第18話 肝試し

 黒い子猫は、車に轢かれて死んでいた。お腹と後ろ足が、ペシャンコに潰れている。裂けたお腹から、赤い内臓が飛び出していた。まるで細いホースのように見える。赤い血のぬめりが、太陽の残光に照らされて、キラキラと輝いていた。子猫の顔は、驚きの形相のまま目が開かれていて、一点を見つめて固まっている。小さな口も叫んだままだ。小さな赤い舌が見える。


「可哀そう」


 加藤裕子が、そう呟いた。坂口直美と抱き合って、黒い子猫を見下ろしている。


「俺たちが帰るときは、居なかったのにな」


 小川も、呟いた。


「ねえ、埋めてあげようよ」


 加藤裕子が、再び口を開き、僕たちに訴えた。でも、埋めるといっても、誰がこの子猫を運んであげるの? 僕たちは、お互いに見つめ合って、その役割を誰が担うのかを、決めきれずにいた。


「ちょっと、段ボールを探してくるわ」


 太田が、そう言った。体の向きを変えると、工場の敷地に向かって走っていく。二宮誠が、その後ろを追いかけた。僕も、付いて行くことにした。


 廃墟の工場は、小学校の敷地面積よりも大きかった。その敷地全体を、人が立ち入れない様に、有刺鉄線で囲んである。太田は、その有刺鉄線が緩いところを見つけると、潜り抜けて中に入った。工場の端っこは、整地されていなくて、雑草が生い茂っている。その雑草を、掻き分けるようにして、太田は工場に向かって歩いていく。僕と二宮も、その後に続いた。その先に、汚く煤けている、二階建ての工場が建っている。僕たちは、その入り口の前に立った。青いペンキで塗られている鉄製の扉が、少し開いている。隙間から工場の中を覗いてみても、暗くて何も見えなかった。太田は、その扉のドアノブを握りしめる。力を入れて、ゆっくりと開けた。


 ギ、ギ、ギィ――――


 長く開けられることのなかったその扉は、引き千切られるような悲鳴をあげた。その叫び声に、僕の背筋が凍り付く。太田が、引きつらせた顔を、僕に見せた。お互いに、見つめ合う。


「なあ、小林。中を覗いてくれや」


 太田は、扉を開けたまま、固まっている。僕も、直ぐには体を動かすことが出来なかった。二宮は、そんな僕たち二人を見る。


「俺が行くわ」


 二宮が、工場の入り口に立つ。入り口の壁を掴んで、中を覗いた。


「丁度良いのがあるわ」


 スルリと工場の中に入っていく。暫くすると、ベアリングのような部品が入っている、みかん箱くらいの段ボール箱を持って帰ってきた。驚いて見ていると、目の前で、中の部品を工場の中に、ぶち撒けた。


 ガシャーン! ゴロゴロゴロ…………


 甲高い金属音が、工場の中で響き渡った。僕は、思わず両手で耳を塞いでしまう。撒き散らされたベアリングの一つ一つが、工場の奥の方へと転がっていった。その様子は、大量の黒いゴキブリが、放射状に一斉に逃げ出しているようで、とても不気味だった。


 僕たちは、その段ボール箱をもって、子猫のところに帰っていく。皆が、不安そうな表情を浮かべて、僕たちを迎えてくれた。


「ね、今の音、なんなのよ。ビックリしたんだけど……」


 加藤裕子が、顔を歪めて問いかけた。少し怯えている。二宮が、手に持っていた段ボール箱を、加藤に見せた。


「この中に入っていた奴を、捨てたんや。そしたら、音がした」


 二宮は事務的にそう言うと、その段ボール箱の蓋の一部を破り取った。子猫の傍に、しゃがみ込む。僕は、二宮がやろうとしている事に気が付いた。


「僕も、段ボールを持つよ」


 二宮は僕に微笑むと、段ボール箱の本体を渡してくれた。僕は、塵取りのように、黒い子猫の横に段ボールを固定する。二宮は、段ボールの切れ端で、その子猫を、箱の中に丁寧に納めた。その時、僕は黒い子猫と、目があったような気がした。なんだか分からないけれど、その黒い子猫から、無念みたいなものを感じた。


 子猫が納められた段ボール箱を抱えると、二宮が工場に向かって歩き出した。僕たちも、その後に続いていく。先程の有刺鉄線の所まで来ると、太田が通りやすい様に、大きく広げてくれた。二宮を先頭にして、順番に潜っていく。みんなが揃ったことを確認すると、また二宮が歩き始めた。その後を、ゾロゾロと僕たちは付いて行く。その様子は、まるで本当のお葬式のようだった。雑草が生い茂っている先に、背の低い一本の木が生えている。二宮は、そこで止まった。


「ここで、ええんちゃうか?」


 太田が、二宮を見る。


「そうやな、ここでええやろう。さっき、工場でシャベルを見かけたから、取ってくるわ」


 太田は走り出すと、錆びたシャベルを持って帰ってきた。太田が、僕たちを見回す。


「暗くなってきたから、誰か、懐中電灯で照らしてくれよ」


「分かった」


 僕は、肩に下げていたナップサックから懐中電灯を取り出した。太田が掘ろうとしている、足元を照らしてあげる。


 ザック、ザック、ザック……


 小石が多い地面だった。何度も何度も、シャベルを突き刺して、地面を掘っていく。


「フー、固かったな。汗かくわ」


 太田が、額から流れる汗を拭う。足元には、子猫が眠るのに丁度いい穴が出来ていた。二宮は、優しく丁寧に、その穴の中に子猫を納めた。


「ええか? 土を被せるぞ」


「ああ、そうしてくれ」


 二宮が答えると、太田は掘り出した土をシャベルで掬った。子猫の上に、そっと被せていく。その作業の間、僕たちは、ずっと手を会わせて、子猫の成仏を祈っていた。


「なあ、この後どうする?」


 子猫の埋葬が終わると、小川が、僕たちに問い掛けた。


「どうするって、肝試しに来たんじゃ……」


 僕が、そう答えると、小川が顔をしかめる。


「まー、そうやねんけど……」


 小川は、歯切れが悪かった。子猫の埋葬が終わった所為か、皆の雰囲気が、暗く沈んでいた。お互いに顔を見合わせる。何となく、終わった感が漂っていた。


「これからやで」


 太田が、不気味に笑った。シャベルに持たれかかりながら、僕たちを見回す。


「真っ暗になったし、肝試しに、もってこいや」


 先ほど、怖くて工場に入ることが出来なかった太田が、偉そうに胸を張っていた。女の子がいると態度が全然違うな……と、僕は思ってしまう。


「そうやな、ここまで来たし。このまま帰るのも、おもろないやん」


 二宮は、頼もしい奴だ。何だか、居てくれるだけで心強い。


「直美はどうする?」


 加藤裕子が、坂口直美に問いかけた。


「どっちでも良いんだけど、花火はしたい」


 どっちでも良いんかい! 僕は、心の中で、坂口にツッコミを入れた。坂口は、肝試しが怖くないのだろうか? すると、加藤がクスクスと笑い出した。


「いいわー、直美。とっても頼もしい。だから、大好き」


 そう言って、加藤は坂口に抱きついた。坂口は、そんな加藤を見てキョトンとしている。自分の言葉のパワーを、全然分かっていない。みんなの意見を聞いたうえで、小川が話し出した。


「じゃ、このまま肝試しを始めようか。この工場に入るつもりやってんけど、流石に怖いから、工場の横を歩くんでも、ええかな?」


 太田が、小川を見る。


「俺は、それでええと思う」


 太田が、大きく頷いた。すると、坂口が驚きの声をあげる。


「えっ! 工場の中に入らないの?」


 太田が、目を開いて坂口を見た。僕も、坂口を見た。みんなも見た。この女は、場の空気が、全く分かっていない。


「さ、坂口さん、無理はいけないと思うな。怪我をしてもいけないし……」


 太田が、坂口に説得を試みる。坂口が、そんな太田を見上げた。


「まー、私は、どっちでも良いんだけど」


「どっちでも、良いんかい!」


 思わず、僕は坂口にツッコミを入れてしまった。暫しの沈黙の後、皆が噴き出した。


「ワッハッハッ…………」


 僕も笑った。皆も笑った。お腹が捩れるくらいに笑った。本当に涙が出てきた。


「あー、面白い。直美ー」


 加藤裕子が、さらに坂口を抱きしめて、笑いこけていた。坂口は、何で笑われているのか、今ひとつ分かっていないようだった。皆の笑いがおさまると、小川が切り出した。


「じゃ、工場の中は、無しということで。懐中電灯を持っている奴は、出してや。工場の横を歩いて行って、その先の社宅でゴール。その後は、ダイエー横の空き地で花火大会な」


「良かったー、この工場に入るんかと思った」


 影の薄い伊藤学が、珍しく口を開いた。そのことに、僕はちょっとビックリしてしまった。


 二宮を先頭にして、僕たちはゾロゾロと歩いていく。肝試しといっても、皆で歩くと怖くない。というよりも、かなり楽しい。日は暮れて、辺りは真っ暗になったけれど、僕たちはだんだんと愉快になってきた。みんな、口々にお喋りをしている。僕も、マナブと話をした。マナブは、僕が貸してあげた怪人二十面相を読んだことを報告してくれた。その様子を、楽しそうに語ってくれる。それだけで、僕はとても嬉しかった。


 ガチャン!


