第21話 予告状

 お爺さんを部屋に残して、僕たちは、一旦家に帰った。お爺さんが、チキンラーメンって言っていたので、食べさせてあげたい。でも、お母さんに、なんて説明しようか? 死にかけのお爺さんに食べさせる、なんて言ったら、吃驚するにするに違いない。その時、僕はヤクザから貰ったお金のことを思い出した。自転車の進路を、自宅からスーパーダイエーに変更する。


 チキンラーメンを購入した僕は、お爺さんがいる団地に到着した。まだ、自転車が一台も止まっていない。僕が一番乗りのようだ。一人で部屋に入ることに、少し躊躇する。でも、買ってきたチキンラーメンを、早くお爺さんに見て欲しかった。部屋に入る。


「はい、チキンラーメン」


 お爺さんは、壁にもたれて座っていた。僕を見て、お爺さんが微笑む。


「ありがとう。嬉しいよ」


 お爺さんの返事に、僕は得意になる。お爺さんの横に座り、チキンラーメンを差し出したが、重大なことに気が付いた。このままでは、食べることが出来ない。家に居るときは、お母さんが、当たり前に調理してくれた。でも、この廃墟では、その当たり前なことが出来ない。どうしよう……。


「ここでは、チキンラーメンが作れないね」


 気落ちした声で、呟いてしまう。すると、お爺さんが立ち上がろうとした。


「ヨッコラショ!」


 僕は、驚いてお爺さんを支える。


「体、大丈夫ですか?」


「ああ、大丈夫。確か、カセットコンロがあったような……」


 お爺さんは、壁に手を付きながら、ヨロヨロと台所の方に歩いてく。僕もその後を追いかけた。お爺さんは、まるで自分の家のように袋棚を開けると、中からカセットコンロを取り出した。


「ほら、あった。後は……」


 水道の蛇口を捻った。でも、水は出ない。


「やっぱり、出ないか〜」


 何とかお爺さんを、喜ばせたい。僕は、お爺さんを見上げた。


「学校から、水を取ってくるよ」


 お爺さんが、驚いた顔で僕を見下ろす。


「お願いして、良いのかな……」


「まかして!」


 僕は、笑顔で頷いた。お爺さんは、台所から大きめの水筒を探し出して、僕に手渡してくれる。僕は、それを受け取って、表に飛び出した。丁度、その時、太田がマナブを連れて、こちらに歩いてくるところだった。


「どうしたんや、小林」


「ちょっと、学校から水を取ってくる」


 そう言って、二人とすれ違う。学校は目の前だ。正門を潜り、水場に行くと、僕は水筒に入るだけの水を入れる。その水筒を持って、走り出した。何だか、ウキウキしてくる。幽霊の調査に向かったら、死にかけのお爺さんを見つけた。そのお爺さんを助けるために、いま、一生懸命になっている。その状況が、何だか愉快でならない。お爺さんの部屋に戻ると、小川も到着していた。お爺さんが倒れていた場所に、カセットコンロが設置されていて、大きな鍋も用意されていた。


「おかえり」


 小川が、僕を見て笑った。


「大きい鍋やな」


 僕は、コンロの上の鍋を見つめる。


「小林もチキンラーメンを持ってきたんやろう。みんな、持ってきたんや。だから、今から、チキンラーメンを、皆で食べることになったんや」


「へー!」


 僕は、益々、愉快になった。お爺さんは、僕から水筒を受け取ると、大きな鍋に水を入れて、コンロに火をつけた。鍋の水が沸騰すると、そこにチキンラーメンを五袋、投入する。僕たちは、その様子を、ワクワクしながら見つめた。段取りの良い小川が、皆の分のお椀と割りばしを用意してくれる。沸騰した湯のお陰で、チキンラーメンはすぐに出来あがった。チキンラーメンの、香ばしい香りが部屋の中に充満する。お爺さんが、嬉しそうに僕たちを見回した。お玉を掴むと、僕たちのお椀に、順番にチキンラーメンを入れてくれる。


「さあ、食べようか」


 僕たちは、手を合わせる。


「いただきまーす」


 何だか、とっても楽しい。麺を啜りながら、僕たちは笑い合った。太田が、お爺さんに問いかける。


「お爺さんは、いつからここに居たん?」


 お爺さんが、驚いたような表情を見せた。


「こんなナリはしているけれど、お爺さんは酷いな~」


 そう言うと、顔に垂れかかっていた髪の毛を、両手でかき上げた。お爺さんの素顔が見える。


「あっ!」


 ボサボサの髪の毛と、モジャモジャのヒゲで分からなかったけれど、お爺さんじゃなかった。かなり格好良いお兄さんが現れた。


「僕は、寺沢譲治。今日は、助けてくれてありがとう。ここにはね、五日ほど前に到着したんだ」


 小川が、身を乗り出して問いかけた。


「お爺さん、じゃなかったんだ……」


 ジョージさんが、嬉しそうに小川を見る。


「僕たち、四日前の夜に、ここで、肝試しをしていたんです」


 ジョージさんが、驚いた表情を見せた。


「あの女の子の悲鳴は、もしかして、君たちだったの?」


 僕たちは、大袈裟に頷いた。太田が、興奮気味に話し出す。


「そ、それで、俺たち、幽霊の調査に来たんや。そしたら、ジョージさんがいて……」


「そうだったんだ。怖い思いをさせてしまったね。悪かったよ」


 ジョージさんが、太田を見る。


「あなたは、この子達の、引率者ですか?」


 僕達は、顔を見合わせる。


「ブワッハッハッ…………」


 僕たちは、お腹を抱えて笑った。ジョージさんは、太田のことを大人と間違えている。確かに、背格好は同じくらいだけど……。ジョージさんは、訳が分からなくて、一人キョトンとしていた。涙を流しながら、小川が、ジョージさんに説明する。


「ジョージさん、太田は、まだ、小学生だよ」


 ジョージさんが、目を丸くする。


「大きいね、君」


 太田は、笑いながら、ジョージさんを見る。


「俺は、太田。ヨロシク! 皆を、紹介するわ。こいつが、小川で、こいつが、マナブ。そして、こいつが、小林や」


 ジョージさんは、僕たちを見回しながら、笑顔を浮かべた。


「みんな、ヨロシクね。これも、何かの縁だ。僕のことは、気軽にジョージって、呼んでくれたら良いよ」


 調子に乗った太田が、ジョージさんの肩に手を置いた。


「おい、ジョージ!」


 絶妙なタイミングだった。


「ブワッハッハッ…………」


「ジョージ、ジョージ」


 僕たちは、また笑い転げた。ジョージも、一緒になって笑っている。僕は、ジョージという人物が知りたくて、質問した。


「ジョージは、なんで、ヒゲモジャなの?」


 ジョージが、ニヤッと笑った。


「実はね、自転車で日本中を回っていたんだ」


「えっ! 本当?」


「旅行中は、髪の毛を切るのが面倒だったから、ずっと伸ばしていたんだ」


「へー、そうなんだ」


 僕が、驚いていると、太田が、身を乗りだした。


「なあなあ、何処まで行ったん?」


 ジョージが、宙を見つめる。


「そうだなー、北の方なら、北海道の最北端、宗谷岬に行ってみたよ」


 小川も、口を開いた。


「全部、自転車で、行ったんですか?」


 ジョージは、小川を見て笑う。


「全部、自転車だよ。テントを担いで、毎日、野宿をしていたんだよ」


「へー、面白そう。僕もしてみたい」 


 思わず、呟いてしまった。そんな僕を、ジョージが見る。


「小林君だったかな、野宿をしながらの自転車旅行は確かに面白いけれど、幽霊が出るかもしれないよ」


 ジョージが、悪戯な笑みを浮かべた。幽霊という言葉に、僕が動揺すると、ジョージが面白そうに笑う。ジョージは、自転車旅行での出来事を、僕たちに語って聞かせた。河川敷の駐車場で野宿をしようとしたら、暴走族に追い立てられたこと。あと少しで宗谷に到着するタイミングで出会ったカップルが、沖縄から徒歩で日本縦断をしていて、驚いたこと。北海道の知床には、温泉の滝があって、その滝を上ることが出来たこと。夜になり、一般の公園に無理やりテントを張ったら、そこが網走刑務所の真ん前だったこと。旅行仲間が出来て、青森の混浴の温泉に一緒に行ったら、風呂には男しかいなかったこと。どの話も面白くて、僕たちは笑いっぱなしだった。なんて人なんだろう……僕たちは、すっかりジョージの事が、大好きになってしまった。


「なんだか、僕ばっかりが話をしてしまったね」


 ジョージが、照れたように、笑う。


「いえ、とっても面白かったです」


「ところで、君たちは、目の前の小学校の生徒さんなのかな?」


「ええ、そうですよ」


 僕が、返事をすると、太田が割り込んできた。


「俺たち、この団地の裏に、秘密基地があるねんで」


 ジョージが、興味深そうに微笑む。


「秘密基地……面白そうだね」


 太田は、得意げな表情を浮かべた。


「その秘密基地に集まって、俺たち謎を解決してるねん。名付けて、少年探偵団!」


 ジョージが、目を丸くする。


「少年探偵団?」


 太田は、大きく頷く。


「今回の、幽霊の調査結果は……ジョージでした」


 太田の芝居がかった口ぶりに、ジョージが、クスクスと笑った。


「少年探偵団って、江戸川乱歩の推理小説みたいだね」


 僕は、江戸川乱歩の名前が出て来たことに驚く。


「江戸川乱歩、知っているんですか?」


 僕が尋ねると、ジョージが楽しそうに笑った。


「もちろん知っているよ。子供の頃に、よく読んだもんだよ」


 太田も、口を挟む。


「俺たちも、怪人二十面相が大好きで、集まってるねん」


 ジョージが、太田を見た。


「なるほど……良かったら、これまでの少年探偵団の活動を、僕に教えて欲しいな……」


 太田は、鼻を鳴らす。


「この前は、中学生の貴子さんが襲われたから、その調査に乗り出したんや」


 貴子お姉さんの名前が出て来て、僕は驚いた。太田のことを、僕は肘で突っつく。


「おい、太田……」


 太田が、俺を見る。


「ええやないか。ジョージは、もう俺たちの仲間や」


「まあ、そうやけど……」


 小川が、僕を見る。


「折角やから、ジョージに相談に乗ってもらおうよ。貴子さんの、問題は、正直、俺たちの手に余ると思う」


 ジョージが、僕を見る。


「僕で良かったら、力になるよ。君たちは、命の恩人だからね」


 僕は、ジョージの瞳を見つめた。信頼は出来そうだ。というより、ジョージに話を聞いて欲しくなってきた。僕たちは、貴子お姉さんの話を、ジョージに話して聞かせた。自宅の前で、お姉さんが岩城薫に襲われたこと。赤いサイクリング自転車を見つけるために、ミナミ高校に潜入したこと。貴子お姉さんのお願いで、テニス大会に行ったこと。その場で、岩城薫による暴力事件が起きてしまったこと。そして、傷ついた貴子お姉さんは、家から出てこなくなってしまったこと。


「ふーん。そんなことがあったんだ」


 ジョージは、腕を組んで天井を見上げた。そのまま何も話さない。ジョージが口を噤んでしまったので、僕たちも、どうすれば良いのか分からなかった。暫く、沈黙が続く。やっと、ジョージが口を開いた。


「ねえ、今は夏祭りの時期だけど、この近くでお祭りはないのかな?」


「お祭り?」


 意外な言葉に、僕は眉を顰めた。小川が、その問いに答える。


「お祭りやったら、明日から、川添まつりが始まるけど」


 ジョージは、嬉しそうに微笑む。


「それは、都合がいいな……」


「どうしたんですか?」


「命の恩人の君たちの為に、僕がひと肌脱ぐとしよう」


 ジョージが、自信あり気に僕たちを見回す。 


「ひと肌って、何をするんですか?」


 ジョージが、僕に悪戯っぽい笑顔を見せた。


「その貴子さんだけど、僕が盗んでもいいかな?」


 ジョージの言葉に、僕は眉を顰める。一体、何を言っているんだ?


「さしあたって、盗むとなると、やっぱり予告状は必要だよね。怪人二十面相だから……」


 ジョージが立ち上がった。まるで自分の家のように、タンスの引き出しから便箋とサインペンを取り出す。僕たちの前で便箋を広げると、サインペンでサラサラと予告状を書き始めた。




貴子殿


 面識もないのに、突然の申し入れをおゆるしください。ひょんなことから、小林少年と知り合いになった小生は、貴女のことに非常に関心を持ちました。要件を簡単に申しますと、貴女をちょうだいする決心をしたのです。来る八月二十五日の土曜日の夜、川添まつりに参上いたします。私の挑戦を受けてみますか。盗まれない自信がおありなら、どうぞ私の前に立ってみなさい。貴女はきっとあっと驚くことでしょう。


怪人二十面相




 僕は、いや、太田も小川もマナブも、ジョージの書いた予告状を見て、驚くしかなかった。


「ジョージ、何をするの?」


 僕の、問い掛けに、ジョージが悪戯っぽく笑う。


「それは言えないな。僕は今から怪人二十面相だもの。少年探偵団は僕のライバルなんだから、謎を解いてもらわないと」


 僕たちは、目の前のジョージが本当に怪人二十面相に見えてきた。誰なんだ、この人は。こんな大人に、僕は今まで出会ったことがない。僕が不安そうな表情を浮かべると、ジョージは少し悪戯が過ぎたと思ったのか、優しい声で僕に語り掛ける。


「心配しなくていいよ。貴子お姉さんが笑えるように、僕は最大限努力をするつもりだ。その為に、少し、小林君にお願いしたいことがあるんだけど」


 僕は、真剣な目でジョージを見つめた。


「まず、貴子お姉さんにこの予告状を直接手渡す必要がある。ポストに入れるだけではだめだよ。それと、この予告状を渡すときに、お祭りに必ず来てほしいという、小林君の強い一念が必要だ。そこが勝負の分かれ目になる」


 ジョージが、真剣な顔を僕に見せた。


「勝負は一瞬だからね。気後れしては駄目だよ。一念岩をも通す、と言ってね、真剣な君の思いが貴子お姉さんを動かすんだ。それさえできれば、僕の作戦は既に成功したも当然になるからね。後は、この僕にまかしたまえ。そうだ、今から、皆で、その貴子お姉さんのところに行っておいでよ。小林君も、一人では心配だろう。太田君と小川君も、一緒に居てあげるといい」


 ジョージが、怪しげに微笑んだ。僕たちは頷くより仕方がなかった。というよりも、目の前の怪人二十面相に心酔し始めていた。

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