第12/15話 イベント:アーバンファイア1

 燐華たちは、市内を、東に向かって進んでいた。

 すでに、焚沢町は抜けており、それの隣町に入っていた。さきほどから、ずっと、田園風景の中を走っているが、火口に出くわすことは、ほとんどなく、出くわしたとしても、車道も歩道も途切れているようなことは、ほとんどなく、途切れていたとしても、すべて、容易に迂回した後、元の道路に戻ることができた。

「このまま、もうしばらく進んだら、荻泉(おぎいずみ)交差点、っていう名前の十字路があるわ。信号機の上に、名前が書かれたプレートが設置されているから、すぐにわかるわよ」

 燠姫は、両腿の上に、グローブボックスから出したノートパソコンを載せていた。それには、イヤホンのコードが接続されている。イヤホン自体は、左耳にのみ、挿していた。燮永会の兵士たちによる通信の内容を傍受しているのだ。

「そこを、北に曲がって、後は、道なりに進めば、燹橋町よ」

「承知しました」燐華は、こくり、と頷いた。「燹橋町は、火山活動による被害は、ほとんど受けていないですから、焚沢町のような苦労は、せずに済みそうですね。燮永会のセダンたちも、ぜんぜん、姿が見えませんし……このまま、追いつかれることなく、燹橋町を通り抜けて、淡本市に入れればいいのですけれど。そうすれば、あとは、もう、駐屯地まで、スムーズに行けるに違いありませんから」

 そう言っている間に、荻泉交差点が見えてきた。しばらくして、到着したので、左折する。燹橋町に向かって、走り始めた。

 燠姫が、「車を停めてちょうだい」と言ったのは、それから十数分が経った後のことだった。

 燐華は、言われたとおりにした。少し、迷ったが、特に指定されなかったため、また、いつでも容易に発進できるようにするため、路肩ではなく、道路の中央に停めた。

 それから一分ほど経過した後、燠姫は、イヤホンを左耳から外した。「不味いことになったわ……」

 燐華は、「何でしょう」と訊いた。不味いことなど、今日だけで、何度も遭遇しているせいで、不安を抱く気にもなれなかった。

「えっと、簡潔に言うとね……市内の、火山ガスが漂っていないエリアのうち、何箇所かで、燮永会の兵士たちが、わたしたちの逃走を妨害するために、毒ガス兵器を使ったの。散布地域には、燹橋町も含まれてる。これじゃあ、もう、そこを通り抜けることは、できないわ」

 燐華は、少し考えた後、「具体的に、燹橋町のどこに毒ガスが撒かれたかは、わからないのですか?」と訊いた。「それなら、そこさえ、避けて進めば……」

「残念だけれど……」燠姫は、ゆるゆる、と首を左右に振った。「わからないわ。兵士たちの通信の中では、ちゃんと、その場所について、言っているんだけれど……『ポイントA』『ポイントB』みたいな感じで。それが、いったい、どこを指しているのか、までは……。

 それに……わかったところで、燹橋町を通るのは、いくらなんでも、危険すぎるわ。風向きや地形の関係で、毒ガスが、実際に散布された地点より遠く離れた所にまで、到達しているかもしれないから。それの動きを予測しようにも、そんな手段、持ち合わせてはいないし……」

「そうですか……」燐華は、しばし考えを巡らせた。「では、引き返す、というのはどうでしょう? 今、わたしたちは、追っ手からは、姿を消している状態です。慎重に進めば、燮永会の兵士たちに、再び出くわすことなく、焚沢町や灸野町などを抜けて、啖瀬市に戻れるでしょう。

 問題は、そこから、どうやって、淡本駐屯地に行くか、ですが……とりあえず、行ってから考えませんか? もしかしたら、向かった先で、あるいは、向かっている途中に、いい案が思い浮かぶかもしれませんし……」

「それは、わたしも考えたんだけれどねえ……無理なのよ」燠姫は首を、ふるふる、と、横に振った。「燮永会が、毒ガス兵器を使用した地域には、灸野町も含まれているから……」

「なるほどです……では、荻泉交差点に戻って、そこを直進し、市の南にある爨島(かまどじま)町へ行くというのは──いえ」燐華は眉間にやや皺を寄せた。「爨島町には、火山ガスが充満しているのでしたね……」

「そう。つまり、市外に脱出する方法は、一つしかないわ。荻泉交差点に戻って、そこを左折し、市の北東にある炙平(あぶりだいら)町、および、熨斗塚(のしづか)町を抜ける。熨斗塚町さえ、通れれば、淡本市に入ることができるわ」

 燐華は、数秒間、沈黙した。「やはり、それしか、ありませんか……。

 しかし……可能なのですか? いえ、熨斗塚町については、燹橋町と同様、火山活動による被害をほとんど受けていない、ということを聴いていますから、大きな心配はしていませんが……大きく心配しているのは、炙平町です。たしか、あそこは、今も、各種の火山が活発に活動しているのでしょう? 現在進行形で、火口から溶岩が噴き出して、流れているとか……」

