第3話 死兆の翳り〈前編 最愛の子ら〉



 部屋の中央に据えられた会議テーブルで、それぞれに複雑な表情をした男達が席へ着いている。皆一様に高価な背広姿であり、ブランド物のカフスやネクタイピンを、まるで何かの勲章の様に身に着けている。腕時計は、乗用車以上に値が張るであろう代物ばかりで、競うように誇示していた。


 室内は重たい空気に包まれ、しきりに溜息をつく者、腕を組み眉を顰める者、カイムを睨み付ける者と、誰もが落ち着かない様子である。こそこそと話し合う者達もおり、それが幾人も居るものだから、会議室は小さな声が重なり合って、ざわめきにまで高まっていた。


 ここは役員会議室だ。ヘルレアとの邂逅から翌日の事であった。


 上座の席へ着いたカイムは、突き刺さる視線をやり過ごしていた。


 役員は血縁者で固められており、部外者を寄せ付けない。ノヴェク一族は数百年以上の歳月において、一度も絶えるおそれすらなく、連綿と血を繋いで来た血族であった。


 何故ならそれは、を受ける、永劫の繁栄を約束された一族だからだった。


 その中にも、ノヴェク一族以外でステルスハウンドに関わるは居る。しかし、その殆どが、長年一族へ仕えて来た縁者ばかりだった。だがそれでも、極少数となるが、一族と縁の浅い、部外からの人間も居るにはいた。そうした一族を含めた人々は、組織では少数派となる。何より組織の大半を占めるのは――。


 ノヴェクに――主人に愛されたが故に生まれた、猟犬イヌという兵士達だった。


 カイムの近くに、初老の男がいる。男はざわつく血族等を静観している。


 カイムはその初老の男だけに注意を向けていた。カイムに取って、大半の血族など居ようが居まいが同じ。ただこの初老の男だけは、カイムの道行きを左右する重要な存在だった。


 男が大きく咳払いをすると、一族は一瞬で静まり返る。


「カイム、今回の件は度が過ぎているぞ」


 初老の男――ロレンス・ノヴェクが口火を切った。一族が言いたい事を言って、静まり始めるのを待っていたようだ。ロレンスは、白髪交じりで象牙色になった金髪を横分けに流し、山吹色の瞳をしている。歳を重ねながらも、この場に居合わせた誰よりも目を引く男で、ロレンスの発言で居合わせる役員達が息を呑む。彼は、役員等の視線を一瞬で集めた。


 ロレンスは、カイムの大叔父にあたる人物で、役職で言うなら相談役の一人という立場にある。しかし、相談役総取締りが高齢の今、実質組織内での最高権力者である。ロレンスは通常、会社には居ないが、危急時になどにのみ意見を求められて役員会に出席する。


 役員達は好き勝手にロレンスへ賛同の意見を述べ、カイムを糾弾する声を上げ始めたが、ロレンスは無言の圧力で黙らせた。


 カイムは一切表情を動かさず、ロレンスへ向き合う。感情を動かされるものは一つもなく、ご機嫌取りなど無意味だ。


「言い訳は致しません。どの様な罰も承知の上で、行ったことです」


「お前一人が罰を受けて済むような類の問題ではない。世界蛇あれは、下手をすれば何を起こすかわからない生き物だ。思い違いをするな、王は人間ではない。どれだけ姿形が同じでも、中身は別物だ。まだ、子供だと侮って、軽率な行動に出たのだろうが、王が精神的に未熟な時代など、生まれて数年ほどにしか過ぎないのだ」


「王を侮ったことなどありません。だからこそ、正面から嘆願したのです。既に我々には、取るべき選択肢はないに等しい。このまま何もせず、あの暴君が起こす騒ぎを場当たり的に鎮圧しても、ただ翻弄され続けるだけでしかない。現に、片王が誰とつがえて、どのような組織を巣にしているのかさえも、我々は知らないではないですか」


「ならば、何をしても許されると?」


「今までのやり方で続けても、何が変わるというのです。当たり障りのないことばかりしていては、何もしていないことと変わりがない」


 ロレンスは重い溜息を吐き、目を瞑る。どこか疲れたように、少しだけ肩を落としている。年齢を感じさせないロレンスだが、その時だけ、年相応の弱さと諦めを吐露した。


「カイム、お前の言っていることは確かに正しい。しかし、どれだけの正論であろうとも、するべきではないこともある。ノヴェクの人間であるお前が、判らないわけがあるまい」


「解かるからこそ、ヘルレアに願ったのです。私情など挟む余地などない現状で、最も正当で効果的な戦い方があれば、それを取らずに、どうするのですか」


「……勝つことが、全てではない。カイム、人道にもとれば戦う意義を失うことを、忘れてはならない。たとえ、ノヴェクである我々自身もまた、醜いイヌであろうと、その本質は人間でいなければならないのだ」


 ロレンスは同席する血族達へ目を配る。彼の強い視線に耐えられないのか、男達は居心地の悪そうに目を逸らしていた。カイムはロレンスの鋭い眼差しを見据えた。


「今更、守るべき人道など、どこにあるというのでしょう。そのノヴェクが今までに散々踏み躙った者達へ、今の台詞セリフが言えますか。我々は、真実、自らを人であると言えるほど、既に人間性を持ち合わせてはいない」


「お前がそう思うのならば、なおさら人であろうとするべきだ。たとえ、我々が過去に何をしてきたとしても、正当化したことは一度もない。だからこそ、こうして戦い続けているのだ」


