第25話 似顔絵

 ジョージと貴子お姉さんとのやり取りを、緊張した面持ちで見ていると、小川が近づいてきた。僕のことを、肘で突っつく。


「おい、小林」


「なんや?」


「あれを見ろよ!」


 小川が、一人の男の子を指差す。その手には、一枚の絵が握られていた。


「あの絵、ジョージが描いたんやで」


 僕は、その絵を見つめる。鉛筆で描かれた似顔絵だけれど、その少年とそっくりだ。そっくりなんだけど、とても奇妙な表情をしていた。ひょっとこのように唇を突き出しているし、目は寄り目になっている。


「プッ!」


 小さく吹き出してしまった。


「なあ、面白いだろう。ほら、周りも見てみろよ」


 ジョージを取り囲む人々を見回した。似顔絵を持っている人が何人かいた。どの似顔絵も、みんな奇妙な表情をしていた。泣いている顔、怒っている顔、叫んでいる顔。極端に表情を強調した、それらの似顔絵は、どれも真に迫っている。映画のワンシーンを切り取ったみたいで、今にも動き出しそうな勢いがあった。この見物客たちは、この似顔絵を見せられて笑っていたんだ。ということは、ジョージが盗むと言ったのは、似顔絵を描くことだったのか……貴子お姉さんの推理は、大きくは外れてはいなかったことになる。


 貴子お姉さんも、そのことに、直に気が付いたようだ。辺りを見回して、それらの似顔絵を見定める。ジョージを見て、鼻で笑った。


「フッ! 盗むって、似顔絵のこと?」


 ジョージは、貴子お姉さんを見つめると、カッ! と目を開いた。両手で頬を押さえると、身体をくねらせて、天を仰ぐ。悲壮な表情を浮かべて、叫んだ。


「あぁぁ〜、何ということだー!」


 貴子お姉さんは、ジョージの激情な変化に驚いてしまい、椅子ごと後退った。僕も、ビックリしてしまう。でも、周りの見物客は違った。そんなジョージを見て、クスクスと笑っている。


「な、何よ、急に……」


 目の前で、膝を崩して蹲るジョージ。そんなジョージに、貴子お姉さんが動揺した。ジョージは、蹲ったまま顔をあげない。暫しの沈黙が訪れた。僕も、固唾をのんで、その様子を見守る。ジョージが、ゆっくりと立ち上がった。


「ああ、何ということだ、お姫様は、悪い魔法使いの力は信じるのに、泥棒の力は信じようとしなかった……」


 貴子お姉さんが、眉を顰める。


「何それ……もしかして、ルパン?」


 ジョージが、悲しそうな目を、お姉さんに向けた。両手を大きく広げて、お姉さんに訴えかける。


「君が信じるのなら、僕は、空を飛ぶ事だって、湖の水を飲みほす事だって出来るのに……」


 ジョージの芝居がかった演技に、貴子お姉さんが、呆れた表情を浮かべた。大きく息を吸い、ジョージに語りかけようとする。その時……ジョージが、おもむろにポケットから小さな小刀を取り出した。カメラ屋の蛍光灯に照らされて、その刃がキラリと光る。貴子お姉さんが、驚いてそれを見つめた。


「こ、今度は、何なのよ……そ、そんなものを持ち出して……」


 貴子お姉さんは、またしても動揺した。ジョージは目を細めて、その小刀を見つめる。ゆっくりと椅子に手を伸ばした。椅子の上には、クロッキー帳と鉛筆が置かれている。その鉛筆を取り上げた。驚いている貴子お姉さんを、悪戯っぽく見つめる。


「何って? 鉛筆を削るんですけど……」


 見物客が、二人のやり取りを見て、クスクスと笑った。お姉さんが、周りを見回す。動揺を隠そうとしながら、ジョージを睨みつけた。


「に、二十面相さん。や、やる事が、わざとらしいのよ。偉そうに、盗むとか、言ったりして……」


 ジョージは、そんなお姉さんに微笑みかけると、鉛筆を削り始めた。今度は、何も話さない。まるで、周りに誰も居ないかのように、真剣に鉛筆を削り続けた。鉛筆の先っぽに顔を近づけて、仕上がりを入念にチェックしている。そんなジョージに、お姉さんが毒づいた。


