第23話 鉄拳の女王と無敗の帝王・中

マリアとハーゲンが死闘を繰り広げているその頃。

エリトラント帝国の捕虜収容所、という名目のごくごく清潔で快適な宿泊施設で、マリアの父親であるイルグリア王国第七代国王ゴルトファルケ・リュステリア・イルグリアは長い長いため息をついた。

そわそわと室内を歩き回り、時折立ち止まり、そうして再びため息をつく。

母がマリアを出産する際に、分娩室前でうろうろしていたときと全く同じ動きだな。と、息子であるレーヴェ・リュステリア・イルグリアは思った。

若干の懐かしさを感じつつ、レーヴェは落ち着きのない父親に声をかける。


「父上、そううろついたって仕方ないでしょう」

「しかしなあ。今頃試合真っ最中なんだろう? 心配じゃないか」

「そりゃあ心配ですが。けれど大丈夫ですよ。ハーゲン殿は試合相手をいたずらに痛めつけるようなタイプでもないですし」

「そこはお父さんも信頼しているけれどね、でもそういう問題じゃないというか、なんというか」

「まったくもう。マリアに王位を譲ると決めたのは貴方でしょう。もうちょっとどっしり構えたらいかがですか」

「はい……」


マリアを思い起こさせる気の弱さで、元国王は息子に叱られしょんぼりとソファへ座った。

その威厳の欠片もない姿に、今度はレーヴェが深くため息をつく。


「大丈夫ですよ。僕たちはこのざまですが、無事にマリアは即位し、勇者殿を召喚し、頼りになるチームメイトを迎えて頑張っているんですから。ユリーシア家のお嬢さんはあの剣聖相手に引き分け。勇者殿は例の天才魔導士に勝っているんですよ? これは快挙です。きっとマリアも善戦しますよ」


そう諭すレーヴェの情報源は、二人にリラックス用兼娯楽用幻覚魔法をかけるために派遣された帝国の魔導士と、貴人の世話をするためにこの宿泊施設で働いている召使たちだ。

彼らは神前試合会場から帝国へと魔術を使って伝えられた内容を、王国民である二人にも教えてくれているのである。

表向きはネコチャン画像とラノベ系作品ド嵌り人間として振舞っている二人ではあるが、実のところ、これは彼らの策略だった。

と言っても、べつに特別隠し立てする必要のある悪だくみをしているわけではない。

帝国にそれはもう見事に破れ、出場選手も国民も大層悔しい思いをした帝国対王国の最初の神前試合の後、支持率低下間違いなしの王族の行く末を案じた国王は小細工を思いついたのである。

特別込み入った計画ではない。大きく分けて必要なことは二つだけ。

まず最初に自身と王太子の不名誉な噂を流し、あえて王国に戻らず、娘であるマリアを女王として即位させること。

そして彼女にチームを率いらせ、前国王チームは駄目駄目だったけれど、マリア女王は頑張ったよね、と国民に思わせることだ。


前者は本当にスムーズに上手くいった。

なにせ国王は筋金入りの猫好きだったし、王太子は冒険物語フリークだった。ド嵌りするふりなどするまでもなく、素で大歓喜するだけで済んだ。

そのままなんやかんやと言い訳をしながら二人はここへ居座り、事の次第を言い含めた、チームメンバーの残りの一人である将軍だけを国へ帰す。

将軍は国で、限られた重鎮にのみ国王と王太子の真意を伝えた。そしてその提案を受け入れた重鎮たちは、表向きは駄目駄目な二人がどうにもならなかったので、という理由でマリアを即位させるよう議会へ働きかけたのだ。

しかしこれだけでは、今まで一切戦いに関わってこなかったマリアを神前試合のチームリーダーにすることは難しい。

なにせマリアは自分は戦えないと本気で信じていたし、周囲だって、うちの可愛らしくてちょっとぼんやりしているお姫様が選手になるのは無茶すぎる、と考えていたのだから。

いまさら普通にマリアを神前試合に出るよう説得したところで、訓練開始初日におそるおそる教官を攻撃し、反撃を悲鳴を上げながら避けて、やっぱり無理ですと泣いてヘコみ倒すに違いない。なんだかんだでマリアに甘いところのある家臣たちは、それを見てマリアの出場を断念することだろう。マリアの性格と周囲の状況をよく知る家族たちはそう確信していた。

そのため彼らは将軍に、勇者召喚の儀式を行うよう勧めておいたのだ。


勇者召喚魔法陣は、どんな人間を呼び出すのか、あらかじめ条件を決めて絞り込んでおくことができる。

召喚の日、マリアは魔導士たちに「召喚の文言は」と確認をした。

魔導士たちはそれに、「非常に強いこと、この国に快く力を貸してくれる存在であること、本人の要望があれば元の場所へ送り返せること。この三点は特にきっちりと」と答えた。

しかしこの三つしか条件を組み込んでいないなどとは言っていない。

実際には更に、勝利に強いこだわりがあること、押しが強いこと、人に教え導くのが上手いこと。という三つの条件が足されている。

勇者には、周囲の人間の能力値が見える、という魔法が必ず付与される。

呼び出された者は召喚主のマリアを見て、彼女が途轍もない素質を持っていることに気付くだろう。

この条件に当てはまる人物であれば、間違いなくマリアをチームメンバーに選ぶという確信が、ゴルトファルケとレーヴェにはあった。

そして彼らの予想通り、女王マリアは強引な勇者に導かれ、チームリーダーとして戦うことになったのである。


「けれどあの子は本当に戦いに向かない性格をしているからなあ。できればこんなことにはならないで欲しかったよ」


ゴルトファルケはしょんぼりと肩を落とした。ボロ負けした王家の中で、せめて娘だけは国民から好かれていて欲しいと思いこんな事をしたものの、子供に望まぬことを無理にやらせるのは親として心苦しかったのだ。

実のところ二人は、マリアがとんでもない戦士になると、彼女が幼いころから察していた。

まだ十にもならない子供だったころ、王宮の庭で息子に稽古をつけていた父親の元へ、マリアがぽてぽてと寄ってきて見学を始めたことがある。

ぽけっと口を半開きにして大人しくしている娘にゴルトファルケは笑って、面倒を見ているから下がって良いと傍付きに声をかけた。

親子三人水入らずの庭先で、その日ゴルトファルケはマリアに、戯れに体術を教えてみたのだ。

父親のてのひらにちょっとパンチをさせてみるだけのほんのお遊びで、最初はそれこそぺちょと擬音が付きそうな、へにゃへにゃのパンチをマリアは放った。

それを父親が笑いながらフォームを正してやり、お手本として目の前で、空中を的にしてパンチを見せてやる。

するとマリアはほわほわした笑顔を浮かべ、父親の真似をし、えい、と同じように空中を殴ってみせた。

ただし最初とは違い、お手本である父親よりも正しく、美しく、洗練された完璧なフォームで。


当然空気が凍った。

父と息子は目を見合わせ、今度はおそるおそる、マリアに上段蹴りを見せてやる。

そうすると自覚ゼロのド天才ファイターであるマリアは、再び教えを完璧すぎる精度で覚え、再現してみせた。

そのままゴルトファルケとレーヴェが協力し、アッパー、掌底、投げ、その他その場でできるあらゆるお手本を見せるたび、マリアは天賦の才をいかんなく発揮したのである。

一通りやり終えた後、父と息子はそわそわと挙動不審になった。

うちの子が天才だったという興奮と、こんなにコロコロふわふわして可愛らしいマリアに戦いなんて教え込んで良いのだろうかという不安を胸に、お父さんとお兄ちゃんはしゃがんでマリアに視線を合わせる。

ゴルトファルケは娘にプレッシャーを与えないよう、あくまで優しく、慎重に質問をした。


「なあ、マリアや。マリアはお兄ちゃんみたいに、戦うためのお稽古をすることには、興味はあるかなー?」


そう言われ、今以上にふわふわでおっとりしていたマリアは、きょとんと小首を傾げる。


「たたかうの?」

「そうだよお」

「しんぜんじあい、とか、ああいうの? あと兵士さんたちが、悪いモンスターをたおしたり」

「うんうん、そうだよお。そういうお仕事をするための、お勉強だよ」

「や」

「やかぁ……」


このときゴルトファルケは、年々薄くなってきている後頭部に冷や汗をかいていた。こんな才能をみすみす見逃すのはとんでもない損失だという戦士としての思いと、やならしょうがないなあ~、というお父さんとしての思いからくる葛藤ゆえにである。

