第8話 一時の休息を
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居間の扉がノックされると、マツダが入って来た。その手には市街戦用迷彩の軍用服を持っている。
「お言付けなされていた、お洋服のご用意ができました」
「ご苦労、マツダ。ヘルレア、これをどうぞ」
「どこに戦闘行為をさせにいく気だ」
「館で潤沢にあるのは、この戦闘服だけなのですよ。サイズも豊富ですし丈夫なので結構良いですよ」
「合理的だが納得いかない」
ヘルレアはしぶしぶといたようにマツダから戦闘服を受け取った。マツダは丁寧にお辞儀をしてから居間を去った。ヘルレアがいるので、あまり人を入れないようにしているのだ。
正直なところ王にどのような服を当てがっていいのか分からなかったのだ。男でも女でもない王に、職員から借り受ける、どちらかの性に偏った服を用意するのは抵抗があった。それにヘルレアは小柄な成人女性くらいの体格があるので、どちらかと言うと、カイムなどが貸すよりも女性職員に借りた方がいい事になってしまう。
ヘルレアはカイムがいる前で堂々と服を着替え始め、ジェイドのジャケットをはだき落とした。腹部にはもう傷はない。そのまま下へも手を掛けた。
カイムは後ろを向いた。
「別に男でも女でもないのだからいいだろ」
「マナーという事で」
「お前はそのうち、この身体を抱くかもしれないんだぞ。今、見てみるか」
「嬉しいお言葉ですが、からかわないでください」
「こちらを向いても構わない」
ヘルレアは瞬く間に、灰色を基調とした市街戦用戦闘服に着替え終わっていた。王はやはり何を着ても似合う。現代の戦神を彷彿とさせる。それも中性の幼い顔立ちが、驚く程戦闘服に馴染んでいるのだ。
「本当にこの姿で街に行くのか。ミリオタみたいだな」
「本物ですからお気になさらずに」
「よけいにまずいじゃないか」
「麓の街に居る人々はステルスハウンドを民間軍事会社だと認識しているのです。ですから、迷彩服で兵士が街を歩いても誰も気にしていません。現に兵士は迷彩服で、日常的に街へ出歩いていますよ」
ヘルレアは一つに括りあげていた髪を解くと、編み込み始めた。その手先は器用で、長い髪をするすると編んでいくその手は、糸を紡ぐ乙女のようだ。編み上げると残った部分を頭に巻き付け、丁度、冠のように仕上げた。最初に出会った時のヘルレアだ。
「女性職員からストールを借りてきました。はい、あとはマスクとサングラス」
「何だこの変質者は」
「王は目立つので変装を、と思いまして」
「本気で言っているのか」
「何がですか?」
「お前やはり天然だな。ストールは良いだろう借りていく、後は却下だ」
「それは残念です。結構頭を悩ませたので」
ストールを頭に被り、口元まで布を引き上げたヘルレアは、本当に紛争地帯にいる子供兵士の状態で、よけいに美しさが際立った。何故かこのヘルレアを人々に晒すのは気が引けた。
「どうした、カイム。行くのではないのか」
カイムとヘルレアは、麓の街へ買い物に行く事になっている。ヘルレアの服がボロボロになってしまったので、先頃行われた戦闘行為の代償として、カイムの私財で服を買う事になった。と、いう口実のデートである。王は案外簡単に同道を受け入れてくれたのだ。
カイムとヘルレアは
カイム達が玄関ホールを歩くと、兵士達の視線が刺さって来た。どう思ってるのかは分からないが、自分達と同じ戦闘服を着ていても異質な存在だと確実に認識しているようだった。
「ヘルレア、目を光らせないでくださいね。確実に大騒ぎになりますから」
「それは呑めない要求だな。生理現象なのだから仕方がないだろう」
玄関前に来るとマツダが中折れ帽を携え待っていた。カイムは帽子を受け取ると被る。
「三つ揃えに中折れ帽とは、随分とクラシックだな。完全にアウトローの様だ」
「あの、僕そもそもアウトローですし」
「そういえば、
外に出ると、既に車が用意されていた。黒い艷やかな車体の横に運転手が待っている。
「金持ちの典型だな」
「そうですか?」
「嫌味なやつ」
二人は車に乗って麓の街まで下った。
新興の商店が建ち並ぶ区画へ行くと、車を降り徒歩で街を回る事にした。
休日でもないというのに、商店が並ぶ街路は人で溢れていた。親子連れや若者が多く、楽しげな声が喧騒となって満ちていた。
歩いていると視線を感じる。
「やはり、私は目立ち過ぎだ。どこの戦闘民族だよ」
「ヘルレアはどのような姿でも素敵ですよ」
「お、おう」
「服屋を見に行きましょう。僕は既成品のお店などは慣れていないので、案内が出来ませんが、一つずつ見ていきましょう」
「はい、はい。分かりましたよ」
女性の服屋が多くヘルレアも何だか流し見だ。
「ヘルレアは女性と男性、どちらの洋服が好みですか」
「男の服が動き易くていいが、サイズがな。広過ぎて身体に合わない。まあ、女ものでもボーイッシュな服を選べばいいが」
ヘルレアはショウウィンドウの前に立ち止まる。
ショウウィンドウには繊細なレースが施された、ピンクのブラジャーとショーツを着用したマネキンが置いてある。
「これ彼女に着せたくならないかカイム」
「往来で同意を求めないでください」
「なら、着てやろうか」
「止めてください。変態になった気分です」
ヘルレアがけらけらと笑っている。
「……ヘルレアって女の子も好きなんですよね」
正直カイムにはヘルレアが少女に見えてしまう時がある。
「何だそれ。人間なら何でもいけるぞ。男向けのAVでも、女のエロ本でも、ちょっと複雑なのでもちゃんと興奮する」
「失礼しました」何故かカイムが恥ずかしくなった。
「何を照れていやがる。
「変な事仰らないで下さい。人に聞かれたらどうするんですか」
「聞かせているんだよ!」
ヘルレアが嬉しそうに大笑いしている。カイムは王の口を塞いでしまいたくなったが、そのような事が出来るはずもなく、また、そもそも粘膜に触れるのが躊躇われるので、何にしろ何も出来ない。
ヘルレアは笑いながら一人でさっさと歩き出してしまった。カイムは急いで追い掛ける。
カイムとヘルレアが色々な店をうろついていると、王が全面ガラス張りとなった店の前に立ち止まった。そこは女性向け服飾品を取り扱っている店で、奥に革製のジャケットが飾られていた。
「あれ、気になる」
「では、見に行きましょう」
濃茶に染色された革製のジャケットで、装飾がなく襟首は丸くカットされており、首元にベルトが付いている。男女兼用なデザインだ。
ヘルレアがジャケットを矯めつ眇めつしていと、店員の女性が案内に来た。ヘルレアの顔を見て固まって見つめていたが、ぎこちなく目を逸らして、ジャケットをにこやかに説明し始めた。
「どうしますか。試着させてもらいましょうか」
「まだ、あちらも見たい」
ヘルレアがさっさと一人で白いトップス、黒い細身のパンツを選んだと思ったら、途中で曲った。
見に行ってみると、マネキンから薄地の外套を引っ剥がそうとしている。色は濃紺で、ヘルレアと最初に出会った時の外套にそっくりだった。
「このコートがお好きなんですね」
「結構血が目立たなくていいんだよこれが」
「聞かなければよかったです」
店員が我知らずか、不躾にヘルレアを見ている。
「試着室に入る」ヘルレアは顔を布で隠して服を持ち試着室に入った。
店員と待っていると、視線を常に感じた。やはりヘルレアは目立つのだ。あからさまに興味を示している。
ヘルレアが扉を開けた。相変わらず頭に布は被っているが、選んだ服は細い身体によく似合っている。
「これでいいや。本当に買ってくれるのか」
「ええ、勿論ですよ」
「まあ、今は文無しだからな。どうこう言える立場にないし。このまま着て行く」
「もう少し迷彩服姿を見ていたかったですね」
「本当に猟犬が好きなんだな。カイムの趣味に合わせていられるか」
カイムとヘルレアは服飾品店を出る。
カイムは人の視線には慣れているが、今回向けられた種類の目というのはあまりなく、そういったもので肩が凝る日が来るとは思わなかった。
「凄い見られたな」
「狭い空間に人が集まると、余計に視線が煩わしいですね」
「ほら戦闘服をかせ」ヘルレアがカイムの持っているバッグを受け取ろうとする。
「ここは男の僕に持たせてください」
「え、そんな貧弱なのに?」
「結構傷付きますよそれ。王からしたら、この世の全て貧弱ではないですか」
「面倒なやつだな」
今度、ヘルレアは明らかな男物を物色し始めた。それも下着の専門店ばかり。
「分かっていますが、お聞きします。何を探しているのですか」
「下着」
「ヘルレアは男性用の下着を着ているのですか?」
「形状が一番着やすいからな。あった。ボクサーパンツとシャツ。カイムも買っていくか。サイズは?」
「待ってください。王は確かに少年に見えますが、少女にも見えるのです。どちらにしろここでは目立ち過ぎです」
店内の客が横目でヘルレアを見ている。おそらく少女に見えている客も大勢いるのだろう。カイムが恋人役とはいえアメリアでは、少女が男性用下着を物色する姿はそう一般的ではない。
「細かい事は気にするな。この先、生きていけないぞ。今までだって自分でこうして下着を買ってたんだ。誰が世話を焼いてくれる」
「それにしても、限度があります」
結局、下着を数点買って店を追われるように出た。
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