第15話 チンピラをぶん殴るだけの簡単なおしごと

煤けた天井。薄暗い照明。煙草と酒の匂いの漂う空気。明らかに前科のありそうな面相の人々が、ベンチに腰掛け、あるいは壁にもたれて黙り込む。

午後のおやつを食べていた時の環境から180度変わってしまった現状に、マリアは口元を引き攣らせた。

王国チーム三人は現在、いくつかある選手控室の一室の片隅で、ひっそりと試合開始を待っている。

いや、正確に言うならひっそりしているのはマリアとトエットのみで、リョウはといえば控室に入るなり絡んできた男を徹底的にぶちのめし、椅子にして、堂々と女王様ぶりを発揮していた。

リョウは別に人間を椅子にするのが大好きというわけではないのだが、この部屋のベンチは既に埋まっていたので、彼女曰く仕方なく、手頃な相手に役職を与えたのだ。

おかげで控室内はなんともいえない空気になっているものの、リョウはそのような些事には当然頓着しない。

既にこの場の選手の大半は謎の女王様にビビり散らかしており、戦うまでもなく降伏している。

押し黙る選手たちの、残りの二人はまともな奴なんだろうか? という疑問が籠った視線を浴びながら、マリアは気まずい気持ちを抱えつつ、壁についた謎の赤黒いシミを眺めて時間を潰した。


リョウの提案で参加することとなったこの戦い、ひと試合5分の時間制限のあるトーナメント方式で、王国チームは今回シード枠で入った謎の初参加選手ということになっているらしい。マリアはリョウからそう説明されている。

そのため今回三人は目元を隠すような仮面を付けており、それがまたリョウの女王様感を増しているのだがそれはともかく。

この闘技場は王国からはかなり離れた立地で、後ろ暗い人間御用達の秘匿された場所らしいのだが、そうなるとどうしてそんなものをリョウが知っているのかという疑問が生まれた。

まあ最強女王様ともなれば、篭絡した人間たちから情報を引き出し謎の犯罪組織相手に話を付け、違法な闘技会に参加することもできるのだろう、という妙な納得感もあるが。

シード枠になった理由は簡単で、弱い相手と何度戦っても、マリアの訓練にならないからだ。

敗退した選手は別の場所へ行っているのか、控室は段々と人口密度が減り、リョウの椅子は三試合目で解放されて出ていった。試合開始前から傷だらけだった彼が勝てたかどうかはお察しである。

リョウがごく普通のベンチに腰かけたおかげで若干場の空気が和んだ数分後、やっと呼び出されて試合会場に入ったマリアは、神殿の闘技場とはあまりにもかけ離れた雰囲気に、思わず首をすくめた。


暗くて広い会場の中心に、神前試合のものより幾分狭いリングが用意され、スポットライトに照らされている。

その外周は出入口付きの金網フェンスで囲まれ、これが観客席とリングの間を隔てる結界も兼ねているらしく、魔法の光を薄く纏っている。

観客席から鼓膜が割れんばかりにやかましいヤジと声援が響き、そのほとんどがスラングで、マリアはさっぱり理解できないなりに、おそらくこれはかなり悪い意味の言葉だぞということだけを察した。

観客席の一部には壁で囲まれたスペースがあり、そこにいる全身入れ墨男が、騒音に負けじと拡声器片手に拳を振り上げる。


「さあやってまいりました第四試合! 今回のシード枠は謎の美女チームだ! なんとコイン一枚持たずに参加しているらしいが、この強気がどこまでもつのか、どんな試合を見せてくれるのか、まったくもって興味深い!

会場の野郎どもがどうかは知らねえが、俺は女は黙って殴られるよりも、大男をぶちのめすくらい気の強いほうが好みだぜ! 落とし甲斐があるからな!

それじゃあ試合開始と行こうか!」


こんな場にしてはまあまあ品の良い紹介を受け、げんなりとため息をついたトエットがリングに上がる。

鋼鉄製の棍棒を持った対戦相手がニヤニヤと笑うのを、きっちり編んだ三つ編みを揺らし、トエットは心底面倒くさそうに見上げた。


「このリングって、回復魔法はかかってるんですかぁ?」


かったるそうな口調でそう言うトエットに、彼女より頭一つぶんは背の高い大男は、ゲラゲラと下品な笑い声を浴びせた。


「おう安心しろや。神殿のモンよりは劣るが、延命には長けた魔法だぜ。内臓やら血管を優先的に治してくれる。ま、そのかわり表面の怪我は優先度が下がるからな。顔に傷が残らねえよう祈っとけ」

「ふうん。じゃあ安心しました」


それだけ言うと、トエットは床を強く踏み締めて駆けだした。

観客の殆どと対戦相手に見えていたのは、精々その一歩目の動き程度だろう。

トエットは爆発的な加速で大男に近付き、その勢いのまま蹴り飛ばす。

わけもわからず吹き飛ばされて結界にぶつかり止まった相手を、既にそこまで移動していたトエットは、今度は下から、鞘に納めたままの剣で打ち上げた。

予選でマリアがみせた動きに似せているのはわざとだ。トエットはあの試合のマリアを、なかなか格好良いな、なんて内心で評価していた。

だからそれを踏襲してみようかと考えたのだが、一番やってみたかった剣を掴んでの投げ技は、小柄で手の小さいトエットには再現が難しかったため、それだけが心残りである。

数m飛び成すすべもなく落下した大男が失神しているのを確認して、審判はトエットの勝ちを宣言した。

10秒と掛からず終わった初戦に、戻ってきたトエットの頭をぐいぐい撫でつつ、リョウはため息をつく。


「多少は期待していたのだけれど、ひと試合目はこんなものでしょうね。相手のレベルが低すぎる」


これを主催者のマダムが聞いたなら、そもそもあんたらが規格外なのだと文句を言ったことだろう。

なにせ王国チームは急拵えながらも、世界最高峰の帝国チームを本気で獲りに行くために、負けず嫌いなリョウが選りすぐった天才を集めたチームなのだ。

闇賭博に参加するそこらの有象無象が敵わないのは当然といえた。

とはいえ、今回の狙いはあくまでマリアのメンタル面での強化。

初戦の歯ごたえのなさはリョウとしても想定内のことではある。

会場内の騒音を浴びながら次鋒戦でリングに上がったリョウは、開幕早々アハト・アハトを作り出し、相手からわざとずらした位置へ一発ぶっ放した。

直撃はせずとも衝撃で吹き飛びリングを転がった対戦相手のそばへ、リョウはつまらなそうに近付いて口を開く。


「殺さないで済ます自信がないわ。それでもいいかしら」


半泣きで負けを宣言する対戦相手に、リョウはうんざりと眉をしかめる。弱い相手に勝ったところで楽しくないからだ。

瞬殺続きの美女チームに、会場内はいよいよ大盛り上がりとなる。

毎回トリを飾る羽目になるマリアは、今回も顔を青くしてリングへと上がった。

対戦チームのリーダーであるスキンヘッドの男もまた、ビビり散らかして顔を青くしている。むしろ彼からすれば、どうして相手も青い顔をしているのかがさっぱりわからない。

彼はこの闘技場でそれなりに長く働いているベテランだ。盛り上がるような戦いができる程度に技術がある、いわばプロの選手と言えた。

チームのメンバーはその時々で変わる。今回組んだのは同じようなベテランばかりだったが、結果はこのザマだ。

毎回リーダーとして大将戦に挑む彼は、先に戦った二人よりは力量があり、だからこそ目の前の少女の強さを肌で感じ取ることができた。

まるで素人のような隙しかない立ち姿だが、その体が纏っている魔力量は尋常ではない。

これほどの相手は選手生活の長い彼でも、そう何人も見たことがなかった。

いったいどう戦ったものかと額に冷や汗を浮かべる彼に、まったくそのあたりの機微を理解できていないマリアは小首を傾げる。

相手が微動だにしなくなってしまったが、会場内のヤジが大きくなってきているため、そろそろ戦ったほうが良いのではないかと不安になったのだ。


「あの……、行きますね」


遠慮がちな声と同時に、マリアは動いた。

そのへにゃりと八の字になった困り眉と、いかにも覇気のない話し声とは裏腹に、踏み込んだ足はずしりと腹に響くような重低音の足音を響かせる。

一瞬で10m以上離れた対戦相手のそばへ近付いたマリアは、神速の拳を振りかぶった。

直撃はさせない。

開戦直後は負けたらどうしようとびくびくしていたマリアも、こうして近付いてみれば、相手が自分の動きについて来れていないことを察したからだ。

スキンヘッドの横すれすれを通った拳は、掠っただけで肌を切り裂き、衝撃波で頭を揺らした。

たまらず逃げ出しリングの縁ギリギリまで下がった対戦相手に、先程までとはまた違った悩みを抱えて、マリアは近付く。

勝てはするだろうが、どんな方法で試合に幕を下ろしたものか、迷ったのだ。

恐らく直撃させれば大怪我をさせてしまう。神殿闘技場ならともかく、この闘技場の治癒魔法はどこまで信用できたものだかわからない。


悩んだマリアは、結界魔法の明るい水色の火花を散らしている金網を、とりあえず思い切り殴ってみた。

見た目はやたらキラキラした薄い金網だが、これには当然、観客の安全な観戦を保証できるだけの強靭な魔法がかかっている。違法闘技場は脳筋の多いこの世界ではよくあるものだが、ここはオープンしてからこれまで、試合中に観客が一度もとばっちりで怪我をしたことがないのがウリだ。

その結界が、揺れた。

先程のリョウのアハト・アハトによる砲撃と比べても遜色ない爆音が響き、行き場を失った衝撃が上空へと渦巻いて駆け上る。

会場内が一時声を失うほどの一撃を繰り出してみせたマリアは、これでいいかなあと首を傾げ、目を見開いたまま固まっている対戦相手に、おそるおそる話しかけた。


「あの……、続け、ます?」


相手が首を横に振ったことは言うまでもない。

大人げないほど一方的に戦いを制し、謎の美女チームの一試合目は順調に終了した。

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