動きに、観客席がどっと沸いた。

と言っても、王国民と帝国民ではその心境は全く異なる。

王国民は若き女王の奮戦に喜び、帝国民はといえば、これほど強い相手なら、帝王の素晴らしい戦いが観られるだろうと期待しているのだ。

普段のマリアならここで、自国民への申し訳なさのようなもので胃を痛くし、帝国民にも期待通りになるかはわかりませんすみません、と内心謝っていたところだろう。

しかしいまの彼女には、そんなことを考えている余裕はない。

自らの体内を流れる魔力のコントロール法を身に着け、以前より早さもパワーも身数段上がった。

帝王が同じ技術を身に着けているのは予想通りのことではあったが、それでも。

全ての攻撃を見切られている。

渾身の一撃も難なく受け止められる。


これほどまでに遠いのか。

無敗の帝王とは、やはりこれほど強大な相手なのか。

現実に打ちのめされそうになりながら、マリアは奥歯を噛みしめた。

そんなことは、初めからわかりきっていたことだ。

何度も思い知らされるだろうと覚悟して、このリングに登ってきた。

今更落ち込んでいる暇はない。

そう自分に言い聞かせるマリアに、あー、その、というどこか困ったような声が聞こえた。

この状況に相応しくない気弱そうな声に、マリアは一瞬誰が喋っているのかわからなくなったが、よく考えなくてもそれは目の前のハーゲンに間違いない。

立場と能力と図体に見合わない気後れした喋り方は、しかしよくよく見れば人の良さそうな顔つきのハーゲンらしいものではあった。

なんというか、迷子になってしまったうえに周囲に女子供しかいないせいでどうにも遠慮して声を掛けられず、ほとほと困り果てた後どうにか勇気を振り絞って道を尋ねたような喋り方だなあ。と、うっかり注意力散漫になったマリアは思った。ある意味いつもの彼女のペースが戻ったとも言えるだろう。


「その歳で魔力強化をそれだけ扱えるのは、そしてそれだけ魔力量が多いのは、本当に稀有なことだ。……きみは本当に、いままで戦闘訓練は受けていなかったのか?」

「は、はい。幾度か父や兄の訓練を見学したり、幼いころに父からほんの遊びのような稽古をつけてもらったことくらいならありますが、本格的なものはひと月ほど前からで……」

