第05/15話 ブリーフィング2

 燐華は、しばらくの間、黙り込んでいた。まるで、何かの映画のような出来事で、現実感を得られなかった。

「まるで、何かの映画のような出来事で、現実感を得られません……」実際に言った。「それで……警察は、どう動いているんですか?」

「いえ」燠姫は首を横に振った。「警察には、何も言っていないわ。

 燮永会のウェブサイト、閲覧している時に、会社から、緊急の連絡が入ってね。やむなく、ログアウトして、オフィスに行ったの。

 もし、ログインしたままにしておいたら、仮に、わたしが離席している間、煤山炊男が、ウェブサイトにログインしようとした場合、二重ログインとなって、何らかのエラーが出るかもしれない。ひいては、燮永会に、誰かが、煤山炊男のアカウントを使って、不正にログインしている、ということが、ばれるかもしれないから。

 用件を済ませるのには、七時間ほど、かかったわ。で、その後、自分の部屋に戻って、もう一度、燮永会のウェブサイトにログインしようとしたんだけれど……できなかったのよ。『アカウントIDまたはパスワードが違います』って、表示されて。

 おそらく、わたしがログアウトしている間、煤山炊男がログインして、パスワードを変更したのでしょうね。といっても、わたしの不正ログインに気づいたわけではないでしょうけれど。きっと、いくら、暗号化しているとはいえ、アカウント情報が載っているメモ帳の付いたスマホを落としたことが気になって、念のため、変更したのでしょうね……実際、わたしに、暗号を解読されて、アカウントを不正に利用されたわけだし。

 こうなった以上、もはや、そのURLが、燮永会のウェブサイトへの入り口である、という証明ができないから、警察は、動いてくれないでしょうね。ログインする前のウェブサイトは、どこからどう見ても、普通のホームページだから。

 たとえ、証拠がなくても、このことを警察に伝えるべきではないか、とも思ったけれど……『談正市で発生した火山災害は、燮永会による人工噴火だ』なんて、陰謀論者の類いと見なされるだけだわ」

「……そうですね……」たしかに、今、聴いただけでも、陰謀論のようである。「それでは──万事休す、ということでしょうか?」

「いいえ」燠姫は、首を左右に、ゆっくり動かした。「一つだけ、まだ、休していない事件があるわ。

 燮永会のウェブサイトには、蛍陽道の啖瀬(くいせ)市に設置しているっていう、基地のデータもあってね。どの住所の建物が、基地として使われているか、とか、どんな人物が、基地に出入りしているか、とか、その他、いろいろな情報が、詳細に記述してあったのよ。

 啖瀬市は、談正市に隣接しているの。ガブロ・メソッドを行使するには、さまざまな土木工事が必要で、そのために、燮永会は、その市に、基地を作ったのよ。

 ウェブサイトから得た情報は、ちゃんと、ノートに記録したり、スクリーンショットとして保存したりしているから。わたしは、それらを利用して、基地に忍び込むことにするわ。で、彼らが立てている、鶯磐庭園人工噴火計画のエビデンスとなるようなデータを盗み出す。それを、警察に提出するのよ。

 どう? これなら、警察も、動かざるを得なくなるでしょう?

 それだけじゃない……もし、余裕さえあれば、他にも、燮永会に関する、さまざまな情報を盗み出すつもりよ。そうすれば、燮永会を、一気に壊滅させられる可能性だってあるわ」

「それは、そうでしょうけれど……」燐華は、しばらくの間、沈黙し、考えを巡らせた。「盗み出すデータの目星は、付いているんですか?」

「ええ。燮永会のウェブサイトを閲覧していた時に、いくつか、ピックアップしておいたわ。仮に、それらが見つからなかった場合でも、代わりとなるようなデータを探す方法について、考えてあるわよ」

「そうですか……では、その、啖瀬市にあるという、燮永会の基地の情報を、蛍陽道警に渡すことは、できないのですか? お嬢さまの代わりに、彼らに、そこへ踏み込んでもらうのです」

「それも、検討したんだけれどね……難しい、という結論に達したの。

 第一に、エビデンスがないわ。燮永会の啖瀬市の基地に関する情報は、今や、わたしの記録しか、存在しない。はたして、それを、蛍陽道警に信じてもらえるかどうか……。いくら、爛崎家が、営鞍県において、高い権力を有している、とはいえ、蛍陽道じゃあ、通用しないからねえ。

 第二に──これが最も重要なんだけれど──どうやら、蛍陽道警の中に、燮永会のスパイがいるらしいの。どうも、ガブロ・メソッドをテストする時、作戦の一環として、そのような工作を行ったらしいのね。

 残念ながら、具体的に誰がスパイなのか、まではわからなかった。これじゃあ、なんとか、蛍陽道警に、わたしの持つ、燮永会の基地に関する情報を、信用してもらったとしても、彼らが、そこへ踏み込む前に、逃げられるでしょうね」

「そうなのですか……それでは、基地に忍び込んでデータを盗み出す、という任務について、他の人に依頼してはいかがでしょう? 外部の機関とか、そういうスペシャリストとか……」

「もちろん、それも、考えたわ。わたしだって、できれば、危険な目に遭いたくないものね。……でも、駄目なのよ。

 第一に、そもそも、そういう機関やスペシャリストの、心当たりがないわ。探すにしても、少なくない時間や費用がかかるでしょうし……。

 第二に、基地のコンピューターから、データを取得するには、ITの専門的な知識が必要なの。それも、かなり高度なやつが。

 わたしは、幼い頃から、各種の情報技術に関しても学んでいたおかげで、じゅうぶんな量の知識を有しているけれど……他の人は、そうではないでしょう? 少なくとも、人並みにパソコンが扱える、というだけでは、無理なのよ。

 それに……目星を付けているデータが見つからなかった時のことを考えると、やっぱり、わたしが行くほうが、いいわ。わたしなら、一度、彼らのウェブサイトを見ているから、代わりのデータを探すにしても、いろいろ、当てがあるし」

 燐華は小さく唸った。「お嬢さまが、直接、基地に忍び込むしかない、ってわけですか……」

 燠姫は、こくり、と頷いた。「そういうこと」

「……そう言えば、燮永会は、鶯磐庭園の人工噴火を、いつ、行おうとしているんです? さすがに、そこまでは、わかっていませんか?」

「いいえ」燠姫は軽く首を横に振った。「さいわい、その日にちも、突き止められているわ。テロが行われるのは──今年の、七月一日よ」

 燐華は両目を瞠ると、思わず、「あと、三ヵ月もないじゃありませんか!」と大声を上げた。「……それだと、せっかく、基地からデータを入手して、それにより、警察を動かすことに成功したとしても、彼らが、燮永会による鶯磐庭園でのテロを阻止するよりも先に、燮永会に、それを実行されてまうのでは……?」

「わたしも、その可能性は考えたわ」燠姫は首を縦に振った。「そこで、基地に忍び込んだ時、データと一緒に、『ノヴァニトロ』も盗み出そう、と思っているの」

「ノヴァニトロ?」燐華は首を傾げた。「何ですか、それは?」

「名前のとおり、ニトログリセリンの一種よ。通常の物よりも、爆発の威力が、とても強くなっているの。

 ガブロ・メソッドを行使するには、このノヴァニトロが、大量に必要でね。しかも、これは、かなり希少な品で、値段は高いし、お金が用意できたところで、購入の機会は、とても少ない。

 燮永会も、ノヴァニトロを調達するのには、かなり苦労していたようでね……ガブロ・メソッドを談正市に対して行使するのに必要な分を確保するのに、数年を要したくらいなの。

 今、彼らは、ガブロ・メソッドを鶯磐庭園に対して行使するのに必要な分、ちょうどの量のノヴァニトロを所有しているわ。で、どうやら、その一部が、啖瀬市の基地にも、保管されているらしいの。

 このノヴァニトロを、少しでいいから、盗み出せば、燮永会は、かなり長い間、ガブロ・メソッドを、行使したくてもできないようになる。で、彼らが、ノヴァニトロを、再び調達するより先に、警察が、彼らの企みを阻止するでしょうね」

「なるほどです。……それで、基地に忍び込む作戦は、練ってあるのですか?」

「ええ。すでに、立てているわ」

 燐華は、燠姫の両目を、まっすぐに見つめると、「なら、ぜひ、わたしも参加させてください」と言った。「お嬢さまだけを行かせるわけには、いきません」

 その言葉に、燠姫は、少なからず驚いたようだった。やがて、わずかに瞠っていた目を、元の大きさに戻すと、「まさに、それを、頼みたかったのよ」と言って、ふふ、と微笑んだ。「わたしの作戦に協力してくれないか、ということをね」

 燐華も、にこっ、と破顔した。「もう、返事をする必要は、ありませんね」

「そうね。じゃあ、さっそくだけど、燮永会の基地からデータを盗み出す作戦について、詳しい説明を始めるわ」

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