第10/15話 イベント:マグマホールズ1

 観覧車のホイールより逃れてから、十数分後には、燐華たちは、溶岩の上から下りており、アスファルトの車道を走っていた。すでに、灸野町も抜けており、それに隣接している町の中にいた。

「事前に打ち合わせたとおり、このまま、道なりに走って、焚沢(たきざわ)町へ行きましょう」そう、燠姫が話しだした。「その次は、燹橋(せんばし)町よ。燹橋町は、さいわいなことに、火山被害を、ほとんど受けていなくてね……何事もなく、通過できると思うわ」

「それを、祈りましょう。しかし……問題は、焚沢町ですね。なんでも、地下に溜まっていたマグマが、すでに存在している火口から噴出せずに、あちこちの地面から噴出したそうじゃないですか」

「ええ。いわば、焚沢町は、あちこちに火口が出来ているの。しかも、それのうち、ほとんどが、いわゆる溶岩湖でね……火口の中に、溶岩が溜まっているの。もし、落ちたら、ひとたまりもないわ」

 燐華は、思わず、火口に落ちた時のことを想像しそうになった。慌てて、そのイメージを、脳内から追い払う。ネガティブな気分に陥ることは、不利益しか生まない。

 彼女は、その後も、焚沢町を目指して、エクスプロを走らせ続けた。なにやら、ばばばばば、というような音が、右方から聞こえてきていることに気がついたのは、町との境界まで、あと数十メートル、という地点だった。

「いったい、何ですか……? この道路の右側には、十数メートル離れたあたりから、火山ガスが漂っているはずですが……」燐華は、そんなことを呟きながら、そちらに視線を遣った。

 空中を、何かが複数、エクスプロのいる道路に向かって、飛行していた。目を凝らして、よく観察する。ほどなくして、それは、ヘリコプターの集団である、とわかった。

 どれも、同じ見た目をしていた。細長い直方体の形をした機体の前後に、回転翼が一つずつ設けられている。ボディの側面には、さきほどまでいたセダンと同じ、燮永会のロゴステッカーが貼られていた。

「なるほど……ヘリなら、談正市の、火山ガスが漂っている地域を、上空を通って、ショートカットすることにより、わたしたちに追いつける、というわけですか」

「あの機体は、輸送用ね……」燠姫は、体を前傾させ、フロントウインドウ越しに、ヘリ集団に視線を遣っていた。「きっと、ヘリ自体は、追っ手ではないのでしょう。あれらは、あくまで、追っ手を運んでいるだけね」

 燐華は、どうにかして、彼らを追い払いたくなった。しかし、どうしようもなかった。遠く離れた上空にいる敵を攻撃する手段なんて、持ち合わせてはいない。

「どこに着陸するのは、わかりませんが……今のうちに、少しでも、距離をとってやります!」

 燐華は、アクセルペダルを踏み込み、車のスピードを上げた。それから数秒後には、焚沢町に入っていた。その間も、ヘリ集団は、どんどん、彼女らのいる道路に近づいてきていた。

 しばらくして、ヘリ集団は、道路の右方、かなり近いあたりにまで、到達した。その後、彼らは、高度を下げ始めた。

 地上の、ヘリ集団の真下に該当する位置には、小学校があった。それの校庭に着陸するつもりに違いなかった。

 小学校は、数百メートル先に建っていた。長方形をした校庭の左辺が、道路に接していた。

 しばらくして、エクスプロは、小学校の横を通り過ぎた。その頃には、すでに、ヘリ集団は、続々と、校庭に着陸していっていた。校庭に設けられている通用門は、生徒たちを避難させた時の名残か、開け放たれていた。

 燐華は、さっ、と校庭の様子を確認した。いずれのヘリも、輸送物を乗降させるための出入り口を開いていた。そして、そこからは、次々に、セダンが飛び出してきていた。どれも、灸野町で戦った追っ手たちと、同じ見た目をしていた。

 小学校の横を通り過ぎて、しばらくしてから、燐華は、バックミラーに目を向けた。校庭から、セダンが、続々と飛び出してきては、道路に躍り込んで、エクスプロめがけて走ってきていた。

「今回も、逃げきってやりますよ……!」

 その後も、燐華は、エクスプロを走らせ続けた。そのうちに、いくつか、地面に火口が出来ている所に遭遇した。さいわいにも、それらは、道路の左右、離れた所に位置していたため、避けるまでもなかった。コンビニの駐車場に生じている物もあれば、民家の敷地内に生じており、建物を半分ほど吹き飛ばしている物もあった。

 火口は、小さい物で、直径一メートルほど、大きい物で、直径五十メートルほどだった。いずれにも、地表から数メートル下がったあたりに、溶岩が溜まっていた。それは、赤や黄、黒の入り混じった、粘度の高い液体のような見た目をしていた。ぐつぐつ、ごぽごぽ、ぼつぼつ、ぷちぷち、などという音を立てながら、煮え滾っていた。

 燐華としては、いくら、火山地帯である鶯磐庭園に何度も入ったことがある、とはいえ、凝固していない状態の溶岩を直視するのは、これが初めてだった。思わず、ごくり、と唾を飲み込む。「やっぱり、落ちたら、ひとたまりもありませんね……当たり前ですが……」と呟いた。

 それからしばらくして、新たな火口に出くわした。それは、縦に細長い楕円形をしており、道路の右隣に位置していた。道路のうち、歩道は崩落していて、四車線を有する車道の右端が、そのまま、火口の左縁に接していた。

 そこまで見たところで、燐華は、後ろから、燮永会のセダンが一台、スピードを一気に上げ、エクスプロめがけて突進してきていることに気がついた。そのまま、体当たりを仕掛けてくるつもりに違いなかった。

「く……!」

 燐華は、ハンドルを、ぎゅうっ、と握り締めた。体当たりを躱すために、すぐにでも左右に移動したい、という願望を、ぐっ、と我慢する。今、そう行動したところで、セダンも、それに合わせて、左右に移動するだけだからだ。

 燮永会の車は、どんどん、エクスプロに迫ってきた。両者の距離は、五メートルを切り、四メートルを切り、三メートルを切った。

「今です!」

 燐華は、ぐるり、とハンドルを大きく左に回した。エクスプロを、そちらのほうへ移動させる。

 なんとか、セダンの体当たりを躱すことに成功した。それから、その車は、エクスプロの右隣、一メートルほど離れたあたりを、並走し始めた。

「体当たりとは──こうやるんです!」

 燐華は、そんなことを言いながら、ぐるり、とハンドルを右に回した。セダンに、がつん、とボディをぶつける。

 その車は、ふらり、と大きく右方によろめいた。火口の左縁から数十センチ離れたあたりを、走り始める。

「もう一丁!」

 燐華は、再び、ぐるぐる、とハンドルを右に切った。セダンに、ごつん、と体当たりを食らわせる。

 その車は、またしても、ぐらり、と大きく右方によろめいた。そして、火口の左縁を越えると、そのまま、中へ落下していった。

「やりました!」

 燐華は、その後、ハンドルを小刻みに操作して、エクスプロの進行方向を、まっすぐに修正した。

 しばらくすると、数十メートル先に、またしても、火口が見えてきた。直径は、二十メートル弱。それにより、道路は、車道も歩道も、途切れてしまっている。

 火口の両脇、歩道のすぐ横は、民家の敷地となっていた。左脇は、家屋と火口の左縁の間が、右脇は、ガレージに停めてある車と火口の右縁の間が、とても狭い。あれでは、左右に迂回することもできない。

「なら……脇道は、どうでしょう?」燐華は、そう考えると、きょろきょろ、と周囲に視線を遣った。

 しかし、進入できそうな脇道は、見つからなかった。脇道自体は、いくつかあるのだが、いずれにも、火口が出来た時に地面から吹き飛ばされたらしい、土だのアスファルトだのの塊が、たくさん落ちていて、車が通れないくらいに狭まっていた。

「ぐう……!」

 燐華は、バックミラーに目を向けた。相変わらず、エクスプロの数十メートル後方を、燮永会のセダンたちが、走ってきていた。これでは、Uターンして、道路を引き返したところで、飛んで火にいる夏の虫だ。

 その後、彼女は、フロントウインドウに視線を遣ると、火口の周囲の様子を、よく窺った。何か、突破口がないか、探す。

「ありました!」

 燐華は、そう叫ぶと、アクセルペダルを底まで踏み込んで、車を急加速させた。火口が、どんどん、迫ってくる。

 火口の手前、縁から一メートルほど離れた所には、二車線目と三車線目を跨ぐようにして、大きな土の塊が落ちていた。それは、勾配の緩やかな角錐台のような見た目をしていた。

 数秒後、燐華は、エクスプロを、その土の塊に突っ込ませた。斜面を、一気に駆け上がる。

 〇・五秒後、それの端から、ばひゅっ、と宙に飛び出した。火口の上空を、突き進んでいく。

「なんとか、向こうの道路に、届いてくれれば……!」

 そう呟くと、燐華は、歯を強く噛みしめた。そのうちに、エクスプロの上昇は止まり、今度は、下降が始まった。

 数秒後、車は、向こうの道路の数メートル手前に到達した。しかし、同時に、地表の数十センチ下に到達してもいた。

「……!」

 一秒後、ばちゃあっ、という音が鳴った。

 そこは、地下駐車場だった。火口の側面、向こう側の道路の下あたりには、横長の長方形をした穴が開いていて、そこからは、駐車場が広がっていたのだ。水道管でも破裂したらしく、路面には、大きな水溜まりが出来ており、エクスプロのタイヤは、それの底に着地した。

 燐華は、思わず、ふううー、と安堵の溜め息を吐いた。「なんとか、飛び越えられました……」その後は、出口を目指し始めた。

 しかし、そこからが、予想外に手こずった。駐車場は、火口が出来た時に吹き飛ばされた土の塊や、押し退けられた車などが、あちこちに転がっているせいで、まるで迷路のようになっていたのだ。単純に、案内板どおりに進んだだけでは、目当ての場所に辿り着けなかった。

 数分後、エクスプロは、ようやく、出口に到達した。スロープを上がって、車道に出、それを走り始めた。

 燐華は、バックミラーを一瞥した。燮永会のセダンたちは、さすがに、エクスプロの後に続いて火口を飛び越える度胸はなかったらしく、姿は見えなかった。

「これで、撒けましたかね……」燐華は、ほっ、と短い安堵の息を吐いた。

 しかし、安堵できたのは、数秒間だけだった。道路の、さきほど飛び越えた火口の数メートル手前あたりには、燐華から見て右方より、脇道が接続している。そこから、燮永会のセダンたちが、続々と飛び出してきては、ドリフト、というよりスリップしながら左折して、エクスプロを追いかけてき始めたのだ。彼女らが駐車場を出るのに手こずっている間、火口を迂回したに違いなかった。

「ぬう……!」

 燐華は、アクセルペダルを踏み込むと、エクスプロを加速させた。それからしばらくすると、数十メートル先に、みたび、火口が見えてきた。

 直径は、五十メートルほど。今、彼女らがいる道路には、とうてい収まりきっておらず、向かって左へ、大きくはみ出していた。

 火口の側面は、垂直ではなかった。きつい勾配ではあるが、傾斜していた。いわゆる、擂鉢状、というやつだ。

 火口の右縁は、今、燐華たちがいる道路のうち、右側にある歩道の右端と接していた。そのせいで、車道も歩道も、完全に途切れてしまっている。歩道のさらに右側には、塀が立っているため、そちらに迂回することはできない。

 燐華は、フロントウインドウの左方に視線を遣った。道路の左側には、何かしらの畑が広がっていた。そこの上には、火口が出来た時に吹き飛ばされたらしい、土だのアスファルトだのの塊が、ごろごろ転がっていた。それらが邪魔なせいで、通り抜けられそうもない。

 畑の向こう側には、今、エクスプロの走っている道路と平行に、もう一本、道路が敷かれていた。火口の左縁は、その道路のうち、左側にある歩道の左端と接していた。道路は、火口の十数メートル手前で、左に折れていた。

「火口の側面を通って、向こう側の道路に移ります!」

 燐華は、そう叫ぶと、ハンドルを、くるり、と大きく右に回した。右にある歩道の上を、走り始める。

「火口の側面を、バンクカーブとして利用する、ってわけね!」

 そう、燠姫が叫んだ。彼女は、左手で、助手席側の乗降口の上に付いているアシストグリップを、右手で、アームレストを掴んでいた。

 燐華は、アクセルペダルを踏み込むと、車を加速させた。火口の側面を走っている最中に、滑り落ちて、溶岩湖に突っ込んでしまわないよう、高いスピードを出しておく必要があった。

 しばらくして、エクスプロは、火口の縁に到達した。そのまま、ばひゅっ、と宙に飛び出す。

 一瞬後、車は、火口の側面に、ずしゃ、と着地した。その後は、それの上を、走り始めた。

 数秒後、燐華は、バックミラーを一瞥した。燮永会のセダンたちも、彼女らと同じようにして、道路の上から火口の側面へと飛び移っていた。

「追うのを諦めてくれれば、よかったんだけれどねえ……」そう、燠姫が、ぼそり、と呟いた。

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