第24話 怪人二十面相

 月が出た出た 月が出た ヨイヨイ

 三池炭鉱の 上に出た

 あんまり煙突が 高いので

 さぞやお月さん けむたかろ サノヨイヨイ



 会場の方角から、雑音だらけの炭坑節のメロディが聞こえてきた。あの祭囃しを耳にすると、何だか切ない気持ちになってしまうのは、何故なんだろう? どんなものでも、いつかは終わる。そんな気持ちにさせられてしまうのだ。夏休みにしても、お祭りにしても、貴子お姉さんとの、この瞬間にしても。終わりっていうのは、必ずやってくる。


 僕は、貴子お姉さんと手を繋いで歩いていた。歩きながら、繋いでいる手に力を入れる。この手を離したくない。何だか切なくて、胸が少し苦しい。初めて感じる気持ちだ。お姉さんにしてみれば、弟と手を繋いで歩いているくらいのことかもしれない。でも、僕は違う。


「ねえ、ヒロ君」


 貴子お姉さんが、僕を呼んだ。


「なに?」


「予告状のことなんだけれど……」


 ああ、そうだった。お姉さんと手を繋いだことに心が奪われてしまって、本来の目的を忘れていた。僕は、お姉さんに予告状を渡したんだった。内容について、気になっているに決まっている。見上げると、お姉さんが言葉を続けた。


「差出人の怪人二十面相って、誰?」


 お姉さんが、眉間に皺を寄せて、僕を見た。なんて説明しようか。ジョージを、一口で言い表すのは、とても難しい。


「ジョージっていうんだ。初めて会った時は、お爺さんで、死にかけていた」


 貴子お姉さんが、眉を顰めた。


「それで?」


「お姉さんを盗むことになって、髭を剃ったら、お兄さんになったんだ」


 貴子お姉さんが、足を止める。僕の顔を、真っすぐに見つめた。


「ごめん。よく分からない。ヒロ君、もっと分かりやすく説明して欲しいんだけど」


 僕は顔を赤くしてしまう。大きく深呼吸をすると、僕は学校のみんなと、肝試しをしたところから、順番に話を始めた。歩きながら、お姉さんは根気よく聞いてくれる。話で分からないところがあると、短く質問を挟みながら、お姉さんは真剣に僕の話を聞いてくれた。何だか、お姉さんとの会話が、とても楽しい。夢中になっていた。途中で、マナブのカメラ屋の前を通ったけれど、まだ、準備は出来ていなかった。そのまま歩き続けて、お祭りの本会場に向かう。僕は、もう少しだけ、貴子お姉さんとの時間を楽しみたかった。



 一山 二山 三山 越え ヨイヨイ

 奥に咲いたる 八重つばき

 なんぼ色よく 咲いたとて

 サマちゃんが通わにゃ 無駄の花 サノヨイヨイ



 まだ日は落ちていないのに、お祭りの会場は多くの人達で賑わっていた。櫓の周りで、浴衣を翻し切れの良い舞を見せている踊り子たち。焼きトウモロコシを食べながら、楽しそうに歩いている男女のカップル。狐のお面を被って、人混みの中を走り回っている男の子。赤い金魚が入ったビニール袋を、手にぶら下げている女の子。炭坑節のメロディが、僕たちを囃し立てる。踊れ騒げと、囃し立てる。


 落ちていく夕日の赤、ぶら下がる提灯の赤、烏賊を焼く炭火の赤。お祭りの熱気に、僕達も赤く染められていく。そんな中で、貴子お姉さんの浴衣だけは、白地に青い朝顔が咲いていた。貴子お姉さんだけが、ひとり浮かび上がるようにして咲いている。僕は、そんなお姉さんを、うっとりと見つめていた。


「ところでね」


 貴子お姉さんが、僕に問いかける。


「具体的に、どうやって私を盗むと思う?」


 僕は、驚いた。このお祭りの会場に居ながら、貴子お姉さんは、全く赤く染まっていない。何ていうか、独立独歩。どうやら、お祭りよりも怪人二十面相との対決で、頭がいっぱいのようだ。


「連れ去ったりはしないと思うけど、ジョージ……自信満々だったよ」


 お姉さんは、腕を組んで赤い空を見上げた。


「そこのカメラ屋で、落ち合うって言っていたよね。どんな準備をするのかしら?」


 僕は、今朝のジョージの話を思い出す。


「店前に、椅子を用意するって言っていた」


「椅子!」


 そう呟いて、眉間に皺を寄せる。


「他にはね、お姉さんが笑えるように、努力をするって」


「私を、笑わせるの! うーん、他には?」


「生活する為に、このお祭りで商売をするって……」


「商売?」


「うん」


 お姉さんが、真剣な眼差しで、僕を見る。


「その二十面相は、お金も無いくせに商売をするって言ったのね……ということは、二十面相にしかできない、何かしらの特技があるのかしら……」


「特技?」


「そう。例えば、本物の怪人二十面相はサーカスの団員だったっていう設定でね、変装はもちろんのこと、体術も凄いの」


「ジョージは、サーカスの団員には見えないなー。だって、ガリガリだもん」


「うーん。サーカスの事は兎も角、椅子があれば、直ぐにでも商売が出来る特技があるっていう事よね。そんな商売、あったかしら? しかも、私を盗むんでしょう……」


「なんだろうね」


「他には、何かなかったかしら。例えば、特別な荷物を持っていたとか?」


 僕は、ジョージが居た部屋を、頭の中に描いてみた。特別な荷物……あの散らかった部屋の中で、僕には、どれがジョージの荷物なのかが分からない。


「外には、サイクリング自転車が止まっていた」


「その二十面相、自転車で旅行をしていたんだよね。旅行の間も、その商売をしていたのかな……」


「うーん。分からない」


 お姉さんが足を止めて、僕を見た。


「まさか、カメラ屋なだけに、私を椅子に座らせて写真を撮りました、なんてオチじゃないでしょうね」


 僕は、お姉さんの言葉に、首を捻る。その時、お姉さんが、急に笑い出した。


「アッハッハッ……可笑しい」


 僕の手を握り締めて、お姉さんがお腹を抱える。そんなお姉さんを見上げながら、僕は嬉しくなった。笑って、笑って、一頻り笑ったあと、涙目で僕を見つめる。


「もう降参。笑いすぎて、今まで何に悩んでいたのか、忘れてしまった。アー、可笑しい。もうそろそろ、時間よね。行こうか、二十面相のところに……」


 僕は、頷いた。お祭りの本会場を後にして、目的地に向かうことにする。マナブのカメラ屋は、スーパーダイエーの向かいにあった。赤いレンガをあしらった洋風の店構えで、かなり立派に見える。その店の前で、沢山の人だかりが出来ていた。僕は、目を丸くする。


「たくさん集まっている……」


 お姉さんを見上げて、僕は呟いた。貴子お姉さんも、頷く。その人だかりを、目を細くして見つめた。


「何の商売かしら? 結構、賑わっているようね」


 見物客の中に、背の高い太田の姿が見えた。面白そうに笑っている。よく見ると、小川もマナブもいた。みんな楽しそうだ。お姉さんが、足を止める。


「ねえ、ヒロ君。二十面相って、どの人?」


 僕も、目を細める。


「うーん、ここからでは見えない。多分、あの人だかりの真ん中に居るんじゃないかな。長い髪の毛を、後ろで纏めているから、会えば直ぐに分かるよ」


 その時、周りを囲む見物客が、一斉に笑い始めた。かなり盛り上がっているようだ。僕と、お姉さんは顔を見合わせる。


「行きましょうか」


 貴子お姉さんが、僕の手を、強く引っ張った。グイグイと歩いていく。群集に近づくと、中心で椅子に座っていたジョージが、僕と貴子お姉さんを見つけて立ち上がった。そして、周りを囲む人達に向けて、大きく手を広げる。まるで、演劇の俳優のようだ。


「さて、皆さん。お待たせいたしました。今夜のヒロインの登場です。悪い魔法使いの所為で、笑うことを奪われたお姫様。正義の味方、この怪人二十面相が、彼女を笑わせてみせましょう」


「怪人二十面相は、正義の味方じゃないぞ!」


 見物客の一人が、ジョージに、ツッコミを入れた。ジョージは、その見物客を見ると、ニヤッと笑う。


「そうでした、そうでした。怪人二十面相は、泥棒でしたね」


 ジョージは、怪しげな笑顔で、貴子お姉さんを見つめた。


「はじめまして、わたくし、怪人二十面相と申します」


 左手をお腹のところに添えると、ジョージは恭しくお辞儀をした。顔を上げると、貴子お姉さんを、真っすぐに見つめる。お姉さんが、少し警戒した。


「はじめまして、二十面相さん」


 ジョージは、貴子お姉さんを値踏みするように、上から下まで観察した。


「貴子様ですね。お待ち致しておりました。それにしましても、まあ、お美しい。噂通りのお方だ。今夜の、私の獲物としては、この上もなく最高の代物だ」


 貴子お姉さんが、ジョージを睨みつける。そんなお姉さんの視線すら楽しむようにして、ジョージが微笑んだ。


「では、お姫様。そちらの椅子に、座って頂きましょうか?」


 取り囲む見物客の中央には、二つの椅子が、向き合うようにして設置されていた。


「座ればいいのね」


「ええ、貴女を盗んで差し上げましょう」


 見物客の好奇の目が、お姉さんに注がれる。


「楽しみにしていたわ。この時を」


 貴子お姉さんが、歩みを進める。浴衣の合わせ目を手で整えると、ゆっくりと椅子に座った。立っているジョージを見上げる。目を細めて、挑戦的に睨んだ。

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