第9話 普通という尊さ

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 ヘルレアは革製の大型ヒップバッグを手にした。かなり簡素なデザインで、ヘルレアが以前持っていたバッグよりも更に装飾が無い。ウエストベルトは太く、少々無骨で男性向けのようだ。


 前に身に着けていたバッグの方が、おそらく相当高価なものだったのだろう。


「……造り変えたいものだがな」王が店員の前で無遠慮に呟く。


 カイムは王のそうした独り言に気がそぞろになる。


 王は今も綺紋が使えない。


 そして身体能力も落ちているようだった。


 そのような状態でクシエルや綺士に襲われたら、今度こそ生命はない。


 そもそも、高位にある妖魔の類いですら相対することがあやういのではないか。


 カイムは頭の痛い思いで王を見つめる。


 番いを持たせる事は叶わないのだろうか。


 それで全てが解決するわけではないが、それでも王が生きているだけで世界の在り方は変わるのだ。


 カイムに王の心を動かす事は出来ないのだろうか。


 ならばせめて、と。


 王のり所となれたら。


 生きる場所ではなく、死にいく場所として――。


 ヘルレアが自分で会計を始めてしまい、カイムが慌てて歩み寄る。


「僕に払わせて下さい」


「もう別に払ってもらわなくてもいいけどな」


 王は既に自身の資産を引き出していた。クレジットカード類の再発行申請も済ませているらしい。


 カイムは奇妙な感覚に陥る。


 庶民的と言えば語弊があるが、あまりに人間臭い。人間社会に順応して規範に則り生活する。カイムが知っていた、あるいは戦っていた王はそこにはいない。


 知っている気になっていただけ。


「靴は今履いているのでいい」


 ヘルレアがバッグのバックルを留めながら、片手間に靴を示した。


軍靴ぐんかでいいのですか」


「いい会社とこと取り引きしてるな。履きやすい、くれ」


「それは全く問題ありません。贈らせて頂きます」


「まだ行きたいところがある」


「幾らでもお付き合い致しますよ」


「なら、違法な電子端末を取り扱っているところを教えてくれ」


「なる程、うちでも扱ってますけど」


「そんな紐付けされそうなもの使うわけがないだろう」


 カイムは吹き出した。親が子供に防犯用の端末を持たせる様が思い浮かんだ。


「もういい、端末を貸してくれ」


 カイムがヘルレアへ電子端末を貸すと、ダイヤルを押して通話を待ち始めた。相手はなかなか出ないようだ。王は苛立ち始めて、端末を壊されてしまいそうな雰囲気だ。


「おい、バングレン!」


 カイムは、唖然とした。


 潰し屋バングレン――粗暴な振る舞いをするインテリ。


 ヘルレアが通話するバングレンとやらが、あの男以外だとは思えなかった。


「てめえ、借りは返してもらうぞ。あ、飯だ? そんなの知るか。どうせ臭え飯しか食ってないんだから、どうだっていいだろ」


 一体、ヘルレアとバングレンに何があったのか。カイムなどへ向ける口調より数段酷い言葉使いだ。まるでチンピラが恫喝しているかのように、ドスを利かせた声音までしている。


 ヘルレアが二言三言交わすと、端末をカイムへ投げて寄こした。


「変わってくれとよ」


 カイムは溜息をつく。


『よう、ノヴェクの旦那』


「久しぶりだな、バングレン」


『ヘルレアに会えたようで、これは喜ばしい。いずれ、お花を贈らせていただきますぜ』


「お前はやはり得体がしれないよ」


『何、大したことじゃない。で生きていれば嫌でも打つかっちまう』


「僕等ですら君等とは関わりがたい」


『褒め言葉と受け取っておきますぜ』


「何か話があるのか」


『いや、挨拶をと思いまして。こういうのは人脈が大事なんでさあ。サービスしますので何かありましたら、どうぞお引き立てのほどを――“レグザの光”と“聖母の盾”には、お気を付けて……』


「何だって……」


 ヘルレアがカイムから端末をもぎ取り、切ってしまう。


「もういいだろう、車を呼べ」


 そうした経緯で、買い物をしていた振興の街を離れ、未開発地区へ行く事になった。ヘルレアは如何にも危なげな通りを平気で歩き回ると、慣れた様子で怪しい店へ行き、電子端末を買っていた。