隣にいるレーヴェもまた、正直こんな才能バリバリウーマンがすぐそばにいるのなら、ちょっと自分と立場を変わってくれないかなと思っていたので、即答の拒否に内心狼狽えていた。彼は王族として恥ずかしくない程度の力量を身に着けるべく頑張っていたが、この時すでに自分はもしかして戦いに向いていないのでは? と薄々察していたのである。

ゴルトファルケは咳払いをし、再びにっこりとマリアに問いかけた。


「ど、どうしてやなんだい? 昔の神前試合のことを書いたご本の読み聞かせなんかは、マリアも好きじゃないか」

「お話は好きだけど……。でもマリアは痛いのがいやだし……」

「うん……」

「たくさんの人の前でたたかうのもやだし……。それに誰かを負かしたり、マリアが負けるのも、どっちもなんだか胸がギュッてなってやだから……」

「そっかあ~~~~~」


ドレスの胸元をちいさなぷにぷにの手でシワが寄るほど握りしめ、暗い表情で切々と語る幼いマリアの姿に、お父さんは深く深く頷いた。横でお兄ちゃんも同じように頷いていた。

マリアの言い分が、二人にはよくわかった。なんなら自分達も正直そう思っていたので。

強さによって選ばれ、その血脈を紡いできたというのに、この国の王族は揃いも揃って人と争うのが苦手だったのだ。

なら仕方がない。

可愛い娘が、妹がそう言うのなら、自分達が頑張るしかない。

父と兄はそう心に決め、幼いマリアがその身の内に秘めた輝かんばかりの才能について、秘密にすると決めたのだった。

才能があることとやりたいことは、必ずしも一致しているわけではない。

それなら本人の気持ちを優先してやろうという、純粋な優しさからくる選択だった。

それにこの時期王国は数十年神前試合がなく、平和で長閑で穏やかな毎日をおくっていたため、そうしたところで問題はないと判断したのだ。

まさかこのしばらく後にご近所の帝国でクーデターが起こり、馬鹿みたいに強い新帝王率いる最強チームが周辺国家に無差別に神前試合を申し込みまくるなんて、この時の彼らには予想できるはずもなかった。

が、結果として、こうなってしまったわけである。

落ち込む父親に、同じく妹だけでも居心地よく過ごして欲しいと思って計画に賛同したお兄ちゃんは、テーブルに置かれたすっかり冷めてしまっている紅茶を飲み干し、はあ、ともう一度ため息をついた。


「もう言っても仕方ありませんよ。それにマリアは正直、素質だけで言えば僕たちの中で一番です」


息子の言葉に、父はうんうんと頷きを返す。


「そうだなあ。一応うちは皆魔力量はあるけれど、全員プレッシャーに弱いし、私はパワーが足りないし、お前はちょっと運動音痴。そしてマリアは素質は十分だけれど、人と争うのが大の苦手」

「母上が生きておられれば、きっと一番お強かったのでしょうが……」

「こんな調子じゃ天国で心配しているだろうなあ……」


二人は揃ってしょんぼりと背中を丸めた。

ここでマリアなら、数秒もすれば茶菓子にでも気を取られてメンタルが復活するところだが、彼女より繊細な神経をしている父と息子は、立ち直るまでにもう少々時間がかかる。

脳内で一頻り反省会をした後、レーヴェは、でも、とぽつりと呟いた。


「聞くところによれば、マリアはチームメンバー達と仲の良い様子だそうで。そこは本当に良かったですね」

「ああ、そうだね。人間関係が良好なのは、喜ばしいことだ」


人に気を使って疲れがちなところのある二人は、うんうんと頷き合った。

一応は捕虜という立場であるが、人畜無害でするりと人の心のうちに潜り込むような性質のあるイルグリア王家は、この場でも複数の情報源を持ち王国の話を仕入れている。

しかしそんな彼らにも、手に入れていない情報があった。

その仲良しチームメンバーである勇者が、たったの二日で政治の中枢を掌握しており、国王とその息子の作戦に勘付いていたということだ。

もっとも、リョウには権力を悪用しようだとか、王国を乗っ取ってやろうなどという意志は勿論ない。彼女は手に入れた人脈と力を、ただただマリアの強化とチームの勝利のために費やしているのだから、知らなくとも害のない情報ではあるだろう。

