第09/15話 イベント:ロックフィールド3

 そのうちに、燮永会のセダンたちのうち一台が、追いついてきた。燐華たちの車の右隣、一メートルほど離れたあたりを、走り始める。

「それは、悪手ですよ!」

 燐華は、ぐるり、とハンドルを大きく右に回した。セダンに、がつん、と体当たりを食らわせる。

 セダンは、ふらり、と、右方へ大きくよろめいていった。そして、運転している、中年男性の兵士が、車のバランスを、必死に立て直している間に、それは、プールに落下した。ばしゃあん、という音が鳴って、派手な水飛沫が生じた。

「やりました!」燐華はガッツポーズをした。

 その後、しばらくして、彼女は、壁に出入り口が設けられているのを発見した。それの上には、非常口のサインが取りつけられていた。両開き式である扉は、開け放たれており、すぐ外に、階段の踊り場があるのが見えた。実際に、客の避難に用いられたのかもしれない。

「あそこからなら……!」

 燐華は、ハンドルを、ぐいぐい、と小刻みに操作した。非常口めがけて、エクスプロを走らせる。

 目的地に到着する寸前、彼女は、サイドブレーキをかけながら、ハンドルを、ぐるり、と大きく左に回した。車を、前に進ませながら、わざと、反時計回りに、ゆっくりスピンさせる。

 エクスプロは、その状態のまま、非常口をくぐり抜けた。その頃には、車は、九十度ほど回転していた。

 階段は、その非常口を出た直後の部分が、始点となっていた。長方形をしている踊り場の左辺から、斜め下へと伸びている。多数の客による利用が想定されているためか、幅は広かった。

 燐華は、即座に、サイドブレーキのレバーから手を離して、アクセルペダルを踏み込んだ。踊り場の左辺から、宙へ、ばひゅっ、と飛び出す。

 階段は、数メートル下ったところで、溶岩に埋もれていた。エクスプロは、その近くの岩面に、どしん、という音を立てて着地した。そこは、少しばかり、凸凹を有していたが、走行できないほどではなかった。彼女は、すぐに、滑らかな場所を探すと、そこへ向かった。

 背後から、がしゃん、がしゃあん、というような音が聞こえてきた。バックミラーに、視線を遣る。

 燮永会のセダンたちが、何台か、踊り場にいた。それらは、踊り場を曲がりきれず、手摺りに衝突して、クラッシュしていた。階段は、非常用、というだけあって、頑丈に造られているらしく、手摺りは、車の衝突を食らって、歪んだり曲がったりしてはいたものの、壊れてはいなかった。

「あれなら、ホテルに入ってきていた、燮永会のセダンたちは、あの、踊り場で詰まっている車たちが邪魔になって、プールから出られないわね」燠姫も、バックミラーに目を向けていた。

「やっと、追っ手がいなくなりますね……」そう言って、燐華は、ほっ、と短く安堵の息を吐いた。

 しかし、安堵は、そう長くは続かなかった。数分後、少し前に左横を通り過ぎた、溶岩に飲み込まれている建物の陰から、燮永会のセダンが五台、出てきたかと思うと、右折して、エクスプロを追いかけてき始めたからだ。

「あれらは、たぶん、ホテルに入ってこなかったやつらね……」燠姫は、助手席側のサイドミラーに視線を遣っていた。「きっと、わたしたちがホテルに飛び込んだ後、わたしたちを追ってホテルに入る部隊と、ホテルを迂回する部隊に、分かれたのでしょう」

「ホテルの中で、アクシデントが起きても、追っ手が全滅してしまわないように、ってことですね」

 それから、しばらくして、燐華たちは、遊園地の中を走り始めた。そこが遊園地であることは、周囲の岩面から、ジェットコースターのレールやフリーフォールのマシン、観覧車のホイールなどが突き出ていることから、容易に推測できた。敷地の境界線には、柵の類いが設けられているはずだが、おそらく、溶岩に、すっぽり埋もれてしまっているのだろう。

 数秒後、後方から、どおん、というような音が聞こえてきた。バックミラーに、目を向ける。

 何かが、エクスプロのいるほうに向かって、宙を突き進んできていた。そして、すぐに、それよりさらに後ろにいる、燮永会のセダンたちのうち、先頭にいる一台において、客席のウインドウから、若い男性の兵士が身を乗り出していることに気がついた。彼は、ロケットランチャーを構えていた。

「ロケットですか……!」燐華は、一瞬、それを躱さなければならない、と考えて、ハンドルを、ぎゅっ、と強く握り締めた。

 しかし、すぐに、その必要はない、ということに気がついた。ロケットは、鏡越しに見て、左斜め上に向かって飛んでいたのだ。あれでは、避けるまでもなく、エクスプロには当たらない。

 よく見ると、燮永会のセダンたちは、岩面の凸凹のせいで、しょっちゅうバウンドしていた。狙いを上手く定められなかったに違いなかった。

「助かったわね……」

 燠姫が、ふ、と軽い安堵の息を吐いた。直後、ロケットが、車の左斜め上あたりの空間を、通過していった。

 それは、その後も、まっすぐに宙を突き進んでいった。そして、最終的には、数十メートル先にある観覧車の中心、プラットフォームとホイールが接続している部分に命中した。観覧車は、エクスプロの進行方向に対して、平行な向きに建っていた。

