第24話 外法外道 魘魅畜生の理【会話長文故修正予定】

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 カイムは星空から自身を閉じる事を選んだ。わずかながらも乱れた心を、主人として猟犬へ見せるべきではないと思い、そして何よりも、個人として、見られたく無い思いも強かった。己の猟犬すら拒絶して、個人の精神へ引き籠もる。この戦況ではあまりにも愚策であろう。猟犬を不安にさせる。しかし、主人が何を体感したのか、猟犬へは細やかな輪郭すら、触れられてほしくなかった。そして、主人が抱える情動の痛みすら、共有してほしくなかった。


 ヘルレアの声が心の底に没んでいかなくて――。


 けして擦れない記憶の中から、幾つもの声を捕えられてしまったようで、愛しい言葉が何重にもカイムの心を、鋭利な塵で掻いていった。


 それは、カイムをけして殺さない。ただ、浅く彼を傷付けて、繰り返して、繰り返して、苛み続ける。たとえ傷だらけになっても、そうした自分を見ているだけ。壊れる事が出来なくて、独り夜空に立ち尽くす。


 幸福な記憶が、愛する者が、必ずしも救いと喜びを心にもたらすものとは限らない。カイムの複雑に絡み合った心のあり方には、傷を増やし抉る苦痛しかもたらさなかった。

 

 何よりも痛みを強くするのは、母が子をそのさまを、二人の姿へ確かに見ずにはいられなかったからか。


 そういった愛の形を、死の具現が知り得て、演じる事もいとわなかったからか。


 忌むべき暴虐の王が施す死が、あまりにも、真実の慈愛に満ちていたからか――。


 カイム自身も感じた、死への憧れと安らぎ。


 ヘルレイアという死の王が施す慈しみは、最良の死であり、生命が逃れられない本質的な争いや苦痛から、眠るように永遠の離脱を許してくれる。


 けれども、その慈悲のありようが心を傷付け、また、同じ強さで乱すのだろう。


 考えずとも解る。


 見たく無くても、突き付けられて――、


 その答えなど、とても単純で浅ましい。


 ただ、ヘルレイアへと悪を見出したいだけ。


 カイムは自然と薄く笑む。誰にも気付かれない小さな笑み。その答えは世界蛇と戦う者として、あまりにも身勝手で矛盾していて、滑稽に過ぎよう。子供が抱く、細やかな底意地の悪さに似た、期待。本心から願っているのか、と問われれば、それは違う。ただ、割り切れない。幼稚な愚かさ。


 未だ瞬く心の痛みに意識を澄ます。輝く塵は硝子よりも鋭利で、褪せない記憶が連想によって、浮上が止まらない。あるがままを見ているしかないその世界に、独り居ると、小さな光が青く灯るのを見付けた。


 それは何故かとても眩くて、心を囚えられた。


 ――結局、最後には、あなたの幼い笑顔を、思わずにはいられないのか。


「……もう、手遅れなのかも」カイムは意味も考えず呟く。


 世界は遠く広がり、星が塵よりも強くきらめいた。塵は溺れるほどカイムを取り巻き流れたが、猟犬の囁きに耳を傾ける。猟犬が必至に主人の様子を窺っているのが解る。皆焦って不安に駆られているようで、怯えてすらいるようだ。


 彼らはカイムとジェイドが、何に立ち会ったのか知らない。



 ――すまない、少し考え込んでいたんだ。



 猟犬がカイムの反応に喜んでいる。だが、側に居るチェスカルだけは険しい表情をしていた。


「カイム様、どうかご無理をなさらずに」


 チェスカルは主人に拒絶されて、異変に気付いていたが、何も言わなかった。主人に近過ぎるチェスカルには、何か感じ取れたのかもしれない。それでも彼は、カイムへ何も触れようとはしなかったのだ。


「気にするな。自分の立て直し方くらい心得ている」

 

 猟犬の心は、たぎるようなのに、それでいて弱く脆い――。


 主人との関わりであれば、なおさら繊細にそなえた性質が表れる。けれども、猟犬は主人が側に居て繋がり続ければ、“猟犬”本来の身体能力を発揮出来るものだ。近ければ近いほどいい。具えた激しい闘争心が剥き出しになる。


 “蜂の巣”に居る全ての猟犬が、カイムの様子を間近で窺っている。その心には未だ、労りと不安、恐怖があり、カイムへ淡く吐露していた。主人は優しく背中を叩くような感覚を与えて、接触を許した。


