第11話 潜入捜査

♪キーンコーンカーンコーン


 七月十日 金曜日。学校の授業が終わった。今日は、ミナミ高校にいるアキラを探し出す為の潜入捜査の日だ。僕はランドセルを背負ったまま、太田と小川と一緒に、秘密基地に向かう。家には帰らない。自転車は、昨日から秘密基地に運び込んである。


 今日の計画について、僕たちは、昨日のうちに打ち合わせを済ませていた。高校生に変装をした太田は、自転車に乗って校内に潜入する。小川は、裏門付近に自転車に乗って待機。僕も同じく、自転車に乗って正門に待機。アキラを見つけたら、太田を起点として尾行を開始する。最終的な目標は、アキラの自宅と苗字を確認すること。ところが、秘密基地のバスを出る直前になって、太田が、僕に問いかけた。


「なあ、小林」


「なんや?」


 太田が、宙を見上げている。


「高校への潜入やねんけどな、俺と一緒に行かへんか?」


「えっ、どういうこと?」


 なぜ、そんなことを言うのだろう……。そもそも、計画を指揮して決定したのは、太田本人だ。万が一、太田がアキラを取り逃がしたとしても、僕と小川で何とかカバーをして成功率をあげていく、と話し合ったはずだ。他に何か、良いアイデアでも浮かんだのだろうか? 僕は、計画の変更に伴う、問題点が気になった。


「じゃ、正門と裏門の配置はどうなるの?」


 太田は、僕を見ると、直ぐに目を背けた。


「え、だから、自転車置き場は正門の方にあるし、自転車でわざわざ裏門までは走らんやろ。普通に考えて……」


 太田は、少し難しそうな顔をして、そう言った。僕は、頭の中でミナミ高校の配置図を思い浮かべる。


「確かに、その可能性は高いけど、絶対じゃないで。それに、僕は制服がないし、制服があっても太田のように高校生には見えへん。潜入は難しいと思うけど」


 なんだか、太田が慌てている。


「そこは、高校生の俺が付き添っている……っていう設定でいったらええねん。それにな、アキラの顔を知っているのは、ほら、小林だけや」


 そこまで熱弁すると、太田は僕から視線を外して、荒々しく鼻息を漏らした。そんな太田の姿を見て、僕は理解した。太田も、土壇場になって、僕と同じように怖がっている。いつも強気で、周りをグイグイと巻き込んでいく太田が、今、僕に、弱さを見せている。僕は、そんな太田に対して、なんだか強い親近感を感じた。


「分かった。捜査は、正門に集中しようか?」


 僕は、笑顔で言った。


「そうや、その方がいい」


 太田が、ホッと胸を撫でおろすのを感じた。


「じゃ、僕は、高校生の太田に連れられて高校にやって来た小学生。顔はちゃうけど兄弟っていうことにしよう」


「そうや、そうや、それでいこう。じゃ、出発や!」


 元気を取り戻した太田は、秘密基地のバスから、一人飛び出した。ミナミ高校の制服を着た太田は、どこから見ても高校生に見えた。背筋を伸ばして自信たっぷりな方が、やっぱり太田らしい。僕は、小川を見る。小川が、声を抑えて笑っていた。今まで、小川のことを、僕は太田の腰巾着くらいにしか見ていなかった。でも、二人は友達なんだな、と素直に感じた。なんだか愉快になってくる。僕は、小川の背中を押して、一緒にバスから飛び出した。


 有刺鉄線の裂け目を出ると、僕たちはミナミ高校の正門に向かった。住宅地に囲まれたミナミ高校は、高いコンクリートの塀に周りを囲まれている。中の様子を、外から見ることは出来ない。正門は、レールに乗った柵のような門を左右に走らせることで、開閉できるようになっている。今は、門が仕舞われていて、開け放たれていた。生徒の姿は見えない。とっても静かだ。まだ、授業が行われている。高校に入るだけなら、今すぐにでも入ることが出来そうだ。


 でも、その門に近づくにつれて、僕の心臓がドキドキと高鳴り始めた。やっぱり怖い。隣の太田を見ると、顔が引きつっていた。目を大きく開けて、じっとその門を凝視している。太田も、かなり緊張しているようだ。その時、そんな太田の背中を、励ますつもりなのか、小川がポンと叩いた。


