第17話 強者の手
その後もリョウによる、マリアを鍛えるための扱きは続いた。
賭け試合への殴り込みと道場破りと合間合間の狂暴なモンスター退治という、暴力まみれの旅路は、リョウの的確なツアーコンダクターっぷりによりつつがなく進んでいき、ついに日程は神前試合2日前となる。
一行は既に最終目的地の宿へ到着し、行きで世話になった老魔導士の親友だという、同じくらいによぼよぼな魔導士に、明日朝一で王城へ送ってもらう手筈となっていた。
この旅で一番負担が大きかったはずのリョウに、どうやって今回の旅程を組んだのかと問えば、裏社会なんてどこも似たようなもの。という回答が返ってきたため、触れちゃいけない匂いを察したマリアはそれ以上の追及を控えている。
少なくともマリア達の経歴に傷がつかないよう、違法闘技場等との話し合いはついているそうなので、滅多なことはあるまい。
ここまでくると、後はきっちり休息を取って体調を整えるのが一番の仕事になる。
そうリョウに言われ、マリアはそこそこにランクの高いホテルのベッドの上で、ふわふわの毛布にくるまって丸くなっていた。
マリアには悩みがある。それも複数。
これは怠惰で呑気でなるようになると生きてきたマリアにとっては、そこそこに珍しい事態だ。
まず第一に、対ニーヴ戦で魔力の扱いを覚え、そこからわかりやすくパワーアップをし、これまでの戦いで経験も増えたとはいえ、いまだにまったくもって帝王に勝てるビジョンが浮かばないということ。
当然これが一番大きい。
強くなっても強くなっても、あの時刻み込まれた恐怖が、マリアをいまだに縮み上がらせるのだ。
だからマリアは、こうして頑張ったんだから負けられない、という気持ちが強くなると同時に、負けちゃったらどうしようという不安も大きくなっていた。
修行に付き合ってくれたリョウにもトエットにも申し訳ないし、ひょっとして女王陛下が勝ってくれるかもしれない、という国民の淡い期待を裏切ってしまったらと思うと胃が痛くなる。
そして、決勝で待つと言っていた帝王。
彼と再び拳を交えた時、その期待を裏切ってしまったら。
そう思うと、マリアは胸の奥がぎゅっと冷たくなるような心地がした。
リョウからその伝言を聞いた時、マリアは正直言って、とても嬉しかった。
それはそうだろう。
なにせ世界中から仰ぎ見られるような選手が、見どころがあると思ってくれたのだから。
マリアだってこの脳筋だらけの世界の住民なので、強い人は格好いい、と思う思考回路がそれなりに存在する。
なりゆきでやることになった、思いのほか才能があったらしいスポーツで、プロ選手から筋が良いと褒められたような、概ねそんな気持ちだったのだ。
だからこそ失望されたらと思うと、なんとも言い難いどんよりした気持ちが胸に生まれてしまう。
これは、リョウにもしも、マリアでは神前試合で勝てないと見放されたらどうしよう、と考える時にも生まれるどんよりだ。
淑女として生きてきて、急にそのレールを別路線に切り替えられ、そこで思いのほか期待をされ褒められて、けれどもしここでコケて脱線してしまったら。
そこから自分は、果たして立ち上がれるだろうか。
そんなふうにマリアは思ってしまう。
そして、マリアは自分の怠惰さとヘタレっぷりに関しては、強さなんかよりもよほど自覚があった。
それから心配なのは、トエットのこともだ。
彼女は剣を振るうことが大好きで、それゆえに色々と極めてしまっている稀有な少女だが、戦うことにはあまり興味がない。
チームメイトになってからマリアは彼女とそれなりに会話をし、人となりを知る機会が増えた。彼女も一応、戦いを観るのは好きだし、強い選手は格好良いと感じるのだそうだ。
けれど、自分が選手になりたいとか、勝ちたいとか、強いやつを倒したいだとか、そういった欲求は薄いのである。