 カイムはエルドへノックすると、まず、ジェイド達の状況を伝える事にした。選んだ方法は、伝達に最も手っ取り早い方法――記憶をそのままを引き出し渡す――そんな、本来プライバシーを著しく侵害しかねない手を取った。そうして、ジェイドから引き出した情報を、して流す。


 ヘルレアの姿は見せられなかった。



 ――巣の一室に外道が侵入したようだが。



 エルドがと、ぽつりと呟いた。何か考えているようだが、カイムは猟犬が集中出来るよう、思考を覗かなかった。



【――奴らは単に、こちらの様子を窺っていただけではなく、そもそも本当に、天使のような格の高い、物質性の低い精神存在しか、今まで侵入させられなかったのかもしれません】



 ――精神存在の外道と言えど、物質的な傾向の強い、単なる喚起召喚体程度では、接触が難しかったということか? だが、護りは落ちたのだろう?



【――未だ侵入を阻止し続けるこの護りは、もう既に術だとは思えません。外界でも人界でもない力が働いて、侵入者を拒んでいるとしか思えないのです。女王蜂の仰りようと、現状をみるに、格が高すぎて把握不能な存在の力によって、“蜂の巣は”支配されているようです。女王蜂は、本当に何もご存知ないのですか】



 カイムは自然、ソファに座る女王蜂へ視線を向ける。それに気付いた女王蜂は、察したようにカイムを見据えた。


「“蜂の巣”の防衛機能は、本当に女王蜂の外界術のみなのですか」


「……正直に申し上げますと、私にも判らないのです。途絶を起こすのは初めてで、私の力が働かなくなった事は、この“蜂の巣”が生まれてから一度もありません。途絶がいったい何を招くのか、前例が存在しないのございます――申し訳ございません。私も多くを語れる立場に無く、お役に立てないばかりに、カイム様方へ更に負担をおかけすることに」


 女王蜂は酷く疲れた様子で俯き、手を膝に落として祈るように組んだ。


 娼館の女性が戦闘の前線間際に立つなど、相当な負担を感じてしまうだろう。しかも、自身の術と異能が一切効果しないという状態も、心理面でのストレスに拍車をかけるのは目に見えている。


 カイムは自然、身に付いた、穏やかな触れ合いの手を、女王蜂の祈る手へと重ねた。


「女王蜂……考えないと言うのは無理でしょう。多くの命がかかっています。主人であるあなたは責任も重い。しかし、こういう時は考え込み過ぎてもいけません。正しい判断が出来なくなってしまう。自分で言うのもなんですが、僕達ほど現状に適任の客はいないと思います――お任せください。そして、共に戦いましょう。あなたは独りではない」


「オリヴァン様がいらっしゃる事を敵方が知っていたのなら、カイム様方がいらっしゃるのも、知っていたのでは……それでは、あまりにも不利に」


 カイムはどうしようもなく、おかしくなって、小さく、と笑った。


「猟犬を甘く見た事を後悔させてやりましょう」


 カイムの表情といえば、傍から見れば、薄く笑んではいる。だが、その目は、笑っていないのが僅かに解る。強い意思と揺るぎ無い自信。ほんのりくらい緑の眼が、更にかげを増したよう。けれども、それは一瞬。いつもの穏やかに緩んだ面差しが、見るものへ親しみを誘う。女王蜂は察せたものか、猟犬は畏れたものか――。


 そうして仏頂面の顔が、更に仏頂面になる。



【――前々から思っていましたが……カイム様は潜在的なの気がありますよね】



 ――他に何か言うことがあるだろう……。



 カイムは女王蜂の手を離した。確かに猟犬ではないのだから、馴れ馴れしくし過ぎたかもしれない。けれども、同衾どうきんして首に縋られ、撫で回した後だと、距離感がおかしくなるのかもしれない。気を付けねば、と。


「隊長も訳知り顔で話すものですが、あの方もかなり鈍いですからね。こういった事の話は鵜呑みにしないでください」


「まあ、確かに……あいつは岩石みたいだからな」


 仏頂面が口の中で、吹き出しそうになる音を飲み込んでいた。一方で女王蜂は、もう、何か察しているような気配があり、カイムやチェスカルの唐突な会話を、聞いても聞かない振りをしていた。


 エルドへ話しを聞かせ続けていたが、長々と迷っていた。



【――正体不明の支配者か……こうなると、もう外法と外道を組み合わせて、形振り構わずに道を造ろうとしているのかもしれません。けがれでもって、支配の手を緩めようと、しているように見えるのです……先程の外道は、死と流血を誘う誓約を交わし、引きずり出されたように感じます。一人でもよかった。だとすれば……、】



 ――穢れ?



