第9話 三人目の変人

選手をスカウトするということで、てっきり騎士や魔導士を訪ねに行くのだと思っていたマリアが引きずられていった先は、意外なことに厨房だった。

しかも普段は女王が一切近寄る機会のない、城内で働く職員のための大食堂だ。

お昼ご飯のリクエストでもするのだろうかとマリアが呑気なことを考えていると、リョウはいつもの調子でバタンと景気よく扉を開き、威風堂々と仁王立ちして、厨房の中へ声をかけた。


「トエット・ユリーシアはいるかしら?」


突然やってきた勇者と女王に、当然のことながら厨房内はあっけにとられて二人を見つめた。なんなら今まで歩いてきた廊下でも注目は浴びまくっていたので、いまさらではあるが。

この世界の王族は国民から、貴族とアイドルとスポーツ選手を足して3で割り、敬意を5割差し引いたような感情を持たれている。

なので突然こういった場に現れても、周囲が畏まって跪くなどということはないのだが、とはいえそれなりに驚かれはする。

困惑と興奮に周囲が小さな囁きを交わす中、おそるおそるという顔をして通路を歩き、マリアとリョウの前に現れたのは、チョコレート色の髪を三つ編みにし眼鏡をかけた、小柄なメイドの少女だった。

どこか間延びした、それでもそこそこに優美な仕草で二人に貴族の礼をとった少女は、柔らかな声で二人に話しかけた。


「……トエット・ユリーシアでございます。陛下、勇者様、本日はいったい……」

「ああ、緊張しなくて良いわ。今日はちょっと仕事を頼みに来ただけだから。この後話があるのだけれど、いいかしら?」

「それは、その」


遠慮がちにちらりと後ろを伺うトエットの背中に、厨房の奥からやってきた料理長があわてて声をかけた。


「問題ございません。ユリーシアには臨時でこちらの仕事を手伝ってもらっていましたが、どうぞ、陛下と勇者様のご用件を優先させてください」

「あら、ありがとう」


上司から許可を出され、それをリョウににっこりと受け取られて、頭上でことが決まってしまったトエットは無言で深々とお辞儀をした。

表情こそ大人しいが、メイドの少女に内心不満がありそうだということは、彼女と同じように内心でかったるいなと思いつつも誤魔化す機会の多いマリアにはしっかり伝わっている。が、マリアは勿論そんなことは口に出さない。なんなら共感を覚えていた。


「それじゃ、行くわよ」


ばさりと黒髪をひるがえしてもときた道を戻っていくリョウの後ろに、流れが分からず黙っているマリアと、急なことに黙らざるを得ないトエットが付いていく。

三人は無言のままマリアの暮らす王宮の一角へ移動し、中庭へ出た。

正直言ってこれは自分が付いていく必要があったのだろうかとマリアが疑問を感じる中、リョウが口を開く。ちなみに付いていく必要は全くなかったのだが、そこはリョウもノリでやっていた。


「トエット。帝国との再戦があることは知っているでしょう」

「はい、もちろんでございます」


急に話を振られても、小柄なメイドはあわてず騒がず返事をする。

どこかの女王よりよほど落ち着きのある態度だった。

リョウはそれに頷き、さっそく本題を切り出した。


「あなた、うちのチームで戦いなさい」

「それは……、あのぉ、申し訳ありません、勇者様。わたくしよりも適切な人材がいるかと……」


トエットはだんだんかったるいなという態度を隠さなくなっていたが、それでもさすがに一定の慇懃さは保って返事をする。

兵士でもなんでもない一介のメイドとしては、まったくもって当然の返事だ。

リョウはそんな彼女を超然としたいつもの女王様的視線で見おろしていたが、その横から、マリアがひょこりと女王らしからぬ小動物じみた態度で顔を出した。


「あら、そういえば貴方、見覚えがありますわ。普段はこちらの厨房で働いてくれているかたでしょう? それに、試合にもついて来てくださっていましたわ」


人の上に立つ身分であるマリアは、そのどんくさくぽけっとした性格とは裏腹に、直接顔を合わせた機会のほぼない相手であっても、自分の近くで働いている人間の顔はそれなりに覚えていた。

彼女の記憶は正しい。トエットは普段は、王族などへ出す料理を作る特別厨房で働いているメイドだ。

それがなぜ大食堂の厨房にいたのかといえば、単純に時間が余っていたからである。

なにせ以前は王と王太子とマリアの三人前作る必要があった料理が、今はマリアと勇者の二人分で事足りる。作業量が減ったぶんの時間で、彼女は自主的に仕事を探し、報酬を得ていたのだ。

