第16話 搦手デストロイ

えげつない高火力で蹂躙を続ける謎の美女チームは、そのまま順当に決勝戦へと勝ち進んだ。

ここまで対戦相手ほぼ全員を10秒以内に沈めてきたため、トエットとマリアはともかく、リョウは眉間の皺をひと試合ごとに深くしている。

自分好みの叩き甲斐のある対戦相手に当たらないことも彼女の不機嫌の原因だが、一番問題なのは、負けた際のデメリットでマリアを焚きつけようという作戦がうまく機能しないことだ。

マリアのほうもリョウの不機嫌を感じ取り、そっと両手を胸の前で組み、今日ばかりはどうかそこそこの強敵が来てくださいと祈りを捧げていた。強い相手と闘うより、近くに怒ったリョウがいるほうが確実に恐ろしいと感じたからだ。

そんな乙女の決死の祈りが通じたのか、決勝の対戦チームを見たリョウが、ようやく表情を和らげた。お目当ての選手が勝ち上ってきていたのである。


「マリア、あの一番背が低い黒ローブ、あれがリーダーよ。この闘技場で多分一番あなたと相性の悪い選手だから、頑張って勝ってね」

「あら。わたくし、自分より小さいかたと闘うの、初めてですわ」

「そういえばそうね。ま、ほかの二人は適当に倒しておくから」

「あっはい……」


そうして実際雑に決勝チームの一人目と二人目をトエットとリョウが倒し、マリアは満を持して件の黒ローブと闘うことになった。

後ろには負けたら容赦しないという圧のある笑顔を浮かべるリョウ。

前にはそのリョウが一目置いているらしい、謎の黒ローブの選手。

今回こそは苦戦する、いや、あるいは負けるかもしれないんじゃないかと、マリアは試合開始前から痛む胃をさすった。

黒ローブはそんなマリアの様子に呆れたようなため息をつき、フードをぱさりと脱ぐ。

分厚い布の下から現れたのは、長い銀髪の、マリアとさほど変わらない年齢の美少女だった。

これまでむさくるしい男とばかり当たっていたマリアは、相手の予想外の姿に、はわ、と間抜けに息をのむ。

銀髪の少女は肩をすくめ、やれやれと首を横に振った。


「とんでもない剛力の金髪女が勝ち進んでるなんていうから、どんなバケモノが出てくるのかと思いきや、随分呑気そうなひとですねえ」


観客席から絶えず聞こえてくる下品でやかましいヤジを気にも留めず、マリアにマイペースに話しかける少女は、リョウが話を聞きつけてくるだけあって、ここでの戦いに慣れた名物選手だ。

一方、会場の空気にはすでにすっかり慣れたマリアは、その図太さをどうして戦いでは発揮できないのか、不安げな表情を浮かべてぺこりと頭を下げる。


「まあ、よく言われますわ。わたくし、マ……。えーと」

「そんなけったいな仮面を付けてるくらいなんだ。名前は出せないんでしょう。別に構いませんよ。私はニーヴ。覚えなくていいです」

「はぇ、わ、わかりました。ではニーヴさまと呼ばせていただきますわね」

「いいですよ、ただのニーヴで」


こんな場にはそぐわない馬鹿丁寧なマリアに、ニーヴは呆れたという空気を隠しもせず、ただし言葉遣いだけは丁重に返事をしてやった。

といってもニーヴとて外見だけを見れば、観客席で酒瓶がぶん投げられ場外乱闘が勃発しているような闘技場には、まったくもって似合わない可憐な乙女ではある。

ニーヴが若い身空で違法な賭け試合に出場している理由は、彼女の出自にあった。

彼女の家は代々続く由緒正しき魔導士の家系なのだが、数代前の先祖が自国の奔放な王妃に誑かされ、国王の寝所に毒蛇を放って暗殺するという企てに参加してしまったのだ。

おかげで一族は国を追われ、先祖伝来の優秀な召喚術をこうした場で活躍させるようになった。

ニーヴは本家の直系であり、才能ある魔導士なのだが、働かざるもの食うべからずという家のしきたりに則って、武者修行兼シノギとして闘技場の戦士たちをぼこぼこにしているのである。

