第2話 骨肉の巣



 カイムは昨夜、自分が一体何の会話をしたのか、朧げにしか思い出せなかった。


 ただ、自分がとんでもないしくじりを仕出かしたのだ、という考えが頭から離れないのだ。王に会った瞬間、思考することを止めてしまったかのように、反射的に口を動かしていた。カイムはどれだけ切迫した状況下であっても、沈思する方であると自覚があるのだが、あの時はまるで癇癪でも起こしてしまったかの様に、言葉を発散していたのだ。激情に駆られて理性を失っていたわけではない。ただ、気が急いていたとしか言いようがなかった。


 ――そして、あの結果。


 カイムは全く眠れないまま朝を迎えて、身支度をしたのかどうかも曖昧なままに執務室のデスクに着くと、PCの画面に映る自分の顔があまりにも酷いことにようやく気が付いた。


 クマが黒々として、頬は削げて一晩で幾つか歳を重ねてしまったかのようだ。少なくとも、事情を知らせている部下に、見せていい顔ではない。失態の大きさを悟らせて、いたずらに不安を駆り立てるのは愚策甚だしい。


 軽いノックの後、マツダがトレーを持って現れた。


 カイムが幼い頃から、マツダは彼の身の回りの世話をしている。マツダの整えられた白髪は、雪原のように白く、丸眼鏡を掛けた顔は、常に柔和な微笑みを浮かべている。その昔、カイムの父はマツダの微笑を、異邦の古拙の微笑アルカイックスマイルと言って、褒めていた。マツダの微笑みを気味が悪いと言うものもあったが、カイムも父のように、マツダの奇妙な微笑みに安らぎを覚える。マツダは皺一つない背広に身を包み、常に手袋を外さない。


 トレーでは熱い蒸しタオルと、コーヒーが湯気を上げている。


「誰にもお顔をお見せにならないので、心配しておりましたが。いやはや、これは少々身繕いなさるべきですな。常に皆さんの前では、冷静沈着な坊ちゃんでいなくては。皆様も不安になられましょう」


「マツダの故郷式でいう、オシボリか。ありがとう、心配をかけた。それに、すまなかった。あれだけ長い間、ヘルレアの捜索に関わってくれたというのに、結果は……知れているだろう」


わたくしのことはお気になさらずに。それよりも、その様な顔のままで、皆さんの前に立ってはいけません。お顔を整えて、背筋を伸ばして、胸を張ってください。皆さんが何よりも落胆なさるのは、カイム様の気落ちなさったお顔をみることです」


「そうだな、落ち込んでいる暇などない。これから出来ることを考えなければ。まだ、業務を始めるには早い時間だ。しっかりと自分を立て直すよ」


 マツダはふくふくと微笑むと、異郷のお辞儀という、深く身体を折る礼をして部屋を去った。


 カイムはコーヒーを飲む。淹れたばかりのコーヒーは熱く、浸み入るようだ。タオルで顔を押さえると、じんわりとした温かさが心を落ち着けた。


 ヘルレアがカイムの招きに応じたのは、伴侶を彼の組織から立ててもよいという、暗黙の意思表示である、というのが“猟犬”達の見解であった。なぜなら、カイム達が知る範囲で、ヘルレアがノイマン会長の訃報から、巣になりえる組織と接触したことが一度もなかったからだ。


 いつとも知れない古い時代から、通称“向こう側の女達”と云われる存在が、双子を“こちら側”に寄こすようになったのだという。


 その王と呼称される双生児の一人であるヘルレアは、今も自分の意思で伴侶を持たず、自らの寄生する組織――巣を持っていない。双生児は人間の伴侶を持つとともに、その人間の属する組織を支配し利用する。それが、巣といわれるものである。そういった性質を持つ故に、双生児は自ずと強い組織の中枢にいる人間を欲する。これは、ほとんど本能に近いと言われている。


 カイムは自らの組織ステルスハウンドが双生児に見合わないと考えたことはない。むしろ、申し分なく強大だと言ってもいい。そして過去には、かなり小規模な組織に、双生児が営巣したいう話も残されている。双生児はその小さな組織を、自らの力で肥大させたのだ。寄る辺に力は求めるが、それは絶対ではない。


 カイムは机の引き出しから、拳銃の収められたショルダーホルスターを取り出した。装着すると、椅子に掛けていた上着を着た。肩掛け式のホルスターならば、上着を羽織れば銃を携行している様には見えない。純粋な兵士達には、腰に帯びる型のホルスターを支給しているが、代表といえども内勤のカイムは無闇に武器類を晒すことはしなかった。


 どこか引き締まった気分で、カイムは髪を撫で付けると、少しだけ冷めたコーヒーを一息に呷った。


 しばらくの間、カイムが残っている仕事に手を付けていると、盛大なノックの後に仏頂面の大男が顔を出した。


 カイムの私兵部隊、影の猟犬ゴーストハウンドの隊長であるジェイド・マーロンである。ジェイドは上背があり肩幅も広く、社内でも一二を争う偉丈夫であった。彼の短髪は元国軍に所属した軍人らしく剃り込みが入っており、色味は緑がかった茶色をしている。鋭い眼は狼のようなアンバーだ。彼は腰にホルスターを携えている。ジェイドの厳めしい顔は常態であったが、いつにも増して、その表情は険しかった。