「安全な場所で、成果を聞くことが戦いだと言うのですか――それが、ノヴェクのあり方ですか」


「命を張るだけが戦いでは無い……剣を直接振るうのは、主人おまえの戦いでは無いと、解っているはずだ。お前だけが許された、特別な帯剣。――その意味を忘れるな。酷薄な主は許されるが、愚昧な主は許されない……いらない」


 カイムは高い背もたれに、身を任せたままで目を細める。


「主人へ対して酷い愚問ですね」


「――この時節に代表を変えることはできない。お前はそれを解かっていて、動いたのだろう。望み通り、あの暴君が真の王として立った時、尻拭いをしてもらわねばなるまい」


 ロレンスはそれ以上、誰にも有無を言わせず席を立ち、早々に役員会議室を去った。それが解散の合図だった。


 役員達が続くように一人、また一人と去って行くなか、彼等のカイムを見る目は険しく、侮蔑を顕にしていた。カイムは最後の一人が去ってからも、席から立たずに目を瞑り続けた。


 会議室は空洞のようで、耳に痛いほどの静けさに包まれている。煌々こうこうと点された照明は、どこにも影を作らせる余地を与えず、重役等の空になった議席を、つまびらかにしている。椅子は白々しいほどに厳めしく飾り立てられ、権威の偶像として、カイムを取り巻いていた。むしろ、議席が空である方が、役務の重みがいっそうに明らかなようだった。


 与えられた役目が、相応しいとは限らない。そして、あえて不相応な者を就かせることも確かだった。


 議席を与えられながら、果たしてどれ程の役員が務めを成しているというのか。何事もなあなあでやり過ごし、どれだけ悲惨極まりない結末を迎えても、年末の祝祭を、暖かな家で家族と共に祝うのだ。


 双生児の蹂躙がいかに苛烈を極めようと、役員等はするべきことはしたと、何の呵責もなしに安穏とした一生涯を過ごす。――それが、ノヴェク一族の真であろう。


 代表という、役職の継続は、予想に難しい事ではなかった。まだカイムは、組織のスケープゴートとなる役割が残っている。ロレンスはカイムの思惑を、全て了解していたことも驚くに値しない。ロレンスは愚かではない。


 ロレンスは、カイムの向こう見ずな行動をある程度、容認している節がある。カイムほどの若年を代表として据えるのだから、覚悟の上でのことだろう。


 カイムの父アルベルト亡き後、直ぐにロレンスは、泰西民間軍事保障ステルスハウンド代表代理に着いた。まだ幼い猟犬の主人であるカイムに代わって、実権を握っていたのだ。そして、カイムが二十代になり、双生児が顕現したのを見計らったようにして、早々に代表代理から退き、カイムを代表へ上らせた。


 ――早く猟犬の主人を、代表に据え、名実共にトップへ据えたかったのだろう。


 ――真の主人が立つのは何十年ぶりであろうか。


 役員会を最後にして、失態についての事後処理はおわった。ロレンスの決定は絶対である。


 取り扱う議題については迅速さが肝要故に、その場で裁決するのが恒例であった。また、書面に残すことは禁忌とされている。裏を返せば不明瞭な口約束と、その場しのぎの処刑場でしかなかった。


 自分だけが浮き上がろうと、泥を互いにかけ合いながら、誰も逃れられずに溺れていく。カイム自身も例外ではない。沈むことが決まっているのだから、いつ溺れるのかが問題なのだ。


 ――最悪な状況で引きずり落としてやる。


 と、乾いた笑いが漏れた。カイムはそのまましばらく、議席で身を遊ばせていた。





 カイムが執務室へ戻ろうと、廊下を歩いていると、野太い声が呼び止めた。ジェイドが手を挙げて、背後からやってくるところだった。


「丁度、会議が終わったようだな。その様子を見ると、やはり地位は続投と言ったところか」


「なんと言うか、予想通り過ぎてある意味落胆したよ。まだ、解放してくれる気がないのかとね」


「だろうな、あの連中にカイムを蹴落とす度胸は、今のところない。もちろん、今のところは、な」


「大叔父様は時季の見極めにおいては、右に出る者はいない。だからこそ、あれだけ体のいい立場に収まっているのだから。このまま、逃げ切るつもりだろうね。僕も見習っていれば、今頃は重役出勤ができただろうに」


「お前がその程度の役割で、甘んじていられるような人間なら、既に命はなかったのではないか。頭の使い方を知っていても、保身に走るようでは、いずれハイエナ共に食い散らかされるしかない」


「進退窮まって、いっそのこと相討ちをと、選んだ僕は、なかなかの猛将ではないかな」わざとらしく胸を張って、に威厳を示す。


 ジェイドは小さく噴き出して笑う。彼は、主人であるカイムへ、全く敬意を払う素振りも見せず、演技だと見え見えな偉そうな態度を、むしろ小馬鹿にしている。


「今現在、その蛮勇に付き合わされる兵卒の身にもなれってんだ――ところで、連絡事項がある。三班の定時連絡が絶えている。ゴーストでは珍しい事ではないとはいえ、留意しておいてくれ」


「だが、あの律儀なオルスタッドだと考えると珍しいかもしれないな。苦境に身を置いてなければいいが、もし何か王への手がかりがあったのだとすれば……」


「いっそ、巣にでもかち合ってもらいたいくらいだがな。最近は、使徒さえ、ろくに見つけられていないのだから」


「使徒さえ動かない事態は留意すべきだな。近頃、あまりにも静か過ぎる。王が下僕を故意に押さえ込んでいるのかもしれない」


「嵐の前のなんとやら、にならなければいいが」



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