第10話 叙勲
夢を見た。夢の中で、僕は、剣士になっていた。黒い敵が現れたから、手に持っていた刀で、斬り伏せた。でも、敵は一匹だけじゃない。正体の分からない、その黒い敵は、切っても切っても、また現れる。
僕は、後ろを振り返る。貴子お姉さんの手を握って、走り出す。お姉さんが、僕の手を握り返してくれた。お姉さんの、僕に対する信頼が伝わってくるようだ。僕の胸が、熱くなる。お姉さんを守りたい。その為なら、この身を捧げたって、構わない。僕は、立ちはだかる黒い敵に、刃を向けて、戦った。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
誰かが、僕の体を揺すっていた。僕は、夢の世界から、強制的に引き揚げられる。重い瞼を開けると、弟のトシが、僕の肩を揺すっていた。よく分からないけど、怯えている。
「どうしたんや?」
弟が、窓に顔を向ける。
「誰がか、窓を叩いている。怖いよ~」
窓?
コンコン
たしかに、音がする……窓、二回ノック……。
ガバッ!
僕は、弟を振り払って、飛び起きた。急いで、窓に飛びつく。髪の毛の乱れも、服の乱れも、気にしてなんかいられない。窓を開けると、そこに、貴子お姉さんが立っていた。
「おはよう。ごめんね、こんなに早く」
お姉さんが、小さな声で申し訳なさそうに謝った。僕は、首を横に降る。
「そんなことないよ」
お姉さんが、優しく微笑んでくれた。
「昨日の晩から、ずっと気になっていて……私に出来ること、ないかなって」
そう言って、お姉さんは、僕に手紙を見せた。
「友達の皆さんと一緒に、読んでほしいの。詳しいことは、手紙の中に書いてあるわ」
そう言って、その手紙を僕に差し出した。僕は身を乗り出して、その手紙を、受け取る。
「じぁ、また、後で……」
そう言って、お姉さんは、僕から視線を外す。恥ずかしそうに俯くと、部屋の窓を閉めた。僕は、お姉さんが居なくなった窓を、じっと眺めていた。そんな僕の腕を、トシが引っ張った。
「なに、なに。どういうこと?」
トシが、好奇心を漲らせて僕を見ていた。僕は、まとわりつく弟を引き剥がす。お姉さんからの手紙を広げた。
♪キーンコーンカーンコーン
一時間目の授業が終わった。休憩時間になると、僕は早速、太田と小川を呼んだ。
「なんや、小林」
太田が不思議そうにやって来た。そりゃそうだ。今まで、僕の方から、太田や小川に声を掛けることなんて無かったから。太田は、僕に本を差し出した。
「本の取り立てか? ほれ、怪人二十面相や。面白かった」
僕は、太田から本を受け取る。その表紙を大事そうに撫でた。
「もう、読んだんや。早かったな」
「本を一冊、全部読み切ったの、俺、初めてや。なんか、今でもフワフワしているような気がするわ」
「分かる、分かる。俺も同じやってん。はい、これ、今度は少年探偵団。昨日、読み終わったから……」
「えっ、ほんまか。早速、読むわ」
太田は嬉しそうに、本を受け取ると、もう、表紙を開いている。そんな太田に、僕は、真剣な表情を見せる。
「実はな、呼んだんは、本のことやないねん」
「なんや、畏まって」
僕は、太田と小川の顔を見回す。
「実は、貴子お姉さんから手紙を預かってきているんや」
貴子お姉さんの名前を出すと、太田が驚いた。小川は、周りを伺い、声を落として聞いてきた。
「秘密基地じゃあかんのか?」
僕は、小川を見る。
「集合している時間がないんや」
僕は、緊急事態ということを強調した。
「そうか、まぁ、見せてみ」
太田が、僕に手を差し出した。僕は、机の中から、その手紙を取り出す。
太田 秀樹様
小川 武様
まだ、きちんとお会いしたことはありませんね。西村貴子といいます。お二人のことは小林君から聞いています。私の為に、赤い自転車を探してくれたり、今度はミナミ高校に潜入しようと計画している話を聞きました。私は申し訳ない気持ちでいっぱいです。私にも何か出来ることがないか色々と考えました。
今日、私に会ってくれませんか。母親がいるので、私の家に皆さんをお呼びすることは出来ません。五時ごろに、小林君の部屋に来ていただけたらと思っています。急な話で、すみません。宜しくお願いします。
西村 貴子
「おおお、お…………!」
太田が、両手を突き上げて吠えた。そのまま、走り出しそうな勢いだ。小川にしても、満更でもないようだ。手紙を何度も読み返して、にんまりと笑っている。太田が、僕を見た。
「学校が終わったら、お前の家に集合や。そうか、今日は貴子様に会えるんか……」
そう言って、小川から貴子お姉さんの手紙をひったくると、自分の席に戻っていった。椅子に座り、手紙を広げて一人悦に入っている。僕と小川は、そんな太田を見てクスクスと笑い合った。その場は解散となり、小川も自分の席に戻っていく。僕は、太田から返された怪人二十面相の本を撫でる。貴子お姉さんとの、最初の繋がりだ。その本を、そっと胸に抱きしめて、目を瞑った。
♪キーンコーンカーンコーン
学校が終わった。僕たちは、一目散に家に帰る。玄関に靴を脱ぎ捨てると、僕は、お母さんに駆け寄った。
「今日、友達が来るから」
「今日」
驚いた顔をして、お母さんが僕に聞き返す。
「もう直ぐ来る」
「ヒロちゃんの部屋、散らかっているでしょう。今からでも片づけなさい」
「分かった」
「お母さんは、今から、お菓子を買ってくるから。ちゃんと片づけるのよ」
「分かった」
お母さんはエプロンを外すと、慌てて買い物に出かけて行った。僕は、二階に駆け上がっていく。弟と妹が、部屋で遊んでいた。学校の授業が五時間目までだから、帰ってくるのが早いのだ。僕は、友達が来るからと言って、二人を部屋から追い出した。散らかっている玩具は、まとめて押し入れに仕舞い込む。プラスチックの刀だけ、残しておいた。
ピンポーン
家の呼び鈴が鳴った。僕は、ドタドタと階段を下りていく。玄関を開けると、太田と小川が表で待っていた。
「二階に上がって」
僕がそう言うと、二人とも僕に付いて、玄関に入ってくる。
「お邪魔します」
二人が、家の奥に向かって、挨拶をする。でも、お母さんは、買い物に行っているから、返事は返ってこない。
「おばちゃんは、おらんのか?」
階段を上りながら小川が、僕に尋ねてきた。
「お菓子を買いに行ってる」
僕が、そう言うと、太田が呟く。
「やった」
素直に喜んでいる太田のことを、何だか微笑ましく感じてしまう。部屋に入ると、僕たちは、車座になって座った。太田が、僕の部屋を見回す。
「ここが小林の部屋か……」
「兄弟の部屋やけどな。弟と妹は、今は下にいてる」
僕が、太田と話していると、小川が部屋の時計を見て、呟いた。
「五時まではまだ、三十分以上もあるな。……なあ、太田」
小川が、太田を見た。
「なんや」
「制服の件やけどな、今晩にでも手に入るわ」
太田の、表情がパッと明るくなった。
「ホンマか! じゃ、貴子様に会った後に、一緒に取りに行こうぜ」
今度は、小川が僕を見る。
「アキラの事を聞いてみたけど、名前だけでは分からんって」
「まぁ、そうやな。名前だけじゃな……。それよりも、ミナミ高校に潜入するのはいつにする?」
小川が、腕を組んで天井を見上げた。
「そうやな……今日が八日の水曜日。通学してる日に狙うから、あと、木、金、土の三日間のうちのどれかやな」
小川が、冷静に決行日の選択肢を口にした。僕は、アキラの動きについて思ったことを口にする。
「アキラがクラブ活動をしていた場合、授業が終わっても、なかなか帰らへんやんな。その場合、最後まで潜入すると、何時頃になるんやろ?」
「六時か、六時頃までやと思うけど……」
僕たちの話を聞いて、太田が僕たちを見た。
「その場合は、何とかアキラの家だけは特定して解散やな。家に帰るのはちょっと遅くなるけど、貴子様のためや。我慢してくれ」
太田の言葉は、まるで僕が臆病になっているみたいな言い方だ。僕は、少しムキになる。
「遅くなることは気にしてないで」
僕がそう言った時、表で自転車が停まる音がした。お母さんが帰ってきたのだ。下でガサゴソとする音が繰り返されたかと思うと、階段を上ってきた。戸が開けられる。僕たちの傍に座ると、お菓子とジュースが載せられたお盆を、真ん中に置いた。
「いらっしゃい。ヒロちゃん、お母さんにご紹介してちょうだい」
お母さんが、太田と小川を見る。
「えっと、こっちが太田で、こっちが小川」
「お邪魔してます」
二人が、小さく会釈した。
「お菓子とジュースを用意したから、ゆっくりしていってね」
そう言うと、母親は階段を下りて行った。小川が声を落として僕と太田に言う。
「ちょっと、声を小さくしようか」
僕たちは、頷く。作戦会議が途切れたので、ひとまず、お菓子を食べることにした。お盆には、赤いパッケージで有名な「かっぱえびせん」がお皿に盛られていた。小川は、真っ先にそのお菓子に手を伸ばすと、テレビのコマーシャルのメロディを口遊んだ。
「やめられない、とまらない」
僕と太田が、偶然にも口を揃えて、後半のフレーズを唱えた。
「かっぱえびせん」
あまりにもタイミングが良過ぎた。僕たちは、お互いに顔を見合わせる。
「ワッハッハッハッ!」
腹がよじれる程に、大笑いした。笑いすぎて涙が出てきた。時計を見ると、時計の針は長針が五〇分を指していた。太田が、僕たちを見て、呟く。
「もうそろそろ、ええんとちゃうか。この後、どうしたらええんや?」
「そうやな」
僕は立ち上がると、窓の下に置いていたプラスチックの剣を手に取った。
「何をするんや?」
小川が不思議そうに、僕に呟いた。僕は窓を開けると、その剣で貴子お姉さんの窓を二回ノックをした。すると、その窓がスーと開かれて、貴子お姉さんが現れた。
「おー」
太田が、感嘆の声を漏らす。
「とっても賑やかね。笑い声が、こっちにまで届いてきたよ」
貴子お姉さんが、ニッコリと微笑んだ。太田と小川は、驚いて立ち上がると、ぎこちなくお辞儀をした。
「今日は、急に呼び出すようなことになって、本当にごめんね」
お姉さんも、僕たちにゆっくりとお辞儀をする。その姿があまりにも神々しくて、僕たちは、またお辞儀をした。
「小林君から、ミナミ高校に潜入する話を聞きました。とても感謝しています。私の問題なのに、この私が何も動けていないことに、とても心が苦しくて……。今日は、私に出来ることがないか考えたうえで、君たちに来てもらったの」
そう言うと、貴子お姉さんは、包装された二つの包みを用意した。お姉さんが、大田を見る。
「太田 秀樹君」
急に名前を呼ばれて、太田が、動揺した。
「は、はい」
少し、吃っている。
「私からの気持ちです。受け取ってください」
そう言うと、貴子お姉さんは窓の向こうから、その包みを差し出した。太田は、慌てて窓に近寄ると、僕を押しのけて、手を伸ばす。その包みを、受け取った。
「あ、ありがとう、ございます」
それだけを言うと、太田は、言葉に詰まってしまった。顔を真っ赤にして、俯いてしまう。お姉さんは、そんな太田に、ニッコリと笑った。次は、小川の方に視線を向ける。小川が、身構えた。
「小川 武君」
「はい」
「私からの気持ちです。受け取ってください」
同じようにお姉さんは、包装された包みを小川に手渡す。
「ありがとうございます。大切にします」
小川は、ペコリとお辞儀をした。僕は、窓辺のやり取りを見ながら、女王様から叙勲される騎士の姿を想像していた。建売住宅の二階で行われた、子供たちのゴッコ遊びの叙勲式かもしれない。でも、僕たちの気持ちは、中世の騎士に勝るとも劣らない清らかな思いで、貴子お姉さんを守ることを誓った。
太田と小川が受け取った包みにはそれぞれ怪人二十面相シリーズの本が入っていた。太田には怪奇四十面相が、小川には妖怪博士が授けられる。叙勲式が終わると、二人は魂が抜けたようになってしまった。それぞれの本を眺めて、決意を新たにしていた。
帰りがけに、計画の実行日が決まった。十日の金曜日。それは、僕が目撃した事件からちょうど一週間後のことだった。
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