その期間もそろそろ明けるという時に出くわしたのが、金髪怪力バケモノ美少女飛び入り参加選手である、マリアだ。

まともに戦ったのなら勝ち目のない相手。しかしニーヴは、焦ってはいなかった。


「あんまり女の子相手にこういうの、したくないんですけどねえ」


口ではそう言いながらも、彼女の動きに迷いは無い。

振るわれた杖の動きに合わせ、リングの上にくるりと召喚魔法陣が現れる。

マリアはこれまでの暴力一辺倒の対戦相手とは違う戦い方に、出方を迷って固まってしまった。

ここでリョウやトエットなら、相手が魔法を完成させる前に全力の攻撃を叩きこんでいる。そこがマリアと彼女たちの違いだ。

ゆらりと発光する魔法陣から現れたのは、無数の蛇だった。

赤や紫、蛍光色の緑や黄色といった、いかにも毒々しい色合いをした多種多様な蛇が、瞬く間にリング上を覆い尽くす。


「お゛わーーーーーーーーーーーっ!?」


マリアは思わず絶叫した。最近こういうことが多いので、彼女の喉は順調に鍛えられている。

無人島生活をしたこともある変わり種の女王ではあるが、これだけの蛇の群れに遭遇した経験など、マリアには勿論ない。

パニックに陥った彼女は、その場で地を這うようなローキックを放った。

といっても世界最高峰の攻撃力を誇るマリアの蹴りは、近くの蛇をちょっと蹴とばすなどという結果では終わらない。

とてつもない速度で空気を裂いたつま先が、跳弾のような甲高い音をたて、同時に風圧で周囲一帯の蛇を弾き飛ばした。

直撃した数匹の蛇がミンチになるその勢いに、マリア本人が自分のしでかしたグロ映像によって再び悲鳴を上げる。観客とニーヴも正直ちょっと引いた。


しかし戦い慣れたニーヴにとって、マリアの行動は計算内のものだ。

マリアには自覚がないが、砲弾にも勝るパンチを放てる彼女の体は、ただの毒蛇に噛みつかれた程度では傷ひとつ付かない。

勿論召喚した蛇の中には高い攻撃力を誇る個体もいるが、マリアが攻撃を受けるより、召喚主本人を攻撃すればいいと気付くほうが早いだろう。

だからニーヴは特殊な毒蛇を召喚していた。

マリアが吹き飛ばした蛇の中には、噛みついて毒液を注入せずとも、空気中に揮発させて効果を発揮する種がいたのだ。

破裂した蛇の毒腺の中から、あるいは周囲を蠢く蛇から吐き出された毒が、結界内という密室に充満していく。

身体強化による高い抵抗力を持っているマリアすら侵す毒の霧は、抗体を持つニーヴには当然効かない。

マリアが異常に気付いた時、既に彼女は高濃度の毒を吸い込んでしまっていた。


末端からびりびりと痺れ始めた手足に、マリアは顔色を青くする。

正面突破ができる戦況ではほぼ無敵と言ってもいいマリアは、つまるところ搦手に非常に弱い。

なにせ戦いの経験が乏しいので、こんなときにどう行動すればいいのか、さっぱりわからないのだ。

呼吸や脈拍は正常だが、まるで重石を背負ったかのように体の動きが鈍い。しかも呼吸をするたび毒を吸い込み、重さはどんどん増していく。

生まれて初めての感覚に、たまらずマリアはリングに膝をついた。ちなみにこの闘技場に、ダウンでカウントを取られて負けるなどという生温いルールは存在しない。

途端、遠巻きにしていた蛇たちがしゅるしゅると体をくねらせ、マリアの周囲に集まってくる。


「ひょえ」


マリアは思わず情けない悲鳴を小さく上げたが、それで何かが好転するはずもない。

これまで暴風の如き力で対戦相手を退けてきたマリアの受難に、会場内は沸きに沸いた。

司会の入れ墨男もテーブルを片足で踏みつけ、テンション高く腕を振り上げている。


「さあこれまで圧倒的な実力で敵を下してきた謎の美女チームリーダー、ニーヴの毒蛇によって一気に不利に陥った!