「あ……!」

 どかあん、という音が轟いた。ばきん、べきん、ぼきん、という、金属物が折れるような、甲高い音が、次々と鳴り響き始めた。

「く……!」

 金属音が鳴っている間に、エクスプロは、観覧車の右横を過ぎた。そこから先の岩面は、きつく傾斜しており、下り斜面のようになっていた。

 数秒後、ホイールが、プラットフォームから外れ、溶岩の上に着地した。どしゃあん、という音が響いて、岩面が、わずかに揺れた。その頃になって、燮永会のセダンたちが、観覧車の右横を通り始めた。

 それから、ホイールは、エクスプロのほうに向かって、転がってき始めた。

「ぐう……!」

 燐華は、低い唸り声を上げた。すでに底まで踏み込んでいるアクセルペダルを、さらに、床へと押しつけた。

 ホイールの転がる速度は、どんどん上がっていた。あたりの岩面が、勾配の急な下り斜面のようになっているためだ。

 数秒後、どがしゃあ、という音とともに、燮永会のセダンが一台、下敷きになった。それでも、ホイールは止まらなかった。

 燐華は、できれば、エクスプロを左右に移動させ、ホイールの進路から逃れたかった。しかし、できなかった。あたりの岩面には、鋭い凸凹が密集しており、とても走れそうにないのだ。今、彼女らがいる、滑らかなエリアは、細長い一本道のように、まっすぐに伸びていた。

「このままでは、追いつかれてしまいます……!」

 そう燐華が言った、次の瞬間、ホイールは、燮永会のセダンを一台、どぐしゃあ、という音を立てて、押し潰した。

 どかあん、という音とともに、その車は爆発した。下敷きになった時の衝撃で、積んであった爆弾の類いが、炸裂してしまったのかもしれない。

 爆発のショックで、ホイールは、ジャンプした。燐華たちのほうに向かって、宙を飛んでくる。その頃には、彼女らのいるあたりの岩面の勾配は、かなり緩やかで、水平面とほぼ変わらなくなっていた。

 ホイールは、空中で、ぐぐぐ、と、時計回りにスピンし始めた。そして、数秒後、燐華たちの十数メートル後方に、どしゃあん、という音を立てて着地した頃には、九十度ほど回った状態になっていた。それまでは、エクスプロの進行方向に対して、平行なほうを向いていたのに、その時は、直交なほうを向いていた。

 その後、ホイールは、ぎぎぎぎぎ、という音を立てながら、エクスプロのいるほうめがけて、傾いてき始めた。

「ぬう……!」

 燐華は、その後も、車を、トップスピードで走らせ続けた。その間も、ホイールは、耳障りな金属音を辺りに轟かせながら、傾いてき続けていた。

 彼女は、バックミラーに視線を遣った。燮永会のセダン、残り三台のうち、先頭にいる一台が、スピードを上げていて、どんどん、エクスプロとの距離を縮めていた。

 それの客席のウインドウからは、若い女性の兵士が身を乗り出していた。彼女は、肩にロケットランチャーを担いでおり、砲口を燐華たちの車両に向けていた。しかし、まだ、撃ってはいなかった。確実に当たるよう、じゅうぶんに近づいてから発射するつもりに違いなかった。

 エクスプロとセダンの距離は、どんどん縮まっていった。二十メートルを切り、十メートルを切り、五メートルを切った。

 しかし、けっきょく、兵士は、ロケットを撃たなかった。それよりも前に、ホイールが倒れて、それの円周部に付いているゴンドラが、彼女の乗っている車を、どごしゃあ、と押し潰したからだ。

 次の瞬間、セダンは、どかあん、という音を立てて爆発した。下敷きになった時の衝撃で、ロケットが炸裂したに違いなかった。

「よし……!」燐華は弾んだ調子の声を上げた。「これで、もう、追っ手はいなくなりました!」

「でも……油断はできないわ」燠姫が、落ち着いた調子の声で言った。「燮永会の刺客は、あの部隊だけ、というわけではないでしょう。他にも、差し向けてきているに違いないわ……その前に、ルートJを逃げきらないと」

「そうですね……」燐華は、こくり、と頷いた。「気を引き締めます」

「……ま、でも、不安に思い過ぎるのもよくないかしらね。ほら、談正市のあちこちに、火山ガスが漂っているせいで、燮永会の車が、わたしたちを追いかけるとなると、彼らも、わたしたちと同じようなルートを通らなければならないでしょう。例えば、ちょうど今、追っ手の車が、わたしたちが進入した地点と同じ所から、談正市に進入したとしても、それとエクスプロは、かなりの距離が開いている。追いつかれる前に逃げきることは、じゅうぶん、可能よ」

「そうなることを、期待しましょう」そう言って、燐華は、ハンドルを、くるり、と軽く左に回した。

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