第20話 光の正体
扇風機が、首を振って、風を送っていた。その横で、僕は本を読んでいる。本屋で買ってきた青銅の魔人だ。やっぱり面白い。集中して読んでいたけれど、額から汗が流れだしてくる。顔を上げて、汗を拭うと、その原因が分かった。弟が扇風機を独り占めしていたのだ。顔をくっつけて、「ワレワレハ宇宙人ダ」と言っている。
「トシ、扇風機をこっちに向けて」
「でも〜」
トシは、もっと扇風機で遊びたそうだった。でも、そんな弟を無視して、僕は、扇風機を取り上げる。首振りを、固定に替えて、自分に向けた。また、本を読み始める。トシが、居間を出ていった。台所にいるお母さんを、呼びに行ったようだ。暫くすると、案の定、お母さんがやってきた。
「ヒロちゃん、兄弟なんだから、仲良くしなさいね」
トシが、お母さんに隠れて僕を見ている。
「違うよ。最初に扇風機を独り占めしたのは、トシの方や」
「でも、お兄ちゃんでしょう」
「でも……」
僕が、眉をひそめると、お母さんが話題を変えてきた。
「お昼ご飯にしましょうか?」
「ご飯、なに?」
「チキンラーメン、食べる?」
お母さんが、悪戯っぽく微笑んだ。
「食べる!」
僕もトシも、即答だった。お母さんから、チキンラーメンを受け取ると、丼に乾麺を入れた。ぎこちなく卵を割って、麺の上にのせた後、お湯をかける。蓋をして、後は三分間、待つだけ。時間が来て蓋を取ると、お母さんが、仕上げのネギをのせてくれた。
「いただきま~す」
チキンラーメンの縮れた麺を、ズズズーと音をさせて食べる。とても美味しい。毎日、チキンラーメンを食べれたら幸せだな、と思ってしまう。目の前で、トシがテレビに近づいた。スイッチを入れて、チャンネルをガチャガチャと回す。ブラウン管の中から、甲高い話し声が飛び出してきた。
「いま、話題の映画、薬師丸ひろ子が主演する『ねらわれた学園』を、皆様にご紹介したいと思います。この映画は……」
クラスの女子達が、話題にしていた映画だ。チキンラーメンを啜りながら、見るともなく見ていると、映画の主題歌が流れ始める。松任谷由実の「守ってあげたい」という曲だった。
その歌声を聴いていると、なんだか貴子お姉さんのことを思い出してしまった。僕も、お姉さんを守ってあげたい。あの事件から、十日ほどが過ぎた。昨日、本屋で出会ったマサルお兄さんじゃないけれど、お姉さんのことを思い出すと、心が痛い。元気になって欲しいと思う。でも、今の僕に、何ができるのだろう……。
リンリンリン……
電話のベルが鳴った。お母さんが立ち上がる。ラーメンの残り汁を飲み干していると、お母さんが僕を呼んだ。
「ヒロちゃん、お友達の太田君から、電話よー」
丼を置いて、立ち上がる。
――いよいよか!
期待の気持ちが膨らんだ。お母さんから、受話器を受け取る。
「もしもし」
「小林、忙しいか?」
「いや、全然。暇してた」
「行くか?」
「行く。調べるんか?」
「そうや。あの光のことが気になってしょうがないんや」
「皆は?」
「ああ、小川とマナブにも話をしてる。今から現地集合や」
「分かった」
電話を切ると、僕は二階の子供部屋に向かった。七つ道具が入っているナップサックを手にして、階段を下りる。
「出かけるの?」
お母さんが、僕に問いかけた。
「うん」
靴を履いて、玄関から飛び出した。自転車の前カゴにナップサックを入れて、秘密基地に向かう。とてもワクワクしてきた。黒い子猫が死んでいた丁字路を通過する。廃墟になった工場を、僕は横目に見た。向こうに、子猫の墓になった低い木が見える。青い葉っぱが、太陽に照らされて、光っていた。二日前のことが、まざまざと思い出される。子猫は、安らかに眠ってくれただろうか。
そのまま直進して、小学校の正門を通り過ぎると、有刺鉄線が破けた入り口に、太田たちが集まっているのが見えた。
「中に、入らへんのか?」
僕は、太田たちに声を掛けた。
「小林を待っていたんや?」
太田が、返事をする。
「本当? 怖かったんちゃう」
太田が、鼻で笑った。
「あほ」
僕は、太田たちの傍に、自転車に乗ったまま近づいた。
「自転車はどうする?」
小川が、僕に返事をする。
「邪魔になるから、中に入れておこうか」
太田と小川とマナブは、道路に止めていた自転車を、工場の敷地内に止め直した。僕も、同じように自転車を止めた。僕は、太田が手にしているバットに視線を送る。
「さっきから気になっていたんやけど、それで戦うの?」
太田が、バットを振り上げる。
「もしもの場合はな」
「でも、本当に幽霊やったら、バットは効かへんのとちゃう?」
「まー、その時は……幽霊と野球でもするか」
僕は太田を見て、笑う。
「それは面白いな」
昼間だし、仲間がいるし、僕達にはまだ余裕があった。でも、誰も前に歩もうとしなかった。一列に並んで、白い団地を見上げる。やっぱり気味が悪い建物だ。猛暑の中に立っているのに、悪寒が背筋を駆け上がってくる。人が生活をしていた様子が残っているのに、誰もいない。部屋によっては、荒されたような跡も残っていた。洋服や下着が散乱していて、食器や玩具が放置されている。建物の前にも、三輪車や人形が転がっていた。太田が、足元の人形を蹴っ飛ばしてみた。建物に向かって、人形が弧を描いて飛んでいく。地面に落ちると、白く汚れて、転がった。
「光が灯ったのは、一階の右端やったな」
太田が、部屋を見据えて、呟いた。
「ああ、そうや」
僕は、返事を返す。あの時の記憶が蘇ってきた。加藤裕子が、叫んだ時、あの光は消えたのだ。その時、僕は、異変に気が付いた。全体的に散らかっている中で、その右端の部屋の周辺だけが、人の手が加わったように整っているような気がしたのだ。綺麗とは言えない。でも、違うのだ。小川も、気が付いたようだ。
「たぶん、誰か住んでる」
小川が、小さな声で呟く。僕たちは、次の行動に迷ってしまった。僕たちも、バスを秘密基地として勝手に使っている。ということは、これはご近所さんということになるのだろうか……。
「どうする? この場合は、挨拶……かな?」
僕の言葉に、太田が足を踏み出す。バットを持ち上げた。
「挨拶やな。幽霊やないんやろう」
太田が、強気になっている。今日は、何だか頼もしい。僕たちは、足を忍ばせて、部屋に近づいた。火が点った窓の下に到着する。窓は、半分開いていた。小川は、太田の肩をチョンチョンと叩くと、窓に向かって指をさす。理解した太田は、ゆっくりと背筋を伸ばした。開いている窓から、中を覗く。
「あっ、人が死んでる!」
太田が、素っ頓狂な声で叫んだ。太田の大声に、心臓が飛び出るほどに、吃驚した。僕も、小川も、マナブも思わず、逃げ出しそうになってしまう。窓を覗いている太田だけが、冷静だった。
「ちょっと待って」
僕たちの、足が止まる。太田が、僕たちを手招きした。
「確認に行こう」
大田を先頭にして、僕たちは団地の中に入る。玄関の前に立った。玄関のドアは、開けっ放しになるように固定されている。ゆっくりと中を覗いてみた。家の中は、風通しを良くしているお陰で、それほど暑くはなかった。狭い玄関の先に、先ほど太田が覗いた部屋の入り口が見える。僕たちは、靴を履いたまま、足を忍ばせた。部屋の中を覗く。部屋の真ん中に、お爺さんが倒れていた。髪の毛も、顎ヒゲも、ボウボウに伸びている。乞食というほど、汚い身なりではなかったが、ガリガリに痩せているのが分かった。
「おい、生きているか?」
大田が、その老人に声を掛ける。死んでいると思っていたが、ピクリと動いた。まだ、生きている。僕たちは、思い切って部屋の中に雪崩れ込んだ。お爺さんを、取り囲んで、様子を見る。お爺さんは、目を開けると、小さな声で呟いた。
「水……」
マナブが、肩にかけていた水筒を、持ち上げる。なんて用意が良い奴なんだ。僕は、素直に感心した。僕と太田が、お爺さんを両脇から抱え上げて、上半身を起こしてあげる。小川は、水筒の蓋に注がれた麦茶を、マナブから受け取ると、お爺さんの口元に持っていった。お爺さんは震える手をコップに添えて、ゆっくりと飲み始める。喉が上下に動き、ゴクゴクと飲み始めた。お茶を飲み干すと、お爺さんは胸を膨らませた後、大きく息を吐いた。
「ふ――――、ありがとう。助かった」
お爺さんは、軽い脱水症状になっていたようだ。でも、起き上がれるほど元気ではない。僕たちは、お互いに顔を見合わせた。
「君たち……」
お爺さんが、掠れた声で、僕たちを見回す。
「すまないが、何か食べさせてくれないか。ここ三日ほど何も食べてない」
準備の良いマナブでも、さすがに食べ物までは用意していなかった。すると、太田が口を開く。
「ちょっと待っとき」
そう言って立ち上がった。
「俺、家に帰って、何か食べもんを取ってくるわ」
すると、そのお爺さんが、太田を見る。
「チキンラーメンが、食べたい」
僕たちは、顔を見合わせた。
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