いやー、強い女が苦しんでる姿ってのはセクシーで良いね! まあ苦しめてるのも女なんだけどな。うちの闘技場はこえぇ女ばっかりだよ。

さて罰金は払わないと公言している美女チーム、ここで負ければお望み通り肉食魚プールに直行だ。仮面越しでもわかる美女が三人揃って傷だらけになるのは、紳士な俺としちゃ心が痛むが、ルールはルール。仕方がねえよな! あ、ちなみに見物は別料金になっております」


機会を逃さず金をふんだくろうとする運営に、会場内からブーイングが上がった。どこからともなく酒瓶やらレンガやらが投げつけられるが、司会席は壁と結界で守られているのでびくともしない。

この場で入れ墨男の発言に一番驚いたのはマリアだ。

既に二勝しているのに、いったいなぜここで負けるとチーム全員プール行きなのか。普通に考えれば三戦して二勝一敗なら勝ちである。

マリアが痺れる体をよじってリョウのほうを向けば、腕を組んで観戦していたこの試合の仕掛け人たる彼女は、平然と胸を張った。


「なにせ無理を言って飛び入り参加させてもらったのだもの。ちょっとくらいのハンデを課せられるのは仕方ないでしょう? うちのチームは、リーダーが負けたらチーム全体の負けってことになってるのよ」

「き、聞いてませんが!?」

「今聞いたからいいでしょう」


マリアは唖然とした。

リョウの横のトエットもマジかよという顔を隠そうともしないが、一拍置いてマリアに顔を向け、声を張り上げる。


「いや大丈夫ですよぉ。勝てばいいんですから!」

「そ、そうはおっしゃいますけどぉ!」


そりゃ勝てればなんだって問題無いだろう。勝てれば。

理屈はマリアにだってわかるが、毒は刻一刻と彼女の体を蝕んでいるのだ。

対戦チームの心温まるやりとりに、ニーヴは呑気なものだと苦笑した。


「あー。可哀想だとは思うけれど、まあ、こんなところに来たほうが悪いわよね。

じゃあ、そういうことで」


そう言って、彼女は魔法の杖をついと振る。

再び現れた召喚魔法陣の中から、青白い光を纏って飛び出してきたのは、全長15mはあろうかという大蛇だ。当然ただの蛇ではなく、街の近くに出たなら即座に門を封鎖して討伐軍が編成されるような、筋金入りの狂暴なモンスターである。

これだけ大きいと、動けない華奢なマリアなど、簀巻きにも丸呑みにもできる。どうしようが勝てるという体格差だ。

大蛇が大きな口をがばりと開いて近づいてくるなか、マリアの脳内に浮かんだのは、リョウの顔だった。

リーダーが負ければチーム全員肉食魚だらけのプールに落とされる、という状況で最も大怪我を負う可能性があるのは誰か。

それはチーム内で唯一肉体強化特化型ではなく、魔術主体の複合型であり、防御力が実は一番低いリョウだ。

もちろんそんなことに、リョウ自身が気付いていないはずがない。

彼女はマリアが負ければ大怪我を負った上に辱めを受けるであろう条件を、自ら進んで受けたのだ。

それでマリアが追い詰められ、成長すればそれで良い、と。


負けられない。

マリアは恐怖や立場ゆえの義務からではなく、生まれて初めて己の心の底からの望みとして、そう思った。

その意志に呼応して、毒によって動きの鈍くなった体に、膨大な魔力が循環を始める。

マリアはいままで、その恵まれすぎた身体能力と魔力の多さから、意識してそれらを活用するまでもなく、ただ生存本能に従って拳を振るうだけで勝利してきた。

しかし今は毒によって身体能力が低下している。それならば、魔力によるさらなる強化によって補うしかない。

普段よりも大量に生み出され体中を回る魔力は、そこかしこから火花のような光を放ち始める。

筋肉だけではなく、心臓が、肺が、あらゆる臓器が活性化され、体内の毒素を無力化していく。

ゆっくりと立ち上がり、体中から放電でもしているような光を放ち始めたマリアに、大蛇は口を閉ざして思わず後ずさった。

対戦相手の思わぬ復活に目を見開いてたニーヴは、危険を察し、己のしもべを叱咤する。


「なにをしている! 行け!」


召喚主の命令に従い、大蛇は筋肉の塊である体をくねらせ、捕食者特有の瞬発力でマリアへと襲い掛かった。

毒液を垂らす牙の生えた大きな口が、マリアを丸呑みにしようとした、その瞬間。

会場内のほとんどの人間の目には捉えきれないほどのスピードで、マリアは大蛇の頭の下へと潜り込んでいた。

顎を掌底で叩き上げられ、マリアの何倍も大きな体が空中へと持ち上がる。

それが落ちてくる前に、白く細い指先が、鱗で覆われた暗い緑の尾を掴んだ。

マリアは大蛇をそのまま、風圧によってそこらの蛇の群れが吹き飛ぶほどの速度で、勢いよく振り回した。

冗談のようなその光景に、会場中が声を失う。

咄嗟に姿勢を低くしたお陰で直撃をまぬがれたニーヴもまた、身に纏ったローブを風ではためかせながら、唖然とその様子を見つめていた。

大蛇は最後に振り下ろされ、リングに体を叩きつけられた衝撃で、あっけなく絶命する。

ぜえぜえと肩を揺らして息を吐き、マリアはゆらりと顔を上げた。

垂れた金髪と仮面の奥に見える、宝石のような輝きを放つ視線の鋭さに、ニーヴはひっと悲鳴を上げる。

ゆらりと幽鬼のような足取りで自分へ近づくマリアに、たまらずニーヴは声を上げた。


「し、審判! リタイア! 私の負けよ!」


必死のその訴えに、入れ墨男ははっと目を見開き、拡声器を口元へ当てる。


「勝者、謎の美女チーーーーム!

なんと最後は力業での逆転勝利だ! というかここまで全部力業だったな! こんだけ強くておっかない女は初めて見たぜ!

最高の試合をありがとうよ! 優勝賞金を受け取ったら、なるべく早めに帰ってくれよな!!」


明るく元気に退場を促され、マリアはふへえと息を吐いた。ぱちくりと瞬きをし、逃げるような勢いで去っていったニーヴの背中をぽかんと見送る。

先程大蛇相手にジャイアントスイングをかましてぶち殺した人間とも思えない、気の抜けきった姿だ。

ひとまずマリアは身についた習性からその場で優雅にお辞儀をし、踵を返してリングを降りた。

一応頑張ったけど、これで大丈夫だったかなあ。とほんのり不安に思っているマリアに、まず最初にトエットが無邪気に抱き着く。


「よかったー! いやー、さすがにプールは嫌だったんですよぉ。なんか寒い地域の魚を泳がせてるから冷水らしくって」

「最悪だぁ……」


事前情報以上にひどかったペナルティの内容に、マリアは思わず顔の中心にきゅっと皺を寄せた。

ぶさいくな顔になっているマリアの頭に、無言で近付いてきたリョウがぽんと手を置く。

そのままぐしゃぐしゃと撫でまわされて、マリアはぐらぐら頭を揺らした。

ぐわんぐわんと揺れる視界に文句を言おうとして、マリアは一瞬迷い、それからやっぱり口を噤んだ。

自分を見つめるリョウの視線が、いつもより優しく感じたからだ。


「頑張ったじゃない」

「……はい」

「その調子よ。あなたはまだまだ強くなれる」

「そうだと良いんですけれどねえ……」


この期に及んで自信のないマリアの頬を、リョウは情け容赦なくぐにりと抓る。

いひゃいいひゃいと文句を言うマリアに、にっこりと笑みを浮かべた女王様が、頭突きをせんばかりに顔を近づけた。ちなみにトエットはとっくに逃げている。


「あらあらあら。まあまあまあ。この子ったら本当にしょうのない子ねえ~? 全人類まとめて屠れますって宣言できるようになるまで、私が必ず鍛えてあげるから、覚悟をなさい」

「目指すところが殺伐としすぎている……!」


そんなこんなで少しばかり成長したものの、女王様プレゼンツの武者修行編は、まだまだ続行することになったのである。

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