「すまなかった。何一つ、取り付けなかった」


「無事でなによりだ」


 カイムは切なく笑った。この男ならば、言いかねないと思っていたのだ。それが余計に心苦しくて、口をつぐんだ。


「これから役員会へ報告に行くつもりだ。事後報告な上に失態をしでかしたときたら、僕がいくら役員達の便利な弾除けであっても、さすがに挿げ替えられてしまうかもしれない」


「お前はよくやった。この切迫した状況で、命懸けで王に嘆願したのだから。現場の俺達が十分な話し合いの末に、これ以上の選択はないと、結論付けてしたことだ。気に病むことはない。いずれにしろ役員連中は、カイムが何をしたところで非難しただろう。退けられることになっても、いっそ清々するくらいかもしれない。お前は何も代表でいなければ戦えないわけではないのだから。いざとなったら、俺も共に去ろう」


「ありがとう、ジェイド。携わっていた隊には、僕から報告するべきだろう。事後処理は任せてくれ――僕が代表を下りて、なおも戦うとなると、色々ノヴェクとの折り合いが面倒な事になりそうだが。久し振りに権利書でも読み込んで置くか」


 ジェイドは笑う。


「むしろ、これでよかったのかもしれん。たとえ、どんなに最高の手札になりえるとしても……お前を生贄にせずに済んだのだからな」


「僕は、王のお好みにそぐわないそうだよ。お人形さん、らしい。三十過ぎの男にお人形さんとは、なんともいたたまれない気持ちにさせられる。

 あれ程話し合って、代表の僕が最も有利に組織へ引き込めると結論を出したのに、このような結果になるのなら、志願していたオルスタッドを立てた方が、お眼鏡に掛かったのかもしれないな。ジェイドほどとは言わないけれど、オルスタッドならば体格的にも恵まれているし、男の僕から見ても容貌は精悍そのものなのだから」


 オルスタッドはジェイドの部下で、今回のヘルレア捜索と交渉に深く関わった内の一人だ。


 ジェイドは絶句しているようで、しばらく頭を抱えると苦々しく唸った。


「それが破談の理由とは、素直に納得出来まい。まるで、気軽な人間同士のお見合いのようだ。それなら相手の顔が気に食わないと反故にしても納得はいくが、ヘルレアの場合は単なる我儘な子供だ……いや、確かに王はまだ実際に子供だろうが、それにしても自分の命が掛かっているという今、この時期に、申し分ない程の組織を束ねるカイムを容姿の好悪で振るとは。何か別に理由があるのを、誤魔化しているのではないか」


「ヘルレアは直前まで提案を受け入れるような口振りだった。けれど、僕が組織から伴侶として立ちたいと、言った途端に即不意にしてしまった。これはどうも、それ以外の理由を考えるのは難しい。あるいは、初めから提案を受け入れる気などさらさらなく、そう振舞っていただけなのだろうか」


「ただのおふざけだとしたら、たちの悪いことこの上ない。こちらは命懸けだというのに、奴の感覚からすれば玩具で遊んでいるに過ぎなかったというのか」


「それは、覚悟の上だろう。ヘルレアが僕達を、喋る木偶でく人形としか認識していなかったとしても、おかしくはないと。

 暇を持て余して、お喋り人形の頭を小突きに来たとしても、勢い余って頭をもぎ取られなかっただけ幸運だと思うしかない」


「化物の思考など分かるはずもないか……ところで、エマには連絡をいれたのか。たしか、個人的な用事を言い渡して、外に出したということだったが」


「まだ連絡は取っていない。エマには一日では終わらない仕事をまかせた。ノヴェクの本家に置いたままにしてある蔵書を、こちらに発送する手配をさせた。目的の本を探すだけでも骨が折れるくらいだから、発送するにはまだ掛かるだろう。全て発送を終えたら、こちらに連絡してから戻るようにと言い含めてある」


「過保護なことだな。そんなに王が来ることを知られたくなかったのか。王を捜索している間も、上手く隠しおおせたが、本当にこれでよかったのか。気持ちは分からなくないが、エマはもう子供ではない。俺達が隠れてしていたことは、必ず知られてしまう。エマはどう思うだろうな。余計に苦しませるだけではないのか」


「全て事が済んだ後なら、知られても構わない。確かにエマはもう、子供ではないのだから。ただ、エマは兵士でもなければ、ノヴェクの人間でないのも確かだ。無闇に危険に晒したくはなかった。これ以上双生児に関われば、取り返しの付かないところまで踏み込んでしまう。いずれエマには、ここから離れてもらわなくては」


 ジェイドは眉を潜めて微かに首を振ると、何か言いたげにしていたが、深く息を吐いて呑み込んだようだった。

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