 怪しい買い物を終えると、また街の中心地に戻った。


「結構うろうろしましたね」


「少し休むか。たしか公園があったから、そこでいいな」


 商店の中心地に大きな公園がある。広場には手入れをされた芝が生え揃い、石畳の区画にはベンチが等間隔に設置されている。緑の垣根を背にしてベンチに座った。


 カイムは小さく息をついた。


「もう、疲れたのか。ジェイドは雪山をほとんど眠らずに歩いたぞ」


「戦闘行為前提の任務をこなす、ジェイドと一緒にしないでください。僕、内勤です」


「内勤とは弱いものだな。戦闘力ゼロだ。でも、ステルスハウンドのトップなんだよな。世の中、不思議だ」


「たしかに、王の世界は完全な弱肉強食ですからね。使徒同士ですら食い合いますから」


「あまりヘロヘロしてると、今度こそ本当に食うぞ」


「う、……どうぞ」鳥肌が立つ。


「お前は何を想像した。普通なら怖がるところだぞ。食ってくれなんて、カイムも結構好きだな」


「真顔で言わないでください。さて、次はどこへ行きますか?」


「誤魔化すな。まあ、待て。何か飲み物でも必要ではないか」


「気が付きませんでした。買ってきますね。何がいいですか」


「水でいい」


「お任せください」

 

 カイムは公園内にある自販機で飲み物を買うと、ヘルレアの待つベンチへ戻る。しかし、ヘルレアが一人で居るはずのベンチの前には男が一人いた。


 カイムがひっそりと近付いて行くと、ヘルレアと男が話している。カイムは思わず頭を抱える。薄々あるだろうなと思っていた展開にぶち当たった。


「どうして、ここに独りでいるの?」


「公園で休んでいたんです。お兄さんは私に何かようですか」


 ヘルレアが別人のような口調と、にこやかな態度で喋っている。ヘルレアに話し掛けている男は中々の容貌をしていて、ヘルレアがお兄さんというだけあって、二十代そこそこだろう。


 男がヘルレアの隣に断りもなく座って、馴れ馴れしく近付く。


「独りで寂しそうにしていたから、大丈夫かなって思ったんだ」


「私、とデートしているんですけど」


「本当?」


「ええ、だから独りではないんです」


「ねえ、顔をよく見せて」


「駄目、知らない人に顔を見せてはいけないと、パパに言われているの」


「そうか、残念だな。ねえ、恋人はいつ来るの。そんな人、本当は居ないんじゃない? お兄さんと遊ぼう」


「公園で?」ヘルレアは子供のように無邪気だ。


「もっと楽しいところへ行こうよ……二人で」


 カイムは眉をひそめ……はっと、そんな自分に気が付いて驚いた。カイムはあの男を意外な程不快に感じている。既に猟犬をけしかけたくなってて、不味いと思って思考を払う。本当に猟犬が襲いかかってしまう。


「楽しいところってどこ? お兄さん」


「君が行ったことのないところだよ。天国に行ける」


「天国って本当にあるの?」


 ヘルレアが可愛らしく笑う。


 男がヘルレアへ手を伸ばす。


 カイムは見ていられなくて飛び出した。


「うちのに何かようですか?」


 ヘルレアがあるかないかの微妙な顔をしている。男が驚いていた。


よかった。遅かったじゃない」


 ヘルレアがカイムの元へ掛けて来て背後に隠れる。男は眉を顰めると、逃げるように去って行った。


「一応お聞きしますけど、大丈夫ですか」


「せっかく、恋人待ちあわせ設定にしてやったのに、なんでそこを自らパパ設定にするんだよ」


「あ、そうか、そうですね。滅多に出来ないヘルレアの恋人役が出来たのに、勿体無かったですね」


 二人は改めてベンチに座ると、ペットボトルのキャップをひねる。二人は何となく無言で喉を潤していた。


 王と居ると沈黙を長く引きずる事が多い。共通の話題がないからか、それとも悲しいかな年齢差か、どうにも超え難いものがある。しかし実のところ、その壁が種族差だと言ってしまえば結構楽なのだ。種族を盾に取れば、全ての困難が容認されてしまう。それはある種の怠惰であり拒絶である。


「今更な質問ですが、王はあの様に声を掛けられる事が多いのですか」


「目立たない様にしてはいるが、見ためだけではなく、気配に惹かれて来る連中もいる。おそらく番いを効率的に得る為だろう。いわば、そういう体質だな。あの様な奴等は普通の人間だ。今までも多くいたが何の益体やくたいもない」


「正直に言いますが、僕は王の気配が今でも恐ろしいのです。王を知らないとはいえ、先程の若者がしたようには踏み込めません」


「それはカイムがまともな人間だからだろう。褒めてはいないぞ。常に命で博打しているという意味だから。他人のであれ、自分のであれな」


「それはまともだと言いますか?」


「益体もないのでは価値がない。命を賭けられないのならそいつはゴミだ」


「辛辣ですね」


「本当にそう思うか?」


「思います。いいのですよ、命をかけられず、益体がなくても。それが普通です」


「これがお前達ステルスハウンドが戦って守ったものか?」ヘルレアは明らかにからかいの表情だ。


「無論です。こうして街へ下り喧騒を感じると、戦った意義を感じます。万事が安らかとは言えませんが、それでもこうして日常を滞りなく過ごす人々は尊い。僕に束の間、紛争を忘れさせてくれる」