似通ったところのある感性の二人は女王とメイドという立場ではあるが、お互いあまり細かいことを考えない性格も相まって、結構仲が良いのだ。二人そろってリョウに振り回されているという共通点も、連帯感が増す要因なのかもしれない。
とにかくトエットは、別に選手になりたくてなったわけではない。
家のこともあってお金が必要で、しかもリョウに目を付けられたので、流れで国の代表として戦う羽目になった女の子なのだ。
もしも自分が神前試合に負けたなら。そしてチーム自体も敗退したなら。
その時きっとトエットは、とばっちりで周囲からがっかりされる。
嫌な思いをするだろう。別に好きで出場したわけでもないのに。
それを思うと、マリアはますます気が重くなってしまう。
とてもこのままでは眠れそうにないと思ったマリアは、諦めてベッドを降りた。
こういうときマリアは庭に出ることが多い。しかし今夜いるのは自分の王宮ではなくホテルなので、このまま好きに散策するというわけにもいかない。
リョウは一部屋ずつ取ってくれたため話し相手もいないし、かといってもう寝ているかもしれない仲間の部屋へお邪魔するのは気が引ける。
なのでマリアは仕方なしに、部屋についているテラスへと出た。
外は晴れ、テラスにも眼下の見慣れぬ街並みにも、澄んだ月光が降り注いでいる。
少し肌寒い気もしたが、マリアの体はある程度の寒暖差は身体強化によってものともしない。
きちんと磨かれた錬鉄製の柵に、マリアが両肘をついて凭れかかったその時、聞き慣れたのんびりとした声がかけられた。
「あれ、陛下じゃないですかぁ。夜更かし?」
声をかけてきたのは、隣の部屋のトエットだ。
いつもと違って髪を解いている彼女は、2mほど離れた横のテラスから、気軽にひょいとマリアのいるテラスへ飛び移ってきた。
そうして部屋へ勝手に入り、ソファに置かれていた肩掛けを取ってきて、マリアに掛けてくれる。
二人は仲の良いチームメイトだが、マリアは生まれつき人から世話をされる生活に慣れており、トエットはそんなマリアの世話をすることに職業上慣れていたので、こういったやりとりはいつものことだ。
なのでマリアは今日もいつものように、ありがとうございますと礼を言い、それから深々と頭を下げた。
トエットはそんな女王に驚いて肩をがっしり掴み、ぐいんと頭を上げさせる。けっこうな勢いで頭を揺らされたマリアはぐへぇと女王らしからぬ声を上げた。
トエットはそんなマリアの様子には構わず、乱れた髪を直してやる。
「もー、陛下は本当腰が低いですねえ。チームメイトとはいえあたしは部下なんですから、もうちょっと鷹揚に構えててくださいよぉ」
「い、いえ、その。これは肩掛けのお礼というよりは、そう、神前試合に出ることを決めてくださって、本当にありがとうございますという礼でして……」
「いや同じ事ですよ。陛下も知ってますよね? あたしお金欲しさに試合出るんですから、べつにお礼言われるような、感動的だったり、なんかそういうアレはないっすよ」
「ないんすか……」
「砕けた口調似合わないなあ」
実際似合わなかったし、言い慣れないとマリアは思った。
けれどそれを言うなら、戦いだってそうだ。
マリアは自分を戦士だなんて思ったことがない。
迷える女王は少しためらったのち、隣に立つ天才剣士へ質問をした。
「トエットは……、怖くなったり、つらくなったり、しないのですか?」
「んえ?」
「その、戦う時に」
遠慮がちなマリアに、トエットは小首を傾げる。
あのおっかない女王様勇者なリョウ相手にはもうちょっと図太いというか、何も考えていないというか、そういう態度をとっているくせに、この女王様はどうしたって根が控え目であるらしい。
全方位にふてぶてしいトエットは、難儀だろうなと素直に同情した。立場上この先苦労するだろうことは明白だったからだ。
しかし性格とは関係なくマリアは女王だし、チームリーダーだし、それでやっていける能力も持って生まれてしまっている。
トエットはお行儀悪くがしがしと頭を掻き、うーんと唸り声を上げた。
「べつに怖くはないですよ。殴るか殴られるかのやりとりなんて、家柄だの容姿だのでマウント取り合うのに比べれば秒で終わりますから、もう全然ラクです」
「そ、そうですか……」
「殴って解決する問題って時間掛からなくていいですよね。そのへんの適度に顔が良くて安定した職に就いててそこそこ性格が良い男ぶん殴って勝ったら、それで婚約成立すればいいのになーって思いません?」
「そ、ど、それはどうでしょう……?」
「だってあたし考えるの苦手なんですもん」
トエットはかったるそうにテラスの柵に背中を預け、マリアの横顔を見つめた。
金の髪と白い肌、エメラルドのような瞳を月光に照らされるマリアは、まるで女神か妖精のように美しい。これで大抵の狂暴なモンスターを一撃で屠れるのだから、詐欺のような美貌である。
「陛下は怖いんですか?」
そう遠慮なく聞かれて、マリアはおずおずと頷いた。
「はい……。わたくしのような初心者が神前試合に出るなど恐れ多いと思いますし……、それに、期待をかけてくださる皆様の心を裏切るのではないかと……」
「いや大丈夫でしょ」
「えっ」
そこそこに勇気を出した告白を秒で流され、マリアはうつむいていた顔を上げた。
そこにあるのは、何言ってんだこいつと雄弁に語るトエットの表情である。
「陛下ってド素人だし、性格も緩くてインドア派で、美人だけどちょっとパッとしないじゃないですか」
「アッハイ」
「それが意外にめっちゃ強かったから、思ってたより全然凄いじゃん! みたいな期待はありますよ。でもそれって言っちゃえばあれだし、ほら。クジ引いたら一等賞当たるかも! くらいの期待というか」
「そうですね……」
トエットには遠慮も容赦もまるでなかった。彼女の太刀筋と同じく切れ味のいい言葉に、マリアはきゅっと肩をすぼめて小さくなる。
一国のトップらしからぬその姿に、トエットはため息をつく。
「べつにいいじゃないですか。負けても」
そうあっさりと言い切られ、マリアはぽかんと口を開けた。
相手の間抜けヅラに肩をすくめ、トエットはもう一度言う。
「いや、大丈夫ですよ。そりゃ神前試合は大事なことですけど、今回は負けたらゴリゴリにえぐい条件付けて属国にされるってわけでもなさそうですし、死ぬわけでもないし。
怖がんなくたって、勝ったら大喜びして負けたら悔しがって、あとは他の偉い人たちに任せちゃえばいいんですよ。そもそも前王国チームだって負けてるんだから、責任で言ったら半々でしょう」
「で、でも」
「陛下は勝たなきゃ価値がないわけじゃないですよ」
トエットの言葉に、マリアは一瞬息が止まった。
相槌も打てずに固まっているマリアの様子に気付いているのか、いないのか、トエットはだるんと首を傾けて上を向いたまま、ふわ、と小さくあくびをする。
「陛下が覚えてるか分からないけど、あたしが王宮の厨房に配属されたとき、ぽっと出のくせになんで急に王宮勤務にって、ちょっといじめられたんです。
あの時は相手の鼻へし折ってやろうかと思ったもんですけど、でも陛下が気付いてくださって」
「……ありましたわね、そんなことも」
マリアはこくんと頷いた。
確かにマリアは王宮でやたら雑用を押し付けられたり、通りかかるたびに肩をぶつけられたり、地味な嫌がらせを受けているメイドをたまたま発見し、それを傍付きのリズに報告したことがある。
けれどそれは別に正義感だとか上に立つ者の義務だとか、そういった立派なものから来る行動ではない。
単に自分の生活圏である王宮の中に、そういった揉め事を起こす人間がいるのが面倒くさいというか、うへぇと顰め面してしまうような気分になるものだったので、住み心地が良くなるよう改善しただけだ。
「ぶっちゃけあれ、めんどくさい奴が近くにいると嫌だからって理由でしょうけど」
「おっしゃるとおりですわ」
「ですよね。でもあの時あたしは変に同情されたり嫌がられたりせず職場に残れたし、別の部署に飛ばされた先輩メイドについても、理由を邪推されないよう陛下がいろいろ取り計らってたって知ってますよ」