「ウォッ!」


 太田が、獣の様な大きな叫び声をあげた。身体を仰け反らせて、小川に振り向く。


「脅かすなよ!」


 そう言って、太田が小川の頭をチョップで叩いた。ちょっと力が強かったようだ。


「イタッ! ……痛いよ、太田」


 小川は、頭を押さえながら、恨みがましく太田を見つめた。実は、僕も太田の叫び声で、心臓が口から飛び出るほどに驚いていた。太田と小川のやり取りに、非難の目を向ける。


「スマン」


 小川が、小さな声で言った。その時、高校のチャイムの音が鳴った。


♪キーンコーンカーンコーン


 授業が終わった。校舎内が、一遍に騒がしくなる。生徒たちの歓声、ドアを開け閉めする音、廊下を打ち鳴らす夥しい数の足音。自転車に跨ったまま、固まったように立ちすくんでいると、校内から生徒たちが出て来た。一人ふたりと、正門に向かって歩いて来る。緊張している僕と太田は、お互いの顔を見て、頷きあった。強張っている体を無理やりに動かして、自転車を押したままミナミ高校に入っていく。僕が先頭で、太田が後ろだ。でも、これでは、ちょっと具合が悪い。立場的に、太田お兄ちゃんに、僕は引率されなければいけない。


「太田」


 僕は、太田に呼びかけた。ところが、太田は緊張しているのか、反応がない。全然、周りが見えていない。僕は自転車を止めた。


 ガシャン!


 太田の自転車が、僕の自転車にぶつかった。太田が、吃驚して僕を見る。


「どうしたんや?」


「太田が、前に行って」


 太田が、思い出した様に、呟いた。


「ああ、そうやな」


 でも、僕の横に並んだまま、太田は前に進もうとしない。


「どうしたん?」


 僕が問いかけると、太田が緊張した顔で、僕に問いかける。


「どっちに行くんや?」


 僕は、辺りを見回す。左の方に、自転車に乗った生徒が見えた。


「左……みたいやな」


 太田が自転車を押しながら、歩き始めた。僕も、その後を付いていく。すれ違う生徒の中には、僕を見て不思議そうな顔をする人もいた。でも、大半の生徒は、小学生の僕に関心を示さない。なんだか段々と、慣れてきた。どちらかというと、潜入する前の方が緊張していたような気がする。太田も、やっと緊張が解けてきたみたいだ。先程のそわそわした雰囲気がなくなっている。いつもの太田だ。僕たちは、目的の自転車置き場に到着した。


 そこは、鉄のトタン屋根がある、立派な自転車置き場だった。結構なスペースが用意されていて、多くの自転車が止められている。僕と太田は、空いたスペースに自転車を収めると、手分けして、赤いサイクリング自転車を探すことにした。本当は、僕は部外者扱いだから、太田と一緒の方が安全だ。でも、帰宅する生徒が、次第に増えてきた。早く見つけないと、先に、帰られてしまう。僕たちは、自転車置き場を走り回った。程なくして、目当ての自転車を、見つけた。


「あった」


 僕は、馴染みのある赤いサイクリング自転車に近寄った。名前シールに、アキラと書いてある。太田がやって来た。


「この自転車か」


「うん」


 辺りを見回した、僕の知っているアキラは、この周辺にはいない。僕たちは、一旦その場から離れた。僕たちの自転車のところまで戻ってくる。そこから、更に移動して、アキラの自転車が見えて、且つ、腰を下ろせる場所を見つけた。僕と太田は、その校舎の端っこに腰を下ろす。


「見つけたな」


 太田が、小さな声で僕に囁いた。


「ああ」


 僕は、ナップザックから怪人二十面相を取り出した。本を読むフリをしながら、赤い自転車を観察する為だ。本を手に取った時、僕は、貴子お姉さんのことを思い出した。アキラが、お姉さんの胸を触った、あの光景だ。許せない。僕は、今回の潜入捜査の重要性を噛みしめる。太田も、カバンの中から本を取り出した。貴子お姉さんから、直接貰った怪奇四十面相だ。


「あれ、少年探偵団は?」


 僕は、てっきり少年探偵団を取り出すと思っていた。


「ああ、あれか、もう読んだ。今度、返すよ」


 太田は、さも当たり前のように、そう答えた。僕は、目を開いて、太田を見る。驚愕の新事実だ。僕は、怪人二十面相と少年探偵団の二冊しか読んでいない。なのに、太田は僕よりも後から読み始めて、もう三冊目を読み始めている。よく考えれば当たり前のことなんだけど、なんだか悔しい。ショック過ぎて、危うく任務のことを忘れてしまいそうだ。僕は、太田にお願いした。


「読んだら、その本、俺にも貸してな」


「ああ、ええよ」


 貴子お姉さんへの思いの強さが、怪人二十面相シリーズを読んだ量に比例する訳ではないけれど、僕の心が乱れた。悔しい気持ちを、太田に悟られないようにしながら、僕は、本越しにアキラの自転車を観察する。すると、自転車の主は、意外にも早く現れた。肩に、テニスのラケットを背負っている。今日はクラブ活動がないのだろうか。太田が、立ち上がった。僕も立ち上がる。太田は、自分の自転車に向かって歩き出そうとした。しかし、僕の足が進まない。僕は、その自転車の主を見つめたまま、動くことが出来ない。


「何してるねん、早く行くぞ」


 太田が、僕に叫んだ。


「ちがう」


 僕は、その男を見つめたまま、叫んだ。


「何が違うねん」


 太田が、イライラしながら、僕に問い掛ける。


「アキラじゃない」


 僕は、悲痛な顔をして、太田を見る。


「アキラじゃないって……本人が現れたやないか」


 太田が、僕を睨みつける。


「そうやけど、あれは、僕の知っている犯人じゃない。顔が違う」


「えっ!」


 太田も驚いて立ち止まった。二人して、その男を見た。男は、赤いサイクリング自転車に乗って、走り出そうとしていた。


「どうするねん、小林」


 太田が、僕に問い掛ける。


「えっ、えっ」


 頭の中がまとまらない。どういう状況なのか、理解が追いつかない。赤いサイクリング自転車を見つけたのに、その自転車の主は、僕の知っている犯人じゃない。


「ええ、もう、とにかく追いかけるぞ」


 痺れを切らした太田が、僕の手を引っ張って、自転車置き場に走り出した。太田が、自転車を出して、サドルに跨がる。僕も慌てて、自転車に乗った。走り出した瞬間、僕たちの前に、一人の男が立ち塞がった。僕たちは、慌ててブレーキを掛ける。


「君、自転車にステッカーが貼っていないよ」


 赤い自転車と、僕たちの間に、学校の先生が立ちふさがったのだ。チェックのブレザーを着た、その年配の先生は、太田を睨みつけた。


「自転車通学を許可されたステッカーが貼っていない。これは校則違反だ」


 今度は、僕を睨みつける。


「それに、君は小学生じゃないのか。なぜ、こんなところにいるの」


 先生の向こうに、赤い自転車が走り去っていく。どうすればいい、どうすればいい。


「君、名前と学年とクラスを言いなさい」


 僕は、先生が何を言っているのか分からない。そもそも聞いていない。それよりも、自転車が正門を抜けてしまう。


「おがわ――――! 赤い自転車を頼む――――!」


 僕は、ありったけの大声で、学校の外にいる小川に向かって叫んだ。周りにいる生徒たちが、吃驚してこちらを振り向く。その時、太田が自転車から下りて、先生に体当たりをした。


 ガッシャン!


 先生が、自転車を引き倒して、ひっくり返った。


「小林、逃げるぞ」


 そう言うと太田は、自転車に乗って正門に向かって走り出した。


「こらー、暴力はいかんぞ」


 僕の目の前で、先生が立ち上がろうとしている。出遅れた僕は、自転車の向きを変えて、裏門に向かって自転車を走らせた。必死で自転車を漕いだ。どこを、どう走ったのか、憶えていない。無茶苦茶に走った。一生懸命に走ったので、息が苦しい。自転車の速度を緩めた。僕は大きく深呼吸をする。走りながら辺りを見回すと、秘密基地の周辺だった。ここまで走ってきた道中の記憶がない。まだ、心臓がドキドキしている。太田や小川は、どうしているだろう。赤い自転車の尾行に、成功したのだろうか。僕は、破れた有刺鉄線に自転車を乗り入れ、秘密基地に向かう。スタンドを立てたけど、自転車が倒れてしまった。そんな自転車を放っておいて、僕はバスに乗り込む。適当な座席シートを見つけると、倒れるようにして寝ころんだ。バスの天井が見える。先程の騒動から、逃げ出すことは出来た。僕の胸が、激しく上下している。動悸が治まらない。ゼーゼーという、自分の呼吸を聞きながら、今日の潜入捜査について思い返していた。あれやこれやと、思い浮かべつつ、いつの間にか寝てしまった。

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