「本気で答えられるとは思わなかった――先程の馬鹿のような奴でも、命を賭けてまで守ってよかったと思うのか」


 カイムは小さく微笑む。


「是と答えるに、いささかの迷いも覚えません」


「カイムらしいな。お前も普通になりたかったのではないか? 猟犬イヌの首領」


「そうですね、普通か……。僕は多分、今の自分が普通なんです。他の生き方は知らず、別の何かを垣間見る事も出来ない。始まりから終わりまで一本道、引き返せず進むしかない。色々な道があると思った事がありました。でも結局、どれだけ足掻あがいても行き着く先は同じだったのです」


「辛気臭いな」


「他に言いようはありませんか。落ち込みます」


 ヘルレアは肩を振るわせ笑う。


「安心しろ。月並みな言葉だが、どのような道を歩く人間も、最後は死ぬんだ。死の王に任せておけ。苦労した分あの世で一番いい席を取ってやる」


「それはまだ数百年後まで置いておきましょう。僕と王にはまだ仕事がありますから」


「図々しい事だな。私はそんなに生きる気はない。それにしても若者とかいう言い方は止めとけ、余計におっさん臭いぞ」


「いいんです。おっさんですから」


「お前二十才頃から自称おっさんだったんじゃないのか」


「バレましたか」


「お前じゃまだ青いよ。悟った振りをして、すかしているみたいだ」


 ヘルレアが向かい側のベンチに座る青年を見ている。彼は無線イヤフォンを着けて電子端末で何かを見ていた。


「何か見えますか」


「イヤフォンから漏れ聞こえるんだよ。またライブラが話題に上がっている。病死だと。カイム、知っているか? 本当はノイマンのおっさん自殺だったらしい」


 王は唐突に吹き出して、涙を浮かべて笑いだした。その涙は別段悲しいわけではないようで、本当に笑いに誘われた涙のようだった。


 その不謹慎な笑顔は無邪気で幼い。


「世間では病死といわれていましたが。表向きでしょうかね」


「そうだろうな。ああ、馬鹿馬鹿しい。あのおっさんが自殺する程繊細なわけがない。どうせ殺されたんだろう。会長室で拳銃自殺していたとか」


「つまり、世間的には病死、協会内では自殺、けれど王としては他殺を疑っているわけですね」


「そうだ。他殺だとしても相当な手練だろう。あのおっさん人間にしてはよくやるから」


「王はノイマン会長と親しいのですか」


「親しいも何も、あのおっさんが私を捕らえたんだよ。捕まってからも、よく会いに来てた。菓子ばかり持って来て、自分の子供かなにかと勘違いしていたのではないか、というくらいだった」


 カイムは微笑む。ヘルレアの一面だけ見ると確かに土産を持参する気持ちも分からなくはない。


 ただし、今の王へだが。


 当時のヘルレアがどれ程の驚異だったのかは想像を絶する。現在よりも更に本能へと忠実だった無垢な幼蛇ようだ。生まれて数年にしかならないその世界蛇は、既に人を殺める悦びと術をそなえているのだという。あのライブラでさえ精鋭が十数人がかりで死傷者を出して、ようやく拘束出来たのだと聞く。


 おそらくそれも、人だけの力ではない。


「僕にも王へお菓子を持って行く気持ちが分かりますよ。小さな王は、さぞかし愛らしかったでしょうね」


「それはそうだ。この世でたった二人しか持ち得ない美貌は、傾国どころの騒ぎではないからな。その幼蛇とくれば言わずとも知れている」


「王が言うと全く自画自賛の驕りでないところが恐ろしい」


「カイムだったら幼蛇の私に、直ぐ惚れているところだ」


「僕にそういう趣味はありません」


「本当か? ならばどのような女が好みなんだ」


「いきなり言われましても。元気な子ですかね?」


「エマか」ヘルレアは小さく吹いた。


「何を仰るんですか。エマは関係ありません。でしたら王はどのような方がお好みですか」


「ノイマンのおっさん」


「ノイマン会長は確か五十代くらいでいらっしゃったのでは。もしかして、王は世に言う年上好きという方ですか」


「ああ、昔から側におっさん、おばさん、ばかり居たからな」悪戯っぽく笑った。

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