第2話 女王と女王様
ふかふかのおふとんのなかで目を覚ましたマリアは、そのままスムーズに二度寝に移行をした。
と思ったところで侍女に掛け布団も毛布も剥ぎ取られ、うぐぐと女王らしからぬ唸り声をあげて、ぎゅっと膝を抱え丸くなる。
しかしながら彼女の怠惰な性質に慣れた侍女は、一切容赦をしてくれない。
今度はマットレスを覆うシーツを剥がしてベッドの端まで転がされ、あともう少しで落下する、というギリギリへ追い詰められたところで、やっとマリアは起き上がった。
眉間にしわを寄せ、しぶしぶという態度を隠そうともしない彼女のそばに、侍女のリズは生真面目な表情で歩み寄る。
「陛下、おはようございます」
「ぅあよます」
「召喚の儀を無事終えられ、本当にようございました。立派でしたわ」
「ぁざます」
「しかしその後二日も寝込むとは、このリズ、大変心配いたしました」
「ぇあ……?」
「まずは身だしなみを整えましょう」
一切頭の働いていないマリアを、リズは問答無用で風呂へぶち込んだ。
彼女は主人の放っておくとダメ人間まっしぐらな性質を熟知しているため、世間体を保たせるためなら多少雑に扱うことも仕方がないと覚悟を決めている、できた侍女なのである。
朝風呂を終えて柔らかな綿の部屋着に着替え、幾分意識をはっきりさせのろのろとテーブルについたマリアは、用意された朝食を食べながらリズの言葉に耳を傾けた。
「まず陛下が召喚なされた勇者様について、基本的な情報を」
「あ、そういえば名前も聞いていませんでしたね」
「はい。お名前はスナハラ・リョウ。ファミリーネームが先にくる文化のようです。お歳は陛下より二つ上の20歳。ご出身の国は貴族制度が廃止されているようですが、言動からして、勇者様は裕福な家のお生まれでしょうね。
どうも魔法の存在しない世界のようなのですが、全体的な発展の度合いとしては、おそらくリョウ様の世界のほうが上かと。といっても一部技術では我が国に劣る点もあります。
ひとまず、たいへん大きく発展した国の、教養のある淑女である、とご理解ください」
「そういうことでしたら、大国の姫君を迎えたという意識でもてなすのが良いでしょうか?」
「ええ、そうですね。事前に決められていたとおり賓客用の離宮に滞在していただき、女中なども既定の数を手配しておりますが、今のところ問題はないようです」
「それはよかった。過去の記録を見ると、食事の用意などもすべて自分で行う勇者様もいらっしゃったようですが、慣れている対応で済むのはこちらとしてはありがたいですね」
「はい。ただ、……少々変わったかたのようでして」
マリアは、普段無表情に一切の情け容赦なく自分の世話をするリズが、ほんの少し言い淀むという珍しい姿を目にして、一抹の不安を胸に抱いた。
もしや召喚魔法がバグでも起こし、全く戦えない人間が呼び出されたのか。
それとも人格面に問題があり、法外な対価を求めてでもいるのか。
どんな問題があったにせよ、自分が解決のためにある程度関わらなければならないのは明白である。なにせ勇者の召喚主は自分なのだから。
そんなふうにまだ告げられてもいないトラブルを想像して、朝から若干どんよりとした気分になったマリアは、手にしていた瀟洒なカップをぐいと傾け、芳しい紅茶を一気に飲み干した。
「問題ありません。変わったかたでも、我が国の命運を託した勇者様ですもの」
「お行儀が悪いですよ」
「あっはい……」
気合を入れるための動作に普通に注意をされ、マリアは肩をすぼめて小さくなった。
彼女は怠惰でおおざっぱな性格をしているが、変なところで小心者なので、日常の中でまっとうなお叱りを受けるたび小さなダメージを受けがちなのである。
そのくせリズに適度に締められなければダルッと緩みっぱなしなので、この関係は、これはこれで上手く行っているといえた。
「まあ、今は小言はよしましょう。
その少々変わった勇者様と、朝食後謁見が予定されています。」
「えっ、あの、その、結局変わっているというのは具体的に言うと……?」
「実際に見たほうが分かりやすいでしょうから」
「ええ……」
あっさり説明を放棄され、煮え切らない気持ちを抱えながら、マリアはしぶしぶ公務の準備をした。
召喚主に会いたいと言い出したのは勇者自身らしく、それにしたって朝イチでとは働き者なのだなとマリアは素直に感心し、次いで自分の性格との差異を思って再び若干げんなりした。
強くて勤勉で、異世界の人間に乞われて召喚されてくれるほどの人格者。
これはもう、弱くて怠惰で消極的なマリアの対義語とすら言える。
まったく気が合うとは思えなかったが、それでも仲良くするのが自分の仕事だと、マリアは気合を入れて謁見の間へ向かった。