「そうか……。それならきみは本当に、天才なんだろうな。それがきみの望みに適うかはわからないが」


素直に答えたマリアに、ハーゲンは眉根を寄せながらそう言った。

どこか苦しげな表情に、マリアも一緒になって困ってしまう。

どうしてそんな表情をされるのか、マリアにはさっぱりわからない。

マリアの理解を置き去りに、ハーゲンはひとり頷いて、何かの覚悟を決めたような目をし、マリアを見た。


「俺はいまからきみを倒す」


帝王の宣言に、女王は返す言葉を持たない。

いつものように、アッハイと答えるのはさすがにいかんだろうという自覚くらいは彼女にもあったので。

べつにそんなことわざわざ言わなくても、とマリアが困惑するなか、ハーゲンは再び口を開く。


「倒すと決めている。それが我が国のためだ。

しかし、これほど才能ある戦士が更に技術を身に付けたなら。戦いの中でその拳を磨いたなら。……どう育つのか、見たいという気持ちもある。

だから、そう、これは神の御前に更なるより良い戦いを捧げるための、俺の祈りだと思ってくれればいい」


ハーゲンはそう言って、マリアのほうへと拳を突き出した。

魔力の火花を纏ったそれは、攻撃の意思を持っているようには見えない。

ますます困惑するマリアに、ハーゲンは若干申し訳なさそうにしながら、しかし言葉を止めはしなかった。


「魔力を意図的に体へ循環させる技術を得ると、必要以上の魔力が溢れることによって、体外へ弾き出されたぶんがこうして火花のように散る。

これを、意図的に体内に留める。そうすると魔力の消費が抑えられ、結果的に循環させられる魔力量が増大するんだ。

そうするとどうなるかは、まあ、見ればわかるから実地で学んでほしい」


話しながら、ハーゲンは拳の周りをパチパチと飛び散っていた火花を、教えた通り意図的に体内へ留めていく。

流れだしていたものを無理矢理引き留め、強引に循環の中へ合流させる。

そうするとどうなるかは、たしかに一目瞭然だった。

ハーゲンの体が、青白く光る魔力の膜のようなもので覆われていったのだ。

最初は拳の周囲だけだったそれは、徐々に体中へと広がっていく。

マリアにはこれがどういう作用を及ぼすのかが、すぐにわかった。

というか、先程のリョウとヴィオラの試合をきちんと見ていた人間なら、誰でも理解するだろう。

ヴィオラの召喚したドラゴン、ネーヴェ。

かのドラゴンが身に纏っていた、高速徹甲弾の連射すら耐えきった力場。

あれに近いものが、いや、纏う濃度によってはあれすら超える可能性のある魔力の鎧が、いまハーゲンを覆っているのだ。

瞠目するマリアの前で、ハーゲンは俯いて大きく息をついた。

慣れないお節介を焼き、照れと申し訳なさとこんなことしていいのかなという不安に染まった意識を、戦いのために切り替える。

顔を上げた彼の目には、先程までの人の良さそうな男の名残は残っていない。


「頼む。ここで折れないでくれ」


それは一体どういう意味かと、考える暇は与えられなかった。

一瞬目の前の相手の姿がブレた、と、そう思った次の瞬間には、マリアは目の前に迫ったハーゲンの拳で腹を打たれていた。

呼吸が止まるほどの衝撃。内臓のいくつかが損傷する独特の痛み。

途轍もない速度で弾き飛ばされ、マリアは慌てて体中に魔力を循環させた。

両足で踏ん張ってブレーキをきかせ、横から迫っていた拳を辛うじて腕でガードする。

そのガードごと吹き飛ばされ、腕と肋骨がばきりと音を立ててへし折れた。その切っ先が肺を傷付け、体験したことのない激痛を生み出す。

マリアは思わず動きを止めた。一瞬で治る瞬間的なものとはいえ、痛みは痛みだ。耐えて動けるトエットやロルフ、リョウのような人間のほうが異常とも言えるだろう。

しかしリング上で常人と同じく痛みに怯んでいるマリアに、帝王は容赦をしない。

胸を抑えて俯いた彼女の顔を、ハーゲンは魔力を纏った足で蹴り飛ばした。

直撃した顎の骨が砕け、脳が揺れる。意識が飛びそうなほどの痛みと衝撃がマリアを襲った。

宙を飛んで結界に激突し、マリアはそのまま受け身も取れずにリングへ叩きつけられる。


神経を焼くような痛みと恐怖への防衛反応とストレスで、床へついた腕がガタガタと震えてしまう。

それでもどうにか這いつくばっていた体を起こして立ち上がったのは、意識しての行動ではなかった。

いまマリアを動かしているのは、このまま死ぬわけにはいかない、という生き物としての本能でしかない。

圧倒的な敵、己を殺しかねない脅威。

それを目の前にしたとき、なぜかマリアの本能は敵からの逃亡ではなく、相対を選んでしまう。

普段は怠惰でおっとりふわふわしてすぐに集中力を切らし、ほうっておくと日向ぼっこで一日を終えてしまうような平和な性格をしているのに、その根底がなぜこんなに戦いに肯定的なのか。それはマリア自身にもわからないことだ。

しかし、理解しているかどうかは関係ない。

例えばリョウに連れられて、はじめてモンスターと闘わされた時。

例えばハーゲンとの練習試合で、その恐怖を思い出させられた時。

そして今。帝王にこれ以上ないほど追い詰められて。

彼女の中の、戦いのための本能に火が付いた。


体の強度も、反応速度も、何もかもが足りない。

ではどうするのかという答えだけは、既に示されている。

なにせ目の前の敵が親切に教えてくれたのだから。

ほとんど瞬きもせずに目を大きく開き、マリアはハーゲンを見る。

マリアを攻撃するために近寄ってくるその動きを余さず目に焼き付け、筋肉がどう動くのか、魔力がどれほど精緻に巡らされているのか、そのすべてを見つめて。

目の前に迫る拳を、マリアは見つめたままてのひらで受けた。

ハーゲンはそれに、一瞬躊躇をした。防御しようとした動きではなかったからだ。

しかし勢いのついた拳を完全に止めはせず、そのまま振り抜く。

当然マリアは吹っ飛ばされた。今度は手の骨がぐちゃぐちゃになり、ついでにリングに倒れるときぶつけた頭蓋骨も陥没する。

一瞬で治るとはいえ相当な痛みを感じているはずなのに、マリアにはもう、それを気にしている様子はなかった。


ギリギリまで観察し、手で触れ、感じ取った魔力の流れ。力の使い方。それらを理解し再現できなければ、戦うことすらままならない。

だからマリアは一旦それ以外の感覚と思考全てを捨てた。そうしなければ死ぬと本能が訴えていたからだ。

いま彼女の頭からは、神前試合だとか国民のためだとかチームメイトの励ましがどうだとか、そんなことは全てすっぽ抜けている。

単純なマリアはとんでもない激痛やら恐怖やらをこれでもかと浴びせられ、いま本気で追い詰められているのだ。このままではマジで死ぬと思っているのだ。

勿論そんなことはない。マリアが痛みで失神でもしたなら即座に神官は試合を終了させるだろう。死ぬわきゃないのである。

だというのに、あまりにも負荷に弱い精神と、そこからどうにか立ち上がろうともがけてしまう相反した図太さで、マリアは今まさに、勝手に極限まで追い詰められていた。

そしてそんな性質だからこそ、彼女は己の限界をいつも知らぬ間に超えてしまうのである。


殴り飛ばされ、再びふらりと立ち上がったマリアに、ハーゲンはまた殴りかかった。

まともに戦える状態には見えない、力ない姿勢で、拳すら構えていなかろうと、ハーゲンは手を抜く気は無かった。

自分を見るマリアの目が、まだ死んでいないからだ。

反撃をするでも避けようとするでもなく、しかし負けを宣言することもないマリアに、彼女はなにかを掴もうとしているのだとハーゲンは解釈した。

だから容赦しない。

己の持つ力を、幾度でも叩きつける。

それが彼女の助けになるのだと、ハーゲンは信じている。

ひょっとしたらこの会場内で一番マリアの力を信じているのは、世話係として我が子のように見守ってきたリズでも、女王として慕いチームメイトとして支えてきたトエットでも、その潜在能力の高さを見込んで神前試合のリーダーと決めたリョウでもなく、彼なのかもしれないというほどに。

だから、マリアの目が己の拳の動きを完全に捉えた瞬間、ハーゲンは思わず笑みをこぼした。


ハーゲンが鎖骨を狙って放った拳が迫る中、マリアのいままでだらりと下げられていた細い腕が、明確な意図をもって上げられる。

その体から、電撃のような激しさと眩しさを伴って魔力が放出されたのは、一瞬のことだった。

人間離れした量の魔力が一瞬でその細い体を覆い、青白い輝きを纏わせる。

眼前に迫ったハーゲンの拳を、マリアは軽く掲げたてのひらで、受け止めた。

マリアがこの試合で最初にハーゲンに放った正拳突きを受け止められた時と同じく、ゼロ距離での掌底で威力を相殺したのだ。

地球では寸勁とも呼ばれるその技を、そしてハーゲン自ら講習をした高濃度の魔力による身体強化を、マリアは実戦の中で会得してみせた。

目の前の少女はいま、己と同じステージまで登ってきている。

己へと届きかねない牙を研ぎ、敵として相対している。

その事実を噛みしめて、ハーゲンは静かに笑った。

そうでなくてはいけない。

これだから、戦いは楽しいのだ。

誰よりも強敵との戦いを望み、その並外れた強さのあまり王冠を捧げられた男は、歓喜を胸に拳を構えた。

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