「あんた、最低ね。こんな茶番で、私を盗んだっていうのなら、全然納得が出来ないわ!」


 ジョージが顔を上げた。貴子お姉さんを、真っすぐに見据える。胸を張り、背筋を伸ばすと、ゆっくりと辺りを見回した。


「この間、山口組の三代目組長が亡くなられました」


 見物客はもちろんのこと、貴子お姉さんも、僕も、ジョージの言葉に眉を顰める。一体、何の話をするつもりなんだ。山口組の組長と言えば、最近、テレビで話題になっている。お父さんが、ヤクザの大親分だって言っていた。大親分の死に、ジョージが関係しているのだろうか? ジョージの次の言葉を、僕は、固唾を呑んで見守った。


「彼の死因は何ですか? 心不全ですか? それは、本当なんですか?」


 ジョージが、ゆっくりと間を取る。手を伸ばすと、今度はクロッキー帳を取り上げた。ページを捲り、鉛筆を走らせる。手を止めないで、ジョージは語り続けた。


「彼の周りには、多くの女性がおりました。その中でも、特別に大切にしている、一人の女性がおりました。今はその人の名を、『貴子』と呼んでおきましょう」


 貴子お姉さんが、目を見開いた。僕も、ビックリする。


「美しい女性でした。それはもう言葉では言い表せないほどの、美しい女性でした。山口組の田岡一雄は、私に依頼をしました。僕に、貴子の、肖像画を、描いてくれと……」


「本当か?」


 見物客の一人が、ジョージに疑問を投げかけた。ジョージは、その見物客に、手に持っていたクロッキーを見せる。テレビで、度々紹介されていた田岡一雄が描かれていた。


「さあ、どうでしょう。私は、怪人二十面相ですからね。もしかすると、嘘かもしれません」


 ジョージは、怪しげに微笑んだ。田岡一雄が描かれたクロッキー帳を捲り、新しいページを開く。


「彼は、肖像画の為に、僕に、即金でお金を渡してくれました」


「なんぼや?」


 また、見物客から、声が上がった。ジョージは、その男を見る。


「百万円」


「オ――――」


 見物客から、感嘆の声が漏れる。ジョージは、鉛筆を手にすると、また、何かを描き始めた。手を動かしながら、喋り続ける。僕は、その器用さに驚いてしまう。


「私、怪人二十面相は、美人画専門の絵師でございます。美しい女性を描くことに、生きがいを感じております。田岡大親分だけでは、ありません。私の絵を求める蒐集家は、政財界に多数おられます」


 ジョージが、顔を上げた。困ったような表情を、僕たちに見せる。


「ところが、一つ、問題がございまして……」


 僕たちは、ジョージの次の言葉を待つ。


「私が、命を削って、肖像画を仕上げると、決まって……モデルの方が、私を好きになってしまうのです」


 ジョージが、貴子お姉さんを、真っすぐに見つめた。手に持った鉛筆は、動かし続けている。


「私の絵には、力があります。田岡組長は、ひょっとすると、私に盗まれたその貴子に……殺されたのかもしれませんね」


 場が、凍り付いた。沈黙が訪れる。ジョージは、僕たち一人一人の顔を順番に見回した。クロッキー帳に描き上げた絵を、大げさな身振りで、僕たちに見せる。


「狙った獲物は逃さない」


 僕たち見物客は、ジョージが描いた絵を見ようと、首を伸ばした。暫しの沈黙。


「ワッハッハッハッ……」


 僕たちは、その絵を指差して、大笑いをした。ジョージの言葉は、ルパン三世の決め台詞だ。でも、それよりも、問題は描かれた、その似顔絵だ。貴子お姉さんが描かれているのだが、もみ上げが伸びている。髪の毛も、短髪だ。貴子お姉さんが、描かれているのは間違いない。でも、ルパン三世にも見えてしまう。とっても美しいルパン三世だった。貴子お姉さんの、顔が歪む。一人だけ笑っていない。お姉さんは、ジョージを睨みつけた。


「どうせなら、不二子が良かった」


 貴子お姉さんの、拗ねた声。


「ブワッハッハッハッ……」


 貴子お姉さんの一言に、大波が弾ける様に、笑いが爆発した。太田も小川も、笑った。僕も、笑った。貴子お姉さんも、お腹を抱えて、涙を流しながら笑っていた。


 ジョージの顔が、パッと明るくなる。椅子に座り直すと、ジョージは、またクロッキー帳の新しいページを開いた。真剣な眼差しで、貴子お姉さんを見つめる。凄い勢いで鉛筆を走らせ始めた。鉛筆を走らせながら、ジョージが、貴子お姉さんに語りかける。


「ごめんね、こんな茶番劇に付き合わせてしまって。僕はね、描きたい意欲が高まれば高まるほど、どうしても、モデルを揶揄いたくなるんだ。色々な表情をね、モデルから引き出してみたいんだ。貴子さん、さっきのセリフ、最高だったよ」


 貴子お姉さんは、絵を描き続けるジョージのことを、悪戯っぽく睨みつける。


「どうせ描いてくれるんなら、美しく描いてよね。美しく……」


 ジョージが、嬉しそうに笑った。


「分かってる。僕も美しい絵を描きたい。こんなテンション、久しぶりだよ」


 貴子お姉さんが、真剣な眼差しのジョージに問い掛ける。


「私……何か、ポーズでも取った方が良いかな?」


「いや、いい。かしこまらずに、ゆっくりと座っていたら良いよ。そうだな……僕の話し相手になってよ。僕は、写真のように精密に絵を描くのは趣味じゃないんだ。変化を続ける、君という人間を見てみたい。先程の茶番もね、凍り切った君の心を溶かすために、必死だったんだよ。じつは……」


 ジョージは、貴子お姉さんに片目をつぶって見せた。そんな、ジョージを見て、お姉さんが微笑む。


「面白い人。似顔絵よりも、おしゃべりの方が上手なんじゃないの」


「言うねー、お姫様。さっきも言ったけど、注意しなきゃいけないよ」


「何を?」


「だから、僕が命を削って絵を描くと、モデルは僕の虜になってしまうんだよ」


「本当かしら?」


 貴子お姉さんが、上目遣いにジョージを見つめた。


「ほら、僕のことが気になり始めただろう?」


 剽軽なジョージの物言いに、お姉さんが、悪戯っぽく笑う。


 ジョージの絵が気になった僕は、絵を見るために移動した。ジョージの後ろに回り込む。クロッキー帳に描かれた貴子お姉さんは、モナリザのような不思議な表情で微笑んでいた。今までよりも、少し時間を掛けて、ジョージは似顔絵を描き切る。


「出来た!」


 ジョージは顔を上げると、貴子お姉さんを見つめた。出来たばかりの絵を胸に抱きしめて、立ち上がる。近づいていくと、目の前で片膝をついた。貴子お姉さんを、真っすぐな目で見上げる。出来たばかりのその絵を、恭しくお姉さんに差し出した。


「今はこれが精一杯」


 取り囲む見物客が、また笑い出した。太田も小川も、一緒になって笑っている。また、ルパン三世のネタだ。映画で、ルパンがクラリスに言ったセリフだ。面白い。確かに面白かった。でも、僕は、そんな二人の様子を見て、笑うことが出来なかった。貴子お姉さんが、嬉しそうにすればするほど、僕の心が、ズキズキと痛んだ。何だろう、この気持ちは……僕は、眉間に皺を寄せる。貴子お姉さんは、自分が描かれた絵を、時間を掛けて眺めた。顔を上げると、嬉しそうにジョージを見る。


「ありがとう。とっても嬉しい」


 また、胸が痛い。二人のことを見ていられない。何だか、ジョージの事が、憎く思えてしまう。ジョージは、貴子お姉さんを見つめたまま、更に話しかける。


「今度、君の肖像画を描かせてくれないかな。百万円以上の、最高のものを描いてみたい」


 お姉さんは、コクリと頷いた。

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