第26話 百合

「何をやっているのよ!」


 ジョージと貴子お姉さんのやり取りを見ていたら、後ろから甲高い声が聞こえた。振り向くと、加藤裕子と坂口直美が並んで立っていた。加藤が、興味津々な目で僕を見る。


「ねえねえ、何なのよこの人だかりは?」


 僕は、ジョージを指差す。


「似顔絵。ジョージが描いているんや」


 加藤が眉間に皺を寄せる。


「ジョージ? 誰よ。あの男の人のこと?」


 加藤が、ジョージを見つめる。そんな加藤に、小川がニヤニヤと笑い掛けながら、身をくねらせた。


「キャ――――――怖い! 私、帰る、帰る、の張本人や」


 小川のふざけた物言いに、加藤が目を怒らせた。両手を握りしめて、小川に食って掛かる。


「ほんっとに、アンタだけは……人を馬鹿にすることしか知らないんだから……」


 小川が、加藤の勢いに押されて、後退った。加藤は、プイッと横を向くと、今度は僕を睨みつける。


「小林君!」


 加藤の強い言葉に、僕は直立不動になる。


「はい」


「分かるように、ちゃんと説明して!」


 僕は、シドロモドロになりながらも、加藤と坂口に、これまでの経緯を説明した。光が点った部屋に調査に行くと、お爺さんが倒れていたこと。そのお爺さんが、実は、いま目の前で似顔絵を描いているジョージだったこと。ジョージの発案から、この川添まつりで似顔絵を描くことになったこと。


「あの光の正体が、あの人だったの……」


 加藤裕子が、ジョージを睨みつける。


「ふーん」


 値踏みをするようにジョージを観察した後、加藤が、僕の胸を叩いた。


 ボフッ! 


 僕は、非難めいた視線を加藤に向ける。


「なんだよ?」


 加藤裕子が、悪戯っぽく笑った。


「ねえ、ちょっと格好良いじゃない、あのジョージって人。私にも紹介してよ」


 加藤裕子……実は、ミーハーな奴だったんだ。そういえば、太田も僕に、貴子お姉さんを紹介してくれって言ってきたことを思い出す。僕って、そんな役回りなのかもしれない。


「フー」


 自嘲めいた溜息をついてしまう。僕は、ジョージに声を掛けた。


「ジョージ!」


 ジョージが、振り向く。


「なんだい?」


「僕の友達を紹介するよ。この間の肝試しで、悲鳴をあげた加藤裕子さん。それと坂口直美さん」


 僕に紹介されると、加藤裕子が物怖じをすることもなく、前に出た。両腕を組んでジョージを見上げる。


「ジョージさんっていうの?」


 加藤の、強い口調にジョージが戸惑う。


「はい」


「あの時、本当に怖くて、私、泣いたんだから。直美なんか、転んで怪我をしたのよ」


 加藤裕子は、唇を尖らせながらジョージを睨みつける。ジョージは、申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「ごめんね。怖がらせてしまって……」


 首を捻ると、加藤は上目遣いに、ジョージを見つめた。


「悪いと思うんだったら、私たちも可愛く描いてよね」


――怖えー!


 僕は、心の中で呟いてしまった。加藤の奴、ジョージ相手に、主導権を握ろうとしている。小学生のくせに、なんて女だ。


「それはそれは」


 ジョージは、加藤を見つめると、深々とお辞儀をした。体を起こすと、加藤に近づく。じっと、その瞳を見つめて、優しい声で囁いた。


「こんなに可愛い子を泣かしたなんて、僕が本当に悪かった。許してくれるかい」


 加藤裕子が、顔を真っ赤にして、身を捩らせた。堪らずにジョージから目を反らしてしまう。恥じらいながら呟いた。


「許すわよ」


 僕は、目を開いてジョージを見つめる。こいつは天性の女たらしだ。小学生の加藤が、どんなに強がって見せても敵うわけがない。これは、貴子お姉さんも危ないんじゃないのか……。僕の中で、不安が広がった。


「あるところに、シルバーランドという王国がありました!」


 ジョージは、背筋を伸ばすと、嬉しそうに周りの見物客を見回した。シルバーランド? 今度は、何を言い出すんだ。僕たちは、ジョージの狂言回しを見つめる。


「その国には、美しい王子様がおられました。白い馬を颯爽と乗り回し、剣の腕は超一流。それはそれは、素晴らしい王子様でしたが、彼には大きな秘密があったのです」


 ジョージが、言葉を止めた。見物客の視線が、ジョージに集まる。


「その王子様は、実は女の子だったのです。名前を、サファイヤと言いました」


 あー、リボンの騎士だ。手塚治虫が描く少女漫画。テレビでは、アニメが何度も再放送されている。ジョージは、加藤に手を差し出すと、椅子の後ろに立つように導いた。


「男の子の心を宿しているサファイヤ。どうぞ、その椅子の後ろに立ってください」


 加藤が、驚いた表情を浮かべて、ジョージを見る。


「えっ! 私のこと?」


 ジョージが頷く。


「ええ、そうですよ。貴女は、今からサファイヤです」


 加藤が、椅子の後ろに移動した。ジョージは、次に坂口直美を見つめる。ジョージの視線を感じた坂口が、体を硬直させて後退った。そんな坂口の事を、ジョージが優しく見つめる。


