第15話 少年探偵団

 芝生小学校の向かいには、廃墟になった工場がある。有刺鉄線が張り巡らされていて、人が入れない様になっている。学校が終わると、ランドセルを背負った僕は、その廃墟に向かった。有刺鉄線の破れた箇所から忍び込み、幽霊が出ると噂の団地を横目に、裏の広場に走っていく。照りつける太陽の下、雑草が生い茂っていた。その奥に、団地の影に隠れるようにして、錆びたバスが眠っている。僕たちの秘密基地だ。


 今日は、僕が一番乗り。中に入ると、バスの窓を開けて、外の空気を入れた。沢山ある座席の中から、僕専用の座席に座る。ランドセルの中から、太田から借りている怪奇四十面相の本を取り出した。キン肉マンも面白いけれど、アラレちゃんも面白いけれど、貴子お姉さんが教えてくれた怪人二十面相の世界に、僕は夢中だ。ページを捲るたびに、僕は物語の世界に入っていく。


 まるで、本の中の小林少年に乗り移ったような感覚だ。真っ暗な狭い階段を、僕は少女と一緒に降りていく。その先の、地下室に向かっているのだ。歩みを進めるたびに、少女がブルブルと震えているのを感じる。僕は安心させようと思い、その手をしっかりと握りしめてやった。息を潜めて、更に降りていく。ヒンヤリとした地下室の入り口に到着した。ドアの隙間から、中を覗くと、三匹の怪人が椅子に座っている。ロウソクに照らされたその顔は、なんと骸骨だった。


「おい、小林。おい、小林」


 現実と本の世界の狭間で、僕の意識が揺さぶられた。僕は、夢から覚めたように、顔をあげる。太田が、僕を見下ろしていた。僕は、呆けたように見つめ返す。


「あ、太田か」


「怪奇四十面相を読んでいたんか?」


「うん。今、地下室に降りたところ」


「面白いやろ?」


 僕は微笑む。


「面白い」


 太田の後ろに、男の子が立っていた。話したことはないけれど、一学年下の男の子だ。どうして、秘密基地にいるんだろう?


「えーと……」


 その子の名前が分からず、僕は戸惑ってしまう。太田は、その子の腕を掴むと、僕の前に立たせた。


「こいつは、伊藤 学(まなぶ)」


 僕は、マナブ君に頭を下げる。


「こんにちは」


「……こ、こんにちは」


 人見知りな男の子みたいだ。太田が、僕を見る。


「なあ、マナブに、小林の怪人二十面相を貸してやってくれへんか?」


「かまへんけど……どうしたん?」


「怪人二十面相の話をしてやったら、こいつも、読みたいって言うんや」


 僕は、マナブを見る。珍しい組み合わせだ。まさか、太田に脅されたんじゃないのか?


「明日でもいいかな?」


「ありがとう」


 マナブは、小さな声でお礼を言った。そんな、マナブの背中を、太田は豪快に叩く。


「良かったなマナブ」


 僕より背の低いマナブは、反動でよろめいていた。僕は、クスっと笑ってしまう。太田は、後ろの座席にマナブを誘導すると、古いジャンプを手渡した。マナブは、嬉しそうに手に取ると、座席に座り読み始める。