マリア自身がどれだけかったるいなと思っていようが、彼女の透明感のある肌も金糸のような美しい髪も、微塵も曇ることはない。服装も豪奢なドレスにティアラと、見た目だけなら十分に美しく女王然としている。
中身がマリアではハリボテの女王としか言いようがないことを、マリア自身が自覚しているが、それはそれ、仕事は仕事だ。
控えの間を通って謁見の間へと入室したマリアは、そこで悠然と足を組んで座る勇者と、椅子になっている大臣を見つけた。
「んっ?」
人生ではじめて目にする光景に、マリアは女王ムーブも忘れて素で首を傾げた。
勇者はタイトな黒いロングドレスに身を包み、その上から宝石を編み込まれた繊細なショールを羽織って、腰まである黒髪を軽くまとめて金色の髪飾りを付けている。
そして床に四つん這いになった、やや鼻息の荒い初老の大臣Aの背中の上に、これが定位置だとでも言わんばかりに堂々と座っているのだ。
あまりのインパクトに認識し損ねていたが、よく見ればその背後には大臣Bと大臣Cがそっと控えていた。交代要員なのだろう。
予想外の出来事に、マリアは脳みそが痺れるような感覚に襲われつつ、これは仕事という自己暗示を己にかけて辛うじて口を動かした。
「ごっ、ごきげんよう」
「ええ、ごきげんよう」
めちゃくちゃ普通に挨拶を返され、マリアのこめかみを冷や汗がつたう。
いったいこれはなんなのか。
普段ねちねちと見合いを勧めてくる大臣たちが無様な人間椅子と化している様子は、若干指さして嘲笑ってやりたい気持ちがしなくもないが、座っているのが特殊なご職業のかたではなく勇者でここが王城だという点があまりにも異質だった。
これは、さては終わったのでは。
マリアはそう思った。
王国の命運を託され召喚された勇者。女王であるマリアよりも女王様然とした彼女は、ほんの数日で王城内の人間の心を掌握したのだろう。
いやさすがにたった二日でここまで篭絡されるのはチョロいにも程があるだろうがと文句を言いたくはあったが、事実は事実である。
対して己は脆弱怠惰お飾り女王。圧倒的なカリスマ性と実力を持つ勇者に、我こそはこの王国の支配者であると宣言され、追放される可能性は、十分あるのではないだろうか。つまりクーデターである。
箱入り娘として育てられてきた己が突如追放され、いち国民として生きていくのは過酷だろうが、正直お飾りとはいえ国家元帥としての重責を背負わされている現状よりは、ちょっとマシなんじゃないかという気がしなくもない。
いいだろう。甘んじて追放を受け入れようではないか。そして小金持ちで顔の良い貴族に一目惚れされて適度に快適なぐうたら生活を手に入れるのだ。
マリアがそう甘ったれきった覚悟を決めていると、勇者は真っ赤なルージュのひかれた唇を上品に笑みの形にし、口を開いた。
「ねえ、女王陛下。私、あなたにとても会いたかったのよ」
「わたっ、わたくしにですか」
直々に追放令を出したかったとか、そういうことだろうか。マリアは噛みつつナチュラルにそう思った。既に気分は元女王である。
しかしながら、マリアを凝視する勇者の視線には、予想外にも悪意はないように見えた。
いや、正確に言うなら嗜虐性はゴリゴリに感じ取れるのだが、それはどこか、お気に入りのおもちゃを見つけたような、あるいは楽しそうなゲームを見つけたような、ある種の期待感を持っているのだ。
マリアとしては、なんかしらんがめちゃくちゃギラギラした目で見られとるやんけ、という程度の解像度でしか勇者の視線の意味を受け取れてはいなかったが、それでもどうやら己の予想はやや外れているのでは? と疑えるだけの熱意が勇者からはうかがえた。
勇者は優雅な動きで立ち上がり、椅子にしていた大臣と椅子予備軍たちを片手を一振りする動作ひとつで追い払う。
ぺこぺこと頭を下げつつ去っていくいい年をした大人達をなるべく見ないようにしつつ、マリアは己に近付いてくる勇者を、なけなしの勇気をふりしぼってきりりと見つめた。
「ええ、女王陛下。私、あなたのことをとても気に入っているの。
それじゃあお話をしましょうか。ふたりっきりで」
「ひえ……」
慣れた手つきで顎を指先でクイと持ち上げられ、マリアはあっさりと表情を崩し、記号で表すのなら><としか言いようのない顔をした。それはそれはお手本のように見事な><であった。
さっきの大臣たちにまじって、シレッと自分も退室しておけばよかった。そしてお部屋で昼食の時間までだらだら過ごし、リズに掃除の邪魔ですなんて言われて庭に追い出されていればよかった。
そう思いつつ、マリアのやべえ勇者との面談は、否応なく開始されたのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます