第14話 カオルキン
運動公園の各所で、テニス大会に関係する生徒たちが、皆で集まりお弁当を食べていた。騒がしかった歓声は静まり、みんな口を動かして食欲を満たしている。ただ、僕たちの周辺だけは、違った。お姉さん達の、黄色い声で賑わっている。
そんな中にあって、僕は、貴子お姉さんが作ってくれたサンドウィッチを、黙々と食べていた。卵やハム、キュウリが挟んである。とっても美味しい。苦手だったトマトですら、お姉さんが用意してくれたと思うと、なんだか美味しく思えてしまう。そんな僕を、小川が肘で突いてきた。
「食べるのに夢中になっているところ悪いけどな、忘れるなよ」
僕は、口をモグモグさせながら小川を見る。食べている間、完全に、目的を忘れていた。
「ああ、忘れてないよ」
貴子お姉さんが、用意してくれたオレンジジュースを飲み、一息つく。改めて、周囲を見回してみた。僕達は、テニス部のお姉さんたちに囲まれている。運動公園の中で、ここだけが異様に騒がしい。同じテニス部のお兄ちゃん達は、僕達のことを遠巻きに見ている。羨ましいのだろうか? 視線が気になる。
今日の主役は、間違いなく太田だ。その太田に、最も絡んでいるのが、真由美お姉さん。貴子お姉さんとは、また違う雰囲気の美人さんだ。派手で明るい。とにかく口が回る。話をする度に、面白いことを言うので、ついつい笑ってしまう。
その真由美お姉さんと、息の合った掛け合いを見せるのが、陽子お姉さん。立場でいうとボケ役になる。ボーイッシュな雰囲気のお姉さんで、テニスも強いみたいだ。今のところ、大会で勝ち進んでいるのは、貴子お姉さんと陽子お姉さんの、二人だけだそうだ。
手を伸ばしてサンドウィッチを掴もうとしたら、小川が僕を睨む。
「小林、ちょっと食べすぎ。程々にしろよ」
確かに、僕ばっかりが食べていた。でも、何だか、食べたりない。その時、お母さんから、ドーナッツを渡されていたことを思い出した。折角だから、皆にも食べてもらおう。僕は、立ち上がった。
「あのー、良かったら、ドーナッツを食べませんか」
お姉さんたちの視線が、僕に一斉に集まる。ちょっと怖い。
「欲しいー」
「私もー」
お姉さん達が、次々に手を伸ばしてきたので、一人づつ手渡していった。みんな嬉しそうに受け取ってくれる。
「ありがとう」
お礼を言われて、つい嬉しくなってしまう。ところが、陽子お姉さんだけは、少し反応が違った。
「このドーナッツ、ダイエーで買ったんやろ。先週、アキラ先輩が差し入れで持ってきたドーナッツと、一緒のやつや」
陽子お姉さんの言葉に、僕は先週の日曜日の事を思い出す。あの日、貴子お姉さんは、クラブの先輩からドーナッツを貰っていた。しかも、お姉さんを襲った岩城薫は、アキラお兄さんの自転車に乗って、ダイエーに向かっていた。僕の頭の中で、点と点が繋がリ始める。ということは、あのドーナッツは、岩城薫が買い物をして、アキラ先輩がクラブに持っていった……ということなのか? その時、真由美お姉さんが、貴子お姉さんを睨んだ。
「そうそう、アキラ先輩って、貴子にお熱だもんね。私、知っているのよ。あの後、アキラ先輩が、貴子にだけ特別にドーナッツを渡していたのを」
すると、真由美お姉さんが、そのドーナッツを手にもってスーッと立ち上がった。何故か、宝塚のようにポーズまで決めている。
「貴子! おー、貴子よ。この世に咲いた一輪の花。どうか、僕のこのドーナッツを受け取ってくれたまえ」
真由美お姉さんに呼応する様に、陽子お姉さんが立ち上がった。
「アキラ先輩、この私の為に、ドーナッツを頂けるなんて」
両手を組んで、陽子お姉さんが、真由美お姉さんを、ウットリと見つめる。
「貴子よ、さぁ、その左手を差し出しておくれ。君に、ドーナッツの指輪を授けよう」
陽子お姉さんは、恥じらいを見せつつ、命じられるままに左手を差し出す。
「アキラ先輩……」
真由美お姉さんが、陽子お姉さんを見つめる。
「貴子、私の永遠の愛を受け取ってほしい」
真由美お姉さんは、陽子お姉さんの手を取り、薬指にドーナッツをはめようとするけれど、はめない。はめようとするけれど、はめない。そんな事を繰り返した後、太田に振り返った。
「やっぱり、可愛い太田君にあげる」
そう言って、そのドーナツを、太田の口元に、持っていった。真由美お姉さんは、太田に、甘えた声で囁く。
「太田君、お口、アーン」
突然のことに吃驚しつつも、太田は、ニヤけた表情で、口を開けた。
――あっ馬鹿!