「仲が、ええんやな?」


 僕は、太田に問いかけた。


「家が、近所なんや」


 その時、バスの外から、物音がした。誰かが、バスに入ってくる。


「うんちゃ」


 小川だった。あいも変わらずアラレちゃんの挨拶。僕は、苦笑する。


「うんちゃ」


 合わせてやったら、小川が、満足そうに笑った。小川が、奥に目をやる。マナブを見つけた。


「よっ、マナブ!」


 マナブが、小さく手を振った。小川は僕に近づくと、前の座席に座った。太田も近づいてくる。


「なあ、小林」


 太田が、僕に問い掛けた。


「どうしたん?」


 僕は、太田を見上げる。


「マナブも仲間で、ええやろう?」


「うん、いいと思うよ」


「それでな、仲間が増えたことやし、俺達、名前を付けへんか」


「どういうこと?」


「ほら、俺達って、怪人二十面相を読んだ仲間やんか。だから……少年探偵団って、どうや?」


 太田が、悪戯っぽく笑ってみせた。太田の、突拍子もない提案に驚いたけれど、悪くはない。横から、小川も口を挟む。


「貴子さんも、手紙で俺たちの事を、少年探偵団って呼んでいたな」


「そうやろう」


 太田が、嬉しそうに、小川に笑いかける。


 貴子……その名前に、愉快になっていた僕の気持ちが、一瞬にして霧散した。


「なあ、貴子さんは、どんな感じや?」


 小川が、僕を見て問いかけた。小川の表情も、なんだか暗い。僕は、少し目を泳がせてしまう。


「最近は話が出来ていない。窓もノックしてみたけど、開けてくれへんねん」


 僕は、ため息をつく。


「そうかー。あんなことがあったし、しゃあないわな~」


 小川も、バスの天井を見上げて、ため息をついた。



 ◇   ◇   ◇



 貴子お姉さんは、テニス大会で優勝した後、薫の暴力事件の顛末を、知らされることになった。岩城薫は、暴力をふるった理由として、加藤真由美と田中陽子が、貴子お姉さんのヌイグルミを盗んだことを告白した。先生は、その因果関係について、お姉さんに色々と質問をしたみたいだ。その日は、貴子お姉さんとゆっくり話が出来るような状況ではなかった。帰ろうとする僕たちに、お姉さんが駆け寄ってくる。


「ごめんね、みんな」


 優勝をした後なのに、貴子お姉さんは泣いていた。


「終わったら全てを話すって言っていたよね。でも、今は、そんな気持ちになれなくて……」


 沈黙が流れる。僕は、お姉さんに、どんな言葉を掛けてあげれば良いのか分からない。


「また手紙を書く。少し時間をちょうだい。今まで、私の我儘に付き合ってもらって、ごめんね」


 そう言ってクラブの仲間のところに帰っていった。周りを見回すと、お祭り騒ぎのように盛り上がっていたテニスコートの会場が、蝉の抜け殻のようにガランとしていた。僕たちの冒険はどうやら終わったようだ。


「帰ろうか」


 小川が、僕の肩を叩いた。


「そうやな」


 僕は、荷物を取りに行った。七つ道具のナップサックとドーナッツが入っていた紙袋と……熊のヌイグルミ。


「あっ!」


 ドタバタしていた所為で、忘れていた。僕は、貴子お姉さんのヌイグルミを拾っていたんだ。ヌイグルミを掴んで、振り返った。貴子お姉さんを探す。すると、一人のお兄さんが、僕の前に立った。


「小林君」


 そのお兄さんは、僕を見て、僕の名前を呼んだ。僕は、そのお兄さんを見て、あまりにも驚いてしまい、体が固まってしまった。僕に、キン肉マン消しゴムを買ってくれた、あのお兄さんだったのだ。


「そのヌイグルミ、ちょっとの間、預かっててくれないかな」


 僕は、眉をひそめた。預かる……僕が?


「いま、貴子お姉さんに、返しにいこうと思って……」


 僕が、そう言うと、お兄さんは、困ったような表情を浮かべた。


「ちょっと事情があってね。君に、キン肉マンの消しゴムを買ってあげただろう。お願いをきいて欲しい。今は、持っていけないんだ」


「いいんですか?」


「ちょっとの間だけ。今度、小林君の家まで取りに行くよ。大事に、保管していてね。頼むよ」


 そう言うと、お兄さんは僕の頭を撫でた。踵を返すと、貴子お姉さんがいる所に走っていった。貴子お姉さんに追いつくと、声をかけた。


「貴子!」


 お姉さんが、振り向き、そのお兄さんを見た。泣きながら、そのお兄さんに近寄って行く。お兄さんは、貴子お姉さんの、肩を抱いた。僕は、目を丸くして驚く。なんだか慰めているように見えた。お兄さんは、学校の先生に何か話しかけると、貴子お姉さんを連れて、二人で帰っていった。