「そうだけど……それこそ、行ってみないと、通り抜けられるかどうか、わからないわ。どうせ、他に、手段はないんだし……炙平町に向かってちょうだい」

「承知しました」

 燐華は、そう返事をすると、エクスプロを発進させ、すぐさまUターンさせた。来た道を、引き返し始める。

 十数分後、荻泉交差点が見えてきた。同時に、西から伸びてきている道路の上を、燮永会のセダンたちが、そこに向かって走ってきているのも、見えてきた。

「む……追いつかれましたか……」

 さいわいなことに、燮永会のセダンたちよりも、燐華たちのほうが、先に、交差点を左折した。彼らは、そこを直進し、エクスプロを追いかけてき始めた。

 燐華は、そのまま、炙平町に向かって、車を走らせ続けた。しばらくすると、ぴりりりり、という電子音が聞こえてきた。燠姫が持っているスマートフォンの着信音だ。

「何よ、こんな時に……」

 燠姫は、眉を顰めると、そうぼやきながら、スカートのポケットからスマートフォンを取り出した。ケースの蓋を開いて、電話の主を確認する。

 直後、彼女は、両目を見開いた。それから、慌てたように通話を開始すると、端末を右耳に当てた。「もしもし、爛崎です」

 通話は、数分で終了した。燠姫は、「朗報よ」と言いながら、スマートフォンのケースの蓋を閉め、ポケットにしまった。

「朗報?」もはや聞き慣れなくなってしまった単語である。「何ですか?」

「今、炉木さんから、連絡があってね。部隊を待機させるから、場所を指定してくれ、って言われたわ。これで、わたしたちが直接、駐屯地にまで向かわなくても、指定した場所にさえ行けば、彼らと合流して、追っ手の攻撃から、逃れることができる」

「朗報ですね」燐華は顔を綻ばせた。「それで、どこを指定したのですか?」

「談正市の熨斗塚町と淡本市の境界線の近くにある、恢藤(かいどう)公園よ。そこの駐車場で、待機してくれるって。周辺にいる人たちは、事前に、避難させておいてくれるみたい」

「承知しました。では……残りの問題は、炙平町だけですね」

「そうね。なんとしてでも、通り抜けないと……」

 燐華は、その後も、エクスプロを走らせ続けた。そして、しばらくして、炙平町に進入した。

 それからすぐ、行く手に、真っ赤な塊が見えてきた。地表に、へばりつくようにして、辺り一帯に広がっている。

 大して時間もかからずに、それは溶岩である、とわかった。燐華から見て右から左へ、どろりどろり、と流れている。

 溶岩には、ビルやマンション、高架道路や歩道橋など、さまざまな建造物が飲み込まれていた。それらのうち、ほとんどは、燃え盛っている。建材が溶解しているのか、前後左右に傾いている物も、少なくなかった。

 ただ、不幸中の幸いと言うべきか、町全体が隙間なく溶岩に覆われている、というわけではなかった。ぱっと見たところでも、いくつか、溶岩に埋もれていないエリアが、存在していた。

「とりあえず、そういう所を通っていくしかありませんね……」

 そう言いながら、燐華は、サイドブレーキをかけつつ、ハンドルを左に回して、十字路を、ドリフトしながら曲がった。

 彼女らは、その後、溶岩に覆われていないエリアを探しながら、町中を走った。交差点を曲がった先が、溶岩に埋もれて、行き止まりとなっており、慌てて引き返して、別の道に入ることも、しばしばあった。その間も、燮永会のセダンたちは、しぶとく、エクスプロを追いかけてきていた。

 しばらくして、燐華は、まっすぐに伸びている道路を走り始めた。それの左側は、もともとは、運動公園だったらしい。今は、そこは、全域が、溶岩に飲み込まれていた。溶岩は、道路の、左側にある歩道まで侵していて、車道の四車線のうち、左端にある車線の、すぐ左隣を、手前から奥に向かって、流れていた。

 彼女は、溶岩に接触しないよう気をつけながら、車を進ませていった。そのうちに、燮永会のセダンたちのうち、先頭にいる一台が、一気にスピードを上げた。それは、あっという間に、エクスプロに追いつくと、それの右隣、一メートルほど離れたあたりを走り始めた。

「体当たりを食らわせてやります!」燐華は、ぎゅっ、と、ハンドルを握り締めている両手に、さらなる力を込めた。

 しかし、セダンのほうが、行動が早かった。その車は、一気に距離を詰めてくると、そのまま、エクスプロに、がつん、と、ぶつかってきた。

「きゃ……!」

 エクスプロは、ふらり、と大きく左によろめいた。溶岩との距離が、どんどん縮まっていく。

「ぬう……!」

 燐華は、ぐるぐる、とハンドルを右に切った。半ばドリフト、半ばスリップしながら、エクスプロの進行方向を、まっすぐに修正しようとする。

 数秒後には、車は、なんとか、溶岩の右端から四十センチほど離れたあたりを、走り始めた。

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