 隣の工場の中から、甲高い音が、鳴り響いた。僕は息を呑む。背筋が凍り付いたようになり、足が止まった。皆も、声を潜めてしまう。


「何の音?」


 加藤裕子が、声を震わせながら呟いた。


「何かが、落っこちた様な音やな」


 二宮が、声を忍ばせて答える。


「工場の中から音がしたよな」


 絞り出すようにして、小川が呟く。


「ゆ、幽霊か?」


 太田がそう言うと、皆、押し黙ってしまった。加藤裕子が、坂口直美の手を取り引き寄せる。僕は、工場の割れたガラス窓に近づいた。中の様子を伺おうとしたけれど、かなり怖い。何も見えないけれど、何かしらの気配を感じるような気がした。


「おい」


 僕は、工場の中に向かって、呼びかけてみた。僕の声が、暗闇の中に吸い込まれていく。固唾を飲み込み、様子をみた。


「ニャー」


 猫の鳴く声が聞こえた。


「なんだ、猫かよ……驚かせやがって」


 太田が、吐き捨てるように言った。みんなも、緊張が解けて、大きく息を吐く。なんだか、先ほど埋葬した黒い子猫のことを思い出してしまった。


「この工場、猫が住み着いているのかな?」


 僕が、そう言うと、加藤裕子が僕を見る。


「あの子のお母さんかも……」


 加藤が、悲しそうに呟いた。


「きっとそうだよ」


 坂口直美が、加藤の言葉に同意する。


「そうよね」


「私たち、あの子を埋葬してあげたから、お礼を言いに来たんだよ」


 坂口の言葉は、僕たちの恐怖心を緩やかに溶かしていった。


「行こうか。ゴールは直ぐそこや」


 二宮が歩き始めた。僕たちも、それに続いていく。


「色々あったけど、結構、面白かったな」


 太田が、大きな声を出して、強がって見せた。


「怖がっていたくせに」


 小川が悪戯っぽく、太田を揶揄う。


「いや、そりゃ、怖かったけど、それは、皆も同じやろう?」


 太田が、少し動揺している。


「あー、怖かった。怖かった」


 二宮が、ワザとらしく言った。


「あっ! 二宮。お前、俺の事を馬鹿にしたやろう」


 太田が、二宮を睨む。


「あっ、分かった?」


 太田が、二宮に掴みかかろうとしたら、二宮は笑いながら走り出した。


「こら、待て!」


 太田も走り出す。二人は、先の方でじゃれ合っていた。


「本当に、ガキね!」


 そんな二人を、加藤祐子が笑いながら、指さした。何だかんだで、全員がゴールの団地に到着することが出来た。誰も住んでいないコンクリートでできた四階建ての社宅。工場が稼働していたころは、多くの人が生活していたのだろう。しかし、今は人が生活をしていた名残だけを残して眠っていた。物音がしない暗闇の中、僕は、異変を見つけた。団地の一階部分の部屋の窓に、小さな火の塊が浮かび上がっていたのだ。


「何あれ?」


 僕は、震えながら、その火の塊を指さした。


「キャ――――――!」


 その火を見て、加藤裕子が、甲高い声で悲鳴を上げた。すると、その小さな火が、フッと消えた。


「ワァ――――――!」


 太田が、獣のように叫んだ。踵を返して、走り出す。僕たちも、続くようにして走り出した。みんな、叫び声を上げながら、来た道を戻っていく。その時、坂口直美が転んだ。


「キャッ!」


 僕は、坂口に近づき、その手を掴んだ。


「大丈夫?」


 坂口は、僕に縋り付くようにして立ち上がる。


「もう、嫌!」


 あの坂口が泣いていた。加藤も泣き出した。僕は、坂口を支えて、とにかく、その場から逃げた。工場から飛び出して、自転車を停めているところまで戻ってきた。みんな、ゼーゼーと息を切らしている。


「何やったんや、あれは!」


 太田が、恐怖心を打ち払うようにして、叫んだ。


「怖い! わたし、帰る」


 加藤裕子は、泣きながらヒステリックに叫ぶ。


「怪我をしてるやないか」


 僕は、泣いている坂口直美に、声を掛けた。スカートの裾から見えている膝小僧が、擦り剝けていた。赤い血が滲み出している。二宮が、皆の顔を見回した。


「今日は、もう解散や」


「そうやな」


 小川が、それに同意した。二宮は、学級委員長らしく、みんなを指示した。


「太田と伊藤は加藤を送って行ってくれ、家の方向が同じやろ。小林は俺と一緒に、坂口を送ろうか。小川は、好きな方を選んでくれ、家の方向が違うからな」


 解散になり、花火大会は無くなってしまった。僕たちは、自転車に乗って帰っていく。坂口さんに付き添いながら、二宮が、僕に問いかけた。


「何やったんやろうな、あの光」


 僕は、答えることが出来なかった。ただ、あの場所は、秘密基地の直ぐ近くだ。この謎を解かないと、秘密基地で、落ち着いて過ごせないな、と思った。

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