トエットはそう言ってくれるが、それだって別に褒められるような動機ではない、とマリアは思う。
自分の近くで人間関係がギスギスしているのは嫌だし、そこに割って入った結果別の場所でまたギスギスが起きるのも嫌で、事前にそれを阻止しただけだ。
「あたしは刃物の扱い全般めちゃくちゃ得意ですから、宮廷料理の飾り切りなんかはそりゃもう料理長より上手いですし、今の職場は働きやすくていいとこです。
よその職場に行ったメイドも、そっちの仕事が合ってたみたいで今は落ち着いてて、この間偶然会ったときに、あの時は悪かったって詫びられました。まあ軽くボディに一発入れたし高い店奢らせたけど」
「さ、さようでございましたか……」
「大丈夫ですよ手加減したから。なんかあの人、別の人が体調崩したから急に厨房担当になっちゃったけど、仕事が合わなくてしんどかったらしいです。陛下、それ知ってたんでしょ?」
「……たまたまですよ」
マリアは困って、小首を傾げた。
昔からマリアはおっとりしていて呑気だが、そのためか人に警戒されもせず、ぼんやりと空気のように過ごしている少女だった。
だからマリアは通り過ぎていく人の表情や、動きや、そこかしこから聞こえてくる声を、自覚はなくとも優れた目や耳で、よく見聞きしていたのだ。
マリアにとってはそれだけのことで、トエットにとってはそれで十分な、マリアを慕う理由だった。
「あたしあのとき、やっぱり陛下は王族なんだなって思いました。強いとかじゃなくて、人のことを当たり前みたいによく見てて、それで誰かを助けるのに躊躇が無くて、なんだかんだ上手いこと丸く収めちゃうところが。
だからべつにいいと思うんです。負けたって。
陛下は強いところだって長所だけれど、だらだらしてて威圧感が全然無くて、人の懐にするっと入り込んで、そのへんの草むらで昼寝してるころころした犬みたいに平和なところも、立派な長所ですよ」
「わあ、わたくしポメラニアン好きなんです」
「そういうとこだよなあ」
会話に入った犬という単語に思考を全部持って行かれたしょうもないマリアに、トエットはうんうんと頷いた。
べつにトエットとしても大事な話をしている気は無かったので、普段ぼんやりしているマリアが今日もぼんやりしていたところで問題はないのだ。悩み事があっても構わずぼんやりできる図太さのお陰で、彼女はプレッシャーに潰された家族と違い、今日まで健やかに生きてこれたのだろうと思っているから。
トエットは両腕をぐいと上げて背伸びをし、それを下ろす反動で、柵にもたれていた体を起こした。
「じゃ、あたしはもう寝ますんで」
「はい、ゆっくり休んでくださいね」
「陛下も早くベッド入ってください。お腹出して寝ないようにちゃんと毛布被るんですよ」
「はあい」
ここで子ども扱いしないで下さいと怒らないところが、マリアのマリアたる所以である。
言われた通り大人しく部屋に戻り、ベッドの上で毛布にしっかり包まったマリアは、そっと目を閉じた。
負けてはいけないと思っていた。
けれどべつに、負けたっていいらしい。
そう思うとふいに心が軽くなり、マリアは不安の奥にあった自分の心に、ようやく気が付く。
負けられないと思うから気が重かったけれど、自分は本当はそうじゃなく、負けたくないのだ。
もっと言うなら、勝ちたいのだ。
胸の奥にぽつんと生まれた闘志はまだ小さくて、けれどこれまでの戦いの中で、リョウが、トエットが、拳を交えた数々の相手が、そして宿敵たる帝王が、マリアの胸の内に火花のように燃え移らせた闘志だった。
「勝てるのかなあ……」
ぽつりと零した言葉は枕に吸い込まれ、響くことすらなく消えてしまう。
ひとりきりの寝室の中で、慣れない熱を奥底に抱いたまま、マリアはすとんと眠りに落ちた。
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