第12話 猟犬と玩具屋

16



 路地にある目立たないバーが男との待ち合わせ場所だった。


 カイムが半地下に降りるとヘルハウンドという看板が目に入った。


 相変わらず皮肉な名前だと思う。あまり好意的に思っていない名前の店だが、何故かあの男と会うときはこの店ばかりだ。落ち着いた雰囲気で、客層の年齢も高く会話がしやすいという理由もあるだろうが、新しい店を探すのが面倒なだけという面もある。


 照明が落とし気味の店内はしっとりと落ち着いた音楽が流れている。カウンター席には疎らに人がすわっていた。カウンター席の奥、端の方にド派手な男が座っているのが直ぐに目に付いた。


 赤い花柄の半袖シャツによく日に焼けた肌。海藻のようにうねった赤茶けた髪。


 男がカイムに気付いた。


「よう、カイム。久し振りだな」


 そのいつもと変わらない軽い調子にカイムは苦笑した。


 玩具屋であるクリムゾンダイスの店主オリヴァン・リードだ。


「相変わらずおっさんくせー格好だな」


「オリヴァン、君には服装をとやかく言われたくないよ」


「この俺っちのファッションに何か文句あるのか」


「大ありだね」


「相変わらず手厳しい坊ちゃんだ」


「何が坊ちゃんだ。お前の方がのくせして」


「それは言いっこなしよ。俺はもう流浪の旅人、根無し草ってもんだ」


「おい、流浪って玩具屋はどうした、玩具屋は。放り出されたら困るぞ」


「安心しろ。俺っちは責任感が強いと定評がある。多分」


「もう埒があかない。本題にはいるぞ――双生児の一人と接触が無事出来た」


「ヘルレア王はどうなっていた。協会の庇護、もとい監視が付いていたが、随分長い間沈黙を保って来ただろう。いい加減、双生児は寿命だが何とかなりそうか」


「残念ながらつがいを持たせるのは失敗した。やはり一筋縄ではいかなかったが、一つ成果もある。ヘルレアを猟犬イヌに引き込めた。今ジェイド達と一緒に任務に当たっている」


「それは番を持たせるより凄いんじゃないか」


「オルスタッドの班が行方不明になった。その周辺に王の気配があるから、もしかしたらオルスタッド達は関わっているのではないかという事だ。王が綺士きし、使徒、排除の支援を条件にオルスタッド捜索を手伝ってくれている」


「奇跡みたいな話じゃないか」


「僕自身夢じゃないかと思っているよ。王がここまで人間に近しい何かを持っているとは思わなかった。会話すら危ういと思っていたというのに」


「何故、王はそこまで番を持つ事を拒否するんだ」


「これは僕の推測に過ぎない部分もあるんだが。王は大切だから今まで得たものを捨てたのだと言った。それは、今まで王の身近にいた人々の事じゃないだろうか。番を得ることは、そういった人々を犠牲にしなければならなくなる事に等しい」


「――つまり、ヘルレア王はそれを捨ててまで守りたかった」


 この考えはヘルレアを最大限好意的に見た意見だ。実際のところどうか分からない。何かの思惑があってそう印象付けたのかも知れず、ほとんどカイムの希望的観測だ。それでも、ヘルレアには信じられるだけの真摯さがあった。あるいはカイムが、まだ王の本当の恐ろしさを知らないから信じてみようと思ってしまうのか。どちらにしろ考えても答えは出ないのだから結果を待つしかない。


「お優しいヘルレア王か。双生児の血筋を残さないようにしようとしているだけ、万々歳って感じの思考な王だけどな」オリヴァンは声を落とす。


「番を持たせようと動いている身には、それを聞くと色々辛いものがある」


「考えずにはいられないだろうし、考えないわけにはいかない。俺等だからこそ向き合わなけりゃならない事柄だ。王の血を引く人間として」


「王の血筋か……こんなもを求める人間がいる事に吐き気がする。欲しいのならば、くれてやりたいくらいだ」


「まあ、逃げちまった俺じゃ、カイムにとやかく言える立場にないが。お前は逃げるなよ。逃げれば破滅しかない事をよく覚えておけ」


 ――破滅。


 カイムは今以上の破滅があるものだろうかと苦く笑った。初めから進む事も、戻る事も許されない猟犬達はもがき苦しみ続けるばかりで、岸へ辿り着けるのだろうか。


「逃げるなど考えた事はないさ。ただ、貧欲な王の血を養っていかなければならない、というならそうするまでと僕は思っているよ。不本意ながら……僕にも大切なものがあるからね。手放せはしないよ――永劫の繁栄を」


「俺は永劫の繁栄とやらを頂いたが、今の方がずっと気楽でいい。なにが永劫の繁栄を、だ。所詮汚物入れのゲロか糞かの違いしかない。誰が、そんな汚えものを丁寧に選り分けてくれる」


「選り分けてくれる人間もいるさ。だからこそ僕はこうして戦っているんだ」


「俺もお前のようになれればよかったんだけどな……いけねえな。変に感傷的になっちまった」


「オリヴァンの口からそんな殊勝な言葉が聞けるとは思わなかったよ」


「そりゃどうも。とにかく、ヘルレア王はこのまま死なせる手はない。何でもいいから繋ぎ止めろ。逆転の鍵はこのヘルレア王が握っているぞ。これが最後の機会だ」


「分かっている。これ以上の手札はもうないだろう。何を犠牲にしても王を離すつもりはないよ」


「さて、何が犠牲になるのかね」



17



 山には杉が密集する森が広がっている。木は鬱蒼と生い茂り森の奥は暗く静まり返っている。森を貫く道路が一本走っていて、艶やかに磨かれた黒い車が走っていた。


 車内ではカイムが後部座席に座っている。手持ち無沙汰で電子端末を使いニュースを見ていた。協会関連のニュースが今でも頻繁に見受けられ、カイムは猟犬に取って有益にならない情報を弾いていた。


 国際情勢では、やはり西アルケニアと東占領区の戦闘開始が取り沙汰されているが、詳しい情報はどのサイトを見ても見つからず、皆同じような記事ばかりだった。


 今のところ確実にオルスタッド達が西アルケニアと東占領区に関わっているかは未知数であったが、あのオルスタッドの事だから連絡出来ない状況に置かれるといえば、余程の事でなければありえない。西、東どちらかの国にいるとした方が連絡しようにも出来ないという状況が納得出来る。その上、王や綺士が出たのだとしたら。


 カイムはなんとなく窓の外を見ると、相変わらず目に付くものは木ばかりで、同じところを延々と走っているかのように錯覚してしまう。館へ続く道形みちなりに並び立つ杉の森は、子供の頃、遊んでいるうち迷い込んでしまった事がある。猟犬の皆がカイムを探し出してくれたのだった。一人でいた時はひどく寒々しく杉の木に寄り掛かって座り込み、めそめそと泣いていたものだ。ひどく父に怒られた事もよく覚えている。一人で森に行ってはいけないという、言いつけを破ったのだから怒られて当然の事だろう。


 もう一度手元の電子端末で、ニュースサイトを見ていると新しい記事が目に飛び込んで来た。


『先頃、東占領区こと東アルケニアが声明を発表した。


 姑息にも一般市民が居住する区域を爆撃によって破壊した。


 これは宣戦布告と我々は受け取る。直ちに戦闘行為を再開し我々の尊厳を取り戻す』


「爆撃……?」


 西アルケニアと東占領区は停戦状態にある。元々同じ国であった西アルケニアと東占領区は、東占領区からの唐突な独立宣言から紛争が始まったという歴史がある。オウリーン・ライフナーという軍部総統が指揮しての軍による独裁政権を確立し、今現在も独裁政治が続いている。しかも継続して、東占領区が一方的に威嚇行為を繰り返し国境線付近での小競り合いが常態化していたのだという。


 そんな国家間の情勢で西アルケニアが、東占領区に事前通告もなく唐突に市民を狙った爆撃をするとは考えづらい。それを裏打ち出来そうな事実もあり、西アルケニアよりも東占領区の方が明らかに貧しい。西の軍備は、東と比べ物にならないほど整っている。西アルケニアにとっては現状維持が最善な状態なのだ。もし、東が崩壊し住民が流入すれば、貧富の差による混乱は免れない。


 カイムはしばらく電子端末の記事を睨んでいた。これはいよいよ東が変事の渦中にあるのではないかという気がしてならない。今、ジェイド達はどのように行動を取っているのか、定時連絡を待つ身としては、分かりようがない。


 館の深い緑色の外壁が、杉の繁茂した枝葉の間から遠く見える。杉の頭を超えるくらいの高い位置に黒い屋根が見えていた。巨大な館へ徐々に近付いて来た。


 森を貫く私道を抜けると広大な前庭が姿を表す。濃い緑の芝生が良く手入れをされて、均一に生え揃い、車道との境界線をはっきりと形作っている。曲線を画く車道を車が走って行く。


 前庭の中心には無限大を描く、二匹の蛇が互いの尾を噛み合う、石の浮き彫りが配置されていた。


 車止めに停車する。


 そこはステルスハウンドの本拠地――猟犬の棲家――である。


 代々、ノヴェクの人間が当主を務め、現在はカイム・ノヴェクが主人であった。


 元々がノヴェクの住居として使用していたが、いつの頃からか双生児を討伐する組織の本拠地が置かれるようになった。


 先代の当主はカイムの父であったので、カイムは幼い頃からこの館を出入りしていた。なのでカイムが当主になった時は、もう既に勝手知ったるものだった。現在、カイムは住居としても利用しており、子供の頃住んでいた家には帰っていない。


 車止めに寄せられた車からカイムが降りると、既に出迎えてくれていたマツダが深々とお辞儀をする。正面玄関に配された常装警備兵や、偶然居合わせた平服の猟犬もカイムへ礼を尽くした。


「お帰りなさいませ、カイム様。オリヴァン様はお元気そうでございましたか」


「オリヴァンは相変わらずだ。あのド派手な格好を何とかしてほしいものだ」


「お変わりがないのはよろしい事でございます」


「変わった方が良いこともあるさ」


「それはそれは、ごもっともでありますな」


「……東占領区に変事が起こっている」


 側にいた兵士が慣れた様子で辞去した。


「東占領区と言えばあの独裁政権下の、でございますか」


「片王が潜むにはもってこいの場所じゃないか。そこに巣があるかもしれない」

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