まさか信じて呼んだ勇者が、見込みのある人間を叩いて叩いて伸ばすのが趣味のドSだなんて、彼らは全く知る由もないのであった。


そんなわけで、立派な勇者様なんだろうと召喚主の家族から信じ込まれているリョウは現在、マリアの試合を見ながら眉間にしわを寄せていた。

その隣では同じ選手用ベンチに座るトエットが、うわあと感嘆とも呆れともとれるため息をつき、帝王の拳を受け止めたマリアを見ている。

トエットは視線を試合から外さないまま、声だけをリョウへと向けた。


「見てくださいよぉ。やっぱうちの女王陛下の成長率、めちゃくちゃですよね。あの調子でどんどん帝王から戦い方を学んでいったら、うっかり勝っちゃうんじゃないですか?」

「まあ無いとは言い切れない展開ね。でも難しいわ」


ピンと張りつめたようなリョウの声に慣れてきたトエットは、自分の意見を否定されても委縮せず、のんびりと首を傾げる。


「えー、そうですかぁ? でも陛下って今までなんにも習ってないのにああなんですよね? そんな人ならとりあえず消耗戦にでも持ち込めば、いいとこ行く気がするんですけど」

「本人はほとんど覚えていないんでしょうけれど、多分小さい頃に基礎は教えられていると思うわよ」

「えっ、マジですか」

「あの子、最初から動きが綺麗だったから。魔力の循環もね。そこに関しては才能ではなく知識の問題だもの。少なくとも家族はマリアの特異性に気付いていたのでしょうね」

「ええ……。それで最低限の教育だけして、あとは放置してたんですか? あれだけ戦えるのに」

「あの性格だもの。こんな事態にならなければ、一生大観衆の前で殴り合いなんてしなかったでしょうよ」

「そりゃそうだ」

「まあそれはさておき。体格で負けても魔力量では負けていないからね。消耗戦に持ち込むのは、勝率の高さで言えばそこそこの良案じゃないかしら」

「ですよね」

「ええ。でも無理よ。今のマリアには」


リョウは人にも己にも厳しい真っ直ぐな目を前へ向け、そう断言した。

リングの上では、常人には動きを目で捕らえることすら難しい、極限の戦いが繰り広げられている。

鋭い攻撃を放ち、紙一重の動きで避け、それが間に合わないのなら同じだけの攻撃をぶつけて相殺する。

そのたび結界内に魔力の衝突による光の奔流が生まれ、発生する衝撃波が空気を揺らした。

トエットもリョウもそれぞれ最高峰の剣士と魔導士ではあるが、もしあの中に参戦しろと言われたら、顰め面をして首を横に振るだろう。彼女達には、あの攻撃の嵐を避けながら、相手を倒せるだけの火力を発揮できないからだ。

身体強化系最高峰と言っていい二人の戦いは速度もパワーも桁違いだが、なにより強靭さに優れている。仮にネーヴェのドラゴンブレスを浴びたとしても、マリアもハーゲンも消し炭になることなく耐えてみせるだろう。

おまけにここは神殿闘技場。肉体に負った傷はすぐに回復してしまう。

この状況で勝つためには、相手の戦意を折るだけの一撃を放つか、魔力切れを待つか、失神させることを目的とした攻撃をする必要がある。

そしてそのどれもが、勝利への強い渇望や、洗練された技術が重要になるものだ。

身体能力や魔力量では同じステージに立っていても、戦いに対する執着も、これまで身に着けてきた技術でも、マリアはハーゲンには到底及ばない。

けれども無理だという言葉とは裏腹に、試合を見るリョウの目に諦めの色はない。

神前試合という戦いの場へ召喚され、その召喚主をリングの上へ強引に引っ張り出した勇者は、ただ静かに少女の背中を見つめていた。

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