太田は、美味しそうにドーナッツを食べる。そんな太田を見て、真由美お姉さんは、ゲラゲラと笑い始めた。太田は、呆気にとられている。釣られるようにして、陽子お姉さんも、その他のお姉さん達も、腹を抱えて笑い転げた。貴子お姉さんだけを、除いて。
ここまで見せられて、やっと気が付いた。僕たちは、真由美お姉さん達に、揶揄われている。いや、真に揶揄われているのは貴子お姉さんだ。真由美お姉さんは、ドーナッツを使って、貴子お姉さんを馬鹿にしていたんだ。そのことが分からずに、ドーナッツを食べている太田が哀れだ。僕は、貴子お姉さんを見る。この場の中心に座っているのに、俯いてしまって、顔が見えない。
「はーい、休憩は終わり」
顧問の先生の声に、皆が振り返った。先生は、僕達の所に歩いてきた。
「西村と田中は準備を始めろよ」
「はい」
貴子お姉さんが、凛とした声で返事をした。お姉さんは、広げられたお弁当を片付け始める。僕も、そんなお姉さんを手伝った。僕達を取り囲んでいたお姉さん達が去っていくと、貴子お姉さんも立ち上がった。大きく息を吐く。
「ヒロ君」
僕は、貴子お姉さんを見た。
「後はお願い。私は私の戦いをしてくる」
「分かった」
お姉さんは準備を済ませると、僕達に振り返ることなく、コートに向かって歩いていった。僕は太田の背中を小突く。
「なんや」
太田は、何も分かっていない。説明するのが面倒くさい。
「警護」
僕の言葉に、太田は、慌てて走っていった。クラブの皆も、二人の試合のためにコートに向かう。僕と小川だけになった。
「嫌な空気やったな」
小川が、呟いた。
「ああ、ほんまに……あれって、イジメやんな」
小川が、僕を見る
「イジメやな、完全に。貴子さんで、遊んでいやがる」
何だか落ち着かなくなってきた。僕は、小川に体を向ける。
「なあ、俺達って、荷物を見張るだけでええんかな? 他に出来ることは……ないんやろうか」
小川は、僕を一瞥したあと、空を仰いだ。
「んー、そうは言うてもな……貴子さんは、あいつ等が、何かしでかした時の、現場を押さえたいわけや」
「そうやな、そう書いてあった」
「決定的な証拠ってやつや。それを確実なものにしないと……隠れるか? 俺たち」
「隠れたら、どうなるんや」
「隙を見せるんや。あいつ等が悪さをする、チャンスを与える」
「なるほど」
小川は、貴子お姉さんの荷物に近付いた。太田にプレゼントされた熊のヌイグルミを掴むと、お姉さんの鞄の上に置いた。
「こうしておけば、取りやすくなる」
「へー」
感心して見ていると、小川が僕を見た。
「小林、隠れるぞ」
小川は、近くの花壇に身を潜めた。僕も、辺りを見回す。近くにツツジの茂みがあったので、その隙間に隠れた。貴子お姉さんの荷物からは、僕は見えない。でも、僕からはよく見える。一時間ほど隠れていただろうか、真由美お姉さんと陽子お姉さんが帰ってきた。
「陽子、元気出しなよ」
真由美お姉さんが、陽子お姉さんを励ましている。どうやら陽子お姉さんは試合に負けてしまったようだ。他の皆が帰って来ないということは、貴子お姉さんは、まだ勝ち残っているのだろう。
「ドーナッツ余っているけど、食べる?」
真由美お姉さんは、僕が持ってきたドーナッツを手に取ると、陽子お姉さんに差し出した。陽子お姉さんは、そのドーナッツを手に取ると、僕に向かって投げ捨てた。僕は、ドキリとする。目の前で、砂にまみれながらドーナッツが転がる。