「ごめんね。怪我をしたんだってね」


 坂口は、自分の身体を抱きしめて、ジョージを見上げた。


「花火が出来なかった……」


 ジョージが、眉を顰める。


「花火?」


 ジョージの問いかけに、坂口が頷いた。


「そう、あの後、花火をするつもりだったの」


「そうなんだ。じゃ、花火のような華やかな君を描いてあげるよ。貴女も、その椅子に座ってくれるかな?」


 坂口直美は、目を開いて、ジョージを見つめる。


「私は、チンクがいいな」


 チンク……リボンの騎士に出て来る天使だ。サファイヤが男の子の心を持ってしまった原因で、アニメの中では狂言回しの役柄になる。しかし、坂口は、やっぱり変わっている。よりによってチンクとは……。そんな坂口の事を、ジョージが優しく見つめる。


「チンクか……可愛いよね」


 ジョージの視線に、坂口が顔を赤らめた。


「どっちでも良いんだけど……」


 どっちでも良いんかい! やっぱり坂口だ。ジョージに導かれて、坂口が椅子に座った。そんな坂口に寄り添うようにして、加藤が後ろに立つ。ジョージは、クロッキー帳を手に取ると、新しいページを開いた。


「サファイヤには、男の子の心と、女の子の心がありました。お美しいお二人のお嬢様には、どちらもサファイヤになってもらいましょう」


 ジョージは、慣れた手つきで鉛筆を走らせる。クロッキー帳の中の加藤裕子は、王子の服を身に着けた勇ましいサファイヤ王子として描かれた。対して、坂口直美は、花火みたいな明るいドレスを着こなした亜麻色の髪の乙女として描かれ椅子に座っている。二人は手と手を取り合って、お互いに見つめ合っていた。でも、二人は女の子。お互いに慈しむようにして見つめ合っている姿に、僕は顔を赤らめてしまう。二人の恋路を、覗き見しているような気分になってしまった。ジョージは、取り囲む見物客を、悪戯っぽく見回す。描き上げたクロッキー帳をお大袈裟に、みんなに見せつけた。


「男の子のサファイヤと、女の子のサファイヤ。どうかな? 気に入ってくれたら、嬉しいんだけど……」


「ホ――」


 見物客から、感嘆の声が漏れる。首を伸ばして、みんながその絵を見ようとした。


「サファイヤ王子。これで許してくれるかな?」


 ジョージの呼びかけに、加藤裕子がジョージを見つめる。顔が真っ赤に染まっていた。


「え、えぇ。許すわよ。何度も言わせないで……」


 ジョージの視線に耐えきれず、恥ずかしそうに加藤が目を背ける。そんな加藤の手を握りながら、坂口直美が呆けたように呟いた。


「百合だ……」


 誰かが、パチパチと手を叩く。続くようにして、拍手が起こった。加藤と坂口が、驚いたように、周りを見回す。ジョージは、そんな見物客に向かって、何度もお辞儀をして応えた。ジョージは、加藤裕子と坂口直美に問い掛ける。


「君たち二人の似顔絵を、僕に預からせて欲しいんだけど、良いかな?」


 加藤が、悩まし気に答える。


「ジョージが描いた絵だし、私は良いけど……一体、どうするの?」


 ジョージが、ニコッと笑った。


「ちょっとね、僕の仕事の看板に使いたいんだ」


 今度は、僕の横に立っていた貴子お姉さんにも、声を掛けた。


「貴子さん、貴女の絵も預からせて欲しいんだ」


 貴子お姉さんが頷く。すると、今度は、カメラ屋の入り口に立っていたマナブに、視線を向ける。


「マナブ君、セロテープを貸してくれないかな?」


 ジョージは描き上げた似顔絵を、クロッキー帳から、一枚一枚引き剝がす。借りたセロテープで、それらの似顔絵を、カメラ屋のショーウインドウに次々と貼り付けていった。僕は、その様子を、呆気にとっられて見つめる。


 凄い……壮観だ!


 ジョージが描いた躍動感ある似顔絵が、美術館の展示品の様に並べられた。泣いた顔、怒った顔、おどけた顔。その似顔絵の中心に、貴子お姉さんの似顔絵が、女王様のように君臨している。それらの作業が終わると、クロッキー帳に似顔絵の料金設定を書き出し、それも一緒に貼り付けた。ジョージが、見物客に向かって、声を張り上げる。


「いらっしゃいませ。さあ、いらっしゃいませ。私は、似顔絵師です。ご要望とあらば、貴方の似顔絵を描かせて頂きます」


 ジョージの腕前を目の前で見せられた見物客が、次々と手を上げた。ジョージは、そうしたお客様を誘導して、椅子に座らせる。鉛筆を手に持って、次々に似顔絵を描き始めた。手を動かしながらも、ジョージの狂言回しは止まらない。お客さんを弄っては笑わせて、似顔絵を見せては笑わせる。入れ替わり立ち代わり、お客さんの流れは止まらなかった。


 僕たちは、そんなジョージの為に、晩ご飯を買いに行くことにした。一旦、その場を離れて、貴子お姉さんを中心に、みんなと一緒に川添まつりの本会場に向かう。屋台を巡りながら、イカの姿焼きや、かき氷を食べた。金魚すくいや、的当てを楽しんだ。とっても楽しかったけれど、ジョージの為に差し入れを買わないといけない。みんなと相談して、たこ焼きと唐揚げを買った。カメラ屋に戻ってみると、ジョージの周りは、相変わらず見物客が多かった。


 次の日も、ジョージはカメラ屋の前で似顔絵を描き続けることになった。昨晩、張り出された似顔絵の殆どは、剥がされてしまった。モデルになった見物客が持って帰ったのだ。貴子お姉さんの似顔絵と、加藤と坂口の百合の絵だけは残っている。マナブのお父さんの好意で額に納められ、店頭に展示された。二枚の絵はとても好評で、通り過ぎる人々の足を止める看板として、十分に機能していた。似顔絵を描きまくったジョージは、この二日間で、まとまったお金が出来たようだ。


 お祭りが終わると、僕たちは、ジョージの後片付けを手伝いに行った。後片付けと言っても、荷物は殆ど無い。ジョージの事が気になっていただけだ。ジョージが、マナブのお父さんに店先を借りたことでお礼を言うと、お父さんがジョージに切り出した。


「ジョージさん、お願いがあるんですが……」


「はい、何でしょうか」


「店頭に飾っていた二枚の絵なんですが、このまま展示させてもらえないでしょうか?」


「えっ! これらの似顔絵ですか?」


「ええ、お客さんに評判みたいでして、今日一日、この絵のことばっかり褒められるんですよ。ウチも客商売ですから、お客様に足を止めて頂けるのは、嬉しい限りでして。カメラ屋なんですけどね……」


 そう言って、マナブのお父さんは、頭を掻いた。ジョージが、そんなお父さんに笑いかける。


「僕は構いません。ただ、これらの絵は、もう僕のものではありません。モデルの物なんです」


 ジョージが、僕たちを見回した。加藤裕子が、ジョージを見つめる。


「私は、構わないわよ。大体、直美と一緒だし、二つに分けられないもんね。どうする、直美?」


 坂口直美が、加藤を見た。


「私は、どっちでも良いよ」


 どっちでも……またしても直美節。一人ほくそ笑んでいると、貴子お姉さんが、口を開いた。


「私も、構わないかな。ちょっと恥ずかしいけれど……」


 二枚の似顔絵は、夏休みの間、カメラ屋で飾られることになった。夜も遅くなったし、これで解散というタイミングで、ジョージが貴子お姉さんを呼び止めた。


「貴子さん」


 お姉さんが振り向いた。


「なに?」


 ジョージが、真剣な眼差しで、お姉さんを見る。


「昨日、君に伝えたけれど、是非とも、君の肖像画を描かせて欲しい。どうだろう?」


 お姉さんが、微笑む。


「ええ、良いわよ。私は、どうしたら良いのかしら?」


 ジョージは、ホッとした表情を浮かべる。


「明日、肖像画に必要な画材を買いに行くつもりなんだ。貴子さんが都合の良い時に、僕の所に来てくれないだろうか。場所は、小林君が知っている」


「分かった。楽しみにしている」


「ありがとう」


 ジョージが、僕たちを見回した。


「みんな、本当にありがとう。みんなのお陰で、昨日と今日と、大成功に終わることが出来たよ」


 予告状から始まった、ジョージの計画は見事完遂された……のだろう。引き籠っていた貴子お姉さんを、引っ張り出すことが出来た。元気に笑わせることも出来た。でも、それだけでは終わらなかった。ジョージが、貴子お姉さんを、本当に盗んでしまったのだ。肖像画の一件が心配だ。どうなってしまうんだろう。不安な気持ちに苛まれながら、僕は貴子お姉さんと一緒に、家に帰った。

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