「誰だ、あいつ」


 太田が、目を細めて言った。小川が、僕に尋ねる。


「貴子さんに、お兄さんがいたんか?」


「いや、貴子お姉さんは、一人っ子やけど……」


 太田が、僕を見る。


「じゃ、誰やねん? 仲が良さそうやないか。なんか気に食わんねんけど、あいつ」


 僕は、手に持っていた熊のヌイグルミを持ち上げた。砂埃を叩いて落とす。自転車の前カゴに乗せた。


「帰ろうか」


 僕たちは、自転車に乗って帰ることにした。とても、疲れた一日だった。


 次の日の晩、僕の部屋の窓がノックされた。窓の向こうに、貴子お姉さんが立っている。元気で明るくて、僕に手を振ってくれていたお姉さんは、いなかった。支えなければ倒れてしまいそうなお姉さんが、そこにいた。力なく笑うと、封をされた手紙を、僕に差し出す。僕は、窓の縁を掴み手を伸ばし、貴子お姉さんの手紙を受け取った。


「今まで、ありがとう」


 そう言って、お姉さんは深々と頭を下げた。


「ヒロ君には、本当に感謝をしているの。手紙を書いていて、本当にそう思ったの。でも、今回のことは、ちょっと疲れちゃった」


 僕は、口にする言葉が見つからない。貴子お姉さんを、じっと見つめた。お姉さんが、僕から視線を外し、窓を閉めようとする。


「あのー」


 貴子お姉さんの手が止まった。


「テニス、格好良かった」


 僕の言葉に、お姉さんが笑った。僕も、笑顔を返す。もっと、何か話しかけたかったけれど、窓は閉められてしまった。




少年探偵団の皆様へ


 今までありがとう。一晩たって少し落ち着いています。昨日のことが、随分むかしのことに思えます。事の発端は、学校でイジメにあっていた岩城薫君に、手を差し伸べたことから始まったの。薫君に対するイジメは、誰が首謀者か分からないくらいにエスカレートしていて、みんなバイキンのようにカオルキンと呼んで追い詰めていたの。


 私はほとんど傍観していたんだけど、あんまり酷いから「それくらいにしたら」って言ったの。多分、その時から、私へのいじめも始まっていたんだと思う。初めは、そうとは分からなかったの。皆と同じように、付き合っているつもりだった。少し変だなって思ったのは、友達が私のいない時に、会話の中で「貴子様」って言っていたの。皆の、私に対する態度が、日に日に冷たくなっていった。


 そんな時に、ヒロ君の見ている前で事件があったでしょう。その後、犯人がミナミ高校の生徒かもしれないって知らされた時は、本当に驚いてしまった。もう、何が何だか分からなくて混乱しちゃった。分かり始めたのは、岩城明の名前が分かった時。自分で言うのも変だけど、アキラ先輩は、私にだけ優しくて、クラブの皆にとっては、そのことが気に入らなかったみたい。


 大会の前日に、岩城薫を捕まえて問いただしたの。家の前で起きた事件の犯人は、やっぱり薫だった。ところが、あの事件は出来心で、本当は、私の事を守ろうとしていたの。イジメの加害者たちが、私への悪だくみを相談していた時、偶然にも薫は聞いていたの。家への無言電話は薫だった。私に、その事を伝えたかったみたい。でも、あいつ、あんなんでしょう。私と話をすることが出来なかったの。私は、薫にお願いしたわ。罪を償うんなら、明日の大会で、私を守って欲しい。それが、あのような事件に発展してしまったの。


 私は、みんなに作戦なんかをお願いをして、何がしたかったんだろう。真由美と陽子の証拠があがったとしても、多分、私は何も出来なかったと思う。ただ、私はね テニス大会に少年探偵団のみんなが来てくれたことが嬉しかった。本当よ。テニス部に私の居場所なんて、もうとっくに無くなっていたから。


 私の恥ずかしいお話は、これで終わり。お願いがあるんだけど、この手紙を読んだら、跡形もなく燃やしてください。絶対よ、約束してね。当分は、一人にさせてください。今まで、ありがとうございました。


西村 貴子




「もうすぐ夏休みやな」


 太田が、ボソッと言った。


「夏祭り、貴子お姉さんと一緒に行きたいな」


 僕は、本当にそう思った。

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