第07/15話 イベント:ロックフィールド1

 どかあん、という音とともに、数十メートル前方にある、川に架かっている橋が、爆ぜた。それは、その後、がらがらがら、という音を立てながら、崩れ落ちていった。燮永会が爆破したに違いなかった。

「く……!」

 燐華は、眉間に皺を寄せた。サイドブレーキをかけながら、ぐるぐるぐる、とハンドルを回す。通過しかけていた十字路を、ドリフトしつつ右折した。

「これで、ルートGも、駄目になりました……!」

「残るは、ルートDと……ルートJね。とりあえず、ルートDに向かってちょうだい」

 燠姫は、両腿の上に、ノートパソコンを載せていた。グローブボックスに収納していた物だ。それには、イヤホンのコードが接続されていた。イヤホン本体は、彼女の左耳にのみ、挿し込まれている。

 燠姫は、燮永会のウェブサイトを閲覧していた時、兵士たちが相互に連絡をとる手段についても、詳しい内容を知ることができたそうだ。彼女は、今、兵士たちの通信内容を盗聴しているはずだった。

「承知しました!」

 すでに、基地より逃げ始めてから、数十分が経過していた。まだ、追っ手は振り切れておらず、エクスプロの数十メートル後方には、何台か、兵士たちの乗っているセダンがいて、燐華たちを追いかけてきていた。

 燠姫によると、すでに、この逃走劇は、マスメディアだのSNSだので、とんでもない騒ぎになっているらしかった。警察も出動していて、燐華は、何度か、パトカーやヘリコプターの姿を見かけていた。しかし、そのたびに、彼らは、燮永会の兵士の銃撃を浴びて、パンクさせられたり、兵士の撃ったロケット弾を食らって、爆発炎上し、墜落したりしていた。

「ルートDを走り抜けられることを、祈りましょう……!」

 燐華は、エクスプロを走らせながら、そう言った。ルートDの始点は、すでに通り過ぎていたが、途中から進入しても、問題ないはずだった。

「無理よ」

 そう、燠姫が言ったので、燐華は思わず、助手席に視線を遣った。彼女は、ノートパソコンのキーボードを、かたかた、と叩いていた。

「通信によると、兵士たちが、炭上(すみうえ)トンネルの中に、ロードブロックを設置したらしいわ……これじゃあ、そこを通り抜けられない」

 炭上トンネルとは、ルートDの途中にあるトンネルだ。このルートを使って、淡本駐屯地に行く場合は、必ず、ここを通らなければならない。

「なるほどです……」燐華は、ふう、と短く息を吐いた。「なら、ルートJを使うしか、ありませんね……」

「そうね。できれば、使いたくなかったんだけれど……」

「談正市の中を通り抜けるルートですからね。しかも、火山活動は、まだ、ほとんど治まっていなくて、未だに、新たな噴火口が出来たり、大量の溶岩が流れ出ていたりしていますから……」

「火山ガスについては、いちおう、対処できているんだけれどね。事前に、研究所にお願いして、各種のシミュレーションを行ってもらって、結果を確認しているから。それが漂っていないような道筋を、ルートJとして設定しているわ。でも、火山ガス以外は……」燠姫は、数秒、黙った。「……ちゃんと、淡本駐屯地まで、辿り着けられればいいのだけれど」

 それからも、燐華は、車を走らせていった。しばらくして、ルートJに進入する。といっても、まだ、談正市内ではない。談正市に通じている、啖瀬市内の道だ。

 数秒後、後をついてきている燮永会のセダンたちのうち、先頭にいる一台の客席のウインドウから、若い男性兵士が、身を乗り出した。彼は、アサルトライフルを携帯しており、銃口をエクスプロに向けていた。

 兵士は、間髪入れずに、引き金を引いた。ばばばばば、という音とともに、弾丸が発射された。それらは、エクスプロのボディの背面や、リアウインドウ、リアタイヤなどに命中した。

 しかし、当たりはしたものの、貫きはしなかった。弾丸は、潰れた状態で跳ね返されると、地面に落下し、からんからん、という音を立てた。

「やつらも、凝りませんねえ……」燐華は少し呆れて言った。「この車には、通常の威力の弾丸は、効果がない、ということは、もう、いい加減、悟るはずですが……」

「燮永会に襲撃されることを想定して、事前に、いろいろ、強化しておいたからね。ボディの金属だの、ウインドウのガラスだの、タイヤのゴムだの……もっとも、さすがに、グレネードとかロケットとかは、防げないけれど」

 そんな会話を交わしているうちに、数十メートル先に、十字路があるのが見えた。そこの交差点から伸びている、三つの道のうち、直進した先の道の上には、何か、物が置かれていた。

 それは、カラーコーンおよびコーンバーで構成された、バリケードだった。バリケードは、向かって左に位置する歩道の、左端から始まっており、車道を横断して、向かって右に位置する歩道の、右端で終わっていた。

 言うまでもなく、今の談正市に行くことは、危険である。そのため、通行する人や車が、誤って入ってしまわないよう、自衛隊が設置した物だ。ここ以外でも、いくつか、見かけていた。

 燐華は、十字路めがけて、エクスプロを走らせ続けた。そして、バリケードが近づくにつれ、中央に位置しているコーンバーに、紙が貼られていることがわかった。それには、「この先 談正市」「立入禁止」と書かれていた。

「すみません、立ち入らせていただきます……!」

 そう燐華が言った次の瞬間、エクスプロは、十字路を通り過ぎた。そのまま、バリケードに、突っ込む。ぱかあん、ぱこおん、などという音を立てて、カラーコーンだのコーンバーだのを撥ね飛ばした。

 談正市は、全域が火山地帯である、とはいえ、隅から隅まで隙間なく火山災害に見舞われている、というわけではない。事実、バリケードを越えてから、数分が経過しても、特に何の変哲もない、市街風景、田園風景が続いていた。

「このまま、しばらく行くと、灸野(きゅうの)町に入るわ」

 そう言う、燠姫の声が聞こえたので、そちらに視線を遣った。彼女は、ノートパソコンやイヤホンを、片づけていた。もう、行く手に燮永会の兵士がいることはない以上──今の談正市内にいるわけない──、持っている必要はない、と判断したのだろう。

「灸野町は、火山活動を、主に、レジャー産業に活用していたわ。温泉やら、ホテルやら、遊園地やら。とうぜん、甚大な被害を受けている。さいわい、今は、ある程度、火山活動が治まっているみたいだけれど……油断はできないわ」

「そうですね……」燐華は、ごくり、と唾を飲み込んだ。

 彼女は、バックミラーに目を向けた。すでに、談正市に入っているというのに、相変わらず、燮永会のセダンたちが、追いかけてきていた。

「燮永会の兵士たち──特に、ああいう、末端の人たちは、上級会員によって、徹底的に洗脳されているわ。任務を達成するためには、死をも恐れないくらいに」燠姫が、燐華の思いを察したらしく、そう喋り始めた。「それに、盗まれたのが、どうでもいいような物なら、彼らも、ここまで追いかけてはこないのでしょうけれど……なにせ、今回、わたしが持ち出したのは、燮永会が行おうとしているクーデターに関するデータや、それに必要不可欠なアイテムだから。警察に渡されたら不味い、と考えて、必死になっているのでしょうね。実際、渡すつもりだし……」

「なるほどです」

 その後、しばらくして、数百メートル先に、真っ黒な塊が見えてきた。それは、低く、平べったく、地面にへばりつくようにして、辺り一帯に広がっていた。その表面には、あちこちに、突起のような物があった。

「見えてきたわ。あれが、灸野町よ」

 そう、燠姫が言ったのを聞いて、燐華は、真っ黒な塊を、よく観察してみた。それの正体は、溶岩だった。といっても、地中から噴き出したばかりの、真っ赤な液体の状態ではない。どこもかしこも、凝固しきっていた。表面にある突起は、ビルやマンションといった、各種の建物だった。

「たぶん、昨日、ここらあたりに降った、大雨のおかげね……それで、溶岩が冷えて、固まったのでしょう。見たところ、新たな溶岩も、噴き出していなさそうね」

「助かりました……」燐華は、ほっ、と短く安堵の息を吐いた。「もし、これらの溶岩が、すべて、液体の状態だったらと思うと……」

「そうね……」燠姫は、きょろきょろ、と辺りを見回した。「どうやら、溶岩は、町全体──ここらあたりの、火山ガスが漂っていないエリア全体を、覆っているようね。迂回することは、できないわ……溶岩の上を走るしかないみたい」

「承知しました」

 燐華は、その後も、溶岩めがけて、エクスプロを走らせ続けた。それは、まるで、町の上で伸ばされている、巨大な粘土のように見えた。

 しばらくすると、溶岩が、数十メートル先にまで迫ってきた。それの端は、高さ数十センチの、ほぼ垂直な段差となっていた。これでは、乗り越えられない。

 燐華は、さっ、さっ、と周囲に視線を遣った。溶岩に乗り上げる方法を探す。

 大して時間をかけずに、見つけられた。道路の右手にある、何とかいうスーパーの駐車場だ。そこでは、溶岩が、比較的、薄く広がっており、それの端の高さは、十、二十センチほどしかなかった。あれなら、じゅうぶん、乗り越えられるだろう。

「あそこです……!」

 燐華は、そう呟くと、ぐるり、とハンドルを右に回した。歩道を、半ば跳び越えるようにして横断すると、スーパーの駐車場に、進入する。すぐさま、溶岩の端の段差をクリアした。

 彼女は、周囲の岩面を、注意深く観察しながら、エクスプロを走らせていった。当然ながら、岩面には、たくさんの凹凸があり、車は、それらを乗り越えるたびに、がたん、がったん、と振動した。

 いくら、タイヤは、とても丈夫な物に交換してある、とはいえ、限度はある。燐華は、可能な限り、突起の少ない、滑らかな岩面を選んで、運転していた。

 彼女は、バックミラーに視線を遣った。燮永会のセダンたちも、エクスプロと同じように、スーパーの駐車場に進入した後、溶岩の端の段差を乗り越えて、岩面を走ってきていた。

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