【――全ての手引きしたのは……そうか、騙されたのかも】



 ――どうした、エルド。



【――あの、“聖母の盾”共は、騙されて利用されたのでは。術においては、手順というものがとても大切なのです。術の構築に死が必要だからといって、ただ殺せばいいものではなく、迷いない自決を求められる事も珍しくありません。身を捧げる意思というものも、必要とされる……“蜂の巣”への侵入に必要不可欠な存在だった】



 ――“聖母の盾”は利用するには、うってつけの思想を具えていた、か。



【――考えるに、二人は堅牢な“蜂の巣”へ侵入する為に、信徒に数人自決させ、踏台にするような異常な行為をして、潜り込んだ可能性が高い。これが全ての始まりです……二人は組織には知られないように、単独で動いていたつもりだったのでしょう。けれどもそれは、組織の狙い通りだったのです。組織は彼らが“蜂の巣”へ異常な方法で侵入して、迷いなく自決をすると解っていた――オリヴァン殿を救う為に、死と流血をいとわない。正常な精神では無理です】



 ――それで、最低級の天使だったのか……?



 高度な召喚士ならば、最低級の天使は複数招けてもおかしくはない。“聖母の盾”に傾倒する召喚士に命令、誘導をして、あえてオリヴァンに当たるようにしてやればいいだけ。もし、オリヴァンを守ろうとする相手方が現れて、天使を退いたとしても、信徒が複数招けるならば、最終的にはオリヴァンへ当たる。数は保険で、あまりに単純な理屈だ。


 カイムは顔を手で拭って、何とも言えない身体の不快感から考えを離そうと、眼まで手で擦っていた。



 ――そうなると、無理矢理に“蜂の巣”へ侵入して、迷いなく自決する、となる。まさに狂信者だな。勝手に動いた言い訳は判らないが、一つの死を確実に招ける。



【――そうして、を入れたのです。狂気に濁る、死と血の穢れで、“蜂の巣”は汚染されたでしょう。人間が行うような物理的な接触は無理でも、物質性の低い外界術ならば通れます】



 ――聖性傾向が強いものが支配しているのか?



【――おそらく、そうでしょう……女性が流血を伴って亡くなったようですが、このような状況を他の部屋でも複数再現していたとすると、様子を見るに破綻するのもそう遠くはありません。強大な術式を完成させて、既に大規模襲撃を可能になるのも間近と思われます。一気に道が開く……攻め込まれてしまいます】



 ――このまま放置しておけば、人間への対処と、外界術の処理を、同時進行しなければならなくなるか。



【――ここまで出来るとは。組織の規模はかなり大きいものだと思われます。そして何よりも、尋常ではない……化物です。遥か格上の存在を、呪殺しようとしているに等しい。ですから、敵方は更なる犠牲を払っているようにも感じます――これ以上は、もう、俺のような術者には判りかねる世界です】



 カイムはエルドが語る内容については、前々から全ての猟犬へ流していた。そうした状況でカイムは、猟犬が何を考えているか捉えようと、自身の意識を何気なく、一気に全猟犬へと割り振った。瞬間、頭が爆発的な勢いで熱を発して、頭蓋が膨張するような感覚に襲われ、頭を抱える。光が濁流のように押し寄せて、自らの意識を押し流そうとしていた。


 それは思考に囚われ無意識で行った、過ちだった。昔の記憶が、当たり前に出来る行為だと錯覚させた――。


「カイム様! なんという無茶な事を」


 チェスカルがカイムの肩を抱えて支える。カイムは身動きが取れなくて、ソファでうずくまる事しか、出来なかった。


「お体に障りが、何かなされたのですね」


 女王蜂が慌ててカイムの側へ寄り膝を折る。


「何かお力になれるのでは」


「申し訳ない、ご遠慮いたします」チェスカルが渋く首を振る。


「私は、何のお力にもなれないのですね」


「寝所をお借りさせて頂きたいのです」


「それは勿論、お望みのままにお使いくださいませ」


 カイムはチェスカルの力強い手に支えられて、カーテン奥のねやへ連れて行かれる。そのまま楽な体勢に寝かされるが、カイムは光の洪水に溺れそうだった。


 主人は強制的に猟犬から押し返されて、独りになった。

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