トエットは深々と頭を下げ、困り顔をして二人を見た。


「ええと、……恐縮でございます」


リョウはそんなトエットの暖簾に腕押し糠に釘な様子に、赤い口紅を塗った唇をにっこりとつり上げて笑う。


「試合についてくる世話係のメイドのなかに、あなたを入れるよう言ったのは私よ。どうしてかわかるかしら?」

「いえ、それは」


わかりません、とトエットが言いかけたその時、リョウの手に、彼女の魔法で生み出された拳銃が握られた。

リョウは迷いなくトエットの眉間に照準を向け、引き金を引く。

放たれた弾丸が小柄なメイドに命中する、その直前。

小さく悲鳴を上げたマリアの視線の先で、トエットはスカートの裾をひるがえし、その場から飛び退っていた。

たった1、2歩離れただけの至近距離からの銃撃を、彼女は瞬時に避けてみせたのだ。

眼鏡の奥から眼光鋭く自分へ視線を向けるトエットに、リョウは嗜虐的な笑みを浮かべる。


「わたくしより適切な人材が、だなんて、随分謙遜するものね。これだけの動きができるくせに?」


リョウの言葉に、トエットはぐっと唇を噛みしめた。一瞬見せた鋭い視線はすぐに元のどこか気だるげなものに戻り、この場をどう切り抜けたものかと視線を泳がせる。

しかし全人類を跪かせそうな勢いで気位の高い女王様勇者たるリョウが、手加減をしてくれるはずがない。

彼女は素晴らしく長い足でカツカツと庭に敷かれたレンガの小道を踏みしめ、立ちすくむトエットのそばへと歩み寄った。


「トエット・ユリーシア。ユリーシア家次女で、現在18歳。行儀見習いのために王城へ働きに来ている。

ユリーシア家の現在の当主はコルト・ユリーシア。あなたのお兄様で、ユリーシア家の長男ね。家族構成は父母と、当主の兄、騎士として王城で働いている次男と三男、他家へ嫁いだ姉がいて、あなたが末娘。

元々騎士を多く輩出している家だけれど、女性騎士の数は少ないわ。あなたも訓練は受けていない。……表向きはね」

「……」


一方的に自分のプロフィールを羅列されるというのは、単純ではあるが、やられてみるとなかなか精神にクるものがある。

若干青い顔をして黙り込んだトエットの顎を指先でクイと持ち上げ、リョウはにっこり微笑んだ。蛇のような笑顔であった。


「けれど私の目は誤魔化せないわ。あなたは独学で研鑽を積んだのでしょう?その動機までは知らない。それでも力量はよくわかる。

その力を見せたくはないの? 強敵と闘う機会は必要ない? このままその素晴らしい技術をしまい込んで、埋もれさせていいのかしら。

試合に連れて行ってよかったわ。あなたという人間をより知れたから。

マリアとの試合での帝王の動きを、あなた、見切っていたわね。

自分ならどう戦うか、考えなかったかしら?」

「い、いえ、そのような」

「あら、シラを切るつもり? 私相手に? へえ、そう」

「わ、わたしは、その、多少は剣術に覚えがございますが、ほんの趣味で身に付けたもので、あの……」

「神前試合の選手へ支払われる報酬がいくらかご存じ?」

「えっ」


唐突にそう問われて、トエットは目をぱちぱちと瞬かせた。

マリアやリョウのように特殊な立場の人間はまた別だが、実のところ神前試合というものはその重要性から、選手へそれなりの好待遇が定められている。

といってもやはり神聖なものではあるために、具体的にいくら貰えるのか、などという俗な話題は普通大っぴらにされるものではない。

が、リョウは当然そんなもの知ったこっちゃない。

彼女はトエットの目の前に、するりと片手を広げてみせた。


「このくらいよ」

「た、単位は」

「十万」

「せ、成功報酬で!?」

「その場合はこの三倍になるわね」

「やらせていただきます!!」


トエットはそれはもうピシリと直角に頭を下げた。

これまでの渋りようはなんだったのかという、それはそれは美しいてのひら返しであった。

なにしろ彼女の生家であるユリーシア家、貧乏なのである。

べつに放蕩三昧をしているというわけではないのだが、単純に領地が少ない。

おかげで姉には結納金を工面できたが、妹のトエットは少々厳しい立場に立たされている。

勿論両親も兄弟もどうにかするために努力してくれてはいるが、トエットは別な手段を考えた。

将来有望な若者が数多く働く王城に勤め、見合い結婚ではなく恋愛結婚をすることにしたのだ。

決して潤沢とは言えない家からの仕送りにはあまり手を付けず貯金をし、王族の厨房で下働きをしつつ、時間があれば大食堂の手伝いで小遣いを稼いでいる彼女にとって、神前試合の報酬は飛びつくほどに大きなものだった。

なにせリョウが提示した金額は、贅沢をしなければ、30年は働かずとも食べていけるだけの額なのだ。

トエットは先程までとは打って変わって、マリアとリョウにいきいきとした満面の笑顔を向けた。


「これからよろしくお願いします!」


そんな彼女に、この場の最高権力者でありながら終始ほぼ台詞すらなかったマリアは、尻込みしつつも笑顔を返す。


「こ、こちらこそ、よろしくお願いしますわね」


どう考えても変わり者のチームメイトである。

しかし、まあ、多分ではあるけれど、勇者よりはマシに違いない。

マリアはそう考えて、いまいち不安の残る未来に対して、どうにかこうにか希望を見出すのであった。

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