「ドーナッツは嫌いなの。先週のアキラ先輩のドーナッツって、あれカオルキンが買ってきたんだよ。それを思い出すだけで、もう食べれない。バッチィ、バッチィ」
「なんでアキラ先輩の弟が、カオルキンなんだろうね。気色悪い」
カオルキン? ああ、岩城薫のことだ……。その時、真由美お姉さんが意地悪く笑った。陽子お姉さんの顔を見る。
「ねえ、陽子、あそこに貴子様のぬいぐるみが見えているよ」
真由美お姉さんが、熊のヌイグルミに視線を向けた。陽子お姉さんも、釣られるようにして、それを見る。二人は見つめ合うと、お互いに頷き合った。真由美お姉さんは荷物の方に歩いていくと、貴子お姉さんの荷物を背にして仁王立ちになった。辺りを見回して警戒を強める。陽子お姉さんは、誰も見ていないことを確認すると、腰をかがめて、その熊のヌイグルミを掴んだ。二人は、ヌイグルミを隠すようにして歩いていく。その先に、公園が管理する蓋つきのごみ箱があった。
「あっ!」
驚いた僕は、茂みから抜け出して追いかけようとした。その時、僕の視界の前を、一人の人間が通り過ぎた。なんと、僕が見た犯人。あの岩城薫だった。僕の足が止まってしまう。
岩城薫は、陽子お姉さんに追いつくと、そのヌイグルミを取り上げた。陽子お姉さんは、驚いて振り返る。薫を睨みつけると、叫んだ。
「何するねん、カオルキン!」
その熊のヌイグルミを取り返そうとして、陽子お姉さんが手を伸ばした。その瞬間、薫は腕を振り上げる。僕が見ている目の前で、陽子お姉さんの顔面をグーで殴った。
ゴキッ!
陽子お姉さんは、その場で倒れこむ。両手で顔を覆った。指の隙間から、赤い血が流れだす。
「キャ~!」
傍に居た真由美お姉さんが、叫んだ。薫は、熊のヌイグルミを持ったまま、振り返る。真由美お姉さんを見据えた。真由美お姉さんの顔から、血の気が引く。怯えた真由美お姉さんは、その場から走り出した。その後ろ姿を、薫が追いかける。
「助けて〜!」
真由美お姉さんが叫んだ。走る真由美お姉さんの背中に手を伸ばすと、薫は襟首を掴んだ。そのまま、引き倒す。
「キャ~!」
地面に転がった真由美お姉さんが、土埃で白くなった。その真由美お姉さんを押さえつけて、薫は馬乗りになる。手を振り上げると、躊躇せずに、その顔を殴った。
ゴキッ!
真由美お姉さんの唇が切れて、赤い血が吹き出した。無言のまま、薫は、また、手を振り上げる。
「やめて、おね……」
ゴキッ!
無慈悲に殴られた。今度は、鼻から血が流れ始める。僕は、止めようとして、駆け寄った。でも、薫が怖くて、足が竦んでしまった。足元にある、砂でまみれた熊のヌイグルミを抱きしめる。凍りついたように、その様子を傍観してしまった。
やっと周りの生徒が、事態の異様さに気がつく。
「先生ー!」
生徒の一人が、叫んだ。先生が、慌てたように走って来る。薫を止めようとして、その肩を掴んだ。薫は抵抗することも無く、糸の切れた人形のように、その場で倒れ込んだ。虚ろな目で、うわ言のように呟く。
「貴子の人形を盗んだ。貴子の人形を盗んだ……」
薫の下で、真由美お姉さんが泣いている。顔を腫らして泣いている。美しかった面影は、もう、そこには無かった。
耳を澄ますと、相変わらず蝉が鳴いていた。耳障りなくらいに、泣き、叫んでいる。貴子お姉さんは、その日、テニス大会で優勝した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます